- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121015402
作品紹介・あらすじ
私たちはしばしば、日本の都市が暮らしにくく、しかも美しくもない、という実感を抱いている。それは、明治以降の近代都市が産業優先で形成され、建設に際しても、何を建てるかだけが問題となり、周辺状況を考慮することがなおざりにされてきたためである。本書は、公園や街路、建造物などの現場を丹念に取材した成果を盛りこみながら、真に快適な生活空間へと都市を再創造するための道筋を示す試みである。
感想・レビュー・書評
-
この方面の本を読むのは初めてであったので大変興味深く読むことができた
東京の裏道における建築の問題点もさることながら、そこに生活している人々の意識の問題について強く述べてあり、また非常に興味深かった
そのうえで筆者自身の解決策にスペースが多くさかれていることにも感心させられた
ただし、写真の使い方とそれを使用した説明がややわかりにくく感じさせられたのは残念であった詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
元建設相官僚が、<b>現代日本の貧困で醜い都市デザインを憂え、よりよい生活空間としての都市の実現のための方策提言</b>を行っている。
著者は住宅を中心とした都市政策に長年関わってきた。その経験と反省も踏まえた見解によると、東京に代表される現代の日本都市は、ほとんど<span style='color:#ff0000;'>経済と産業の発展効率だけを暗黙の目的</span>として、<span style='color:#ff0000;'>歪な縦割り規制法</span>の下で、また<span style='color:#ff0000;'>自動車の弊害はほとんど顧慮されず</span>にグランドデザイン不在のまま形成されてきてしまったという。そのため、<span style='color:#ff0000;'>道路、ファサードといった公共空間、景観は個人の内部空間の滲みだしによって収奪され、統一感も快適性もない</span>ものに成り果てた。
その実例が、これでもか、と列挙されている。一つ一つ腑に落ちるものばかりである。
そして著者は、都市のリ・デザインのためには、<span style='color:#0000ff;'>「巨大産業都市とその郊外住宅地」という形態から脱皮</span>を目指し、諸制度の改良、建築プロの意識改革、今後の高齢化縮小経済を踏まえた行政効率化、生活者自身の課題認識と行動が必要である、と述べる。
もう10年以上も前の本だが、現状はぜんぜん改善されていない。昨今の経済政策も、人気の都知事や府知事の視点も、本書が追求する都市デザインとは無縁なようだ(彼ら自身がテクノクラートではなく「リーダー気取りの文人」に過ぎないからやむをえないが)。我が住む町、京都だけはなんとか食い止めていきたいものだ。 -
Ⅰ章の途中まで読んでやめた。
まず、最初の「なぜ日本の生活空間は魅力的ではないのか」という文章から、え?そうか?と思ってしまう。
日本と言いつつ、東京のみを指して言っているのだが、しかし魅力的ではないってことが大前提で書かれているので、私にはウマが合わない。 -
日本の都市(本書では主に東京を指している)は明治以降の急速な経済発展に適応するため、産業発展を主眼においた設計がなされたことで、本来都市機能として最も大切な「住」がおろそかにされてきた経緯により今の姿となる。
著者は建築基準法と都市計画法の2つの既存制度の問題点を指摘しながらも、住みよい都市をつくるために必要となることは、都市で生活する我々一人一人が住みよい都市を求めていかなければらなないと述べる。偶の休暇に欧州の美麗な都市を味わい、帰国後日本の都市に呆れるのではなく、私たちが都市の生活者として住みたくなる都市を追及していかなくてはいけないのだ。
筆者のいう都市とは、生産の場ではなく消費の場でなくてはならない。そのためにはモータリゼーション化した、車にやさしく歩行者にきびしい現在の状況を一新する必要がある。夏場の暑さや、風雨を遮る屋根があってもよい。
※日本の住宅設計は「中から外」を眺めることに重きが置かれていた(庭園美など)。しかし、これからは外を歩く人を楽しませるような住宅設計、つまり「外から外」の美しさを重視した設計も必要になるのではないか。 -
識者の一般的認識として、日本の都市は通勤地獄、交通渋滞、狭小な住まいといったように暮らしにくく、しかも美しくないと言われている。そしてその原因は、先進国に追いつくために生産を重視し住環境をおざなりにする政策を行ってきたからとされている。この都市の美しくない有様の原因は、魅力ある都市を作ることをないがしろにしてきた行政の政策の不備である。戦後の混乱期が一段落し、東京の体裁が整えられた頃から公共投資政策は一極集中ではなく、地方分散を意図し行われてきた。にもかかわらず、都心部への人の流入はとどまることなく続き、日本の経済運営上の必然から東京が巨大都市圏となった。この政策と実情とのミスマッチが、不便で魅力のない都市空間を作り上げたのであり、いわば都市空間は野放しにされていたといえる。
しかし、人口減少の局面に移るこれからは「生産」よりも「消費」に目を向けることが重要な社会となる。過剰生産になり、労働をセーブせざるを得なくなる社会では、生活者としての豊かな時間がもたらされる。そんな社会に必要なのはゆっくり散歩できる道や、にぎやかな街路などであり、「生産」の都市と「消費」の都市では都市開発の方法も違ってくる。 生産の都合で作られた社会制度から生活者の立場で社会制度を変えていく必要がある。
著者は公的な組織に属しているため、その解決策として政策的な部分を挙げている。面白かったのは、著者が現状の容積率や建蔽率などが低率だと考えているところである。 都市と地方の対立という視点ではなく、あくまでも都市をよりよいものにしていこうという議論のなかで、空間の高度利用が出てくるのは当然かもしれないが、民間の開発意欲を抑制してきた側の人間が、そこまで明確に都市集中を打ち出すのは珍しい。
高度利用するための開発手法までは踏み込んでいないが、都市に入ってこようとする人を地方に押しとどめるために地方に投資を分散するという考え方ではなく、都心流入を前提としたうえで、それに対応できる都市を作り、なおかつ暮らしやすい都市空間を創造する。
その時々の政府は、地方票を集めるために、地方にも目を向けているという姿勢を打ち出し、未だに地方の活性化などを謳ってはいるが、本音では行政マンも地方より都心部に政策を集中したいと考えているのだろう。 -
内容(「BOOK」データベースより)
私たちはしばしば、日本の都市が暮らしにくく、しかも美しくもない、という実感を抱いている。それは、明治以降の近代都市が産業優先で形成され、建設に際しても、何を建てるかだけが問題となり、周辺状況を考慮することがなおざりにされてきたためである。本書は、公園や街路、建造物などの現場を丹念に取材した成果を盛りこみながら、真に快適な生活空間へと都市を再創造するための道筋を示す試みである。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
青木 仁 1952年(昭和27年)、東京・墨田区に生まれる。東京大学大学院修士課程修了(中世ロマネスク建築史専攻)。建設省入省。住宅局地域住宅計画官を経て、現在、都市基盤整備公団再開発部・居住環境整備部次長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
第1章 私たちの生活空間は魅力的だろうか
第2章 生活空間の再点検
第3章 生活空間をとりまく社会問題
第4章 都市計画・建築規制制度の問題点
第5章 ロンドン、マンハッタンと東京
第6章 より良い生活空間のためのキーワード
第7章 快適な生活空間創造のための五つの提案 -
表題を実現するために、著者は都市計画は表通りと裏通りの二本立てで行うこと、「定型」を積極的に採用すべきことを主張する。ただし、実態に即した計画をと言いながら、理想の都市空間は無批判に欧米の都市であったり、グランドデザインの必要性を説きながら本書でついに自身のグランドデザインを提示しえなかったり、現役の行政官が自著のなかで行政の縦割主義や前例踏襲主義を嘆くことしかできないあたりに、はからずも著者の主張する問題の根深いことが証明されるようだ。快適ならざる都市空間の実例はそれなりに充実している。
-
何が変わらず、何が変わって、何が変わらねばならないか。
-
現代東京の都市計画性の欠如に対する呪詛の言葉で満ちた一冊。
内容を否定している訳ではないです。ごもっとも。