マグダラのマリア: エロスとアガペーの聖女 (中公新書 1781)
- 中央公論新社 (2005年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121017819
作品紹介・あらすじ
聖母マリアやエヴァと並んで、マグダラのマリアは、西洋世界で最もポピュラーな女性である。娼婦であった彼女は、悔悛して、キリストの磔刑、埋葬、復活に立ち会い、「使徒のなかの使徒」と呼ばれた。両極端ともいえる体験をもつため、その後の芸術表現において、多様な解釈や表象を与えられてきた。貞節にして淫ら、美しくてしかも神聖な、"娼婦=聖女"が辿った数奇な運命を芸術作品から読み解く。図像資料多数収載。
感想・レビュー・書評
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回心した娼婦、聖女にして娼婦というイメージを持つ彼女であるが、聖書を紐解くとキリストの磔刑、埋葬、復活といった場面に登場するものの、罪や悔い改めといったテーマには直接関係していないことを指摘する。
では、いつ、どのようにしてこのようなマグダラ像が形成されてきたのか。時代、宗派、地域などの視点から豊富な絵画・彫刻などの紹介も交えて解説。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
〈「復活」の最初の証人〉であり、〈最初の「使徒」〉にもなる
=「使徒たちの女使徒アポストロールム・アポストラ」
ヨハネ解釈とマタイ解釈
美術ではマタイのほうが多い
19
アダムのような両性具有的存在への回帰や、あるいは、苦行者たちの禁欲主義的なジェンダー放棄の精神
146
Renaissanceがヴィーナスにしょうち象徴されるなら、baroqueはマグダラのマリアによって象徴される
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・結婚の年齢に達したマリアは、輝くばかりのその身体の愛らしい美しさにおいて並ぶものなく、その手足の動き、美しい容貌、見事な髪の毛、もっとも優雅な身のこなし、優しくて従順な心において、光彩を放っていた。その顔の美しさ、その唇の優美さは、百合の白さに薔薇を混ぜたようなものだった。要するに、造形主たる神の、並ぶもののない驚くべき創造物と呼ばれるほど、彼女の容姿の美しさは輝いていたのである。
・ああ、大いに祝福された十字架よ。わたしが、あなたになり代われたらよかったのに。我が主が、わたしの腕のなかで磔にされ、わたしの手が、彼の手に釘づけにされ、彼の心臓を貫いた矢が、わたしの心臓にまで達していたらよかったのに。そうすれば、わたしは、彼とともに死に、この世でもあの世でも、けっして彼から離れることはないだろうに。 -
今日多くの人たちが
マグダラのマリアに対して抱くイメージが、
なぜ、どのようにして出来上がったのか?
ということについて書かれています。
新約聖書の中で
彼女について触れられている箇所はごくわずかです。
彼女が登場する場面からすると、
イエスの弟子たちの中でも、
かなり重要な位置にあったということは想像できます。
でも、どのような女性であったのかは記されていません。
なのに多くの人たちが思い描くイメージは、
確立されてしまっています。
なぜそのようなことが起こったのでしょう。
おそらく最も重要な弟子が女性だったということが、
当時は都合が良くなかったのでしょう。
教会は彼女が女性であることを逆手にとって、
うまく利用したようですね。
芸術家たちもその想像力と創造力でもって、
絵画や彫刻、文学などを通じて、
イメージ作りを後押ししていたようです。
そして彼女は
伝説の人になってしまいました。
いずれにせよ
彼女はイエスに認められた人でした。
なにがあったにせよ、
敬虔で清らかな女性であったことに、
間違いはないでしょう。
べそかきアルルカンの詩的日常
http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2 -
カラバッジオの法悦のマグダラをみて以来気になっていたため読んでみる。
最古の記述には数行しかない女性が時代を経るにつれ様々な人物像に変化していく過程を知ることが出来る。
娼婦であり聖女が権力やジェンダーなど様々に利用されながら有名になっていたのがよくわかる。 -
①
② -
前半のスリリングさは後半にはないんだけども、面白かった
インターネット以降の時代には、こういう情報の流転はどうなってくんでしょうね
出版印刷より前の時代、一次資料ってものにあたれない時代に起こる情報の編集というのは面白い
ポストトゥルースというけども、トゥルースな時代なんてあったのかな、それっぽいのがあったとしてもめっちゃ短い一瞬だったんだろうな、インターネットが一瞬描いた夢なんだろうな
新約とか読んでもマグダラのマリアとかほとんど出てこないのに、どっからあんなイメージ出て来てんのかな、と思ってたのが納得できる
これで外典とかあたり始めたらまた大変なことになるからそこは避ける -
新約聖書に於ける"マグダラのマリア(マグダラと呼ばれたマリア)"の認知度はイエスと聖母マリアに次いで大きなものとなっており、ある程度の教養を得てある程度の年齢に達した日本人ならば知らない人はいないであろうというイメージがありますが、では実際に新約聖書でどれほどの活躍がなされているかと言えば「キリスト磔刑の立会」「キリスト埋葬の立会」「キリスト復活の証人」という限られた一部の章に登場するのみであるという事実にまず驚かされます。
また例外としてルカの福音書のみに七つの悪霊をイエスに追い出していただいた女であり、使徒たちとともにイエスに従って福音の旅をする旨が記されているとのことです。
新約聖書への登場はそれだけだというのにイエスと出会う以前は娼婦であったとか、イエスが一番愛した人であったとか、イエスの子孫を受け継いだ女性であったとか、実は黒人であったとか色々な説を見聞きする機会も多く、またマグダラのマリアに対して信仰する方々も世界には多く親しみさえ覚える存在であるかと思います。
そんな"マグダラのマリア(マグダラと呼ばれたマリア)"に的を絞って14世紀のナポリではどのように受け止められていたのか、15世紀のフィレンツェではどのように受け止められていたのか、16世紀のローマではどのように受け止められていたのかなどを紐解いていく内容となっています。
本書の魅力はマグダラのマリアに関する絵画や彫刻の写真も多く掲載されており、それら1枚1枚を丁寧に解説してくれることです。同一人物であるはずなのに芸術家によって暗い印象を受けたり、エロティックな印象を受けたり、躍動感ある印象を受けたりするのが面白いところであります。
ときにはヴィーナスと見紛うような絵画も登場しますが、香油の壺が描かれているか描かれていないかで判断できるなど目から鱗の連続であり、マグダラのマリアという人物に興味がある方には大満足の1冊かと思います。