美学への招待 (中公新書)

  • 中央公論新社 (2004年3月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784121017413

感想・レビュー・書評

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  • 古本屋で目を引き購入。
    調べてみると増補版も刊行されており、人気のある書籍のよう。
    (当時から今までのアップデートが新章で語られているはずで、読了後めちゃに気なっている。)

    近代美学とは何か?を卑近な例を活用しながら論じられている。
    学術的な文章ではなく、筆者の個人的な思いを発露している自由闊達な文章は読みやすく親しみやすい。
    現代美術って形而上学的なモチーフや意図が内在されていて、作成された当時の社会・文化的情勢を込みで読み取ることが求められる。だから、とっつきにくい。
    首肯ですね。しかし、芸術に疎い私は古典的な感性に訴えるものにも疎外感を感じるのです。双方から認められないような孤独感。

    ここで千葉雅也の『センスの哲学』を参照し、フォーマリズムな鑑賞の仕方に身を置きたいなと思いはせるのです。藝術範疇は拡大していく予測は大いにあり、その中で個別の藝術に触れ、「美」を実感できるそんな体験をしてみたい。そうだ、最寄りの美術館・コンサートに行ってみようという意識の優先順位が上がった。

  • 哲学のなかでもとりわけ美学に興味がある。
    入門書なのでほとんど授業でやったところと被っていたが、読んで損はなかった。

    ですます調が苦手なのでちょっと野暮ったくて読みにくさはあったかなぁという印象。
    ただ、丁寧に説明されていて内容はわかりやすかった。

    ミュージアムと美術館の違い、あるいはアートと藝術(著者は芸術ではなく藝術表記がお好みのよう)の違いについてが興味深かった。
    わたしは、ここのハッシュタグも「アート」で統一してしまっていたけど「芸術」と使い分けたほうがいいかもな…。
    あと第九章の「近未来の美学」あたりも面白かった。

    ちょっと考え方に偏りはあるけれど、まあ学者さんはそんなものだろう。ご愛嬌。
    でも、「違和感を感じない」という日本語はちょっと美しくないですね。笑

  • 美学への入門書であり、本学へ導く書。

    美学とは、18世紀中葉に、ヨーロッパで確立した、美と芸術と感性を論ずる学問。

    当初は自然を模倣するのが芸術だったが、鑑賞者に考えさせる芸術となってきた。
    デュシャンの泉、ウォーホールのマリリンにしかり。

    最期に、人間を超える美学。人間中心主義ではなく、自然の一部であることを意識すべきと言う。

    <印象的な内容として>
    われわれの経験は複製からはじまり、その複製を繰り返し味わったあとで、運が良ければ、あるとき、そのオリジナルにめぐりあう。

    ひとによっては複製でしか芸術を知らない、ということもある。

    <私見として>
    アートのオリジナルと複製について

    モナリザは誰もが一度は観たことがある作品だが、ルーブル美術館でオレジナルを鑑賞した人となると限られてくる。

    複製には、WEBや印刷物で拡散ができるメリットがあり、その認知度を上げるうえで有効である。

    その一方で、オリジナルは、美術館やギャラリーで鑑賞することになる。特に遠方の場合、アクセスが容易ではない。

    しかし、オリジナルの作品には迫力があり、その色彩、質感などは、実物を観てみないとわからないものである。

    複製とオリジナルには、メリットやデメリットがあることを考えたうえで、鑑賞する必要がある。

  • 全体的に入門的な内容にもかかわらず、分かりにくい。美というひとの嗜好に食い込んだ話しだから。そして感性と論理とのバランスのうえに成りたたせつつ、最大公約数を追求する議論をしなければならないから。そんなことが分かりにくさの原因のように見える。
    大まかな美学の歴史的経緯に触れることができる。ルネサンス期近代の誕生とととに、美や芸術を知覚する根拠が神から理性に紐付けられたこと。また、その美や芸術の考え方が20世紀以降変容し、レディ・メイドであるところの工業製品が芸術作品になり得ることが提示されたこと。さらには、ブリロボックスのようにレディ・メイドの精巧な模造品が芸術作品の可能性を持つことが提示されたこと。そのようなことが著者のささやかな意見を交えて説明される。
    何をもって美や芸術の定義とするのか。現在ではアカデミーやスペシャリスト達にによる民主的な手続きに頼っているようなことが書かれている。しかし、常に多数者が正常な美や芸術を認め決定する可能性があるのであれば、その暴力性や懐疑にまで踏み込む必要があるのではと思った。なぜなら私のような素人は大変わがままにも、美や芸術についてだけは世俗的な多数決や権力からは自由であるはずだとどこかで信じ、また願ってしまうのだから。

  • 美学は近代という時代とともに生まれた。神による秩序が支配した中世はすでに去り、ただ人間だけが残された近代においては、もののよしあしの判断は、人間自身の直観(感じること)によって基礎づけるほかない。ここに感性学としての美学が要請される。その創始者たるバウムガルテンは芸術の本領は美であり、その美は感性的に認識されるとし、芸術と美と感性の同心円的構造を打ち立てる。だが、この構造は19世紀以降、崩れ始める。「美しくない芸術」なるものが台頭し、それを理解すべく鑑賞の場に「知性」が呼び込まれたのである。芸術の概念が拡張し、鑑賞者に求められるものも変化するなかで、美学もまた変容を迫られる。バウムガルテン的近代美学では芸術の今日的状況に対応できない。では、これからの美学はいかに構想されるべきか……。

    ……というのが、本書の問題意識だが、本書の叙述スタイルは上のような教科書的なそれではない(上の文章は第一章の内容を僕なりに要約したものだ)。まず本書では基本的に専門用語は使用されない。文章も「です・ます」調で平易なものだ。そして、「未知の読者たちが、生活のなかで出会っている美学的な疑問、美学の問題だとも思わずに抱いているさまざまな疑問符を取り出して、それを考えてみる」(「まえがき」)という方法がとられる。身近な問題から説き起こして云々というのは入門書の類ではよくある話で、別に珍しくもないが、本書に限って言えばその方法は見事に成功している。

    たとえば第二章では「センス」という日常的な語彙が問題とされる。まずはこの「センス」というあいまいな語は日常どのように使われているのか、といったところから話は始まる。具体的な話題を突き詰めていくうちに話題はだんだん抽象的な次元に及ぶようになり、章の最後にはこの「センス」の語をキーとして、精神と感覚という二つの働きの間に実は重なり合う領域が存在していることが示される。この具体(経験)から抽象(理論)への話のもっていき方が実に自然で見事なのである。

    本書は美学の入門書で、根気さえあればだれでも読める。特に何らかの芸術を愛好する人なら楽しんで読めるだろう。僕もこの領域の本を読むのは初めてだったが大変楽しかった。ただ、前述のとおり、本書は専門用語はほとんど出てこないので、ここからいきなり専門書などにチャレンジするのは難しいのかもしれない。「理論的入門書」が必要だろう。気の利いたことに、本書の末尾には簡便な読書案内がついている。

  • 圧倒され、揺さぶられた。根本的に美学とは何かが分かっていなかった。そして、美学が照らし出す、近代という時代の限界と、21世紀で最も重要な課題の提示。「人間の力は美には届かないのです。」との著者の最後の言葉が鮮やかだ。

    ・近代とは、人間が独力で、いかにして平和で生きる喜びのある社会を築くか、という課題を背負った時代。そこで、創造的な力を持った人物が、近代のヒーローになる。19世紀に結晶する天才の概念がそれを表現している。
    ・創造性を図る基準は、感性。「何とも言えないもの」。第六感。
    ・バウムガルテンは藝術の本領が美にあり、その美は感性的に認識されるという考え方を示し、藝術と人感性の同心円的構造を打ち立てた。
    ・美学は感性を問題にするところから明らかなように、作品の鑑賞の面に焦点を合わせる。鑑賞するのは、ほとんどが素人の愛好家だから、美学の成立は、藝術論が一部の専門家からすべての人びとへと開放されたことを意味している。
    ・藝術の虚構性と美の無関心性に基づく二つの価値論が、近代という時代の喫緊の課題である《いかにして、神抜きで平和な社会を形成できるか》という問題に直接応える。
    ・人間の言葉が動物の言葉と違ってきたのは、生命の必要を超える必要を人間が持ったから。共感の次元である。喜びやつらさから始まり、感情や見方を共有することの喜びを必要としたことによって、人間は動物を超えた。
    ・人形を考えることは、藝術の特殊性を逆照射する。
    ・近代に成立した藝術概念は、文学、美術、音楽。違うものであるにもかかわらず、よく似たものである、同類であると見なしうるとしている。
    ・近代の半世紀ほど前には、詩、音楽、絵画とならんで、兵法や航海術が同類だった。他方で現代は、スポーツと映画の距離はどうか?
    ・ちなみに、近代的藝術概念を結晶化させるときに、新興国フランスの文化政策が触媒を果たした。
    ・精神的な藝術。肉体的な職人仕事。という分類で上級文化としてのステイタスを得た。
    ・リズムとはからだがそれにのって動いていく、そのような時間秩序。リズムは呼吸に関連づけられる。
    ・藝術鑑賞のなかには、身体感覚によるところがある。この感覚はリズムをうみだすが、リズムとは身体の呼吸のようなもの。遠近法に代表される近代の美術が身体感覚を知らず、近代の美学がリズムの真実を捉えられなかったのは、身体を単なる物体と見るような哲学と相関している。
    ・鑑賞は文化的に教育された行為。
    ・作品が最も輝くようなポイントを探して色々試みる、というしなやかな態度が、藝術についても大切。
    ・一見分からないと見える作品に対するとき、重要なのは作者の哲学を知ることよりも、むしろ、作品のin-tensionを捉えること。
    ・藝術は知覚されるものから、考えるものになった。
    ・藝術史を識らなければ、藝術は分からない
    ・古典の高人気、現代作品の不人気は、歴史上異例の事態。
    ・デザインは新しさ故に存在し、必要とされている。
    ・旧来の新しさが、藝術家の意欲に基づくものだったのに対し、近代は精神の創造性にある。藝術論=美学的な主張としての新しさ。
    ・近代の藝術というのは、端的に藝術。西洋近代に成立したものをそれ以前の時代や異文化に適用したもの。
    ・beautifulの訳語を美しいとしたのは中江兆民。
    ・19世紀以降、藝術における関心事が精神性へ、さらには藝術の自己反省へと移行するにつれ、美しさは古い概念になった。
    ・人権宣言は神という超越的な調停者抜きに人間が互いに協調しあって生きてゆくために則るべき基礎哲学の表明だった。

  • 「美学」とはいったい何なのかということがはっきりされないまま話が進むので、ちょっと困惑する事も多い。どうやら藝術を見る目や鑑賞の立場について述べているようだ。個々の言及は概ね納得感のある内容だったが、話に脱線や脇道が多く、その脱線のエクスキューズもくどいのが、ちょいと辟易。

  • 分かり易かったような、難しかったような…。
    美学という哲学への入り口として、「美術館」と「ミュージアム」の違いとか、日ごろ何となく感じているような例を出されていて、とても読み易い文章です。でも、一度通して読んだだけでは正直断片的にしか頭に入ってこなかった。(私の理解力の問題で)
    図書館で借りたから返さなくてはいけないけど、ちゃんと自分で手に入れて、付箋を貼ったり、線をひいたり、メモをとったりして読みたい本でした。

    ※「美学」というと「男の美学」とか、「サムライの美学」「きれいの美学」なんて言う風に、生きる信念、心構えといったニュアンスで使われることがあるけれど、そういうものを期待している方には向きません。

  • 美学の入門書として推薦されて手に取りました。
    身近な問題から導入が話されていてわかりやすく、近現代の美学の課題について丁寧に論じられており、興味深い一冊でした。
    「芸術とは何なのか」という現代アート出現による解釈学の全く根本的な問いの成立など、ざっくりと問題意識を提起されているような印象をもち、初学者としてためになる一冊だったように思います。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00122476

  • モエレ沼公園のブラック・スライド・マントラの話で何かを掴みかけた気がするが、結局掴めなかった。

  • 借り物

  • 分かりやすかった。
    以下学んだこと、感じ取ったこと
    美学=感性学、どう感じるか
    芸術とアートは別物
    美は体験の中でしか存在しないという考え方
    しかし最近の美は知的なレベル、どう受け取るか、どう考えるかがフォーカスされてきた。
    言葉になるもの、ならないものがある。
    →何かがあるという事実は言葉になるがどのようにあるかは言葉にならない。
    コピーの体験と、本物の体験。
    オリジナルとコピーが倒錯する時がある。
    人生においてコピーを一度も通さない直接経験というものはほとんどない。
    オリジナル→共同体験。
    似ているものは1つにくくってはならない。
    にている方は色々あり、どの観点から見るかで似てないものも似ることがある。
    言葉によって体に染み付く。
    芸術鑑賞の中には身体感覚によるものもある。
    芸術は自然のものだという認識。
    永遠型の芸術とそれ以外。
    英語は日本語ではない。つまり、beauty は美ではない。
    虚心に宇宙の中での人間の位置を問い直すことが大切。

  • 読書猿さんのブログで紹介されていたので読んでみた。世間では入門書として扱われているが、万人が軽々と読めるという訳でもないと思った。それなりに難しい部分もある。まえがきにあるように、美学の概説ではなく、思索することを楽しむための本、または思索する快楽を伝えるための本である。

  • 定年間近の東大教授が一気に書き下ろしたモノ。デスマス調の口語体を用い、一人称も駆使。本来であれば理解しやすい内容のはずと思われます。

  • 161009読了

  • おもしろかった!

  • 第1章は意識ぶっ飛んでたけど多分再読時には、すんなり入ってくるかと。

    おもしろかった。どうしても感覚とか心理学的な美を想定してしまうのは拭えないのだけども。でもやはり目からウロコなトピックもたくさんあって、良い読書体験だった。(個人的な好みとして社会科学的な美の考察を読んでみたい感が高まる…!)

    佐々木先生の本、他にも読んでみたいなあ。

  • 現代芸術は美を追い求めなくなったという視点は慧眼だと思いますが、最後にやはり美を追い求めるべし!という議論の流れがよく分かりません。
    これから追い求めるべきなのは「人間を超える美学」、「自然の美」といいますが、いかに追い求めるのかが聞きたい。これまでの美学が哲学や社会から影響を受け、現代ではもはや美よりも哲学よりになっている。つまり人間中心的、人文的な営みなんだからそこから脱却するのは無理なんじゃないのかしら。自然の美って山を見て美しいと言うことなんですかね。

    過程は面白かったんですが、終わりがいただけない。新しくてかっこいいことを言おうとするあまり、議論が曖昧で独善的な印象を受けた。

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著者プロフィール

1943年東京都生まれ。東京大学文学部フランス語フランス文学専修課程卒業。同大学院人文科学研究科美学芸術学博士課程修了。埼玉大学助教授、東京大学文学部教授、日本大学文理学部哲学科教授を歴任。元国際美学連名会長。現在、東京大学名誉教授、国際哲学系諸学会連合副会長。文学博士。1982年、『せりふの構造』でサントリー学芸賞受賞。著書に『せりふの構造』『作品の哲学』『ミモザ幻想─記憶・藝術・国境』『美学辞典』『美学への招待』『日本的感性─触覚とずらしの構造』『ディドロ『絵画論』の研究』ほか。

「2016年 『講座スピリチュアル学 第6巻 スピリチュアリティと芸術・芸能』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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