教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

  • 中央公論新社 (2003年7月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784121017048

作品紹介・あらすじ

一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

みんなの感想まとめ

教養主義の変遷を多角的に探求した本書は、過去の教養がどのように変わり、現代においてどのような役割を果たしているのかを考察しています。著者は、かつての教養主義の隆盛や、その影響を受けた文化人たちの活動を...

感想・レビュー・書評

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  • ここ何年かはもっぱら教養ブームだが、この本でいうところの教養主義とは、意味合いが様変わりしたと言ってよい。かつての教養主義を担っていた雑誌や書籍の隆盛、旧帝大のなかでも学部のカラーの違いなど、興味深く読んだ。
    限られた一部のエリートのものではなく、大衆化した教養は、担う役割はまったく異なるけれど、いつの時代も無視はできない存在である。

  •  米津玄師が「べらぼうに面白い」と語っていたので、彼が面白いと思うものは読んでみたいと思い、読み始めました。膨大な資料とデータ、時代背景をもとに教養主義の変遷を描いている。これを「べらぼう」と表現できるほど面白味を租借しきれなかったのが非常に悔しいが、考えもしなかった「教養主義」という立場の話はとても興味深かった。
     岩波文庫が教養主義に与えたインパクトや石原慎太郎の初期の作品「灰色の教室」「太陽の季節」に対する教養主義者からの批判がその後の石原氏の左翼批判を造成するなど、やはり人は時代と切り離すことができないのだなと思った。
     「膨大な本を読むことが教養である」という教養主義の隆盛から今の時代に語られる「教養」というものは地続きであれ、大きく様変わりした。それでも、遮二無二に本をむさぼり読み、自分の根幹を作るというのはいつの時代も必要なのではないかと思う。現代教養主義を著者は「キョウヨウ」と表現しているが、当時の骨太の教養主義を思えばそりゃそうなるよなぁと思った。そういう時代を生きた著者だからこそ、あの終わり方になるというか、すごく人間味を感じる終わり方だった。

  • あるインタビューの中で米津玄師さんが「べらぼうに面白かったですね」と紹介していたことで手に取った一冊。

    正直なところ、新書をなかなか読まない私には難しかったし、米津さんはどこに面白みを感じ、膝を打ったのだろう…?

    ただ、教養主義の変遷を農村と都市、大学進学率の変化を多面的に、武士や町人、石原慎太郎やビートたけしなど、多角的に分析している点は職業柄興味をそそられる部分ではあった。そして、時代の流れとともに没落していく必然性も感じた。

    現代の教養とは一体…

  • 米津玄師がこの本について、べらぼうに面白いと言っていたというのを知り読んでみた。
    読むのに時間がかかったが、大正時代から続いた教養主義がどのように変わってきて、没落したかが大体分かった。学生運動をしていた時代とその思想などがよく分かっていなかったが、少しその流れが理解できたかなと思う。

    現代は昔と違ってインターネット・youtube・漫画その他、人格形成のために情報を得るための種類が多くなったが、それでも書籍を読むことが知識や教養を得るためには一番大切なんだろうなと私は思う。

  • 大正時代の旧制高校を発祥として1970年ごろまで大学で見られた教養と教養主義。
    教養主義の輝きは、農村と都会の、そして西洋と日本の文化的格差をもとにしていた。
    その格差がなくなり、教養知から専門知が求められるようになるに従い、教養主義は消えていった。

    教養主義はファッションだった。教養があるほうが女にもてる。そんな時代だったらしい。

    今に通じるところもあれば、そんな時代があったんだ、というところもあり面白かった。

    今って、なに主義が流行っているんだろう。
    何十年も先に、今の時代について「○○主義の没落」って書かれた本がでたら読みたいなと思ったり。


    教養主義には関係ないけど、出版業は今も昔も人脈産業と書かれていたところが面白かった。岩波書店の歴史とか。

  • 借りたもの。
    米津玄師がインタビューで「べらぼうに面白かった」と語って(※)話題になった本。それで興味を持つ。
    ‘大正時代あたりに興隆した教養主義が、この本が書かれた2000年代初頭の頃に至るまでにいかに没落していったかということを、いろんなデータをもとに紐解いていく。’
    丁度、読了した三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』( https://booklog.jp/item/1/4087213129 )でも言及していた本なので、深堀りした感じになった。

    こちらは社会人ではなく、大学生にスポットを当てているけれど。
    彼らが数年後、社会人になるのだから、当然地続き。

    前述書でも言及されていたが、教養というものが、エリート層から大衆化するにあたり、求められる“教養”の在り方も変わってゆく。
    それは、教養が権威主義的なもの階級的なものの上から目線……鼻持ちならない存在であり、それに対する反骨精神から来るのようにも思えた。

    当初は人格形成のためのものであり、教養主義の中核は読書で、本=教養だった。
    しかし、それはすぐに終わり、マルクス主義など(当時の)時代の先端を行く思想、これからの時代をよくしようとするもの触れる……しかしそれもインテリ思考が強くなり、それも嫌悪され……といった対立構造、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼの繰り返しに感じた。
    教養知と異なった専門知や技術知の台頭……「思想インテリ」から「実務インテリ」、「抵抗型」知識人から「設計型」知識人への転換が言われるようになっていった。

    一連の流れに、事態の変化を垣間見るわけだが、同時に普遍的なものがある。
    すなわち、今を生きるために必要なものの会得。
    そのために、読書をする。
    ただしその内容は、時代によって、大衆化したことで変化している。

    そして現在。
    山口周氏の著作などに代表される、『リベラルアーツ』の見直しがされている。
    エリートになりたい!的な情景と見栄の部分は否定できないと思いつつも、変化の激しい現代を生き抜くための基礎としての教養に立ち返ったのだろうか?

    ※【米津玄師「Plazma」「BOW AND ARROW」インタビュー|あの頃の気持ちで、軽やかな自分で 今解き放つ2つのアニメ主題歌 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー】
     https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi30 ( 2025/10/3 )

    「難しい本を読んでないのは恥」の教養主義はなぜ没落したのか......『なぜ働』の三宅香帆さんと竹内洋さんが語り合った
    https://chuokoron.jp/culture/126688.html

  • 興味深い考察も多々あるものの、いかんせん、これまでの学生文化の遍歴をよくわかっていないので、言わんとするところがドンピシャとハマってこないのが切ないところ。戦前戦後の教育の枠組みですらよく理解していないから、そこんところでまず引っかかって「?」という箇所も多々ある。
    残念、自分。
    まあ大学というところは、現代ではすでに、高等教育を享受するためにみんなが行ってる場所であるかどうかもあやしい。いやもちろん、専門知の結集であるのは間違いないんだけれども、衆愚と呼ばれてもやむを得ない面もあるかもね。
    こうやって文化は生まれ変遷していくのだなー。

  • ああそうだった(のか)とおもいかえすところたくさん。あとがきの、「いま50歳代半ば以上の世代が、教養をめぐるそれぞれの思い出とルーツを再吟味するきっかけになればうれしい」という意図は果たされた。出版年が2003年なので今となっては80歳近い想定なのだが機能している。

  • 面白いが、日本思想史を理解すればもっと面白いと思う。
    己の出自と思想の連続性を考えさせられた。自身の努力(受験、スポーツ)で成り上がったと感じるからこそ、都市型ブルジョワに近い考えを持っているのだろう。

    ・「その人らしさ」とは『ハピトゥス』であり、出自や社会的地位、青年期の経験にて形成される。『ハピトゥス』が社会的思想に影響を与える(当たり前と言えば当たり前ですが、エリート集団の中にも多様なハピトゥスを持つ人々がいる)。
    ・ヒエラルキー制度の崩壊により、上中下の階級に実線が引かれなくなる。凡俗な人間ー大衆平均人(サラリーマン)の文化が強く一般化することにより、教養を持つ「変人」「おたく」であることが望ましくない現状になっている。
    ・『教養』の真の意義はそれを培う場としての対面的人格形成の過程にあるのではないだろうか。教養が実用性を持ち、エリートが傲慢さに溺れず、人間の矜持と高貴さを養うために、新しい時代の教養はどうあるべきなのかを考えていきたい。

    5章「文化戦略と覇権」と終章「アンティ・クライマックス」は正直流し読みになっているので、近代日本思想史を浚ってからまた改めてインプットしなおしたい。

  •  本書は三宅香帆が、推している本なので、読んでみた。とにかく、米津玄師が、「べらぼうに面白い」と2020年に雑誌『SWITCH』に掲載された小特集で言ったことで、話題になった本なのだ。

     竹内洋は京都大学の先生だった。私より上の世代である。教養がなぜ必要なのか?ということと、教養主義は、教養と密接に関連しながら、異なる概念だ。そして、教養主義が没落しているという指摘は、時代によって教養主義も変遷する。

     本書は、「教養」という言葉に対する一般的な説教じみたイメージを超えた、社会史としての興味深い分析を展開している。従って、単なる主観的な意見や感情に訴えるものではなく、歴史的および社会学的な視点から、「教養」という概念がどのように成立し、誰によって担われてきたのか、またなぜその価値や存在意義が衰退していったのかを詳細に解明している。具体的には、旧制高校時代のエリート学生文化、マルクス主義の台頭、さらには大学の大衆化に伴う教養主義の消退に至るまでを、時系列に沿って描くのではなく、多角的な視点から体系的に解説しいる。

     本書は、石原慎太郎、岩波茂雄、ビートたけしを教養主義の視点から分析していることで、彼らの時代における役割が明らかになる。また、教養主義が、「役にたつこと」の重視する風潮から没落し、結局、公務員試験などに残存する遺物にもなりかけているという、絶滅する寸前なのだ。

     教養とは、個人が社会と関わる過程で経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得することによって身につける、ものの見方や考え方、価値観の総体を指す。単に知識を蓄積するだけでなく、それらを統合し、批判的に思考する力や倫理観、感性、主体的に行動する力など、人格的側面も含むものである。

     教養主義とは、近代日本において、特定の読書や経験を通じて教養を身につけることを規範とし、それを人格形成や社会的エリートとしての地位確立のための通過儀礼とみなす文化や思想を指す。ドイツの「ビルドゥング(教養)」の理念に強く影響を受けており、内面的な修養を重視した。多くの場合、旧制高校や帝国大学といった限定されたエリート層の学生文化の中から生まれ、特定の読書リストや外国語の学習などを通じて、知性や人格を序列化する側面を持っていた。

     本書によれば、日本における教養主義は、時代とともに変化を続けてきた。
     明治・大正期には、西洋の近代思想や文学を取り入れ、自律した個人としての「人格」形成が重視された。夏目漱石や阿部次郎などがその代表である。

     昭和初期には、マルクス主義の台頭に伴い、教養主義とマルクス主義が対立しつつも、相互影響を及ぼす「マルクス主義的教養主義」が形成された。そして、1936(昭和11)年に、『思想犯保護観察法』が制定され、『治安維持法』によってマルクス主義が思想的に排除された時代があった。

     戦後においては、旧制高校の廃止とともに一時衰退したが、新制大学においてマルクス主義を引き継ぎながら再び復活した。しかし、大学進学率の上昇と大学の大衆化が進むにつれ、エリートとしての特権的な地位は失われ、教養主義は次第にその規範としての力を弱めていった。そして、1970年代頃まで続いた大学の規範文化としての教養主義も、社会の複雑化や価値観の多様化にさらされた。

     専門分化と実利主義の台頭が始まる。大学が専門知識を身につけて職業に役立てる場へと変化した。これにより、人格形成という漠然とした目的よりも、専門分野での成果や社会的成功が重視されるようになった。大衆が豊かになり、多様なエンターテインメントが普及する中で、「俗」を軽蔑する教養主義の価値観は時代の流れに合わなった。

     本書で、教養主義に登場する人物の評価がおもしろい。石原慎太郎は戦後の教養主義に対する強烈なアンチテーゼ(対立概念)を体現した人物として高く評価されている。
    まず、石原慎太郎の若者文化における寵児として登場する。戦後、旧制高等学校出身者が象徴していた「古めかしい」教養主義が次第に権威を失う中で、石原は『太陽の季節』(1955年)を通じて、従来の価値観を打ち砕き、新しい若者像を提示した。これは、既存の教養主義が軽蔑した「俗な欲望」や「肉体の欲望」「生々しい現実」肯定し、古い価値観を相対化して、その支配力から解放する力を持ったと評価される。そのエネルギーを文学のテーマとした。これにより、没落しつつあった教養主義の権威を決定的に揺るがした人物として位置づけられる。

     竹内洋は、石原慎太郎が古い教養主義を超えることができなかったという。「俗」からの脱却に関して、彼は既存の教養主義を破壊したように見えたものの、作品には依然として教養主義的な価値観、特に「エリート意識」や「権力への志向」が色濃く残っていた。彼は、真に俗人になりきることができず、むしろ教養主義的なエリート意識の裏返しとして行動していたと考えられる。そして反知性主義との親和性である。石原の活動は、古い教養主義への批判から、次第に知的権威全般を否定する「反知性主義」的側面を強めていったが、これはあくまで教養主義の超克ではなく、その反作用として生まれたものであり、新たな知的創造や文化の創出には至らなかった。

     石原慎太郎の父親の潔は、旧制中学校中退で、山下汽船には、店童という丁稚身分で入社。母親は神戸市第2高等女学校を卒業。ただ、石原慎太郎が物心がついた時点で、父親は小樽出張所主任管理職であり、戦後は山下汽船の子会社の常務まで登り詰めていた。成り上がりホワイトカラーとなっていた。上昇ブルジョア層だった。著者の表現も、昭和的価値観で述べられているのが面白い。

     教養主義の旗振り役になった岩波茂雄は、1881(明治14)年、長野県諏訪郡中洲村の農家の長男に生まれた。岩波茂雄は、東京府立第1中学校を中退し、国粋主義を掲げた独特の校風を持つ日本中学校に編入する。そして一高に入る。そこで付き合った人が豊富で、阿部次郎や夏目漱石となる。
     古本屋岩波書店を1909年に開業し、そして夏目漱石の『こころ』を1914年、自費出版することで、出版業をスタートさせ、『硝子戸の中』『道草』『明暗』を出版して地位を固めた。1915年に『認識論』を皮切りに全12冊の哲学業書を刊行し、「哲学書の岩波書店」というブランドを確立。『善の研究』『出家とその弟子』『古都巡礼』が発刊された。そして1938年に岩波新書が刊行された。そのことで、岩波書店は教養主義の文化エージェントとして確立した。それが文化史観を確立し、文化財としての価値を生み出した。

     竹内洋は、永井荷風の教養は、西洋の文学や哲学に深く傾倒しつつも、日本の伝統的な遊里文化や江戸の風俗に対しても愛着を持っていた。荷風の教養は、「俗世間から距離を置き、自らの美意識や趣味を徹底的に磨き上げる、個人的で耽美主義的な態度」である。荷風は明治以降の近代化や欧米化を批判し、江戸の伝統や風俗、遊里文化に美を見出した。荷風は、世間一般の価値観や社会規範に縛られることを嫌い、自らの「好き」を追求する「好事家」としての生き方を貫いた。社会の規範やエリートとしての地位を確立するためのものではなく、むしろ社会から距離を置き、自らの美意識を追求するためのものであった。これは、当時の教養主義が目指した「人格の完成」とは異なり、個人的かつ耽美的な教養観といえる。

     竹内洋は、ビートたけしを、従来の教養主義的な知識人とは異なる、新たなタイプの知的存在として評価している。たけしは、エリートとは対極に位置する「不良」や「庶民」の視点から、既存の権威や教養主義的な価値観を徹底的に笑いものとした。たけしの笑いは、教養主義が前提としていた「高尚な文化」や「人格形成」といった価値を相対化し、大衆に対して「本を読んで社会のことを考えても意味がない」といったムードをもたらした。著者は、たけしこそが、戦後日本のキャンパスから教養主義を駆逐した動きを最終的に完成させた人物であると論じている。

     竹内洋の面白い分析は、団塊の世代が大学生になることで、本を読まなくなったということだ。竹内は戦後の大学進学率の急激な上昇が、旧制高校時代に存在した教養主義的な学生文化を崩壊させたと指摘している。大学生が、漫画を読むことが日常となり、『世界』『中央公論』を読まなくなり、『少年マガジン』『少年ジャンプ』が愛読書になり、教養主義らしきかけらとしての『朝日ジャーナル』があった。大学生の増加に伴い、従来「読書」が担っていたエリート文化の役割が失われつつあり、多様な価値観の中で読書はもはや「必須の行為」ではなくなったことが、学生の読書離れの主要な要因の一つであると指摘している。
     この本の世代と近い存在である私は、この本の難解さに驚きつつ、話題の取り上げ方のうまさと先進性に驚くのだ。そして、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という時代となるのだ。

  • 面白かった。
    説教臭い本だと思ってたけど全く違う

    前半部分は昔の人物が多かったり、自分が生まれる前の話で中々入り込めない部分もあったが、そこで前提をインプットしてると中盤以降、一気に伏線回収的に面白くなる。

    教養主義没落の必然性は説得力があって腑に落ちたし、適宜引用される文献も自説を補強するだけでなく、毎度新たな視点が提示されるようで非常に興味深く読むことができた。

  • 教養主義とは「人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度」だそうだ。戦前戦後の教養主義や、旧制高等学校の雰囲気、教養主義といわれる学生の読書傾向、岩波文化について知れた。『三太郎の日記』『善の研究』など教養主義のバイブルとされた本は読んでみたい。農村と都市の差や日本と西洋の文化格差により成り立っていた教養主義は一九六四年以後、崩壊する。では、現在の教養とは何だろう。どのようにして身に付けたらよいのだろう。と考えた時に、リベラルアーツという言葉と「旅、人、本」が大事と仰る出口さんの顔が浮かんだ。

    p13
    …教養主義といわれた学生文化は文学・哲学・歴史関係の古典の読書だけでなく、総合雑誌の購読をつうじて存立していた面が大きい。

    p40
    ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。東京帝大講師ラファエル・ケーベ(Raphael Koeber 一八四八ー一九二三)の影響を受けた漱石門下の阿部次郎(一八八三ー一九五九)や和辻哲郎(一八八九ー一九六〇)などが教養主義文化の伝達者となった。『三太郎の日記』や『善の研究』が刊行されることによって、旧制高等学校を主な舞台に、教養主義は大正教養主義として定着する。

    p41
    …「野卑」で「淫猥」とまでされた小説に、東京帝国大学講師だった夏目漱石が手を染め、また専業小説家となることによって、小説が知識人の嗜みに格上げされていった…

    p50
    マルクス主義は、ドイツの哲学とフランスの政治思想、イギリスの経済学を統合した社会科学だといわれた。合理主義と実証主義を止揚した最新科学とみなされた。

    p57
    『三太郎の日記』が大正教養主義のバイブルだとすれば、『学生叢書』は昭和教養主義のバイブルとなった。

    p59
    大正教養主義は、「普通」(人類)と「個」(自己)があるが普遍と個を媒介する「種」(民族や国家)がなく、「社会がない」(唐木順三『現代史への試み』)ものだった。…人格の発展は、内面の陶冶にとどまらず、社会のさまざまな領域の中での行為によって現していくものだった。河合栄治郎が哲学者ではなく、社会政策学者であり、英国のトマス・ヒル・グリーンの社会哲学や英国社会主義の研究者であったことによる。

    p83
    「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurées)である」

    ハビトゥスとは個々の行為や言説を生成し、組織する心的システムを指示している。社会的出自や教育などの客観的構造に規定された(構造化された構造)実践感覚であり、実践をみちびく(構造化する構造)持続する性向の体系である。

    p84
    われわれが、あの人は品があるとか、田舎者だとかいうときには、個々の行為のあれこれをいっているわけではない。行為を生成し、組織する原則(「実践と表象の産出・組織の原理」)を指示して言及している。つまりこうした心的習性(「持続性をもち移調が、可能な心的諸傾向のシステム」)がハビトゥスである。ハビトゥスは出身階級や出身地あるいは学歴などの過去の体験によって身体化された生の形式である。現在の中にあって、未来にも生きつづけようとする過去という意味で身体化された歴史である。われわれが場違いや場にぴったりという感じをもったり、気が合わないとか気が合うとかいうのは、場と個人あるいは個人と個人のハビトゥスの疎隔や親和である。

    P108
    文学部生の総合雑誌への接近率が法学部や経済学部に比べて低く、思想・哲学雑誌への接近率が相対的に高いことに、文学部が教養の「奥の院」だったことが示されている。

    p116
    帝国大学調査から、日本の教養貴族の生産工場である帝国大学文学部は帝大の他学部に比べて「農村的」で「貧困」で「スポーツ嫌い」、「不健康」という特徴が抽出された。

    p136
    …人脈資本をひろげる環の結び目の人物

    p141
    一九二七(昭和ニ)年には、ドイツのレクラム文庫に範をとった岩波文庫が創刊される。レクラム文庫は、叢書というパッケージで教養ある人間の必読書目録を提供したが、レクラム文庫をモデルにした岩波文庫も、万人が読むべき古典の指針となった。(中略)イギリスのペリカン・ブックスをモデルにした岩波新書が刊行されたのが、一九三八(昭和一三)年である。

    p161
    「日本は後進国だけに、何から何まで西洋の模倣である。さうなると、民間人よりも政府の金で学問をして、政府の金で洋行して来た大学の教授連の方ぎ、大体に於いて優れてゐた。その著作もそれだけ信用が置けるのである。で、この著者の信用と岩波書店の信用とが相俟つて、本は岩波でなければならない、岩波から出た本でさへあれば、何でも信用されるといふやうなことになつてしまつた。(後略)」(『私の共産主義』)

    p174
    知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識や思想や主義そのものとしてよりも、知識人のハイカラな生活の連想のなかで憧れと説得力をもったのである。

    p226
    大学によって学生文化における教養主義の衰退き差があったが、七〇年代から八〇年代にかけて日本の大学生文化から規範文化としての教養主義が大きく衰退したといえる。
    このころ文庫本ブームがはじまった。カバーが派手になっただけではない。従来文庫といえば、名作や古典に決まっていたのが、大衆的な現代作家の作品が大量に文庫化された。方針を変更した角川文庫がその急先鋒だった。文庫が教養主義のよりしろという時代が終わったのである。そして総合雑誌が売れなくなった。

    p236
    機能的にはいまやサラリーマン文化、あるいはエンターテイメント文化である大衆平均人文化こそ正統文化の位置にある。高級文化からの逸脱である「野卑」「無教養」からよりも、大衆平均人文化からの逸脱である「変人」「おたく」ラベルから生じる象徴的暴力と困惑のほうが大きいからだ。

    p247
    教養主義といえば、『三太郎の日記』や『善の研究』(岩波書店版)が刊行された大正時代を、あるいはレクラム文庫や岩波文庫を読む旧制高等学校生を想定するのが通念的理解である。

  • 本書のブレイクのきっかけは米津玄師さんの発信からとのことですが、私自身が興味を持ったのは三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で触れられていた近代日本の読書と労働の歴史がとても面白かったので、それに通じる部分がありそうだと思って手に取りました。

    教養そのものではなく教養主義者の軌跡をたどることでエリート学生文化の衰退までを示した内容だと思うけど・・・私には難しくてわかりにくかったです。

    1970年代以降、農村と都市部の性格格差がなくなり、また、大学進学率が上昇しはじめ、ほとんどの人が卒業後も大衆的サラリーマンになることがわかってくるに伴い、学歴エリートとしての教養は魅力がなくなり、教養主義文化は衰退したそうです。

    そして、現代の教養(キョウヨウ)は、適応に重きが置かれているってとても納得。
    今の知識人はSNSもとても気にするものね。時代の流れを感じました。

  • 20年以上前に出版された本。「あのほんよみました?」で話題になっていると言っていたので読んでみました。本の中から思想を学び、そこから自我の目覚めと教養を身につけていくエリートたちの読書の変遷を統計の表やグラフを用いながら、詳しく論じている本。
     面白いのは大衆文学が生まれて、ビートたけしが吉本隆明の論説を誰に向かって発信しているかわからないと一刀両断にした頃から教養主義が没落したのではと結論づけている所だった。
    読んだけれど、昔の話なのでちょっと面白くなかった。戦後のエリートたちの読書遍歴と思想に関わる本を知りたい人には楽しいと思う。

  • 4-12-101704-8

    教育主義の没落
    変わりゆくエリート学生文化
    中央公論新社

  • 米津玄師さんが「べらぼうに面白かった」と言っていた、と知って手にしました。

    結論、私にとっては、ほとんど響くところがなかった(苦笑)。
    でも、子供の頃、父が言っていたことの背景というか、その時代の認識が、少しは見えたような気がしました。
    (2003年出版)

  • 教養主義の没落と変様、展望と期待が込められた良書である。
    従来の日本の大学で支配的だった教養主義は戦前前後1960年代半ばまで、社会の規範となるべく次世代のリーダーになるべく教育を受けてきた。そして、教養主義とは、哲学・歴史・文学などの人文学の読書を通じて人格の完成を目指す態度であり、単なる知識の詰め込みではなく、人格形成や社会改良をも志向するものであった。
    だが、時代は高度経済成長期に突入し、日本という国の社会構造が大きく変化を迎えた。教養は広く大衆化し、多くの人が大学へ通えるようになり、従来の詰め込みの知識やエリート意識を高める教養から、コミュニケーションの能力や実践的な教養への応用が期待され推進している。
    現代において、従来の教養主義とはズレた意味(文化的規範ではなく、特権意識へ変貌)で、選良主義(エリート主義)が名立たる大学の学生らで横行している。能力主義(メリトクラシー)に現代の日本では完全に移行し、「チャンスが平等であれば、勝者はその対価を得られる」という平等性を謳っているが、実際には「親の所得や家庭環境」による影響や環境に大きく起因していることを私たちは知らねばならない。
    私の好きな意識と言葉がある。「ノブレス・オブリージュ」の精神だ。これは「身分の高い者はそれに相応して果たさなければならない社会的責任と義務がある」という概念である。学歴だろうが、肩書きだろうが、生まれだろうが、金持ちだろうが、なんらかで成功を得た人間は国内外問わず歴史から見ても選民的な思想に陥るものだ。本著では、教養主義をテーマにした良書であると同時に、現代の私たちに本当の教養とは何かを問い続けるために必要な良書であると言えるだろう。

  • ミーハーな理由からはじめた読書であった。
    思いがけず川口浩の名にめぐりあい、探検隊の人になるまえは二枚目俳優で売っていたことを知る。
    岩波文庫が、創業期は泥臭かったことも。

    フラットな心持ちで読んでいたつもりだったが、3章でまず、統計データの恣意的な運用が気になった。
    古いアンケート結果によって、学部別の図書館利用について語っている。文学部は法学部の二倍、本を借りているという。その内実は語られていないが、法学部の読み物は文学部の読み物より圧倒的に難読であると思うので、冊数はあまり当てにはできない。ページ数ですら。統計のだいじょぶ?ってとこはこういうところ。恣意が入りすぎる。
    ある箇所では統計のデータを読み取って語り、ある箇所では統計から読み取れないことを推測して語る。都合よくデータを使用する態度、これは科学的なやり方ではない。人文が統計を利用する時の手口は疑わねばならない。残念なことに。著者は教育学部卒の教育社会学者。
    人文の人はイデア論を信じている。おおむね、自身の立場はイデアにあり、その立場から有象無象を見下している。そして権威主義的でもある。なにが高尚であるかを決めるのは一部の権威である。それに反する意見は挑戦とみなす。現代のリベラルにも見受けられる姿勢だ。

    深呼吸して読み進める。終章で呼吸が乱れる。
    終章では、学生運動に対する一面的な解釈が述べられている。人文が行う問題提起はモデルを単純化しすぎじゃね?と感じがちなのだが、まさにそれ。本件について言えば、例えば共産党との関わり合いについては触れられていない。
    サラリーマンとして社会の部品となるだけの運命に「学問とはなにか」と激しく問うたのが学生運動であると総括する論説は青臭すぎる。モデルを単純化し、求める答えに合わせて整形するので、論理に無理が出る。

    また、差別口調がナチュラルに飛び出す。直前まで普通の語り口調だったのに、特定のなにかに対していきなり差別口調になる。これには覚えがある。左翼的だしリベラル的だしマウント型インテリだと思う。教養主義がすべて備えてる特徴じゃあないか? 

    そして、定番の「今どきの若者」論に着地するわけだが、そこで対照されるのは、教養主義的読書人たるかつての学生の姿だ。おそらく著者はそのつもりはないだろうが、引き合いに出された学生像は実に厨二病っぽく、ファッションだったんじゃないかと思うことを禁じ得ない。


    悪い印象ばかりを述べたが、過去の学生の就職状況などが伺える一面もある。データの恣意的な運用を見てしまえば、眉に唾を付けながら読まざるを得ないのが残念ではあるが。
    たとえば、1913年の時点で現在でいうところのいわゆる文系の就職率はいわゆる理系に比べて悪く、主たる就職先は教職だったという。卒業する前に就職先が決まる現在とは異なり、卒業から一年程度はどの学生もモラトリアムで、就職活動をしていた。その間、大学院に残るなどしていたが、大半は就職までの腰掛けでしかなかった。人文に活動家的立場の人物が多い理由が垣間見えた気がする。暇なルサンチマンが多かったのだろう。本気で学問する気がないから、戦後には学術会議の政治などにかまける時間もできた。まともな学者なら会議の主導権争いなどしたかろうはずもない。
    学生運動をしていても就職を期に転向することが普通であったというから、学生運動をファッションでやる者も普通にいたのだろうし、そこでこじらせた者がより深く自家中毒的な恨みを抱えて先へ進んだのだろう。

    文系大学が教養主義の奥の院だったというが、就職に不利なんだから不人気になるのは当然じゃね?と思う。教養主義の没落とやらは、社会に真っ当に向き合う人が増えたことが理由になるのではないか。よほどの金持ちか、暇人か強い情熱がなければ信念を貫き通すことなどできない。

  • 昔は読まなければならない本というものがあった。難しそうな本がぎっしりつまった本棚。雑誌『世界』を定期購入して、本棚に並べていることがインテリの証だった。p.6

    寮や下宿で夜を徹して人生論や哲学論議。p.8

    岩波書店という文化装置。p.131

    教養主義とは、たくさんの書物を読んで、教養を詰め込む預金的な志向・態度。p.54

    大半の人は散漫な知識を寄せ集めた教養俗物だった。実存哲学のフレーズを振り回して、哲学青年・文学青年を気取った。教養は友人に差をつけるファッションだった。学歴エリートという成り上がりが教養というメッキによって「知識人」という身分文化を獲得しようとした。p.24

    頭でっかちの、裸にすれば痩せっぽっちのインテリ野郎。p.82

    *********

    エコール・ノルマル・シュペリウール。都市部の金持ち階層出身が多い。この学校に入学したブルデューは地方の下層中流の出だったので、負い目を感じていた。p.117

    1934年東大生の1日の勉強時間。4時間弱(授業除く?)。p.100

    大学進学率15% (1963年)。ここから大学の大衆化が進んでいく。p.206

  •  本書は,大正時代の旧制高校以来,日本の大学にみられた教養主義とその没落を追究する。教養主義とは,哲学,歴史,文学など,人文学の読書を中心にした人格形成をめざす主義を意味する。この学生文化は,古典の読書に限らず,高い知性を誇った総合雑誌や単行本の購読を通じて培われてきた。教養主義は,1950年の旧制高校廃止でも滅びることなく,アンチ軍国主義の象徴として,マルクス主義とともに60年代半ばまで生き延びる。対照的に,新制高校出身で都市ブルジョア文化に育った石原慎太郎は,教養主義の刻苦勉励的心性に対する生理的嫌悪を,当時の作品の中で示していた。
     教養主義に軋みが出てきたのは,1960年代後半からである。筆者はその理由として,貧しく寂しい農村の消滅,日本の高等教育におけるエリート段階の終了とマス段階の開始,そして大卒のグレーカラー化の3点を挙げる。企業に経営幹部として期待されるわけでもなく,大量に採用されるサラリーマン予備軍にとって,教養は無用なものとなる。大学紛争世代による教養知識人への執拗な糾弾も,ただのサラリーマン予備軍への不安と憤怒に由来したのではないかと,懐古する。
     筆者は,教養の機能として,人間の環境や日常生活への充足をはかる「適応」,効率や打算,妥協などの実用性を超える「超越」,自らの妥当性や正当性を疑う「自省」の3作用の必要性を説く。1970年代以降の教養機能では,「適応」の肥大,「超越」と「自省」の急速な衰退によって,3作用のバランスが失われてしまった。筆者は,旧制高校的教養主義の復活を時代錯誤として一蹴しながらも,いまこそ旧制高校的な教養主義を通じてその意味や機能を考えるチャンスだと述べる。大正時代の教養主義は,印刷媒体とともに,教師や友人などの人的媒体を介して培われてきた。戦後の大衆教養主義がそれを著しく希薄化させただけに,今後教養を培う場としての対面的人格関係の重要性を主張している。
     これまで,齋藤孝『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社,2008年と,小林哲夫『高校紛争 1969-1970』中央公論新社,2012年を読んできた経験が,本書における教養主義やそれに関する価値観に対する理解を可能にしてくれた。おそらく筆者が最も言いたかったのは,終章の部分だろう。それだけに,序章~5章の200頁を割いて綴られてきた教養主義の栄光と,たった1章の間に崩壊してしまった教養主義の成れの果てが,対照的に描かれている。おりしも,全共闘世代から絶大な共感を得た吉本隆明が昨日死去した。これも,教養主義を再評価するひとつのタイミングだと言えるのかもしれない。

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著者プロフィール

1942年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、現在、関西大学東京センター長。関西大学名誉教授・京都大学名誉教授。教育社会学・歴史社会学専攻。著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、第39回日経経済図書文化賞)、『革新幻想の戦後史』(第13回読売・吉野作造賞)『清水幾太郎の覇権と忘却』(ともに、中公文庫)、『社会学の名著30』(ちくま新書)、『教養主義の没落』『丸山眞男の時代』(ともに、中公新書)、『大衆の幻像』(中公公論新社)、『立志・苦学・出世』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『教養派知識人の運命 阿部次郎とその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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