丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)

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  • 中央公論新社
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レビュー : 21
  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018205

作品紹介・あらすじ

戦後の市民による政治参加に圧倒的な支配力を及ぼした丸山眞男。そのカリスマ的な存在感の背景には、意外なことに、戦前、東大法学部の助手時代に体験した、右翼によるヒステリックな恫喝というトラウマがあった。本書は、六〇年安保を思想的に指導したものの、六〇年代後半には学生から一斉に背を向けられる栄光と挫折の遍歴をたどり、丸山がその後のアカデミズムとジャーナリズムに与えた影響を検証する。

感想・レビュー・書評

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  • 2005年刊行。著者は関西大学文学部教授。◆本書は丸山眞男の見解の分析書ではなく、また、人物評伝でもない。戦前戦後の「知識人」という存在について、丸山眞男を定点として切り取る書というべきか。けだし、蓑田胸喜に多くの頁を割くのは、大衆の知識人化という観点でなければ、理由が不明であろう。もっとも、戦前の国粋主義者による大学糾弾と全共闘などの戦後共産主義者による大学糾弾とは酷似の構図という点、大衆教育化社会・大学の大衆化という点など本書の内容は新奇とは言い難い。思わず「天皇と東大」下巻を軽く再読してしまった。
    本書で描こうとする大衆知識人化の過程よりも、本書で詳述される蓑田胸喜個人の人生行路の方が面白い。国粋主義を煽る時の権力に事実上迎合し、大衆をアジっていき、大学の自治・表現の自由を掘り崩す役割を果たした。が、権力側から不要になると、その権力に睨まれ、自由な発言すら困難になる。失意の下で熊本に隠棲して昭和10年代後半期を過ごし、終戦後しばらくして死に至る。言論人としての存立基盤を自ら掘り崩した末路が哀れを通り越して、滑稽なピエロのように映る。

  • 「普遍的知識人」としての丸山眞男の思想史的な位置を、戦中から戦後にかけての日本社会における文化資本をめぐる状況の推移のなかで検討しています。

    前半は、狂信的な国家主義者として知られる蓑田胸喜について多くのページを割いて考察をおこなっています。また著者は、「亜インテリ」と「本来のインテリ」を区別しようとした丸山の主張に対する批判を展開し、ファシズムを下支えすることになった「亜インテリ」とされる人びとが、教養主義の丸山らとは異なるもうひとつの形態にすぎなかったことを明らかにしています。

    そのほか、戦後の社会状況において丸山が「普遍的知識人」としての地位を占めた理由と、その後本格的に日本社会を覆うことになった大衆文化に直面するなかで丸山が直面することになった困難を、文化資本の社会的変遷という枠組みによって説明しています。

    丸山眞男の思想そのものではなく、丸山眞男を焦点とすることで「丸山眞男の時代」について考察をおこなった本として、興味深く読みました。

  • 丸山眞男を巡って書かれている本だが、丸山眞男自体の思想の解説はほとんどない。この本は丸山を近代日本の政治思想研究に駆り立てた、強化した時代背景や、丸山によって生み出された潮流とその「裏切り」について書かれている。思想史ではなく知識社会学の試み。いまでは忘れられているような固有名、エピソードが多く出てくる。

    丸山と対比されているのは、右翼・左翼の急進的、純粋で暴力的な思考・行為だ。戦前では国粋主義者で東京帝大法学部教授を最終的なターゲットとして、著書・言動の細部を不敬として取り上げた蓑田胸喜と原理日本社。戦後では全学連を始めとする学生運動が取り上げられている。ただこれらは同等の比重を持って書かれてはおらず、戦前の話題には一章のみが当てられ、残りの5章は戦後の話題となっている。

    例えば戦前の蓑田胸喜を中心としたヒステリックな国粋主義、反アカデミズムは、戦後直後の「超国家主義の論理と心理」(1946)へ向かう丸山の思考を強化した。「三〇年代の悪夢は、戦後の丸山の認識と戦略を規定した」(p.119)のであって、反共主義への傾倒の時代の中で丸山は「反・反共主義」を取ることとになる。これはいきおい、共産党への接近を意味する。しかし1955年以降、丸山は日本共産党から距離を取る。ここに生まれるのが、共産党ではない進歩的左派で、この意義は大きい。「共産党という媒介物なしに左翼の正統的な圏域が創出されたということであり、そのことは、知識人による大衆インテリの直接的掌握に道が開かれたということなのである」(p.128)。そしてこの開かれた道に、安保闘争において大衆がなだれ込んでくる。

    丸山は安保闘争のなかに、急進的ではなく、軽い、部分的な政治参加をする自発的な市民を見ていた。戦前の超国家主義のように国民全体が一方向に傾いてしまった事態の左翼版を警戒していた丸山だが、そうではない大衆(「在家仏教主義」)の誕生を寿ぎ、安保改定反対運動を敗北したものとは看做さなかった(p.153f)。こうしてノンセクト・ラジカルに位置が与えられ、「安保闘争から全共闘運動がはじまる前までの時代においては、丸山がノンセクト・ラジカルの守護神の位置にあった。逆にいえば丸山は、丸山(などの知識人)に同伴する大衆インテリを創出したのである」(p.158)。(ただしそれは丸山が考えるほど日本全体の動きではなかった)

    さて第三章で著者は、丸山がどうしてこうした大衆を形成する能力を持ったのか、ということを、ブルデューの図式を用いてそのポジショニングから語っている。これはなかなか興味深い読解である。「丸山の覇権は、学問界と政治界(政治的実践)、ジャーナリズム界の交通によってなされたもの」(p.178)だが、その鍵となるのが丸山が東大法学部の政治思想史教授だったことだ。この法学部と文学部の狭間のようなポジションは、実証的・学問的(文学部的)でありながら、実践的・ジャーナリスティック(法学部的)というスタンスを可能にした(p.183-196, 197-200)。法学部であったからジャーナリズムに近いが、文学部に近いこともありジャーナリズム一辺倒に汚染されることを免れた。文学部的ではあるも法学部であったことから。そこまで実証性を重んじず、大胆な図式の論文を書けた。

    丸山の創出した大衆インテリ、在家仏教主義は全共闘運動で丸山に反逆し、牙をむくことになる。「安保闘争時のノンセクトの進歩的学生は丸山を教祖としたが、いまや丸山を大学知識人の代表として糾弾するようになる」(p.249)。だが著者は、この全共闘こそ丸山の創出したものの結果だ、という。組織的構造と言える組織を持たない、純粋な運動体としてのノンセクト。「このような組織ならざる運動体こそ丸山のいう在家仏教主義の結実にほかならない。だとすれば、丸山は自ら作り出した在家仏教主義=ノンセクト・ラジカル(全共闘)によって手ひどい攻撃を受けたということになる」(p.249f)。

    そして皮肉なことに、ここに丸山が忌避した蓑田胸喜的なものが回帰する。丸山は亡霊を自ら呼び寄せたことになる。著者は蓑田と全共闘の類似を次のように書いている。

    「蓑田たちは[...]大学の目的を定めた大学令第一条にある「国家ニ須要ナル」や「国家思想ノ涵養」を盾にとって「赤化」「容共」「デモクラ」帝国大学教授を大学令第一条違反として攻撃したが、全共闘学生は、進歩主義教授たちがよすがとする「民主革命」や「人民のための学問」を盾にとり、なぜわれわれとともに戦わないのか、なぜ、われわれの闘争を管理しようとするのかと攻撃した[...]。
    蓑田たちの「根源的学術維新」と全共闘学生の「文化と知性の革命」のキーワードが示すように、制度論(祭司的)を忌避し、精神論(予言者的)に固執するところも似ている。蓑田一派は、帝大法・経・文の学風を粛清するために「帝大閉鎖論」を提起したが、これも全共闘の「大学解体論」に似ている。このようにみてくると、大学知識人にとって原理日本社やそのシンパ学生からの糾弾と全共闘学生からの糾弾は機能的には等価だった。このような機能的等価性の背後には、攻撃者の知識人界での位置の相同性があった。」(p.243f)

    そして著者の見るところ、丸山に欠けていたのは「知識人や科学者という客観化する主体の客観化、あるいは客観化する視点を客観化する社会学的視点」(p.304)だった。自らが創出したものだけではなく、自らの言説がどんな位置にあり、真理の審級を巡るゲームのなかでどう位置づけられているかに対する感覚の鈍さ。それが結局は亡霊を呼び寄せたのかもしれない。

  • 竹内洋『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、読了。戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。本書は、丸山を知識人論の観点から論じ、その歴史的。社会的意義を説き明かす一冊。評伝・ないし丸山論というより、丸山の生きた時代を解明する著作でもある。

    戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。著者の特色は心理的人物分析と7で済むところを10語る点。本書でも発揮されている。戦前の蓑田胸喜らの帝大粛清運動の形式が左右問わず生きている。丸山が思想を問わず対峙したのがこれだ。

    著者にとり丸山は憧れと批判の対象であったように、それが「知識人」に対する眼差しだった。タレント化する現在を思うと、良質なアカデミズムが生き生きとしていたことを教えられる。著者近著『メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却』 を併せて読みたい。

    学問の自由と大学の自治を屠った蓑田胸喜(帝大教授思想資格民間審査官)らの帝大粛清運動は、文部行政と大学が蓑田化することで排除する対象を失ってしまう。すると今度は蓑田一派ら自身が排除される対象となっていく。単純なアナロギアはできないけど、ネトウヨ等々はこの方程式を自覚すべきか。

    丸山眞男曰く「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んで来るのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士官僚たちであった」(「戦前における日本の右翼運動」、『丸山眞男集 九』岩波書店)。利用されてポイですよ。

  • アカデミズムとジャーナリズムの関係を明解に説明しながら、知識人としての丸山の当時の立場を紹介している。特に著者竹内による概念の対置構造のおかげで、はっきりしなかった教養主義や戦後の「革新」が整理された。例えば、法学部と文学部、学問界と政治界とジャーナリズム界、文化資本と経済資本などだ。
    本書とは関係ないが、こういうイメージもあるらしい。 http://usamimi.info/~linux/d/up/up0860.jpg

    また、蓑田胸喜という人物の「大学教授思想検察官」比喩に驚いた。思想の左右にかかわらず大学教授を糾弾し、いわば検挙していたとのこと。メディアを通じた糾弾はこの頃から始まったのか。雑誌記事索引集成DBで糾弾を引いたところ、1930年頃から1942年頃まで毎年数件が記事表題になっていた。(余談だが1975年が30件と、教育・地域関係の件で一番多い。)

    終章では、「教授」の呼称と労働実態が合っていない状況を捉えて、大学教授を次のように表した。「大衆大学教授」「大学教授プロレタリアート」「プロフェッサリアート」「大学教育労働者」「大学教育プロレタリアート」。しかしもはやこの期に及んでは、著者が込めたルサンチマンはとっくになくなり、大学教員には字句のとおりの仕事が期待されているとしか思えない。

  • 本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。
    本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和感が数多く語られる。戦争に反対する社会的クラスと積極的に賛成するクラスを、画一的に論拠なく断定したこと。社会運動を煽るものの、サルトルなどとは異なり自身はそれらに参加しないこと。そして学生運動で自身の研究室が破壊され、学生をナチス以下呼ばわりしたこと。荻生徂徠を近代政治のきざしであるかのように牽強付会に論じたこと。日本の敗戦までのみちのりを西洋近代の理想からの落ちこぼれとみなしたこと、などなど。
    丸山眞男は心のどこかで大衆社会を信用していない。にもかかわらず大衆社会を自身の理論と実践に最大限利用しようとする。それは30年代における大衆社会化の逆利用のようだ。だから戦後にファシズムや軍国主義が忌諱されたように、ひとたび大衆を裏切ったかように見られれば、丸山眞男も手のひらを返して糾弾されるのだ。よくも都合よく私たち大衆を利用したなと。戦争終結時の丸山眞男の有名な言葉、「どうも悲しい顔をしなければならないのは…」。ここからすでに大衆の心もちと掛け離れていたのであれば、はじめから運命は決まっていたのかもしれない。

    当初は簑田胸喜との対比で丸山眞男が描かれる予定であり、簑田に触れる部分がずいぶん多い。

  • 140816 中央図書館

    大衆と教養の関係を主要研究テーマとする著者による、丸山真男の評伝。

    丸山は、進歩的知識人と呼ばれたリベラル派であった。終戦直後、颯爽と論壇に現れ、<span style='color:#ff0000;'>西洋近代の知的ツールで日本思想を分析し、大衆インテリの間に多く支持された</span>。終戦記念日8月15日で世界が変わった時の開放感を忘れず、8.15革命論を唱え、その死去も1996年8月15日、終戦記念日であった。

    その原初体験は、大戦前夜に目撃した、簑田胸喜らによるファナティックなリベラル教官糾弾であった。その30年後、大学紛争のさなかに丸山自身も吊るし上げられることを経験する。極左共産党や右翼急進を忌避し距離をとるリベラルであることが、丸山のポジションである。

    法学部の政治学者であるが、文学部系列の学問とも近接する領域を研究テーマとし、社会科学から哲学、演劇、音楽、映画と該博な知識を持っていた。丸山自身は、J.S.ミルを引いて、<span style='color:#0000ff;'>教養人とは「あらゆることについて何事かを知っており、何事かについてはあらゆることを知っている人」であるとした</span>。丸山の論文は、広い分野の素材を引用して魅力的なレトリックに彩られていた。ために哲学、宗教、歴史の専門的学者からは、半ば揚げ足取りのような批判を受けたが超然としていた。

    丸山自身、「本来的インテリ」であったが、彼の思想は「疑似インテリ」を悪玉にして大衆に受け入れられるようなものであった。在野的知識人と自らを区別しながら、大衆的インテリ予備軍にとって魅力的な社会分析で彼らの支持を受け、自らのポジションを維持した。その点では、彼自身が、己と区別していたはずの「<span style='color:#ff0000;'>知識人兼ジャーナリスト兼芸能人的トリックスター」の原型</span>でもあったのではないか、というのが、本書の主張か。

  • 戦中戦後の大学、及びジャーナリズムと
    大衆インテリの動きについて
    丸山を中心に時代の流れを伝える一冊。

    丸山らを取り巻く議論については
    難しく感じる点が多々あった一方、
    時代の雰囲気については理解しやすく、かつ内容も面白い。
    もっと詳細に戦中や戦後安保闘争時の潮流を
    知りたいと感じさせた。

  • 丸山眞男像というものが今ではどうなっているのかわからないが、非常に現代的な評価だ。例えば蓑田胸喜などとの対照として丸山がいたことなどについて現代に通じる。

  • 丸山眞男という日本の戦後の思想界をリードした人に焦点を中てつつも、丸山が「覇権」を獲得することが出来た時代背景、そして彼の占めたポジション(東大教授であること。そしてしかも文学部ではなく、実践が重視される法学部であり、尚且つ法学部の中では周辺の文学部に近い日本政治思想史であったというラッキーさ)を分析する教育・思想史ともいうべき本です。丸山が左翼をリードしながら、全共闘からは批判対象とされざるを得なかった限界性も鋭く指摘しています。そしてこの著者は何よりも丸山に対する冷静な批評精神をもっているという点で面目を発揮しているように思いました。確かに丸山が日本に果した役割と日本を混乱させた罪があることは左右双方の立場から指摘せざるをえないのだと思います。丸山のジャーナリズムへの劣等感、大宅荘一のアカデミズムへの劣等感を背景に藤原弘達が自分が双方の架け橋になる存在だと恩師丸山を批判するようになる過程は約40年前を彷彿として思い出させてくれます。

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著者プロフィール

1942年佐渡生まれ。京都大学教育学研究科終了後、関西大学を経て京都大学教育学部教授等を歴任。現在は関西大学東京センター長。

「2019年 『Ai時代の大学論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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