声が生まれる―聞く力・話す力 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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レビュー : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018823

作品紹介・あらすじ

音がない。両耳が聞こえない…。十六歳で右耳の聴力を獲得しても、何を語ればよいのかわからなかった。手探りで、ことばを見つける。それを声にして語り出す。だが、声にするには、まず息を吐かなければならない。本書では、ふだん自覚することのない、声として発されるまでのことばの胎動を見つめる。息を吐くとは、相手にとどく声とは、そして、ことばとは何か。著者自身の体験を交えて語られる声とことばをめぐるドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 「話す」とは、声によって人に働きかけ、相手の行動=存在の仕方を変えることだ。そうすれば、まっすぐ歯を開けて息を吐かなくては、声を生み出せず、言葉が芽生えるからだの内なる動きを外への流れへ作り出すことができない。言葉が相手に届く力を見出せないことになる。
    言葉とは、まず自分の中で生まれるけれども、相手のからだ=存在の地点に至って、初めて成り立つものだから。
    息が外へ、そして相手に向かっていなければ話しことばは成り立たない。まっすぐ歯を開けて息を吐いた時、ここに「わたし」が現れるのだ。
    32 話すことへーーつかまり立ち

    日本語では一音節は原則として同じ時間の長さで発音される(等時的発音形式としての音節と呼ばれる)。これが英語やフランス語との根本的な違いだ。この音節が重なり合って文を作る。それが作り出すリズムは、音数律と言って七五調がその代表的なものだ。それゆえ日本語を頭韻や脚韻などによってリズムを作るヨーロッパなどの韻文に対して、律文と呼ぶ学者もある。
    この一音節一音節を母音まで力強く発音していくことを一音一拍と呼ぶ人がある。謡曲の稽古はこれを徹底して私に教えた。
    41 日本語のしくみ

    七五調一音一音、語りきってリズムがしっかり生まれてくる体験は、日本語を語る力の基礎だろうと考える。これができない語り方には、相手の胸をうち、肚にしみ込む力がない。
    53 日本語の七五調

    声が届かないということは、話しかけ手が相手に呼びかけ働きかけて、相手と自分との関係を変えてゆくアクションを起こしていない、あるいは起こしても貫徹し切れていなかったことの表れだということになる。「話しかけのレッスン」とは、改めて、人が人に働きかける力とプロセスの欠如あるいは弱さに気づき、出発しなおすということだ。
    160 「声が届いた」ことと「話しかけられた!」ことと

    「呼びかける」とは「ことばが劈かれた」ときに体験したように、相手をーー他者をーー呼び出すこと。言いかえれば「あなた」が生れること、その時「わたし」が生れることにほかならないのだから。……「呼びかけ」の聞き手の「からだ」は、いわば、第一次と第二次の言語を感じ分けるリトマス試験紙のようなものであり、かつ、「からだ」の仄暗い奥にに動いた感じをどう「ことば」として生み出していくかの手探りとしては、まさに、第一次言語「まことのことば」あるいは「表現としてのことば」の誕生の現場でもあるわけだ。
    164 言語の三機能ーーまことのことば

    しかし、彼はなぜ無自覚なまま、これほど迂回した言い方をするのだろうか? 無自覚な部分(無意識)をも含めて、存在全体としてどう行動していたのかを考えてみれば、それは「話しかけるフリをして、周囲や相手に合わせ、悪く思われないようにする」あるいは、「フリをして、自分を隠しておく」どういうことになるだろう。これがもう一度「呼びかけ」に挑戦してみるとすれば、それはこういう無自覚の行動に気づいてそれを突破することであって、それは実存の仕方の変革になるだろう。
    168 迂回する日本語

    人と人とがことばを交わすとはどういうことか。その原風景をわたしはあの「ことばが劈かれた」瞬間に体験していた。ーーわたしの声はじかにあなたを呼び出し、そのからだにふれ、しみてゆき、動きが起こり、それはそのままわたしに響き、返ってきた声がわたしのからだを内からゆり動かした。そこにひとつの場が生き、「わたし」と「あなた」はじかに響き合っていた。それは意味以前の存在ーーとしてのからだとからだーーが姿を現した瞬間だと言ってもいい。これが第一次言語、「まことのことば」の生まれ出る「胎」である。そこにはすでに声が潜み入っている。
    172 迂回する日本語

    つまり、日本の「はる」は春(シュン)と違って、2つの違った音を組み合わせてできている。単純な一色の感じじゃない複雑なニュアンスを含んでいるのだ。
    もともと「はる」なんてものはないのだ。ただ雪が降ったり花が咲いたりじめじめ雨が続くかと思うとカッと暑くなり、また冷たい風が吹いて……ということの繰り返しが世界に起こっている。そのある部分を「は」というぱっと開くような音と「る」っていうひきこもるような感じの音ととり合わせて発音してみたら「あ、ぴったりだ」。つまりこれが名前をつけるってこと。名前をつけたから「はる」という季節が生まれたので、春があるから名付けたわけじゃない。
    192 「春がきた」のレッスン

  • 「『話しかける』とは全身心での『アクション』なのだ」
    聴力が弱かった著者が、いかに言葉と向き合い、声と言葉を捉え、生み出していくか、の過程が分かる。
    メルロ=ポンティの「知覚の現象学」を引きながら、第一次言語と第二次言語という考えかたも、すとんと私の中に落ちた。制度化された第二次言語と、「現れつつ意味を形成することば」。
    最近(だけではないが)、政治家などの失言やヘイトスピーチが、どうも気持ち悪く思うが、なぜそれが気持ち悪いと思うのかが、判然としなかった。このエッセイを読んで、はたと気づいた。彼らは失言であろうが、ヘイトであろうが、それらは粗末に投げつけられた「制度化された言葉」だから。そこに「まことのことば」がないから。
    言葉とは「あなた」への呼びかけ。
    竹内敏晴氏の著作を読み進める入り口として最適な1冊になった。

  • 竹内氏の本は何冊か読んだことはあったが、今回の本は読んでいて身体が震えた。なぜだろう?竹内氏の言葉が私の身体に「届いた」のか?今、このタイミングでこの本と出会えたことに深く感謝。自分の中で何かがうごめきはじめた。

  • 10.5.5
    大前みどり twitter
    # @yonda4 『からだ・演劇・教育』 竹内敏晴 昨年からやけに「からだ、身体、体、カラダ」というキーワードがひっかかっていたけど、この本でつながった。30年近く前からこういう演劇を使った教育が行われてきたことはすごい。とはいえ本来人類がずっとやってきたことだ。 6:13 PM May 2nd webから

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    #

    @yonda4 『声が生まれる』 竹内敏晴 変に話し方とかの練習をする前にこの本を読んだ方がよいと思った。レッスンに通いたいなと思ったら、竹内氏は昨年お亡くなりになったそうだ。。。すばらしい本に出会え

  • 耳が聞こえないというハンディをバネに、ことばをひとに届けるということについての深い洞察にたどりついた著者が、みずからの来歴やこれまでの指導経験を振り返りつつ、具体的な事例にそくしたことばについての思想を明らかにしている本です。

    著者の本のなかでも、とりわけ具体的な場面に密着したかたちで書かれている本です。それだけ読みやすいということでもありますが、具体的な事例から思想を抽出して理解する作業は読者の一人ひとりにゆだねられているという意味では、むしろむずかしいと感じられるように思います。それでも、著者の洞察が立ち上がってくる具体的な場面に密着した叙述にさまざまな考えを触発されるように感じました。

  • 聴覚言語障害を持っていた著者が、息を吐くこと、声をだすこと、言葉を話すことについて獲得していった体験と演劇ワークショップの様子。

    全く聞こえなかった訳ではなく、幼少から中学生の間に、聞こえない→体力ついてきたからかちょっと聞こえる→片方聞こえない→両方聞こえない、という状況を変遷されたそうだ。
    幸い、今では副作用がきつ過ぎて製造中止になった薬が著者にはよく効いて、聞こえるようになった。
    が、そこからもなかなか大変。
    聞こえるようになったらぺらぺら喋れるかといったら、そんなことはない訳で。

    耳に声が届くということの物理的な意味と、観念的な意味。
    わかるような気もするが、恐らく彼の発声のワークショップを体験しないと、本当にはわからないのかもなぁとも思う。

    演劇関係の方の本は、感性的な部分は文系だけど、その出自は肉体で体育会系な気がする。

    扉・挿画 / 安野 光雅

  • いわゆるハウツー本とは違う。耳が不自由だった青少年時代の回想に始まり、「どう声を出せばいいのか」「声が出るとはどういうことなのか」を、著者の体験を基に探っていく。それだけでも貴重な記録なのに、さらに「声を出すことと話しかけることの違い」にまで考察を深め、身体性・間身体性という領域にまで思いを馳せる。良書に出会えたことを感謝したい。
    2013/11/11

  • 誰に向かって声を発しているのか。
    声を発する心理的目的はなんなのか?

    声がひらかれるということ。
    からだを使う。
    実存。

    第1言語と第2言語。

    ドグマ。

  • 両耳が聞こえなかった。16歳で右耳の聴力がもどる。

    そんな経験から、声ってなに?そんな疑問をもったことが

    このような本を書くきっかけになっているのだろう。



    はく息がなければ言葉は生まれない。

    はく息。考えてみれば、おかしな単語だ。

    はいた息?はいている息?はく息?



    息をはかなければ、確かに言葉にならない。

    もしかしたら、言葉は、人の生命を維持するための

    基本である呼吸に、人を悲しませたり、喜ばせたりする

    音符がついたものなのかもしれない。



    声って、言葉ですよね。ひと息、ひと息、呼吸しないといきられないですよね。

    そのひと息に音符をのせて、言葉にするわけだから、

    もしかしたら、一言はっするのも、命がけなのかもしれないな。



    こりゃたいへんだ。言葉は生きている。。。。。

  • 声が生まれる : 聞く力・話す力 / 竹内敏晴著

    所在 請求記号 図書ID 巻冊次 貸出状況(予約数)
    返却予定日 注記
    2階/中公新書 809.2/Ta-67 00383854 貸出可

    東京 : 中央公論新社 , 2007.1







    内容情報

    音がない。両耳が聞こえない…。十六歳で右耳の聴力を獲得しても、何を語ればよいのかわからなかった。手探りで、ことばを見つける。それを声にして語り出す。だが、声にするには、まず息を吐かなければならない。本書では、ふだん自覚することのない、声として発されるまでのことばの胎動を見つめる。息を吐くとは、相手にとどく声とは、そして、ことばとは何か。著者自身の体験を交えて語られる声とことばをめぐるドラマ。
    目次情報

    1 ことばの方へ(音がない;音が聞こえることばを見つけに ほか)
    2 「話す人」の誕生(「ことば」の手さぐり;奈落の化粧「文」を組み立てること ほか)
    3 呼びかけのレッスン(人と人が話すということ;話しかけのレッスンなぜ声はとどかないのだろう? ほか)

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著者プロフィール

1925年、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、竹内演劇研究所を主宰。宮城教育大学、南山短期大学などで独自の人間教育に携わる。その後「からだとことばのレッスン」を創造・実践し現在に至る。著書に『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)、『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書)、『からだ・演劇・教育』(岩波新書)、『癒える力』(晶文社)、『竹内レッスン』(春風社)、『声が生まれる』(中公新書)などがある。

「2007年 『生きることのレッスン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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