マグダラのマリア: エロスとアガペーの聖女 (中公新書 1781)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017819

作品紹介・あらすじ

聖母マリアやエヴァと並んで、マグダラのマリアは、西洋世界で最もポピュラーな女性である。娼婦であった彼女は、悔悛して、キリストの磔刑、埋葬、復活に立ち会い、「使徒のなかの使徒」と呼ばれた。両極端ともいえる体験をもつため、その後の芸術表現において、多様な解釈や表象を与えられてきた。貞節にして淫ら、美しくてしかも神聖な、"娼婦=聖女"が辿った数奇な運命を芸術作品から読み解く。図像資料多数収載。

感想・レビュー・書評

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  • 新約聖書に於ける"マグダラのマリア(マグダラと呼ばれたマリア)"の認知度はイエスと聖母マリアに次いで大きなものとなっており、ある程度の教養を得てある程度の年齢に達した日本人ならば知らない人はいないであろうというイメージがありますが、では実際に新約聖書でどれほどの活躍がなされているかと言えば「キリスト磔刑の立会」「キリスト埋葬の立会」「キリスト復活の証人」という限られた一部の章に登場するのみであるという事実にまず驚かされます。

    また例外としてルカの福音書のみに七つの悪霊をイエスに追い出していただいた女であり、使徒たちとともにイエスに従って福音の旅をする旨が記されているとのことです。

    新約聖書への登場はそれだけだというのにイエスと出会う以前は娼婦であったとか、イエスが一番愛した人であったとか、イエスの子孫を受け継いだ女性であったとか、実は黒人であったとか色々な説を見聞きする機会も多く、またマグダラのマリアに対して信仰する方々も世界には多く親しみさえ覚える存在であるかと思います。

    そんな"マグダラのマリア(マグダラと呼ばれたマリア)"に的を絞って14世紀のナポリではどのように受け止められていたのか、15世紀のフィレンツェではどのように受け止められていたのか、16世紀のローマではどのように受け止められていたのかなどを紐解いていく内容となっています。

    本書の魅力はマグダラのマリアに関する絵画や彫刻の写真も多く掲載されており、それら1枚1枚を丁寧に解説してくれることです。同一人物であるはずなのに芸術家によって暗い印象を受けたり、エロティックな印象を受けたり、躍動感ある印象を受けたりするのが面白いところであります。

    ときにはヴィーナスと見紛うような絵画も登場しますが、香油の壺が描かれているか描かれていないかで判断できるなど目から鱗の連続であり、マグダラのマリアという人物に興味がある方には大満足の1冊かと思います。

  • キリスト教には二人のマリアが存在する。聖母マリアと罪深きマグラダのマリアである。西洋世界におけるマリア信仰の歴史についての本を読み、マグラダのマリアに興味を持った。原田マハの小説に「まぐらだ屋のマリア」と言う題名のものがある。原田さんの作品の代表作の一つと思っているが、何故この題名なのかと思っていたが、マグラダのマリアの話を題材としている意味が今回改めて理解でき再読しようと思った。
    マグラダのマリアは聖女でもあり、娼婦でもある。正しく言えば自らの罪を回心し、聖女になったということである。聖女マリアは言うまでもなく聖なる存在、人々を疫病、災い等から救済する、あたかもキリストのように。一方で、罪深きマリアは罪を悔い、キリストに仕え、聖なるマリアよりもキリストにキリストに近い存在として聖書等に伝えられている。西洋絵画でマグラダのマリアは多くの作品の題材とされているがとても矛盾した要素を含んでいる。貞節と淫ら、美しさと官能。聖女マリアがより神に近い存在であるに比して、マグラダのマリアは人間に近く、人の罪深さを象徴していると感じた。多くの宗教が人間は本来罪深い存在とするところから始まるが、人はいつまでも罪深いものであり、罪から逃れられないのではないだろうか。

  • 古書店にて108円で。主にイタリアを中心とした美術・文学・宗教のテキスト解読を通じて、西洋の想像力にとってこの聖女がどのような役回りを演じたかを詳らかにしている。四福音書には〈回心した娼婦〉という現在の一般的な見方を特徴づけるいかなる記載も見当たらず、ルカ福音書の〈罪深い女〉や〈ベタニアのマリア〉をマグダラのマリアに結びつけたのは、典礼や聖歌の完成者でもある教皇大グレゴリウスによるものなのだという。娼婦にして聖女という二律背反的性質は、実は後世に作られた作為的なものなのだ。

  • 前半のスリリングさは後半にはないんだけども、面白かった

    インターネット以降の時代には、こういう情報の流転はどうなってくんでしょうね
    出版印刷より前の時代、一次資料ってものにあたれない時代に起こる情報の編集というのは面白い

    ポストトゥルースというけども、トゥルースな時代なんてあったのかな、それっぽいのがあったとしてもめっちゃ短い一瞬だったんだろうな、インターネットが一瞬描いた夢なんだろうな

    新約とか読んでもマグダラのマリアとかほとんど出てこないのに、どっからあんなイメージ出て来てんのかな、と思ってたのが納得できる

    これで外典とかあたり始めたらまた大変なことになるからそこは避ける

  • 女性史やキリスト教についての内容以上に、芸術についての記述が多数を占めている。
    それにがっかりしたわけではなく、むしろそこから女性史やキリスト教が見えてくる。

    古代キリスト教から世界宗教となった現在に至るまで、淫売、娼婦であったマグダラのマリアが尼僧の象徴のようになり聖女として崇拝され、現在ではイコンとなっている。

    大変面白く読むことができました。

  • マグダラのマリア,聖書に出てくるのは知っていたが,ヨーロッパの世界でこれまで注目を集めている存在であったとは驚きだ.確かに元娼婦で悔い改めたことは事実だが,女性の象徴的な存在となり,数多くの絵画や詩に出現している.なぜここまでこのマリアに囚われるのかよく理解できない.カラヴァッジョとレーニの絵画での扱いを考察した第3章「娼婦たちのアイドル」が楽しく読めた.著者の考えの推移が文章の流れで把握できる,のめり込むような書き方が良い.

  • 大変な力作である。エヴァでも、マリアでもない、マグダラのマリア。絵画、彫刻、文学を題材に、時代を経ながら、豊かなイメージの源泉であり続ける彼女を浮かび上がらせた著者の該博さと構想力は見事。

  • 聖書においてマリアと呼ばれる女性は複数存在する。その中で筆頭に来るのは当然に聖母マリアなわけだが、その次はといえばキリストと行動を共にし磔刑と復活とに立ち会ったマグダラのマリアということになる。娼婦から悔悛しキリストの死に相対したマグダラのマリアは、聖処女としてキリストの生誕を担ったマリアとは好対照の存在であり、古今数多くの美術作品のモチーフとされてきた。
    しかし、マグダラのマリアが娼婦でありやがて悔悛したということは、新約聖書の四福音書のどこにも書かれていない。それどころか、グノーシス主義の影響を受けた外典の福音書には、預言者・幻視者として卓越した能力を持つ彼女の姿が描かれている。
    現在僕たちが知ることのできるマグダラのマリアの姿は、決して初めから固定化されたものではなく、時代ごとの趨勢や要請に応じてその意味づけを変えてきたものであるといえる。聖と俗、敬虔と官能、精神性と肉体性、あるいは人を原罪へと至らしめたエヴァと聖母マリアとの間の存在、そうした両義性を必然的に内包するからこそさまざまな解釈が存在する。そうした変化のなかで「罪深き女」というイメージも付与されてきた。
    そんな、時代によって変転するマグダラのマリアを、多くの美術作品を参照しつつ丹念に追っていく。そこには多様な性格を与えられたさまざまなマグダラのマリアがいる。時代ごとにマグダラのマリアの意味づけ・解釈は変わり、そのたびに作品に描かれるマグダラのマリアはその姿を変える。その意味で、作品に表現されたマグダラのマリアの多様なバリエーションを紐解く作業とは、彼女を軸とした西洋美術の歴史を俯瞰することであると同時に、キリスト教信仰の歴史を振り返る作業でもある。

  • キリスト教に馴染みの薄い日本人だと"マグダラのマリア"という言葉と娼婦から聖女になったというイメージだけがひとり歩きしてしまっている感もありますが、本書では、そんな彼女について、聖書内での記述の検証から始め、バロック期からルネサンス期の絵画を中心に、彼女がいったい何者なのかを探っていきます。あまり宗教論にならず、あくまで美術史から検証されているので、キリスト教に馴染みが薄くても読みやすいと思います。参考として挙げられている絵画が口絵以外、全てモノクロなのがちょっともったいないと感じました。

  • 非常に面白い。
    これ程ダイナミックで多面的なアイドルがかつていただろうか。
    まるで合わせ鏡の奥の奥を覗くようなスリルと
    痛みや苦痛の内側にある真の無垢さと人間らしさ
    そしてキリストが人間の罪を受け止めるように
    彼女は人々の感情を全て生身で受け止めるかのようで
    無原罪の御宿りの聖母マリアにはない優しさと
    厳しさがマグダラのマリアにはある。

    これ程に様々なレッテルを貼られながらも
    マグダラのマリアはマリアと言う名に恥じず
    不動の地位を守り続けている

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著者プロフィール

1954年、広島県に生まれる。2020年、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を退職。現在は、京都大学名誉教授、京都精華大学特任教授。専攻は、西洋美術史。
 著書に、『キリストと性』(岩波新書、2023)、『反戦と西洋美術』(ちくま新書、2023)、『ネオレアリズモ──イタリアの戦後と映画』(みすず書房、2022)、『フロイトのイタリア──旅・芸術・精神分析』(人文書院、2008、読売文学賞)、『モランディとその時代』(人文書院、2003、吉田秀和賞)など多数、
 訳書に、ジョルジョ・アガンベン『創造とアナーキー──資本主義宗教の時代における作品』(共訳、月曜社、2022)、同『王国と楽園』(共訳、平凡社、2021)など多数がある。

「2024年 『アートの潜勢力』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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