ワインづくりの思想: 銘醸地神話を超えて (中公新書 1606)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121016065

作品紹介・あらすじ

良質なワインは何に由来するのだろうか。かつては、ボルドーやブルゴーニュだけが永遠に偉大な産地だとする銘醸地信仰があった。第二次大戦後、醸造技術の進歩と品種の世界的拡散によって風土の壁は乗り越えられ、新興産地が続出した。知識と技術を手にしたつくり手たちは、本当につくりたいものが何かを明確化してワインづくりに邁進している。日本のワイン水準を飛躍的に高めた醸造家が、酒づくりの到達点を示す。

感想・レビュー・書評

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  • 2012/03/29

  • 元来,ワインには名醸地信仰のようなものがあったし,今もある.例えばボルドー,ブルゴーニュ,ライン,モーゼルと言うアレだ.本書は,その名醸地信仰が,1960年代末から起きた葡萄品種の伝搬,栽培技術の進歩,見識を備えた醸造家の世界規模での輩出,呑み手の意識向上などの様々なパラメータの変化によって崩壊していく過程と,今も勃興し続ける新興ワイナリーたちの動向を追って行った,年代記的ルポタージュ・エッセイ.私にも呑み覚えのある日本ワイン黎明期の話なども出て来て懐かしい.

    ただ,著者の立場から言えば仕方ないのかもしれないが,この30数年は,我々にとってのワインと言うものが,富裕層から中低所得者層へ普及して行き,ありふれた日常の飲物になって行った30年でもある筈だ.どうしてもこういう本は,ファイン・ワインの話に偏るのは已むを得ないことだが,私個人の関心のありどころは,年に何度呑むかも解らぬ「偉大な」ワインより,毎日水代わりに呑んでいるワインの品質と味にあるので, (どのようなワインであっても飲料である限り,自分の消費量に応じて関心の重きに差をつける事がおかしいと私は思わない) 著者が世界を飛び回って各地の名品の話をされても,縁薄きものに感じてしまうのは事実である.
    まぁ実際のところ,フランスでさえ,消費されるワインの2割近くは輸入品,原料用葡萄果汁を入れたらそれどころではあるまい.その多くが日常に呑む無銘のワインであろう.その事実を考えれば,醸造地信仰というものは,もう疾うに立つ足場を喪っているのだと私は見る.

    それから,もうひとつ.著者が「フレッシュ・アンド・フルーティ」のドイツワインが何故急速に市場から飽きられたかを考察するところでは異論がある.著者は,人為的に作られた味に人は飽き易く,例えば日本の吟醸酒もその範疇にあると見ているのだが,私は,近年のドイツワインや吟醸酒の沈滞は,食全体から浮き上がって酒だけの旨味を追求した独善にあると見る.純粋性は必ず多様性には敵わないと思うのだ.

  • 太平洋戦争期から酒類産業に携わってきた著者が、他の新世界等のワイン史等を踏まえた上で、業界内で無自覚なままで使われているキーワードの意味を捉え直し、今後に向けた日本のワイン産業に携わる人々への啓蒙書ともいうべき物になっています。

  • 造り手側からの迫力ある意見。

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