- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121016164
感想・レビュー・書評
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映画への憧憬の深さが違うんだなぁ。
作り手の監督視点でもない。映像の見せてくれるものから感じられるものを、どんなものからも分け隔てなく伝えてくれる。
まったく知らなかった。今でも知られていない、時代を越えた映画や、商業ベースにのらないような、未文化な国の映画まで、解説してくれる。どれも観たくなる。
その中でも一番惹かれたのはドキュメンタリー「ファザーレス/父なき時代」(日本映画学校の学生作)。簡単なストーリーとこの映画の背景を読んだだけで、もう観たくて観たくて、でも、どうやったら観ることが出来るのかが判らなくて、もどかしくて仕方がない。
そしてイラン映画の数々。こちらは何点か観ることができそうなので、じっくりと観てみようと思う。
映画を観るようになってまだ、日が浅い頃や、忙しい合間に観ているときは、心がその世界に入り込めないで現実に置き去りになっていた状態で映像を観ている感覚がある。
“なんともったいない時間を過ごしたのだろう。”
自分をまるごとその世界に連れていけたら、映画という存在はまったく違ってくる。私は評論はできないけど、傷を負った心や、逞しくなった心、寂しさのキュンとした感覚を背負いながら、世の中を見つめられたらきっと自ずと佇まいも凛としてくることと思って映画を観るようになった。
佐藤さんは映画の映像に映らない背景を観ているので、一本の映画という作品をどんどん膨らまし、輝きを増してくれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:B1/5/1616/K
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単なる映画紹介にとどまっておらず、非常に読ませられた。
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佐藤忠男さんはいい映画を世界中の実に広範囲な処から探してくる人だというのが私の持っていたイメージ。中公新書「映画の真実 スクリーンは何を映してきたか」はその無意味なサブタイトルはともかく(編集者の甘さがこういうところにまず表れている)この映画批評をしてきた人物の努力を感じさせる本だ。
しかし編集者が判っていないのか、佐藤さん自身のの筆が滑った部分がそのまま、全体の流れを逸脱して1章を成しているのが辛い。「9 ドキュメンタリーとデモクラシー」はまったく不要であり、更に、彼自身がドキュメンタリーについてまったく無知であることが明らかだ。これは読んでいて辛かった。「撮れてしまったもの」を編集したものがすごい、と彼は書いてしまっている訳だが、そんなに浅いレベルをドキュメンタリーと呼ぶこと自体が間違っている。まず、どこに視点を据えるかがドキュメンタリーの命であり、それはどう口が滑っても「撮れてしまったもの」ではなく「撮ったもの」なのだ。そして、「撮れてしまったもの」には醜悪なまでにその場所の臭いがついている。そして、そこでは主張と言える判断はなされていない。
ドキュメンタリーとドラマはまったく違う。ドラマの中に歴史的な、民族的な、様々な、真実を捕らえることこそが佐藤さんの見てきた、更に批評を通して形成してきた主張である。ひとつの章を挿んだことで言いたいことが無気味な形で捩じれた。
この9章を飛ばして読むと実はすっきりと佐藤さんの言いたいことが判る。9章の末尾にはいい話があるけれど、これは5章にエピソードとして持ち込めば解決する。
まあ、そういう話はともかく、私はこの本を楽しんで読んだことは事実だ。
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