絵の教室 カラー版 (中公新書 1827)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018274

作品紹介・あらすじ

たとえば、天使がラッパを吹きながら空を舞う名画は、技術の蓄積だけでは描けなかった。目には見えないその姿を描く画家は、人体のデッサンに習熟し、想像力に助けられて、絵画という世界を構築していったのだろう。この本ではクールベやゴッホなどのたくらみや情熱の跡を辿り、美の宇宙の源泉へ旅してみたい。描く技術、鑑賞する感性を会得するには、近道も終着点もないが、創造の歴史には「絵の真実」が現われてくる。

感想・レビュー・書評

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  • NHK人間講座「絵とイマジネーション」をもとに書かれたもの。写真、遠近法、実際の画家を映した映画、ゴッホの生き方というものなどを手掛かりにしたり、実際にスケッチしたり、自画像を描いたりしたりしながら、イマジネーション(想像力)というものを考えている。見たものを写真のように描くことや遠近法を厳密に守って描くこと、刻々と変化するものを一瞬として捉えるのと時間の流れの中で視点も移動しながら全体として描くのを比較したりなどと、いろいろな観点から考えているが、結局は描く人の内からの衝動(ミューズ!?)が大切だということなのだろう。絵画鑑賞の本ではなく、絵を描く人のためのものだね、やっぱり。
    ゴッホについての章は力が入っている。著者が好きなんだろうな。ゴッホは赤い靴を履かされて「死ぬまで描き続けよ」という内面の叫びのままに一生描き続けた人なのだ。

  • カラー版 絵の教室
    著:安野 光雅
    中公新書 1827

    絵をどうかけばいいのかという方法ではなく、感性豊かな画家が、自分の心情、考え方を述べたものであると理解しました。

    絵を書かないものが、「絵の教室」だなんて変だとはおもいますが、カラーの挿絵がたくさんあり、まさに、絵がわかりやすく語ってくれる本となっています。

    気になったのは、以下です

    ■はじめに

    ・絵描きにならなくても、絵が好きと言う人はたくさんいます。そういう人は音楽について話したり、絵について感じたことを述べるとき、自分の言葉で話します。文学作品について好き嫌いや、あるいはもっとつっこんだ話をする人もおなじです
    ・そういえば、野球でも、競馬でも、それらを好きな人は自分の考えをもっています。この「自分の考え」というところが大切、間違ったり論理的に矛盾がある感じ方でも、受け売りでなかったらいいかなと思います。

    ・写実的な絵というのは、目に見えているものを描いた結果のことですが、よく考えて見ると目に見えないものを描いていることが少なくありません。むしろ見えていないものを描くことに絵の意味があるのではないか、と思います。

    ■絵と真実

    ・昔は、「写真みたい」というのが、ほめ言葉だと思われていました。たぶん今でもその傾向はあると思います。

    ・宗教絵画、戦勝記念の絵、歴史絵図などは、舞台そのもののように、説明図になっています。今でいうイラストレーションの立場で考えると、絵の意味を抜きにすることができなくなります。

    ・構図とは、絵の構成のことで、コンポジションなどと言っています。

    ・昔は、基礎としての構図の方法論のようなものがあって、ちょうど、作文の文法のように、それを、マスターしなければ描けないというような考え方があったのです。

    ・伝承は単なる模倣ではなく、創造性が必要で、自分の創意が歴史的な創意にはかなわない、自分の創造性もつまるところ伝統が育んでくれたのだ、と謙虚に思うことも大切だという意味です。

    ■遠近法の実験

    ・同じ人物なら、遠くへ行くほど、小さく見える。鉄道の線路は遠くへ行っても同じ幅なのに、遠くは狭く見え、ついには、一点に収束して見えなくなります。この現象を、「遠近法」と呼びます

    ・遠近法という技術の問題というより、客観的なものの見方が問題なのだ。

    ・遠近法は、見えない世界を、さも見えているかのように描き表す手段になりました。

    ・わたしたちは、ものごとを、写真のようにみているのではなく、絵のように見ているのだった。そして絵はそれでもよかった。むしろ、そのほうがよかった。

    ・写真のように描いたり、あるいは写真を見て描いたりするとダメだと思うんです。その人の個性がどこかへいってしまって、写真のように描かされてしまい、上手だけど何も伝わってこない、と言うことになりがちです。

    ・美しいと感じる風景があるのはなぜでしょう。そうした感性を育ててくれた風景のことを、原風景といっています。

    ■よく見て描く

    ・生物学を学ぶ人たちは、花でも、昆虫でもそのように、解剖学的に花や虫を見ます。

    ・見ないでも描けるのは、仕組みがわかっているためです。

    ・描かれたものは、絵と言うより、正確で説明的な意味を持っているので図といったほうがいいかもしれません。

    ・「よく見ておく」ことをしなければ、蓄積することはできません。また、ただ見るだけでなく、絵に描けば記憶は、よりはっきりしたものとして、しまっておけることになります。

    ・よく対象を見て考えて描いたという下積みの経験があれば、一見デタラメなようであってもそれはデタラメではなくて、行ってみれば「デッサン力」というものになっていくでしょう。

    ■自画像の実験

    ・寺田寅彦に「自画像」という有名なエッセイがあります。

    ・子どもの頃、小学校の廊下に、「乃木大将」の肖像がかかっていました。白黒写真をもとに「写真みたい」に描いたものです。ところがこの絵はふしぎでした。それを見るわたしが右から見ても、左から見ても絵の顔はわたしを見据えているのです。

    ・寺田寅彦は描きかけの自画像を壁にかけていると、「絵の顔が思いがけもなくまたたきをするような気がした。これはおもしろいと思って見つめるとなんともない」などと書いています。

    ・山藤章二の場合で言うと、「花の中三トリオ」を描いた有名な作品があります。山口百恵と桜田淳子、森昌子の三人が中学生の時に売り出していたことがありますが、この人たちが年をとったらどうなるんだろうという50年たったのちの中三トリオを想定して描いているのです。

    ・「似ても似つかないものを描いて、しかし似ている」という離れ業みたいなことをやっている、これが似顔絵の真面目です。

    ■ゴッホの存在

    著者はどうして、ゴッホだけを、ひとつの章で表現したかったのでしょうか。ちょっと気になりました。

    ・ゴッホたちがせっかく浮世絵がすばらしいと言ってくれるのに、反対に、たとえばレンブラントだとか、ブリューゲルなどに傾倒してしまう私たちからすれば、彼らの考え方を「美しい誤解だ」と思う必要はないかもしれませんが、「そうだとしても日本の浮世絵はすばらしい」と胸をはる気にはなれません。それは彼らの創造性が認識したのであり、わたしは彼らの目によって再認識したからです。また、わたしは、日本の浮世絵に反応するより前に、印象派の仕事に反応していたことも、やや後ろめたく思うのです。

    ・ゴッホに至るまでは、情熱だけで絵を描いたという時代はおそらくなかったのではないでしょうか。ゴッホが現れて、情熱だけで描いていきます。「お金になろうとなるまいと、売れようと売れまいと、とにかく絵を描く絵を描きさえすればそれでいい。もしかして、売れずに終わったかもしれないけれど、それで満足だ。絵さえ描いておれば満足だ」という彼の生き方が、私たちに何か強く訴えかけてくれます。

    ・売れない絵ばかりが繋がっているのを見ると、ある意味では哀れだし、ある意味では非常に感動的で、絵を描くわたしたちにとってはとても大きな存在のように見えてくるのです。

    ■イマジネーションと子どもの時代

    ・森鴎外も、なんだか自分を支配するものが頭にいて……、責任上、鴎外の著作をさんざん探して、「妄想」という作品の中にあったことがわかりました。

    ・この本の結論は、想像力・創造力がたいせつなのだという話になります。そしてそれは疑う力とセットになっています。創造性は想像すること、つまりイマジネーションからはじまりますから、一言でいうとやはり、イマジネーションという問題です。絵を描かない人でも、イメージする力は大切なことです。

    目次
    はじめに
    1 空想の宿題
    2 絵と真実
    3 遠近法の実験
    4 よく見て描く
    5 自画像の実験
    6 ゴッホの存在
    7 イマジネーションと子どもの時代
    あとがき

    ISBN:9784121018274
    出版社:中央公論新社
    判型:新書
    ページ数:224ページ
    定価:980円(本体)
    2005年12月20日初版
    2007年06月10日7版

  • ふと、安野さんの絵が見たくなって、でも大きな版を持ち歩くのもなんだしと、新書版の本書を図書館で借りてみた。

    タイトルとは裏腹に、絵の描き方、ノウハウは教えてくれない。絵とはなにか、絵を描くとはなにかを、あれこれ語ったエッセイ的な体裁だ。
    NHK人間講座「絵とイマジネーション」という番組で語ったことを元にして書物に再構成されたものらしい。

    なので、本としてまとまっているかという、むしろ全然で、安野さんファンじゃなければ、たぶんつまらない本なんじゃないかと心配になる。

    それでも、写真が光と影の概念に余計な示唆を与えたといった歴史的な考察や、線を描くことで - 自然界には人が描くような線は存在しないのに ー 人は対象をひとつの概念として捉える等々、哲学的な思索など、折々に、著者の絵に対する、あるいは芸術との向き合い方といったものが記されていて興味深かった。

    文章は斜め読みで、ときどき差し挟まれる著者の絵のタッチを眺めるだけでも気分が休まる。
    一時、ほっこりさせてもらった。

  • 絵に対する真摯な姿勢がたまらない。

  • 基礎がないと応用はできない。そんな当たり前なことは意外に理解できていないことなのかも知れない。

    例えば、ピカソの絵を見て「俺にもこんな絵描ける!」って思うことは1度はあるだろうが、実際彼のデッサンを見るとまぁ普通に上手いわけ。笑

    このように基礎の上に応用、つまり創造性やイマジネーションが成り立つ。基礎もないのにそれらは成り立たない。

    この本で著者は、基礎である技術を磨くことに拘泥するあまり、創造性を放棄することを危惧している。(どちらも必要だということ)

    一般的に本物のように描く写実的な絵が「上手い絵」とされるが、本当にそうなのか?
    遠近法を用いた絵は現実に近いから「上手い絵」なのか?

    そうではなく、自分の感性に従って描くべきで、本書では「直感的に絵は進んでいきます。よく考えてみると、誰の命令でもなく、知らず知らずのうちに進行して、絵になっていくのです。」と述べており、″ミューズのしわざ″と表現している。

    絵は創造性を発揮できる行為そのものであり、それによって豊かな感受性を獲得し、豊かな世界を生きることに繋がるんじゃないかなぁ。
    幼少期の豊かな感受性を取り戻さないとね。


    【メモ】
    David Hockneyの『絵画の歴史』と内容的に被る箇所があって復習になった。特に、ドゥーラーの遠近法の説明が詳しくなされていて、本書で補足できる。

    「写実」と「事実」の違いは今まで盲点だった。

    描こうとすると、モノの仕組みを考えようとする。これを考えると、レオナルドが狂気的な好奇心を持って人体解剖や観察を行ったわけにも納得する。

  • リヒターともつながる、「絵を描く」ということ。
    ---
    「正解は自然の事実の中にあります。」
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    「わたしたちは、ものごとを、写真のように見ているのではなく、絵のように(主観的に、かなり自分の都合のいいように)見ているのだった。そして絵はそれでもよかった。むしろ、そのほうがよかった。 ということになりますが、いかにも悟ったようなこの考えかたは、実は写真がわたしたちに教えてくれた、あるいは、気づかせてくれた考えかただったのです。」

  • 渡邊十絲子さんおススメの一冊。
    絵と写真とは何がどう違うのか、この本を読んでよくわかりました。
    また、ふだんよく目にしているものも、「じゃあ絵で描いてみましょう」と言われると、少しもその細部が浮かんでこない、つまりはそのくらいにしかきちんとものを見ていないということも、よくわかりました。
    ものをよく見ないということは、物事もよく見ていないということでありましょう。
    反省しないといけません。

  • 2022年10月3日購入。

  • ☆絵の秘密

  • 9割自分語りかと思ったら意外と真面目に教科書的な技法の話とかしてくれる。専門的に絵を学んでる人にはきっと耳にタコな内容なんだろうけど、独学で絵を学びたい人とかは役に立ちそう。

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著者プロフィール

安野光雅(あんの みつまさ):1926年島根県津和野生まれ。画家・絵本作家として、国際アンデルセン賞、ケイト・グリーナウェイ賞、紫綬褒章など多数受賞し、世界的に高い評価を得ている。主な著作に『ふしぎなえ』『ABCの本』『繪本平家物語』『繪本三國志』『片想い百人一首』などがある。2020年、逝去。

「2023年 『文庫手帳2024』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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