美学への招待 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 766
レビュー : 62
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017413

作品紹介・あらすじ

二〇世紀後半以降、あらゆる文化や文明が激しく急速に変化しているが、芸術の世界も例外ではない。複製がオリジナル以上の影響力を持ち、作品享受も美術館で正対して行うことから逸脱することが当たり前になってきている。本書は、芸術が、いま突きつけられている課題を、私たちが日常抱く素朴な感想や疑問を手がかりに解きほぐし、美と感性について思索することの快楽へといざなう、最新の「美学入門」である。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学のなかでもとりわけ美学に興味がある。
    入門書なのでほとんど授業でやったところと被っていたが、読んで損はなかった。

    ですます調が苦手なのでちょっと野暮ったくて読みにくさはあったかなぁという印象。
    ただ、丁寧に説明されていて内容はわかりやすかった。

    ミュージアムと美術館の違い、あるいはアートと藝術(著者は芸術ではなく藝術表記がお好みのよう)の違いについてが興味深かった。
    わたしは、ここのハッシュタグも「アート」で統一してしまっていたけど「芸術」と使い分けたほうがいいかもな…。
    あと第九章の「近未来の美学」あたりも面白かった。

    ちょっと考え方に偏りはあるけれど、まあ学者さんはそんなものだろう。ご愛嬌。
    でも、「違和感を感じない」という日本語はちょっと美しくないですね。笑

  • 再読。15年前だということもあって、現代のとこはちょっとギャップがあるように感じる。本当に我々は自然美に戻るべきなのだろうか。というか、可能なのだろうか?

  • モエレ沼公園のブラック・スライド・マントラの話で何かを掴みかけた気がするが、結局掴めなかった。

  • 借り物

  • 分かりやすかった。
    以下学んだこと、感じ取ったこと
    美学=感性学、どう感じるか
    芸術とアートは別物
    美は体験の中でしか存在しないという考え方
    しかし最近の美は知的なレベル、どう受け取るか、どう考えるかがフォーカスされてきた。
    言葉になるもの、ならないものがある。
    →何かがあるという事実は言葉になるがどのようにあるかは言葉にならない。
    コピーの体験と、本物の体験。
    オリジナルとコピーが倒錯する時がある。
    人生においてコピーを一度も通さない直接経験というものはほとんどない。
    オリジナル→共同体験。
    似ているものは1つにくくってはならない。
    にている方は色々あり、どの観点から見るかで似てないものも似ることがある。
    言葉によって体に染み付く。
    芸術鑑賞の中には身体感覚によるものもある。
    芸術は自然のものだという認識。
    永遠型の芸術とそれ以外。
    英語は日本語ではない。つまり、beauty は美ではない。
    虚心に宇宙の中での人間の位置を問い直すことが大切。

  • 全体的に入門的な内容にもかかわらず、分かりにくい。美というひとの嗜好に食い込んだ話しだから。そして感性と論理とのバランスのうえに成りたたせつつ、最大公約数を追求する議論をしなければならないから。そんなことが分かりにくさの原因のように見える。
    大まかな美学の歴史的経緯に触れることができる。ルネサンス期近代の誕生とととに、美や芸術を知覚する根拠が神から理性に紐付けられたこと。また、その美や芸術の考え方が20世紀以降変容し、レディ・メイドであるところの工業製品が芸術作品になり得ることが提示されたこと。さらには、ブリロボックスのようにレディ・メイドの精巧な模造品が芸術作品の可能性を持つことが提示されたこと。そのようなことが著者のささやかな意見を交えて説明される。
    何をもって美や芸術の定義とするのか。現在ではアカデミーやスペシャリスト達にによる民主的な手続きに頼っているようなことが書かれている。しかし、常に多数者が正常な美や芸術を認め決定する可能性があるのであれば、その暴力性や懐疑にまで踏み込む必要があるのではと思った。なぜなら私のような素人は大変わがままにも、美や芸術についてだけは世俗的な多数決や権力からは自由であるはずだとどこかで信じ、また願ってしまうのだから。

  • -

  • 読書猿さんのブログで紹介されていたので読んでみた。世間では入門書として扱われているが、万人が軽々と読めるという訳でもないと思った。それなりに難しい部分もある。まえがきにあるように、美学の概説ではなく、思索することを楽しむための本、または思索する快楽を伝えるための本である。

  • 定年間近の東大教授が一気に書き下ろしたモノ。デスマス調の口語体を用い、一人称も駆使。本来であれば理解しやすい内容のはずと思われます。

  • 美学は近代という時代とともに生まれた。神による秩序が支配した中世はすでに去り、ただ人間だけが残された近代においては、もののよしあしの判断は、人間自身の直観(感じること)によって基礎づけるほかない。ここに感性学としての美学が要請される。その創始者たるバウムガルテンは芸術の本領は美であり、その美は感性的に認識されるとし、芸術と美と感性の同心円的構造を打ち立てる。だが、この構造は19世紀以降、崩れ始める。「美しくない芸術」なるものが台頭し、それを理解すべく鑑賞の場に「知性」が呼び込まれたのである。芸術の概念が拡張し、鑑賞者に求められるものも変化するなかで、美学もまた変容を迫られる。バウムガルテン的近代美学では芸術の今日的状況に対応できない。では、これからの美学はいかに構想されるべきか……。

    ……というのが、本書の問題意識だが、本書の叙述スタイルは上のような教科書的なそれではない(上の文章は第一章の内容を僕なりに要約したものだ)。まず本書では基本的に専門用語は使用されない。文章も「です・ます」調で平易なものだ。そして、「未知の読者たちが、生活のなかで出会っている美学的な疑問、美学の問題だとも思わずに抱いているさまざまな疑問符を取り出して、それを考えてみる」(「まえがき」)という方法がとられる。身近な問題から説き起こして云々というのは入門書の類ではよくある話で、別に珍しくもないが、本書に限って言えばその方法は見事に成功している。

    たとえば第二章では「センス」という日常的な語彙が問題とされる。まずはこの「センス」というあいまいな語は日常どのように使われているのか、といったところから話は始まる。具体的な話題を突き詰めていくうちに話題はだんだん抽象的な次元に及ぶようになり、章の最後にはこの「センス」の語をキーとして、精神と感覚という二つの働きの間に実は重なり合う領域が存在していることが示される。この具体(経験)から抽象(理論)への話のもっていき方が実に自然で見事なのである。

    本書は美学の入門書で、根気さえあればだれでも読める。特に何らかの芸術を愛好する人なら楽しんで読めるだろう。僕もこの領域の本を読むのは初めてだったが大変楽しかった。ただ、前述のとおり、本書は専門用語はほとんど出てこないので、ここからいきなり専門書などにチャレンジするのは難しいのかもしれない。「理論的入門書」が必要だろう。気の利いたことに、本書の末尾には簡便な読書案内がついている。

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著者プロフィール

佐々木健一

1943年,東京都生まれ.東京大学文学部卒業.同大学院人文科学研究科修了.東京大学文学部助手,埼玉大学助教授,東京大学文学部助教授,同大学大学院人文社会系研究科教授,日本大学文理学部教授を経て,現在,東京大学名誉教授.美学会会長,国際美学連盟会長,日本18世紀学会代表幹事を歴任.専攻,美学,フランス思想史.

「2019年 『美学への招待 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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