モンテーニュ: 初代エッセイストの問いかけ (中公新書 1565)
- 中央公論新社 (2000年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121015655
作品紹介・あらすじ
文学の一ジャンル「エッセイ」は、モンテーニュが一五八〇年に著した『エセー』に始まる。三八歳で官を辞し、引きこもった自邸の読書室から生みだされたこの本は、十六世紀フランスの社会変動と戦乱を背景に、司法官、市長として直接得た体験と古今の書物の知識から織りあげられている。そこには人間の生きる意味についての模索、「エセー」が実践され、現代の問題群を前にする読者に新たな生きる糧を与えてくれる。
感想・レビュー・書評
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中公新書
荒木昭太郎 「 モンテーニュ 」
「エセー」訳者による解読本。次から次にテーマが広がっていく「エセー」を 再構成して 体系化しているのだから、凄い本だと思う
著者の章タイトルが秀逸で、「エセー」を的確に捉えている
*読書室のなかで〜知のいとなみの現場
*孤独と陰うつ〜死を見すえる構え
*樹木にたとえた自己の生涯
*探索スタイル〜不透明な対象にむかって
*表現スタイル〜論理より詩想
*知識の量より判断する力
*知の地平線の拡大へ
著者は モンテーニュの考えの立て方の癖として「まだ はっきりとは わからないものの、問題が あきらかに存在することは わかっている」という感覚的な捉え方をあげている。「エセー」に人間臭い印象を持つ理由はこの辺にあると思う
エセー の意味
1巻50章 デモクリトスとヘラクレイトス
*エセー=自分の判断力のためし
*判断力という人間の精神的な能力を実地にはたらかすことが重要〜どのように知の運動を進めるかが関心事で、その動作主が判断力
*判断力のためし=自身の体験、書物その他から得られた他者の思考を集積したもの
自分の知の営みについての晩年の意見表明
3巻3章 三つの交際について
自分の家に、自分の帰っていける場所、自分の機嫌だけをとっている場所、自分を隠す場所 を持たない人間は惨めだ
1巻39章 孤独について
*座=自分を孤独のなかに確固として立てるための空間であり、自己に対面し対話を行う場
*自己対話を劇場にたとえ、舞台の上と下で「見る自己」と「見られる自己」が自己の分析と批判を行う
ものを書くことは、ある憂うつな気分、孤独のもたらす不愉快な気分から出てきた
*孤独とは、その試練を自分一個で耐え抜く場である認識が立てば〜自己なるものが確立する手ごたえを得る
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父親が、荒木昭太郎氏に教わってたらしい。2外で荒木昭太郎氏が話題になって、文化1類現博士課程在学中の先生が貸してくれた。
漏れもモンテーニュの様になりたいが、本の内容はだるかった。最後の方は少し面白かったけど。
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¥105