戦国時代の終焉 - 「北条の夢」と秀吉の天下統一 (中公新書(1809))
- 中央公論新社 (2005年8月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018090
作品紹介・あらすじ
織田信長と友好関係を保ち、領地を拡大させてきた北条氏。しかし、本能寺の変によって、この状況は一変する。北条氏と佐竹・宇都宮氏など関東諸勢力との戦いは熾烈をきわめ、両陣営の背後では、羽柴秀吉、徳川家康が蠢き、激しい外交合戦が繰り広げられる。戦国時代末期、「関東統一」を夢見る北条氏とそれにあらがう戦国武将たちの戦いを追いながら、次第に秀吉の圧力に抗しきれなくなっていく北条氏の挫折を描く。
感想・レビュー・書評
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北条が滅んで、島津が滅ぼなかったのは、「北条の夢」に固執したか否かの違いではないかと感じた
"西のいいなりになるものか"という坂東の意地なのかな?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
信長の関東進出から、秀吉の北条征伐までの経緯を記述したもので、北条征伐が始まって小田原開城までは一切言及しないところは特徴的。北条の東国制覇という夢が膨らみ滅んでいく道程は、その後から俯瞰すると中央の情勢を甘くみたというように見えるが、北条は、信長に平伏し、婚姻同盟により、東国で命脈を保とうとはしたが、信長の横死を受けて、一気に牙をむき、巨大化する秀吉との敵対関係を意識しながら、家康と結び、なおも北条の夢を実現しようとした。家康が秀吉に臣従した後も、帰順を求める秀吉への態度は緩慢で、北条氏規が上洛し、秀吉に一度は赦免されたあと、秀吉からの氏政氏直親子の上洛要請を拒否するまでもなく、時間を費やしていく様は切ない。
本能寺の変の後、家康と北条が、東国静謐の名目として織田信雄を後ろだてにしていたことや、この両者が甲斐で争った際には、数に劣る家康が、武田勝頼が滅亡の際に捨て去らざるをえなかった新府城によって勝利したことに感慨をうけました。 -
後北条氏。
といえば、初代伊勢宗瑞、2代氏綱、3代氏康がその最盛期で、4代氏政、5代氏直は能力が劣り、その勢力を衰えさせるというのが、私の認識。
しかし、この著作では氏政、氏直親子が試行錯誤しながら、「北条の夢」を追い、豊臣の天下に抗った。
その姿は凡庸ではなく、非凡。
その認識を変えることになった。
後北条氏の著作は多々あるため、その著作を通して、知識のアップデートを行なっていきたい。 -
織田信長と北条氏政・氏直◆合戦の序曲◆沼尻の合戦◆小牧・長久手の戦いとの連動◆合戦の中に生きる人びと◆沼尻の合戦後の東国◆秀吉による東国の戦後処理◆「豊臣の天下」と「北条の夢」
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中央で「小牧・長久手の戦い」が繰り広げられていたのと並行して、北条氏と佐竹・宇都宮連合軍が激突した「沼尻の合戦」にはじめて焦点を当てた本。新書ながら、史料を丁寧に読み込み客観的かつ論理的に史実を再現している。「沼尻の合戦」を「小牧・長久手の戦い」の一部と位置付けた論考は見事であり、唸るしかない。
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本能寺の変から小田原征伐にいたるまでの北条氏の政治的軍事的戦略過程。思っていたよりも中央に対する意識がしっかりとしていて意外だった。
北条氏の拡大による存亡の危機を迎えた中で、北関東の諸勢力の生存をかけた必死の外交は涙ぐましいかぎり。。
小田原征伐での滅亡へは決して一本道では無く、滅亡回避への現実的な可能性もあったようだが、関東制覇という北条氏の夢、その夢に片手をかけるまでに至ったことが結局は滅亡への扉を開けることになった。
これを読むまでの印象では、
氏政は氏康とくらべ器量の小さい、短慮で、その驕りから秀吉を不当に見下し、時勢を読めず国を滅ぼした・・・、氏直にいたってはまったく影の薄い名目だけの領主というイメージ。。
そんな氏政・氏直親子についての印象、というか無知による偏見が無くなった。 -
後北条氏について興味ある方、知りたい方ははずせないでしょうね。
私もこれを読んでなるほどなということがいくつかありました。
もっと後北条氏の評価を高めてもらいたいものです。
氏政・氏直も良い政治をしていたのですから。 -
ちょうど関連の城跡をめぐったので重ね合わせて楽しめた。従来、上方を軽視していたといわれる北条氏もかなり意識して行動していたことがわかる(その中での北条を盟主とする関東圏の構築)。北条市、北関東の歴史に興味がある方におすすめの本。
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再読予定