- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121017116
感想・レビュー・書評
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平民主義を掲げてジャーナリズムの世界で活躍し、ナショナリズムへと傾斜していった徳富蘇峰の生涯と思想をわかりやすく解説している本です。
著者は、状況のなかでベターなものを選択するという蘇峰の便宜主義的な振る舞いを批判しながらも、西洋列強からのまなざしを意識しつつ日本の国家的アイデンティティを形成していかなければならない近代日本の歩みのなかに蘇峰を置き、彼の思想的変遷が現代のわれわれに突き付けているはずの問題を浮き彫りにしています。
蘇峰のコンパクトな評伝としてはたいへん優れた本ではないかと思います。欲をいえば、陸羯南や三宅雪嶺といった思想家たちとの比較や、北村透谷などの蘇峰よりすこし若い世代との考え方のちがいについても、もうすこし触れてほしかったように感じました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は、「明治・大正・昭和」の長い期間を第一線の新聞人として過ごした「徳富蘇峰」の生涯の「軌跡」を追いかけたものである。
「徳富蘇峰」の現在の評価はあまり高いとは思えないが、本書によると、日本の政界における当時の地位や影響力は、今一般に考えられているよりもはるかに高く重いものがあったようである。
「徳富蘇峰」の特徴としてその長い生涯と活躍期間の長さがある。徳富蘇峰が新聞人を目指したのは、明治13(1880)年の17歳時。日本で新聞が初めて発行されたのは明治5年だというから、新聞の黎明期から今で言うジャーナリストを目指し、23歳時の明治19年(1886)年には、「将来の日本」という政治評論を発行するなかで当時の日本のトップジャーナリストに躍り出たという。
その後「国民新聞」を発刊する等を行うなかで、明治・大正・昭和の長い期間、第1級の新聞人・トップジャーナリストとして君臨したという。
その「徳富蘇峰」の活動の特徴としてその「政治好き」がある。政治を批判するだけでなく、「政治を動かすことを好んだ」という。これは常にその時々の政治権力者と伴走することをも意味する。その手法で長い生涯にわたり、政治の中枢に関与してきたという。
これは、「政治家のブレーン」となるということなのか、それとも「政治家の走狗」となるということなのだろうか。
その集大成の結果が昭和の大戦争への「文章報国」だったとしたら、戦後の彼の評価が高くないのも当然だろうとも思えた。
「徳富蘇峰」は、大東亜戦争を賛美し国民を鼓舞しつつ82歳で昭和20年(1945)の敗戦を迎え、昭和32年(1957)94歳で死去した。
本書を読んで、現在の読売新聞の「ナベツネ」が頭に浮かんだ。新聞の世界に生きつつ、政治を好み、政治に深く関与しながら、どうやら最終的な生き様への評価が高くないことや「老残」と見えることも同じかもしれない(ナベツネは2013年現在87歳現役)。
ただ、「徳富蘇峰」はいかに評価が低くとも「歴史上の人物」なのだろうから、比較することだけでも「ナベツネ」にはすぎた評価かもしれない。
本書は、「徳富蘇峰」の生涯をよく知ることができる良書であるが、やはり昭和の敗戦という国家的破綻を招いたリーダーのひとりであり、「失敗した指導者」なのではないかと思うゆえに本書の読後感はよくない。しかし、昭和史のひとつの側面がよくわかる本である。