- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121017796
作品紹介・あらすじ
伊勢神宮は、日本文化のなかでももっとも日本的なものと思われている。しかし、その誕生から現在まで、伊勢神宮はその姿を大きく変えている。祭神であるアマテラスオオミカミのそもそもの姿とは何か?また、伊勢神宮は千三百年を越える年月の流れのなかでどのように変容していったのか。道教の隆盛や蒙古襲来など、東アジア世界全体の歴史・文化・社会の潮流に目を配りながら、その祖像と変遷を検証する。
感想・レビュー・書評
-
伊勢神宮成立に関する推理がおもしろい
アマテラスと道教、海の民
アマテラスと卑弥呼、そして神功皇后、持統帝
伊勢神宮は、2つの宮があって、内宮は、アマテラス大神を、外宮は、トヨウケ大御神を祭神とします。
また伊勢神宮は、20年毎に、式年遷宮をおこなっている。
明治までは、密教の中心である大日如来の化身がアマテラス大神であるという本地垂迹説をとっていて、伊勢神宮はそれにふさわしい場所である。
伊勢神宮を志向するのは、蒙古襲来のころと一致する。即ち、日本は、神の国であり、神風が吹いたとされた。
明治になると、神道が天皇制と結びつき、明治天皇の親拝が実施された。
アマテラスは、天を照らすという太陽神、それと平行して、アマテルという神社が全国にある、アマテルは「火明命」
アマテルは、尾張い関係していて、海産物を天皇に収めていた一族?
卑弥呼は、鏡が好きで、道教と関連があったのではないか。魏志倭人伝の鬼道とは道教ではないか。当時の中国では、初期の道教を鬼道とよんでいた。
そして道教の西王母が、アマテラスではないか
ヒミコは、ヒノ巫女、日女御子
応神天皇の段には、アメノヒボコが渡来してきたいきさつが載っている。
太陽を浴びて受精してしまう、日光感精型のモチーフであること
波や風を起こしたり、しずめたりできる呪具から、海洋民族的性格をもつこと
常世といっているが、道教の神仙境として、道教の影響を受けている可能性がある
播磨国風土記いは、呉の勝、韓国より渡り来て、なる記載があり
アメノヒボコ伝承も、中国の江南である可能性がある
伊勢神宮はいつ誕生したのか
アマテラス大神がいつごろ誕生したのか、伊勢神宮が成立したのはいつか
アマテラスは、大和から伊勢に遷座しなければならなかった理由とは
雄略期に伊勢大神(=アマテラス)とし、5世紀末とするのが、現在のところ妥当といっています。
日本書記には、神宮は、伊勢、出雲、石上の三宮しかない
神功皇后紀が、日本書紀にはわざわざもうけられている、推古、斉明、持統の3女帝をモデルにしている可能性もある
伊勢の記述が、祠から神宮に変わるのが、用明天皇期、585年には、伊勢は、すでに神宮となっていた。
目次
序章
第1章 アマテラスの旅路
第2章 中国思想と神宮
第3章 神国の系譜
第4章 近代の神宮
第5章 植民地のアマテラス
終章
あとがき
ISBN:9784121017796
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:232ページ
定価:740円(本体)
発売日:2005年01月25日初版
発売日:2007年03月20日5版詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
伊勢神宮
-
伊勢神宮を古代の天智、天武、持統、から、中世の元寇に際しての神国感、江戸の国学、維新の国家神道、戦中の植民地神社、戦後の折口まで、一気に話すが、新書の200ページ程度に書ける内容ではなく。
検討すべきことの目録提供になる。
植民地神社とか、興味深い。「神社参拝に反対するのは、日本の政策に反対するのではない」と主張するキリシタンに、「じゃあ、イエスはアマテラスより偉いというのか!」と詰め寄る警察官の無学さ。
キリスト教、イスラム教が歴史上、通過したあらゆる過程を通過してない未熟過ぎる模糊とした神道。
室町までは、仏教のもと、世界に通じる哲学を産んだ日本人なのに、どうしてそうなるんでしょうね。 -
難しすぎる・・基礎知識なさすぎて読み切るだけで青息吐息。古事記と日本書紀ちゃんと読もう・・
-
日本における、伊勢神宮(天照大神)の信仰が、歴史の時間軸のなかでどのように東アジアと接点を持ち、変化してきたかを見つめる。原始的な信仰が国家との相関をもって続く神道に成る、経緯と分離の過程を知り、これからどのような立ち位置で接していくかを提議されたような気がします。
-
神道の歴史とその存在意味について論じられている。神道はもともとは道教をならい始まった宗教である。日本固有の宗教で、宗教的な普遍性はあまりない。明治以降、国威発揚にしばしば使われて来た。歴史的にも聖書のような文書化された経典はあまり重要視されてこなかった。極めて、情緒的な宗教ではないだろうか。今も昔も、宗教を国威発揚に使うべきではないと感じた。
-
伊勢神宮内宮の祭神であるアマテラスに迫る第一章の内容は非常に興味深い。日本国内に限定した視点ではなく、東アジアの枠組みで展開される著者の主張は面白かった。
-
副題『東アジアのアマテラス』
アマテラスの起源。伊勢神宮の歴史、神道と日本政治。
恥ずかしながら、皇民化の一環であれほど海外に神宮を建設していた事実を知りませんでした。
宗教は民衆に親しまれてこそで、信教の強制は不可能。
終章の折口信夫氏の、タカミムスヒとカムムスヒの「むすび」、神信仰の原点という言葉が印象深い。 -
この本を読みながら、今回の震災で外国が不思議に思われる日本人の行動の中には、日本人の意識の深いところに、日本が神に守られている国である、日本人は守られているという思いがあるのではないかと思った。それは長い歴史の中で日本人の心の中に、ほとんど意識することがなく、そこにあるもののように思った。
-
磯崎新の伊勢論を読んでから、気になっていた伊勢神宮。
日本的なものの源流にせまっている。 -
大神の小説書きたいんだけど、
こういうの読むと其れだけで満足する…