安心社会から信頼社会へ: 日本型システムの行方 (中公新書 1479)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121014795

感想・レビュー・書評

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  • 良書。
    もう一回ちゃんと読みたい。

  • 大学の時に読み残した本シリーズ4冊目。
    ソーシャルキャピタルの勉強してた時に買ってたんだけど、なぜか読んでなかった。
    先日読んだ糸井重里さんの「インターネット的」が、
    この本から着想を得たという記述を見て引っ張り出してきました。

    経済成長やら人口増加などなどを背景とした日本型システムによる日本的な大きな物語が崩壊したこれからの日本では、
    個人個人が周囲の人に対する捉え方を変えてかないとこれからどんどん変化していく社会ではうまいこと回っていかなくなっちゃいますよ、というお話。

    これまでの日本(式集団主義社会)では集団内部の仲間内における「安心」がある一方で、よそ者に対する不信感をも生み出していた。
    社会システムの前提条件であったものが崩れていく中では、固定された仲間内の協力だけでは新たな問題に対処していくことができない。
    このとき必要になるのは、他者一般に対する「信頼」であり、適切に他者一般との関係を築くことのできる共感的能力である。

    とても面白いことが書いてあるのですが、
    中盤は社会心理学の実験に関してかなり長いこと解説されていて、ここらへんは興味のない人にはちょっと退屈かもしれません。

    結論部分、今後の社会のあり方に関しては、
    情報公開・透明性という部分だけでは足りないかなとも思いますが、それが必要ないということではなくてすでに前提になっていってるのかなと。自治体とか企業とかのレイヤーでは。
    透明性でもって社会的不確実性を担保した上で、さらに効率や成功の可能性を高めるための方法が模索されている段階、なのかな。

    一方で個人のレイヤーではこの「情報を公開することによって社会的不確実性を低下させる」という方策はとても大切になってると思う。
    ここらへんが、糸井さんが「インターネット的」で主張されていた「正直は最大の戦略である」につながるわけですね。

    もうちょっと早めに読んでおけば良かったなという思いが強いですが、今読んでも考えることが多かったので良かったです。

  • 社会的不確実性の大きな状況(他人の意図についての情報が必要な場面でそれが不足している状況、相手の行動いかんでこちらが不利益を被るような状況)で、どのようにして他人と取引、コミュニケーション、協力etcを可能にするのかを論じた本。本筋の日本社会論よりも、一般的他者に対する信頼感の強弱が生むコミュニケーションスタイルの差異について論じた箇所が面白かった。

  • 誰のオススメ本だか定かではないのだが、素晴らしい気付きをいただきました。(読んでいる最中に、TBSラジオで尊敬する宮台真司氏もこの著者、山岸俊男を尊敬しているとかたっていました)
    第一章
    ・ 「安心」とは相手が自分を搾取する意図がないという期待の中で、自己利益の評価に根ざした部分。
    「信頼」とは相手が自分を搾取する意図がないという期待の中で、相手の人格や自分に対して抱いている感情についての評価にもとづく部分(*社会的不確実性が
    存在している場合に意味をもつ)という言葉の定義と、
    これまでの日本が安心してこれたのは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、集団や関係の安定性がその内部での勝手な行動をコントロールする作用をもっていたから
    第二章
    ・ 常識として語られている集団主義的行動(集団の利益を優先した協力行動を取り易い)のはそう行動することが自分を利する「しくみ」が社会の中に存在しているからであり、その背景には、日本の『恥の文化』(集団内での非協力行動に対するコントロールが、その行動に対する相互規制により個人の外部から維持されている)ことによるものであり、そういった規制を取り除いてしまうと日本人はアメリカ人(『罪の文化』をもつ)に比べても、集団主義に行動しえなくなる。

  • 非常に興味深い内容でした。

    そしてネット上からリアルの社会へ広がっていく相互評価社会に対して、日本人としてどのように生きていくのか?考えさせられる良書でした。

    僕が思っていた日本人全体の特徴「和を大切にする」の意味が、この本を読んでひっくり返ってしまいました

    僕は日本人の個人個人のDNAに「集団の利益を優先する」という感性があるのだと思っていたのですが、そうではないと分かりました。

    著者は本書で、社会心理学と進化ゲーム理論の実験手法を用いて、集団主義的な文化が、一人一人ではなく、社会的な環境の中にあると証明していきます。

    この「実験」の様子がこの本のメインになっていて、とてもユニークで面白いです。

    文章を読みながら「へーほんとにそんな結果になるの!?」
    と思わずにはいられない内容でした。

    安心が多くある社会は、関係性を固定化することで成り立ちます。

    例えば小さな村では村人全員がどんな人間か?が分かるので、「安心」をベースに生活しやすい。

    でも、現代社会では、この「安心感」を得るためのコストがめちゃめちゃ高くなっています。

    なので日本が本来持っていた「安心社会」の構図が壊れてしまってるのが現代社会だ。と言っています。

    それに変わるものとして、外部環境からの安心がない状態でも「相手を信頼する」とはどういうことか?をいろんな実験で証明しています。

    それによると、「一般的信頼度(社会って信頼出来るよね)が高い人は、多様な機会が与えられてる人や、機会が多く存在している社会で育つと高くなる」。というデータをあげています。

    そして特に、本の最後の方に出てくる実験データが面白い!

    「一般的信頼度の高い人と、大学の偏差値はリンクしている」
    ただし、大学の偏差値が高い=家庭環境に恵まれているから、一般信頼度が高いことは同じではない。

    「社会的信頼度は大学の環境によって後からでも高められる」

    これって、偏差値の高い大学は環境として、多様なチャンスがある。と学生が思っているから、社会的信頼度の数値が上がる。

    ということは、意図的に社会全体が、「日本は住んでるだけで多様な機会が与えられますよ―」とわかれば、もっと住みやすい社会になるんじゃないかな。

    そうすればもっと自由と責任が両立する世の中になるんじゃないかな、とそんな風に思った次第です。

    実験データに裏付けされているので、説得力がとてもある、社会行動学の良書ですね。

  • 心理学実験データをもとに、人を信じるグループと疑うグループとでどういう差が出たのかを言い表している本。

    岡田斗司夫さんの評価経済社会の元ネタになっているとのことで読む。
    論文をベースにしているようで、中身はかなり本格的。

    時代によりデータの偏りや解釈方法は変わって来るのかなと感じました。
    部分的にアメリカとの対比が出てきますが、国や文化による違いをもうちょい深堀りしてほしかったですね。

  • 社会心理学実験や論文の内容が書いてあるだけのような本だが、ストーリーがうまく組んであって面白いし、専門用語は使っているけど基本的に平易なことばづかいなので読みやすい。

  • まえがき
    第一章 安心社会と信頼社会
    第二章 安心の日本と信頼のアメリカ
    第三章 信頼の解き放ち理論
    第四章 信じるものはだまされる?
    第五章 社会的知性と社会的適応
    第六章 開かれた社会と社会的知性
    後書き(研究の舞台裏)

  • 社会心理学研究者による日本社会のこれまでと
    これからを読み解く一冊。

    この手の本は世の中にあふれるほどあるが、
    大半は、科学的視点がなく、著者の観念で語っているだけの
    ものが多いように思う。

    わざわざそう書くということは、本書は決してそうではない、
    「科学の目」に貫かれた社会論だと言いたいのだけれど(笑)。

    本書でもっとも面白いのは
    自己評価に基づく「対人信頼尺度」の調査・分析が
    (最初にこの調査を設計したのはロッター)
    が、驚くほどに「社会的知性」をはかる上で
    有効な統計データとして表れる、ということだと
    私は思う。
    (というか、それが本書のコアなわけだが)

    「他人を信頼できる」と自認する人は
    人間性検知に優れ、新しい社会関係の構築を積極的に
    行なえる「ヘッドライト型知性」の持ち主である可能性が高い。
    一方で「他人が信用できない」人は
    関係性検知を好み、閉鎖社会(安心社会)にこもりやすい
    傾向を持つ可能性が高い。こちらは「地図型知性」と表現されうる
    (これらの~~知性は著者の造語)。

    そして、日本はこれまで基本的に「安心社会」がスタンダードだと
    思ってやってきたわけだが、
    終身雇用などの「日本型システム」崩壊が、その安心社会の終わりを
    示しつつあるというように大転換が起こっている。
    そこで「よく生きる」には、信頼社会を認め、受け入れ、
    個々人にヘッドライト型知性を発達させていく必要がある、ということだ。

    本書は2つの意味で科学的である。
    ひとつは、統計学手法を厳密に運用し、データから言えることに基づくこと。
    もうひとつは、進化心理学および脳科学という人間の生物的側面からの
    知見を踏まえていること。
    とくに後者については、なぜ私たちの感情行動が「合理的」に思われないような
    仕組みなのかを、進化の淘汰から正しく捉え、モジュール型知性として
    人間を読み解く議論の展開はとても筋が通っている。


    また、本書第6章にて出てくる、
    雇用差別を統計的見地から読み解く見方についても
    納得がいく。
    サローの論を引用し、「資本主義社会の労働力は普通の商品ではない」
    という前提から、統計的に差別をすることが
    「企業側にとっては有用に働きうる」ことを示している。
    著者はこのスタンスを擁護しているわけではないことには注意しなくては
    ならない。ただし、現実はそうだ、と言っている。


    著者は力説する。
    「文化は固定的伝統ではなく、創造的プロセスだ」と。
    したがって、この安心社会の崩壊も、それが善い悪いという視点で
    捉えるべきではないということになる。
    私もそれに同意する。
    自然界がいろいろな変化を積み重ねて、一度たりとて同じ状態が
    続くことはないように、
    人間の文化もまた、変化し続けるものであろう。
    したがって、その中で人が「よりよく生きていく」ということは、
    変化を恐れて閉じこもるケースよりも、変化を受け入れて外に
    広がっていくケースのほうが、はるかにうまくいくと思う。
    とはいえ、私たちは進化の中で「失うことを恐れる」心性を
    持つようになってしまっている。
    これについては、ピンカーら進化心理学者のいうように、
    生まれつきの差もあるし、後天的学習による差もあるだろう。
    残念ながら、生まれつきの部分はどうしようもないが、
    後天的なことについては変化させられる。
    というか、生まれ持つ気質(=現代生活と何の関係もない)を
    うまく調整して、性格(=現代生活を営むOS)にうまく結実させることが
    大事だ、というべきだろうか。

    そう考えてみれば、今の世の中は好機といえる。
    安心した一生という幻想が成り立たないことへの認識が広まるほど、
    それを受け入れる人も増え、それが「信頼社会」の根底になりうる。

    これは「保守」か「革新」か、というような単純な二分法で
    捉えてはならないだろう。
    なぜなら、それらはどっちも「古い安心社会型ステレオタイプ」を
    前提としているから、ぶっちゃけ同じ使えないモノなわけである。
    そうではなく、人間の本性、社会集団の構成という科学的見地からの
    変容への道だと考えていくべきではないか。

    (余談ではあるが、本書でアメリカは日本よりは信頼社会だということが
     示されているが、アメリカでは日本より犯罪発生率が高かったりするのも
     また事実である。アメリカはアメリカで、「伝統の拘束」や「差別社会」と
     いった様々な問題が渦巻いているのではないかと思う)

  • レポートの参考にさせていただきました。主張としてはありがちでグローバル化するなら今の日本型システムじゃだめだというところなんですが、「安心」と「信頼」の区分とか、最後の方で就活に結びつけたところとか、興味深い話が盛りだくさんで中身も濃い味でした。おもしろかったです。

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著者プロフィール

COEリーダー・北海道大学大学院文学研究科教授

「2007年 『集団生活の論理と実践』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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