批評理論入門: 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書 1790)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017901

作品紹介・あらすじ

批評理論についての書物は数多くあるが、読み方の実例をとおして、小説とは何かという問題に迫ったものは少ない。本書ではまず、「小説技法篇」で、小説はいかなるテクニックを使って書かれるのかを明示する。続いて「批評理論篇」では、有力な作品分析の方法論を平易に解説した。技法と理論の双方に通じることによって、作品理解はさらに深まるだろう。多様な問題を含んだ小説『フランケンシュタイン』に議論を絞った。

感想・レビュー・書評

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  • 大学での講義ノートをもとに書き下ろされたもの。挙げられている事例が全て『フランケンシュタイン』から取られているので、『フランケンシュタイン』を読んでから本書に進む方が、自分の読後感と重ね合わせつつ講義を受けている感じがして、理解が深まるだろう。もっとも、『フランケンシュタイン』を読まずとも理解できるような工夫は、十分になされている。

    内容は2部構成で、前半は小説を内在的に理解するための「技法」。冒頭、反復、性格描写、結末など要点が網羅されていて、作品鑑賞にも活かせそうな内容。

    後半は批評理論で、脱構築、精神分析、ジェンダー、ポストコロニアルなど最近の議論が紹介されていて、勉強になる。こちらは、いわば文学研究のプロがどのように作品を批評しているのかを理解するという意味合いが強い。

    ただ、例外は、最後に出てくる「透明な批評」。これは、「エンディングのその後」をテクストに入り込みながら推測するといった行為で、かなり日常的な読み方に入るだろう(いわゆる深読み)。筆者は、透明な批評の批評手法としての妥当性への判断を留保しつつも、「文学作品を読む純粋な楽しみのひとつ」と擁護し、ときには透明な批評が作品の中心部に迫ってゆくことも可能と指摘する。批評や創作がアマチュアにも開かれたものである根拠の一端が、ここに示されていると感じた。

  • 「本を読むインプットには、何らかのアウトプットが必要だ」と思って、ブクログでレビューを書く営みを始めたのですが、レビューを書くというのは正解がなくて、果てしなくて、そして面白い行為ですね。
    本著は、『フランケンシュタイン』を例として、様々な小説批評の手法を紹介した本。プロはレビューの手法で新書が1冊書けちゃうんですね。。
    ブクログでレビューを拝見したのを契機に読了しました。素人なりにある程度レビューを書いてきたからこそ、本著に没入できたなぁと思います。おそらく、単に読むだけであれば途中で断念していたかもしれません。

    特に後半の「批評理論編」では13の文学批評の手法が紹介されていて、ちょいと難解な手法もあるものの、『フランケンシュタイン』という実例が用いられているからこそ何とかついていけました。
    読了して思ったのは、これだけ色々な手法があると、どの作品にどれを当てはめて…というバリエーションが無数にある訳です。「ユング的解釈からすると本著の展開は破綻している」とか、無理矢理言おうとすれば言えてしまう訳で。
    また、これだけの手法があると、作者からすると「いや、そんなコト全然思ってなかったけど…」という批評も出てくる可能性だってあるはず。
    ただ、昔みうらじゅん氏の『「ない仕事」の作り方』で、「●●って結局こういうことだ」という論が世の中に出てくるようになれば、●●という存在が世の中に認知されたということ、という趣旨の記述があり、人気が出るというコトは作者の管轄外の議論がなされるというコトなのかもしれません。
    脱線しましたが、小説の上に批評という知的議論を積み重ねていく行為の凄さの一端を垣間見た1冊でした。
    著者の本著のテーマは「小説とは何かを考える」ということでしたが、個人的には本著を読んで、小説というものを全然わかっていなかったんだなと自覚させられました。。

    ちなみに『フランケンシュタイン』は未読だったのですが、本著を読んで完全に読んだつもりになってしまいました(笑
    日常会話で知った風なことを口走ってしまわないか怖いです。

  • 川口喬一『『嵐が丘』を読む』に出てきた各種批評理論の章、わかるところとわからないところがあったので手に取った。この本はいい、大学1年生向けという感じで、門外漢でも読めばわかるように書いてある。批評理論の前に技法上の用語の意味の説明があって、ときどき文芸レビューで見かけてちょっと検索しては忘れてしまう「異化」「間テクスト性」などの用語の意味も、読めばわかるように書いてある。すばらしい。一家に一冊。

    各種概念・理論をメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材に説明していくので、こちらの小説を小説として楽しみたい方は、本書の前に読んでしまうのが吉です。わたしは未読だったのに、もう読んでしまった気分。ケネス・ブラナーの映画を観ようかどうしようか。

  • 本書がどういう本なのかということについては、筆者が書いた紹介があるので、それを引用しておきたい。
    【引用】
    批評理論についての書物は数多くあるが、読み方の実例をとおして、小説とは何かという問題に迫ったものは少ない。本書ではまず、「小説技法篇」で、小説はいかなるテクニックを使って書かれるのかを明示する。続いて「批評理論篇」では、有力な作品分析の方法論を平易に解説した。技法と理論の双方に通じることによって、作品理解はさらに深まるだろう。多様な問題を含んだ小説「フランケンシュタイン」に議論を絞った。
    【引用終わり】

    私は小説をよく読む。本書は、その小説をよりよく、より深く味わうために有用ではないかと思い手にした。
    「小説技法篇」では、「冒頭」「ストーリーとプロット」「語り手」等、15の技法が紹介されている。「批評理論篇」では、「伝統的批評」「ジャンル批評」「読者反応批評」など、13の批評の方法論が紹介されている。
    小説はよく読むが、このような小説を読むための「理論」に触れるのは初めてのことなので、いずれの技法・方法も、初めて目にするものばかりであるし、その前にそもそも、このような技法や方法論が存在すること自体を初めて知った。多くの技法や手法を230-240ページ程度の新書でコンパクトに説明しているので、1つ1つの技法・方法論の説明に割かれている紙数は少ない。そのため、技法・方法論について理解が出来たとは言い難いが、小説を読むための助けになるであろう、このような方法論があることを知ることが出来たことが、本書からの収穫になるだろうか。

    それにしても、このような技法・方法論を使った批評や論文をこれまでに目にしたことはない。それはアカデミアの世界に存在するのだろうか。週末の朝刊各紙には、「書評欄」がある。私は自宅では日本経済新聞を購読しているので、目にするのは日経の書評だ。最近では、書店に「書評コーナー」があり、ここ数週間の各紙書評で取り上げられた書籍を置いてあったりする。「書評」の中で、この本で紹介されている技法や方法論を使って小説が紹介されているのを目にしたことはない。繰り返しになるが、本書で紹介されている批評はどこで読むことが出来るのだろうか、ということに関して、少しモヤモヤが残った。

  • 中公新書のロングセラー。
    小説を読む上で、まずは作品世界に入り込み、その体験を楽しむというのが、最もよくある楽しみ方だろう。
    もちろんそれだけでもよいわけであるが、その作品をより深く知ろうと思ったとき、読み手である自分が受けた印象だけでなく、作品がどのようにして書かれたか、書かれた背景を知れば、より深い理解に通じることもある。
    本書では、作品を分析するにあたって、「内在的」アプローチと「外在的」アプローチに大別されるさまざまな手法を用いて小説の「解体」を試みる。
    特徴的なのは、手法を単に概説するのではなく、1つの小説、ここではメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材にして、実践的に紹介していることである。
    こうすることで、読者は具体例を豊富に知ることができ、分析法をよりよく理解することが可能になる。
    著者は英文学研究者で、NHK100分de名著で『フランケンシュタイン』を取り上げたこともある(cf:『メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月 (100分 de 名著)』)。
    この作品を取り上げたのは著者の専門分野であることももちろんだが、作品自体にさまざまな読み方が可能であることが大きい。
    『フランケンシュタイン』が未読であっても本書を読むことは可能だが、性質上、「ネタバレ」している箇所も多々あるので、読み終わってから手に取る方が無難と思われる。私も大まかな筋は知っているつもりだったが、原作をきっちり読んでからの方がよかったと幾度か後悔した。

    さて、分析法として、「内在的」アプローチとされるのは、小説の形式や技法、構造や言語を調べることを指す。これに対し、「外在的」アプローチは、文学以外の対象や理念を探究するために、小説を利用することを指す。本書では、前者を「小説技法篇」として、後者を「批評理論篇」とした二部構成を取る。
    小説技法としては、ストーリーやプロット、性格描写、間テクスト性(他の文学作品との関連)、結末などについて論じる。
    批評理論としては、道徳的批評、ジャンル批評、精神分析批評、ジェンダー批評、文体論的批評などが取り上げられる。
    いずれも多くの研究者たちの議論を引きながら、さまざまな箇所のさまざまな解釈が示される。合間には、著者シェリー自身の生い立ちや執筆当時の環境も挟まれる。『フランケンシュタイン』という作品が平面から立体に立ち上がっていくスリルがある。
    具体例に数多く触れながら、文学論のエッセンスに触れられる点が本書がロングセラーとして生き延びてきた所以だろう。

    『フランケンシュタイン』は不思議な作品である。
    枠物語の構造を持ち、怪奇小説としても読め、ある意味、SFとも受け取ることができ、人間を人間たらしめるものは何かという問題提起も孕む。
    書いたメアリ・シェリーは執筆当時、20歳前後という若さである。16歳の頃、後の夫となる妻帯者パーシー・シェリーと恋に落ちるが、メアリの父が激怒したために駆け落ち。怒濤の日々の最中に5人の子供を身ごもったが、流産や幼少期の死亡で、生き残ったのはわずかに1名。メアリの父ウィリアムの名を付けた長男は、ついに祖父に会うこともなかったという。メアリ自身の母もメアリ出産時に産褥熱で死亡している。
    安易に作品と作者を重ねてよいかどうかはわからないが、『フランケンシュタイン』のおどろおどろしさのいくばくかには、出産の血なまぐささを感じないでもない。

    文学論の歴史の厚みや広がりには感嘆もし、圧倒もされるが、この作品を理解する上には、さらにプラスして、時代背景を知ることがかなり重要なのではないかという気もしている。
    科学技術等の大きな発展から未来への希望に燃えつつも、どこか先行きの見えない、得体の知れない不安もそこここに漂っていたような、そんな時代であったのではないか。どこまで迫れるか心許ないが、ゆっくりと追ってみたいと思っている。

  • 文学理論と批評理論の双方を学べる書籍。
    基本的なことが分かりやすく書かれていて、とても良い復讐になったと感じている。またこれまで外国文学は翻訳に対しての苦手意識からそれほど読むことはなかったが、『フランケンシュタイン』の解説を読むことで読んでみたいと感じた。特定の作品を対象に批評理論の学びを進めることで、学んだことが実践できることは素晴らしいと感じた。

  • フランケンシュタインを題材に、批評理論のいろんな事柄を解説してくれています。具体的に一つの小説を題材に技法や批評理論の説明をしてくれているので非常にわかりやすかったです。文芸批評というのがこんなにいろんなことがあるんだということを知れておもしろかったです。小説のほうは、この本を読まんがために読みました。ただ、私は批評理論が楽しいとはあまり思えませんでした。こういう批評をして、なにが得られるのだろうと思ってしまいました。とくに精神分析批評やフェミニズム批評、文体論批評。(2018年3月25日読了)

  • フランケンシュタインという普通に読んでも特に面白くない古典を題材に、精神分析やポスコロなどの主要な技法により分析を行い、その多面性を明らかにし、なんだか本当は面白い作品なんじゃないかと思えてくるぐらい発見が多かった。
    色々な切り口を知ることは、作品の読みを豊かにするし、構造主義やマルクス主義、脱構築といった、西洋思想でよく出てくる概念も分析手法の一つとして解説されており、もっと早く読んでおけば、効率的な読書体験ができたのかなぁと思います。読書を始めたばかりの方には特におすすめです。

  • 古典SF『フランケンシュタイン』を題材に、前半は小説の技法についての解説を、後半は批評理論について概説している。


    まず、題材が『フランケンシュタイン』というのが良かった。誰もが知っているけれども、実際の所、読んだ人なんて日本ではあんまりいないのではないか……(ボリフ・カーロフのビジュアルや、『怪物くん』のイメージは有名だけれど)と思う小説だし、名作として批評も研究もされた小説ということで「あ~あれでしょ? フランケンシュタインって人造人間が出るやつ?」程度の理解しかなくても、興味を持続して読むことができると思う。


    小説の技法については、個人的にはデビッド・ロッジが書いたその名もズバリな『小説の技法』の価値を再確認するようなものだった。


    文学者的にあの本はどうなんだろうな~と思っていたけれども、たびたび言及されているのを読んで(というか、元ネタになっているのを後書きで読んで)、やはり資料としても優れた内容だったんだねと思った。実際の所、前半部分を勉強したいのなら、デビッド・ロッジの『小説の技法』を読んだほうがいいと思う。それぞれの技法にマッチしたテキストを紹介しているし。


    実際、この本は後半が重要だと思う。『フランケンシュタイン』という小説が時代時代によってどう批評されてきたか、というのがこの本の主眼になっていて、道徳的批評や伝記的批評、ジャンル批評から、フェミニズムやジェンダー、マルクス主義といった新しい切り口で批評されたことが概説される。


    現在の文体論的批評や透明な批評までいくと、難しかったりエッセイじゃないの? といろいろ考える部分もあるが、こういう風に時代時代によって新しい解釈が生まれる作品こそがマスターピースと呼ばれるのかなと思った。

    基本的に入門書ではあるが、大学の講義を元にしているようなので、概説としては内容の濃いものになっていると思う。新書でこのレベルが読めれば嬉しいよね。また、この本から離れて、自分が好きな小説の解釈をいろいろ考えてみるのもいいかもしれない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「この本の主眼になっていて」
      それは面白そうだな、読んでみようっと。。。
      「この本の主眼になっていて」
      それは面白そうだな、読んでみようっと。。。
      2013/07/19
  • 前半が小説の書き方、後半が文学作品の批評理論について書かれた本。

    批評や書評にはしっかり書き方があると知って、「批評の教室」北村紗衣(ちくま新書)を以前読んで大いに勉強し、そしてその本に批評理論について書かれていると紹介されていたのが本書。本書は小説「フランケンシュタイン」を題材に、小説の書き方と批評理論を説明して行くというコンセプトの本。「フランケンシュタイン」はこういうことに耐えうる様々な読み方ができる奥の深い怪物みたいな物語で、まさに怪物も出てくるし、ただよく言われるのは、怪物とフランケンシュタインを混同してしまいがちで、実際間違える。

    批評理論というのは、いくつか切り口があるとしても、批評をするときには使う理論を一つに決めて批評していくのが普通で、あまり色々盛り込まない方がよいらしい(「批評の教室」より)。批評理論は様々だから批評するときは自分で使う理論を決める。理論に慣れる必要もあるし、様々使っていくうちに批評らしくなっていくだろう。

  • 「超入門!現代文学理論講座」に続き文学論の本。技法と
    批評に別れ様々な書き方、読み方を紹介する。何よりも
    「フランケンシュタイン」という具体的なテキストを元に
    しているのが良い。フランケンシュタイン自体、はるか昔に
    一度読んだはずではあるが、すっかり忘れていたのはご愛敬
    ということで(笑)。

  • 著者の『小説読解入門』を読み始めたが今ひとつ内容が入って来なくて本書を先に読むことにした。

    こちらの方が読みやすく感じたのは、恐らく分析の対象としている『フランケンシュタイン』の方が私にとって入り込みやすかったからだろう。

    その名の通り小説の技法について書かれた前半の「小説技法篇」では、基本から丁寧に解説をした上で、それを『フランケンシュタイン』にあてはめて更に説明してくれるので大変分かりやすい。普段意識していなかった点も多く、本書前半を読んでから小説を読むと、俯瞰的な視点をも保ちつつ読めるように思う。一度で理解できるが一度では頭に残り切らないので、読みながら線を引いたところを中心に何度も読んでいる。

    後半は「批評理論篇」で、13種の批評の方法を説明し、それを『フランケンシュタイン』にあてはめるという、前半と同じ書き方がされている。理論を理論だけで説明されたのでは理解できない箇所もあり、これは有効な手法と言えるだろう。

    全体として分かりやすく書かれているだけでなく、(私自身は未読だが)『フランケンシュタイン』への分析は圧巻というほかない。

    後回しにした『小説読解入門』を読んだら、本書が基底にしたという、ロッジ『小説の技巧』に進もうと思う。

    本書は京都大学での「英米文芸表象論講義」のノートをもとにしたという。いや、こんな講義を受けていたいものだ。星5つではとても足りない

  • 文学理論について学びたいと思っていくつか手を出してみた入門書のうち一冊。具体的な一作品を使って解説を行う方法は理解しやすく、同種の本の中で初めて最後まで読むことができた。これを足がかりにイーグルトンなどにも手を出してみたい。ただ、まだ自分の理解が「おもしろい」にとどまっているので、文学について語る意味についてあらためて考えたい。ちなみにこの本が想定している根本的問題は小説とはなにからしい。

  • 入門、と言うだけあって、文学批評の種類や方法が小説『フランケンシュタイン』を実例に網羅的に説明されていて便利な一冊。
    その分かなり総花的で踏み込みが甘いところがあり、期待していた新鮮な切り口や明晰な理論には欠けている印象。

    本書のテーマからは逸れるが、十代で『フランケンシュタイン』を著し、その間・前後ひっきりなしに妊娠していたというメアリー・シェリー、恐るべきエネルギーの持ち主だなと思う。

  • 読書猿さんが「批評文を書くための手引書」として紹介していた本のうちの1冊
    そもそもフランケンシュタインの原作ってこんなんかいっていう驚きが大きい
    内容的にもあらゆる角度から小説を読むというのが面白かった
    ただ、入門ってあるけど難しい
    しかもこれを実際に実践するのはもっと難しい
    特にⅡは無理なので、とりあえずⅠに着目して今後本を読んでみようかと思う

    【参考になった点】
    Ⅰ 小説技法編
    冒頭:小説の中に入っていく工夫
    ストーリーとプロット:ストーリー(時系列)とプロット(語られる順)
    語り手:一人称と三人称、信頼できるか
    焦点化:語り手の立ち位置(外的・内的)、不定・固定・多元
    提示と叙述:そのままか、解説化
    時間:順序、時間の特定、まじりあい、速度
    性格描写
    アイロニー:見かけと現実の相違、皮肉
    声:モノローグと対話
    イメジャリー:メタファー(暗示)、アレゴリー(教訓)
    反復:筋、出来ごと、場面状況、人物、イメージ、言葉
    異化:見慣れたものに新たな光を当てる
    間テクスト性:他の文学テクストとの関連
    メタフィクション:語り手が語り時代について述べること
    結末:はっきりと解決に至る「閉じられた終わり」、解決なしに終わる「開かれた終わり」

    Ⅱ 批評理論編
    伝統的批評:道徳的批評(作品の道徳性)、伝記的批評(作者の人生の反映)
    ジャンル批評:どのジャンルなのか、どのジャンル風なのか
    読者反応批評:読者の心にどのように働きかけるか
    脱構築批評:矛盾した解決の両立を明らかにする
    精神分析批評:フロイト的・ユング的など
    ファミニズム批評:性差別を暴く、女性問題が中心
    ジェンダー批評:性別にとらわれない社会・文化
    マルクス主義批評:外的な政治・社会・経済的条件
    文化批評:文化的背景における関係づけ、他メディアでの翻案比較
    ポストコロニアル批評:植民地の扱いについて
    新歴史主義:歴史的背景、社会科学
    文体論的批評:話や語法の使い方を科学的に分析
    透明な批評:物語に入り込み想像する

    【内容:アマゾンから転記】
    小説をより深く理解し楽しむためには、徒手空拳では心許ない。『フランケンシュタイン』を素材に小説の技巧と最新の批評理論を丁寧に紹介する。

  • 小説技法編、批評理論編の2部で、小説「フランケンシュタイン」を徹底的に解剖する。正直、小説一冊読むごとにこれをやってたら疲れるが、これだけの様々な視点、手法から見ることで、こんなにも豊かな体験を引き出してくれる、というのは脱帽の感。小説技法編は、冒頭/ストーリーとプロット/語り手/焦点化/提示と叙述/時間/性格描写/アイロニー/声/イメジャリー/反復/異化/間テクスト性/メタフィクション/結末。批評理論編は、伝統的批評/ジャンル批評/読者反応批評/脱構築批評/精神分析批評/フェミニズム批評/ジェンダー批評/マルクス主義批評/文化批評/ポストコロニアル批評/新歴史主義/文体論的批評/透明な批評、からなる。/小説の読み方には、小説の内に入ってゆく方法と、小説から外へ出てゆく方法とがある。/あらゆる小説は本質的に、見かけの裏に潜む現実の発見を描くものであるから、この文学形式の至るところにアイロニーが染みわたっているのは、当然であるとも言えよう/

  • 『小説読解入門』の姉妹本。主に『フランケンシュタイン』を題材にしている。

    前半は小説技法について触れられていて、書き手のテクニックを学ぶことができた。

    後半は批評がテーマになっているが、少し読みとくのが難しかった。ここはもう一度再読。

  • 小説の表現上の工夫(技法)について解説する1部と小説の分析(批評)のパターンについて解説する2部からなる本。形式的には小説という表現方法を対象としているが、映画や漫画、エッセイなど表現形式に関わらず、表現物について語ろうとする人なら読むべき。
    この手の本は多分他にもあると思うが、本書はコンパクトにまとめられているにも関わらず、実際的な当てはめまで行って方法論を提示している点が素晴らしい。誰もが題材としては知っているが内容は多くの人が知らないフランケンシュタインという作品のチョイスも絶妙で、私自身フランケンシュタインは読んだことはないのに読んだような気分になってしまうほど。

    私は読んで心が動いたら言葉にしないと気が済まないめんどくさいタイプの漫画オタクなのだが、無意識的に実践していたこともあれば、なるほどと真新しく思うこともあり、今後何かしらの作品に触れるときにその読み方がアップデートされていることは間違いないと思う。
    表現というのは、作者が無意識的にせよ意識的にせよ作為的に生み出されているものであり、作品を読み取って何か語ろうとするのであれば、その描かれているところから始めなければならない。作品や作者、時代的な背景というのは、その表現との関係で考慮してこそ解釈になる。描かれていることと無関係な論評は受け手のエゴであり、言いがかりである。
    私は法学を学んでおり、条文から法解釈が始まるという価値観に親しんでいるため、本書のようなテキストに立脚した方法論にはシンパシーを感じた。
    例えば西洋の絵画というのは、聖書の翻案であるから、西洋絵画の解釈は聖書というテキストに依拠していなければ、単なる妄想である。もちろん鑑賞者が「こういう風に見えた」とか「こういうものを感じた」という内面的な感動は聖書と無関係に真っ当に成立しうる。しかし、そこから進んで「こういう印象を私は受けたから、こういうことを表現している」と批評してしまえば、それは言いがかりにすぎないし、アンフェアである。

    私は「君の名は。」より「天気の子」のほうが好きで、「天気の子はよくわからない」とか「スッキリしないからつまらない」などという批判や通ぶった自称批評家の「回収されていない伏線があって欠陥がある」などというズレた批判に憤慨していたのだが、そういう人たちにはぜひ本書を読んでいただきたい。
    解釈技法や表現について無知か、あるいは受動的にしか作品に触れられない読み手だとといかに読み方が狭まるかを実感できると思う。
    もちろん、それを踏まえた上で「つまらない」とか「嫌い」と語るのは個人の内面的な感想で自由なのだが、少なくとも「どちらが優れている」とか「完成度がどうの」などという傲慢な消費的な読み方は改まるのではなかろうか。もしくは哲学をやるべき。

  • 小説は、さまざまな技法を駆使して書かれている。そしてそれは、あらゆる角度からのアプローチが可能な、人類だけの、玉虫色に輝く宝だ。どの観点から見るかで、その小説は違った色合いを帯びる。

    著者はまえがきで、〈ひたすら作品の内側だけを眺めているのは、狭い読み方だ。ましてや、たんに印象や直観のみに頼って作品を解釈するのは、貧しい読み方〉であると喝破する。これはまさしく自分の読み方ではないかと愕然とし、ではどうしたらいいのかと思うと、直後に〈批評理論という方法論を持つことによって、自分の狭い先入観を突破し、作品の解釈の可能性を拡大することができる〉とある。さらに、〈小説を読む力を研ぎすませてゆくことによって、私たちの印象はさらに鮮やかなものへ、直観はさらに鋭いものへと磨かれてゆくだろう〉とあり、なんて素晴らしい、私も読む力を磨きたいと思い、嬉々として読み始めた。

    本書は、前半は「小説技法篇」、後半は「批評理論篇」の二部構成。小説技法は15項目、批評理論は13項目を挙げ、それぞれについて解説されている。その解説において、具体例に用いられているのが、『フランケンシュタイン』という作品だ。したがって、本書を読むと結果的に小説『フランケンシュタイン』をあらゆる角度から味わうことになる。

    これがまぁ、楽しかった。興味深くて、理論書なのに純粋におもしろかった。あとでちゃんと『フランケンシュタイン』を読んでみようと思った。小説をどう読もうと、どう味わおうと、個人の自由であることは言うまでもないが、多彩な読み方ができればなお楽しい読書体験になるのではないかと思うのだ。

    本書の内容は、小説にとどまらず、漫画や映画、はたまた絵画などの芸術作品にも応用できそう。広く豊かな読み方ができれば、きっとそれだけの批評文(書評)も書けよう。本の「読み方」こそ、書評の土台となるのだから。

    さぁ、小説を読むのが楽しみになってきた。

    著者の廣野由美子さんは、京都大学大学院教授で、イギリス小説専攻の英文学者。文部科学省科学官も務め、2015年2月にはNHKの番組「100分de名著 フランケンシュタイン」にゲスト講師として出演、テキストも執筆されている。

  • フランケンシュタインを題材に小説の技法と批評理論を実践を交えて紹介するカタログ本です。これ一冊でぱっと批評理論が概観できました。

    前半の小説技法編はためになり面白く読めました。ただキャラクターの項目はイギリス小説の「ストーリーよりもキャラクターが優先する」を紹介するだけで、それの反対理論が全くありません。少し納得しかねる主張ですけどここでいうキャラクーは人物の枠を超えて性格や感情・主張・動作まで含めたかなり細かいところなので、そのとおりなのかもしれません。

    後半の批判理論は批判のために小説をネタにしている理論が多かった。とくにジェンダー批評・フェミニズム批評・精神分析批評・マルクス批評は主張のために小説を利用している印象がかなり強い。主は批評理論の方にあり、小説は主張を補強するために使われているようなものでした。

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著者プロフィール

廣野 由美子 (ひろの・ゆみこ):一九五八年生まれ。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学文学部(独文学専攻)卒業。神戸大学大学院文化学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得退学。学術博士。専門はイギリス小説。著書に、『批評理論入門』(中公新書)、『小説読解入門』(中公新書)、『深読みジェイン・オースティン』(NHKブックス)、『謎解き「嵐が丘」』(松籟社)、『ミステリーの人間学』(岩波新書)など。

「2023年 『変容するシェイクスピア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

廣野由美子の作品

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