教養主義の没落: 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書 1704)

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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017048

作品紹介・あらすじ

一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

感想・レビュー・書評

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  • 教養主義とは「人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度」だそうだ。戦前戦後の教養主義や、旧制高等学校の雰囲気、教養主義といわれる学生の読書傾向、岩波文化について知れた。『三太郎の日記』『善の研究』など教養主義のバイブルとされた本は読んでみたい。農村と都市の差や日本と西洋の文化格差により成り立っていた教養主義は一九六四年以後、崩壊する。では、現在の教養とは何だろう。どのようにして身に付けたらよいのだろう。と考えた時に、リベラルアーツという言葉と「旅、人、本」が大事と仰る出口さんの顔が浮かんだ。

    p13
    …教養主義といわれた学生文化は文学・哲学・歴史関係の古典の読書だけでなく、総合雑誌の購読をつうじて存立していた面が大きい。

    p40
    ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。東京帝大講師ラファエル・ケーベ(Raphael Koeber 一八四八ー一九二三)の影響を受けた漱石門下の阿部次郎(一八八三ー一九五九)や和辻哲郎(一八八九ー一九六〇)などが教養主義文化の伝達者となった。『三太郎の日記』や『善の研究』が刊行されることによって、旧制高等学校を主な舞台に、教養主義は大正教養主義として定着する。

    p41
    …「野卑」で「淫猥」とまでされた小説に、東京帝国大学講師だった夏目漱石が手を染め、また専業小説家となることによって、小説が知識人の嗜みに格上げされていった…

    p50
    マルクス主義は、ドイツの哲学とフランスの政治思想、イギリスの経済学を統合した社会科学だといわれた。合理主義と実証主義を止揚した最新科学とみなされた。

    p57
    『三太郎の日記』が大正教養主義のバイブルだとすれば、『学生叢書』は昭和教養主義のバイブルとなった。

    p59
    大正教養主義は、「普通」(人類)と「個」(自己)があるが普遍と個を媒介する「種」(民族や国家)がなく、「社会がない」(唐木順三『現代史への試み』)ものだった。…人格の発展は、内面の陶冶にとどまらず、社会のさまざまな領域の中での行為によって現していくものだった。河合栄治郎が哲学者ではなく、社会政策学者であり、英国のトマス・ヒル・グリーンの社会哲学や英国社会主義の研究者であったことによる。

    p83
    「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurées)である」

    ハビトゥスとは個々の行為や言説を生成し、組織する心的システムを指示している。社会的出自や教育などの客観的構造に規定された(構造化された構造)実践感覚であり、実践をみちびく(構造化する構造)持続する性向の体系である。

    p84
    われわれが、あの人は品があるとか、田舎者だとかいうときには、個々の行為のあれこれをいっているわけではない。行為を生成し、組織する原則(「実践と表象の産出・組織の原理」)を指示して言及している。つまりこうした心的習性(「持続性をもち移調が、可能な心的諸傾向のシステム」)がハビトゥスである。ハビトゥスは出身階級や出身地あるいは学歴などの過去の体験によって身体化された生の形式である。現在の中にあって、未来にも生きつづけようとする過去という意味で身体化された歴史である。われわれが場違いや場にぴったりという感じをもったり、気が合わないとか気が合うとかいうのは、場と個人あるいは個人と個人のハビトゥスの疎隔や親和である。

    P108
    文学部生の総合雑誌への接近率が法学部や経済学部に比べて低く、思想・哲学雑誌への接近率が相対的に高いことに、文学部が教養の「奥の院」だったことが示されている。

    p116
    帝国大学調査から、日本の教養貴族の生産工場である帝国大学文学部は帝大の他学部に比べて「農村的」で「貧困」で「スポーツ嫌い」、「不健康」という特徴が抽出された。

    p136
    …人脈資本をひろげる環の結び目の人物

    p141
    一九二七(昭和ニ)年には、ドイツのレクラム文庫に範をとった岩波文庫が創刊される。レクラム文庫は、叢書というパッケージで教養ある人間の必読書目録を提供したが、レクラム文庫をモデルにした岩波文庫も、万人が読むべき古典の指針となった。(中略)イギリスのペリカン・ブックスをモデルにした岩波新書が刊行されたのが、一九三八(昭和一三)年である。

    p161
    「日本は後進国だけに、何から何まで西洋の模倣である。さうなると、民間人よりも政府の金で学問をして、政府の金で洋行して来た大学の教授連の方ぎ、大体に於いて優れてゐた。その著作もそれだけ信用が置けるのである。で、この著者の信用と岩波書店の信用とが相俟つて、本は岩波でなければならない、岩波から出た本でさへあれば、何でも信用されるといふやうなことになつてしまつた。(後略)」(『私の共産主義』)

    p174
    知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識や思想や主義そのものとしてよりも、知識人のハイカラな生活の連想のなかで憧れと説得力をもったのである。

    p226
    大学によって学生文化における教養主義の衰退き差があったが、七〇年代から八〇年代にかけて日本の大学生文化から規範文化としての教養主義が大きく衰退したといえる。
    このころ文庫本ブームがはじまった。カバーが派手になっただけではない。従来文庫といえば、名作や古典に決まっていたのが、大衆的な現代作家の作品が大量に文庫化された。方針を変更した角川文庫がその急先鋒だった。文庫が教養主義のよりしろという時代が終わったのである。そして総合雑誌が売れなくなった。

    p236
    機能的にはいまやサラリーマン文化、あるいはエンターテイメント文化である大衆平均人文化こそ正統文化の位置にある。高級文化からの逸脱である「野卑」「無教養」からよりも、大衆平均人文化からの逸脱である「変人」「おたく」ラベルから生じる象徴的暴力と困惑のほうが大きいからだ。

    p247
    教養主義といえば、『三太郎の日記』や『善の研究』(岩波書店版)が刊行された大正時代を、あるいはレクラム文庫や岩波文庫を読む旧制高等学校生を想定するのが通念的理解である。

  •  本書は,大正時代の旧制高校以来,日本の大学にみられた教養主義とその没落を追究する。教養主義とは,哲学,歴史,文学など,人文学の読書を中心にした人格形成をめざす主義を意味する。この学生文化は,古典の読書に限らず,高い知性を誇った総合雑誌や単行本の購読を通じて培われてきた。教養主義は,1950年の旧制高校廃止でも滅びることなく,アンチ軍国主義の象徴として,マルクス主義とともに60年代半ばまで生き延びる。対照的に,新制高校出身で都市ブルジョア文化に育った石原慎太郎は,教養主義の刻苦勉励的心性に対する生理的嫌悪を,当時の作品の中で示していた。
     教養主義に軋みが出てきたのは,1960年代後半からである。筆者はその理由として,貧しく寂しい農村の消滅,日本の高等教育におけるエリート段階の終了とマス段階の開始,そして大卒のグレーカラー化の3点を挙げる。企業に経営幹部として期待されるわけでもなく,大量に採用されるサラリーマン予備軍にとって,教養は無用なものとなる。大学紛争世代による教養知識人への執拗な糾弾も,ただのサラリーマン予備軍への不安と憤怒に由来したのではないかと,懐古する。
     筆者は,教養の機能として,人間の環境や日常生活への充足をはかる「適応」,効率や打算,妥協などの実用性を超える「超越」,自らの妥当性や正当性を疑う「自省」の3作用の必要性を説く。1970年代以降の教養機能では,「適応」の肥大,「超越」と「自省」の急速な衰退によって,3作用のバランスが失われてしまった。筆者は,旧制高校的教養主義の復活を時代錯誤として一蹴しながらも,いまこそ旧制高校的な教養主義を通じてその意味や機能を考えるチャンスだと述べる。大正時代の教養主義は,印刷媒体とともに,教師や友人などの人的媒体を介して培われてきた。戦後の大衆教養主義がそれを著しく希薄化させただけに,今後教養を培う場としての対面的人格関係の重要性を主張している。
     これまで,齋藤孝『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社,2008年と,小林哲夫『高校紛争 1969-1970』中央公論新社,2012年を読んできた経験が,本書における教養主義やそれに関する価値観に対する理解を可能にしてくれた。おそらく筆者が最も言いたかったのは,終章の部分だろう。それだけに,序章~5章の200頁を割いて綴られてきた教養主義の栄光と,たった1章の間に崩壊してしまった教養主義の成れの果てが,対照的に描かれている。おりしも,全共闘世代から絶大な共感を得た吉本隆明が昨日死去した。これも,教養主義を再評価するひとつのタイミングだと言えるのかもしれない。

  • 明治期から、1周まわって、語学や知識を備える大学4年間を過ごさないといけないのかなと思いました。予測できない未来に対応するために…文部科学省のキーワードに従えば。

  • 社会

  •  旧制高校を中心とした、“教養主義”に関する歴史と考察。筆者の懐古趣味も多分に感じられる。基本的に文系の世界のことなので、理系な自分には半分くらいしか共感できないが、あれは古き良き時代、なのか。

     自分が学生だったのは本書の中で最も新しい時代分類に属するが、その時代の学生の読書状況には恥じ入るばかりだ。あの頃、もっと本を読んでおくべきだった。それは確かだ。

  • 図書館勤務時代、最近の若い者(学生)は本を読まん…とかいう老教員の嘆きを耳タコで聞いてきたが、それってどういうことだったんだろう…ということを何となく理解(ぉ

  • かつて大学における基盤文化であった教養主義が、没落する過程に光を当てた作品。

    教養主義とは、人文科学(歴史・哲学・文学)の読書体験を通じて人格形成を目指すことを重んじる風潮。

    かつては中央公論などの総合雑誌やあかでみっくな文庫・新書・専門書の出版社のシンボル的存在であった岩波書店が、教養主義を支える文化装置として機能した。

    しかし、高度経済成長とともに内省的な教養知よりも機能的で功利的な専門知が重視されるようになった。
    また大学進学率が上昇し、大卒者がサラリーマン化して地位が相対的に低下する中で、教養主義的な知的文化はは大衆文化に取って代わられるようになった。

  •  頷けるところもあり、あまり新書を読まない自分としては、中々面白く読んだ。ただし、自分の研究テーマの結びつけることのできるような、アクチュアルな問題関心を掘り起こすという当初の目的に適ったかというと、少し微妙なところ。そもそも初版が2003年なので、約20年も前の本をして、現代の問題関心と接続できるかというと…まあ、これはこちらの問題で、本書の絶対的な価値を揺るがすものではないだろう。
     18世紀末の大正教養主義から、現代の「キョウヨウ」、そして教養主義の没落に至るまでを、時系列ではなく様々な角度に沿って概観していく。主題となっている教養主義の没落に関しては、終章でのみ語られるため、全体的な印象としては、没落というより興亡について記述されているように思えた。
     以下はメモとなる。西洋文化の導入として始まる大正教養主義、そしてその上位互換として位置づけられながら、知識の貯蓄なく振るえる棍棒、教養主義の鬼子としてマルクス主義が隆盛するが、戦時体制でその勢いが衰えると、再び教養主義が復活する。旧制高校において育まれたそれらは、戦後も新制大学において、岩波文庫などを文化装置に支えられながら隆盛し、60年代に最盛期を迎えたのだと筆者は主張する。しかし、60年代後半以後は大学卒業者の数が増え、「学卒」であっても(ただのサラリーマン予備軍として)明るい未来が保障されなくなると、全共闘運動などに象徴的なように、全世代の教養主義に対する反発的な傾向がたち現れるようになった。そして70年代以降の「中間大衆社会」という構造は、最早社会階級と内実の不一致(金があるのに学歴がない、学歴があるのに金がない)など、階級が希薄化することによって「階層的に構造が意識されない膨大な大衆」を生み出し、今や正統文化となった「サラリーマン文化」へ迎合するため、凡俗へ居直り、そこから逸脱しないようにすることが重視されるようになった。かくて、現代のキョウヨウは、一般的な枠組みから逸脱せず、そこへ適応するためだけの道具へと成り下がった。
     時代を追って内容を咀嚼するために、上記のように自分の理解をまとめたが、他にも日本における文学部の、都市部富裕層というよりは相対的に農村部貧困層との親和性の高さ(そしてフランスとの対比)や、経済成長によりそうした差異が解消していったことが、農民的な勤勉さ、克己心の減退と結び付けられ、教養主義の衰退の一因を担っているという指摘など、面白く読んだ部分は少なくなかった。

  • 2021.03 『世界の古典 必読の名作・傑作200冊』より
    http://naokis.doorblog.jp/archives/Koten_SatoMasaru4.html

  • 時代の流れの中における教養主義についてはわかったが、少し分析については、甘いような気がした。
    私自身の知識不足もあり、少し消化不良である。

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著者プロフィール

1942年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、現在、関西大学東京センター長。関西大学名誉教授・京都大学名誉教授。教育社会学・歴史社会学専攻。著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、第39回日経経済図書文化賞)、『革新幻想の戦後史』(第13回読売・吉野作造賞)『清水幾太郎の覇権と忘却』(ともに、中公文庫)、『社会学の名著30』(ちくま新書)、『教養主義の没落』『丸山眞男の時代』(ともに、中公新書)、『大衆の幻像』(中公公論新社)、『立志・苦学・出世』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『教養派知識人の運命 阿部次郎とその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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