アダム・スミス: 「道徳感情論」と「国富論」の世界 (中公新書 1936)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121019363

作品紹介・あらすじ

政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊かで強い国を作るべきだ-「経済学の祖」アダム・スミスの『国富論』は、このようなメッセージをもつと理解されてきた。しかし、スミスは無条件にそう考えたのだろうか。本書はスミスのもうひとつの著作『道徳感情論』に示された人間観と社会観を通して『国富論』を読み直し、社会の秩序と繁栄に関するひとつの思想体系として再構築する。

感想・レビュー・書評

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  • 高名な『国富論』を文庫で読んでみようかなと思ったら、思いの外分厚かったので、解説本の方を読んでみた。

    『道徳感情論』の方は、1759年、『国富論』は1776年(アメリカ独立宣言の年!)の発刊。

    両著は毛色の違うテーマだが、「秩序と繁栄」を重んじる点で一貫している。

    コテコテの自由主義者と思っていたが、自由競争が善となるには、「フェアプレイ」の精神が必要条件で、その道徳の大事さを国富論の17年前に説いている点がミソだ。

    有名な「見えざる手」(invisible hand)は、分厚い著作の中でたった一度だけしか出てこないフレーズだそうだが、キャッチーなので、ここまで広まったのだろう。

    アメリカ独立戦争前に、イギリスは自発的に植民地を放棄するべきで、それが(一部の特権的立場の商人を除き)みんなのためになる、と説いた、圧倒的に先見的な世界観に頭が下がる。
    太平洋戦争中に、石橋湛山(ジャーナリスト、戦後短命首相)が同じようなことを言ったが、その150年以上前から、経済学者の草分けが論理的にそれが最善だと説いているのが感慨深い。人間の進歩の足は早いようで遅く、悲劇的な結末を経ずには学べないこともある、ということか。

    “グレート・ブリテンは自発的に植民地に対するすべての権限を放棄すべきであり、植民地が自分たち自身の為政者を選び、自分たち自身の法律を制定し、自分たちでが適切と考える通りに和戦を決めるのを放任すべきだと提案することは、これまで世界のどの国にとっても採用されたことのない、また今後も決して採用されることがない方策を提案することになるだろう。”
    (四篇七章三節)

  • アダム・スミス様、申し訳ありません。
    ワタシは貴方のことを誤解していました。教科書レベルでしか知らない『国富論』から、市場万能主義者と思っていましたが、貴方は経済学者である前に哲学者であり、倫理学者であり、グラスゴー大学で道徳哲学を教えていた人なのでした。『国富論』の前に書いた『道徳感情論』こそ、貴方の原点であり、そこには緻密な人間観察に裏打ちされた哲学者としての矜恃すら感じられます。人間は他者という存在に共感し、この共感は自身の目ではなく、他者の目による基準で発生すると述べられています。人間の善意を信じると言う思いが根底にある貴方の考えは、資本主義が逆境を迎えたとも言われるこの時代に、改めて見直すべきものだと感じます。

  • 「道徳感情論」読破に向けた登攀準備。

    自己の利益追求をする市場参加者が自分の意図を超えて、市場が調整してくれる、という資本主義というか、市場経済のマニフェストと目されるアダム・スミスだが、そんな感じでもないんじゃないのということで、最近、注目されているのが「道徳感情論」。

    実は、ポスト資本主義の社会にもういるんだろうけど、メンタルモデルはまだまだ資本主義にどっぷり浸かっている私たちの道徳的基盤を整理するのにいいかな?

    「道徳感情論」と「国富論」が矛盾なく繋がっているところが、うつくしい。

    「道徳感情論」は、最近の脳科学や心理学の研究結果とも合致する。そして、「神の見えざる手」って、要するに「自己組織化」だったんだね。

    アダム・スミスは、複雑系の思想家だったのかも。。。

  • とてつもなく面白かった。

    「見えざる手」の国富論で有名なアダム・スミスだが、実は国富論の前に「道徳感情論」という本も書いていて、そっちの文脈と合わせ読むことで国富論を再考察してみよう、それにより従来のスミスのイメージ(自由放任主義、規制撤廃推進)を見直してみよう、という内容。

    紙幅の半分を割いて「道徳感情論」の内容が丁寧に解説されているが、この内容がとにかく秀逸すぎる。
    幸せとは何か、富と幸せの関係とはどんなものか、といった問題に対するここまで論理的な説明をはじめて見た。

    人間は本性的に社会的存在であり、その性質によりあたかも「見えざる手」に導かれるかのように社会に秩序をもたらし、また社会を繁栄させる。

    幸福とは心が平静なことであり、幸福度は富の量に比例しない。最低水準の富さえあればそれ以上は本来必要ない。
    しかし人間は「弱さ」ゆえに過剰な富を求めようとし、それが結果的に社会を発展させる。

    市場とは富を媒介にして他人同士が「世話」を交換する場であり、富は人と人をつなぐ機能を持つと言える。
    市場は、価格を調整する機能と参加者の優位性を均一化する機能を持つが、それには人間の「賢明さ」に由来するフェア・プレイのルールが守られている必要がある。

    ---

    以下メモ。

    道徳感情論の概要:

    1) 社会秩序

    ・人間には本性的に「同感」という能力が備わっており、それによって他人の行為や感情を自分に照らし合わせて判断(是認/否認)しようとする
    ・そのうちに、自分も他人から同感による判断を下されていることを知り、他人から是認されたい、否認されたくない、と思うようになる
    ・その結果、自分の行為や感情を、他人が是認できるものに合わせようとする
    ・そのための道具として、過去の経験をもとに「他人」の判断基準を平均した「公平な観察者」を胸中に作り出し、それに自分が是認されるよう努める
    ・また、「胸中の公平な観察者」を手に入れた人間は、自分が他人を判断するときにもそれを使うようになる
    ・例えば、殺人という犯罪を見たときに、「自分がもし犯人と同じ境遇だったら、同じことをしてしまうかもしれない」と考えはするものの、それを理由にその行為を是認することはない。これは、自分ではなく「胸中の公平な観察者」に判断を任せているためである
    ・また胸中の公平な観察者によって、人間の「称賛」や「非難」という感覚も説明することができる。他人の行為の「動機」と「結果」の両方に自分(の胸中の公平な観察者)が是認を示した場合、人間はそれを称賛する。また逆に、両方を否認した場合には非難する(自分自身が当事者ではないにもかかわらず)
    ・ところで、ある行為の結果は「偶然」の影響を強く受ける。そして、人は行為の動機よりも結果に目を奪われがちである。そのため、「胸中の公平な観察者(動機と結果の両方を正しく認識している)」と「世間」との間で称賛や非難が噛み合わない場合がある。これを称賛・非難の「不規則性」と呼ぶ
    ・人々は世間からの称賛を最大化し、非難を最小化したいがために、有益な結果を出すことに、あるいは有害な結果を出さないことに全力を尽くすようになる(つまり不規則性の存在は社会をより良くする)
    ・不規則性の局面において、人間の「賢明さ」は胸中の公平な観察者の判断を信じるが、「弱さ」は世間の評価に流される(自己欺瞞)
    ・自己欺瞞という欠点を補うために、人々は、胸中の公平な観察者に従うような「一般的諸規則」をあらかじめ設定しておくという対応をとる
    ・一般的諸規則は人々に正義と慈恵を勧める。慈恵はポジティブな感情への同感から来るのでより自然発生的だが、正義はネガティブな感情への同感から来るので外的な強制力を必要とする。そのため、人間は常に正義についてのみ「法」という社会的ルールを作る

    2) 社会の繁栄

    ・社会秩序だけではなく社会の繁栄(富と人口の増大)もまた、同感という人間本性によって導かれる
    ・感情のネガポジを理由に、人間は原則として「悲哀」よりも「歓喜」により強く同感を示す
    ・これにより、人間は便利さや快適さのためだけではなく、他人からの同感を得るために富や高い地位を求める(もし無人島に一人で暮らすなら、きれいな服を着たい、立派な家に住みたい、豪華な食事をとりたい、とは思わないはずである)
    ・幸福とは心が平静なことである。健康で、負債がなく、良心にやましいところがなければ、それ以上の財産は必要ない
    ・「健康で、負債がなく、良心にやましいところがない」状態が得られるような収入(つまりその社会で最低限必要とされる収入)を「最低水準の富」と呼ぶ
    ・最低水準の富を持たない状態が「貧困」であり、貧困な人は生活が不便であるだけでなく、他人から同感してもらえない(ネガティブな状態だから)ことにより決定的に悲惨な状態となる
    ・一方で、最低水準の富があれば、それ以上の富によって幸福度はそれほど変化しない
    ・しかし、人間の「弱さ」はその真実から目を背け、より多くの富を得ようと考える(「野心」を持つ)
    ・この弱さゆえの「野心」が経済の発展をもたらし、生産品の再分配によって貧困を減少させ、結果的に社会を繁栄させる
    ・ただし、「フェア・プレイの精神」を持たない野心(富を得るために他人の足を引っ張ること。具体的には、虚偽・陰謀・結託・贈賄・暗殺など)は社会の繁栄を妨げるため、これは正義を侵犯していると言える
    ・人間の「賢明さ」は社会に秩序をもたらし、「弱さ」は社会に繁栄をもたらす。ただし、「弱さ」は「賢明さ」に適切に制御されて初めて社会的役割を果たす

    3) 国際秩序

    ・秩序ある社会における善悪の判断基準は、その社会の外部から与えられるものではなく、社会の構成員の交際の歴史から内生的に形成されるものである
    ・そのため、社会の「文化」はその社会における慣習に強い影響を受ける
    ・しかし社会の「道徳」は慣習の影響をほとんど受けない
    ・文化とは、挨拶や感情表現など、社会の存続にとって本質的に重要でない性格や行為のことで、道徳とはその逆で、いわば正義に関わる性格や行為のこと
    ・同胞の生命や身体を侵害することが称賛される社会など存続できないため、必然的にこのような本質的な部分についてはすべての存続する社会において共通の道徳となる
    ・ある社会において各個人が胸中に公平な観察者を作り出すのと同様に、社会と社会との交流においても、公平な観察者を形成することが理論上は可能である
    ・しかし実際には、国際秩序の形成は国内秩序の形成に比べてはるかに難しい
    ・理由の1つは、地理的・言語的・文化的な隔たりのためである
    ・しかしそれ以上に、国をまたいだ途端に相手を同感の対象と見なさなくなる傾向(国民的偏見)によるところが大きい
    ・人間はまず自分の幸福を願い、次に家族の幸福、そして友人や知人の幸福を願う、というように、自分自身に近い存在から順に強い同感を示す性質がある。この感情(愛着)が、祖国愛というものを醸成する
    ・つまり、日本人が日本に愛着を持つのは、自分や家族、自分の愛する人々のほとんどが日本という社会に含まれているからであり、自分たちの安全と繁栄が日本の繁栄と安全に依存していると考えるからである
    ・祖国愛は近隣諸国に対する国民的偏見を生み、その結果、自国民に対しては守られる正義の感覚が、他国民に対しては守られなくなる
    ・国民的偏見は、諸個人が実際に他国の人々と交際し、同感しあうことを繰り返すことによって弱めることができるはずである

    国富論の概要:

    ・社会の物質的繁栄における最も重要な原理は「分業」である
    ・分業によって社会全体の生産性は向上し、増加した生産物が社会の最下層にまで広がることで社会は豊かになる
    ・分業が進むためには、労働を交換するための「市場」が必要となる
    ・市場は、人々の欲求に応じて商品をリーズナブルな価格で豊富に届け、また特定の市場参加者が優位な状態を独占することを防ぐ機能を持つ
    ・ただし、このような機能を保証するのは、フェア・プレイのルールに従った競争であり、フェア・プレイが犯された場合、市場は本来の機能を正常に果たせなくなる
    ・市場の拡大に伴って貨幣が発見され、市場における労働の交換がより容易なものとなった
    ・しかし貨幣の普及は、人々の間に、貨幣そのものが富であるという錯覚(貨幣錯覚)を引き起こした
    ・「分業」に続く社会繁栄の原理は「資本蓄積」である
    ・分業が今よりも進んで生産性が向上するためには、あらかじめ原材料や生産に必要な道具などの資本が蓄積されている必要がある
    ・資本家が資本を蓄積し、事業を拡大することによって、経済は成長し、労働に対する需要が増え、社会全体の富が増大する
    ・人間は本性的に支出性向と倹約性向を持っているが、長期的には倹約性向がより支配的である。言い換えれば、目の前の生産物をすべて消費してしまおうとせず、将来のためにとっておく傾向を持つ
    ・このため、個人の浪費が社会全体の資本蓄積を妨げることはない。しかし、政府の浪費には注意が必要である。公共財産の管理は、(管理を担当する)個人にとって、個人的な財産の管理ほど自分の生命や安全にとって重要ではないため、倹約性向が働きにくいからである

  • 本書は、アダム・スミスの二大著書『道徳感情論』『国富論』を俯瞰することによって、アダム・スミスの描く世界、および両書の関係性を紐解くことを試みた本である。
    アダム・スミスは自己と他者との感情、とりわけ同情に関心があり、その相互作用のいかんによって国家の繁栄が決定づけられることを論じた。彼の論じた内容、すなわちアダム・スミスの描く世界は、思うに徹底した人間観察から得られる経験的な推論と、そこから想像力を駆使して論理的に導かれる帰結を描いた実証研究、および世界がどのようになるべきかという規範研究の両方が含まれており、その内容は現代社会をよりよくするための含意も多い胃に含まれているように思える。
    一方で、『道徳感情論』と『国富論』の関係性についてだが、『道徳感情論』は上述した内容を理論的に説明したものであり、一方で『国富論』はその理論を実施に社会に反映するにはどうしたら良いかという具体案であると述べられている。
    本書は、アダム・スミスの思想のエッセンスを、具体的に、しかし分かりやすく解説しており、とても良書のように思えた。この本を読んで、『道徳感情論』を実際に読んでみたいと思うようになった(『国富論』も読んでみたいと思うが、個人的にはアダム・スミスの道徳哲学に興味があるので、どちらかというと『道徳感情論』の方が読んでみたい、という気持ちである)。

  • 自由主義市場経済の父と称されるアダム・スミスの思想を、生涯の二つの著書『国富論』と『道徳感情論』から再構築した、サントリー学芸賞受賞作(2008年)。
    最近のアダム・スミス研究では、『道徳感情論』を『国富論』の思想的基礎として重視する解釈が主流となりつつあるが、本書では、二つの著書を「社会の秩序と繁栄」という観点から、論理一貫した思想体系として捉えている。
    著者は、スミスは、『道徳感情論』で、人間本性の中には「同感=sympathy」(他人の感情を自分の心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする能力)があり、この能力によって社会の秩序と繁栄が導かれることを示し、『国富論』で、このような人間観と社会観に立って、社会の繁栄を促進する二つの一般原理、分業と資本蓄積を考察したと言う。即ち、スミスは確かに、『国富論』において、個人の利己心に基づいた経済行動が社会全体の利益をもたらす(=「見えざる手」)と論じたが、そこで想定される個人は、社会から切り離された孤立的存在ではなく、他人に同感し、他人から同感されることを求める社会的存在としての個人なのである。
    そして、著者は終章で、スミスが到達した境地を、「スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。・・・諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。」と記している。
    経済学の解説を超えた著作として読むことができる。
    (2009年2月了)

  • アダム・スミスの二つの主著である『道徳感情論』と『国富論』の内容を紹介し、彼の倫理学と経済学のつながりについて解説している本です。

    自由放任主義というイメージをいだかれることの多いスミスですが、『道徳感情論』において展開されている彼の倫理学では、人間と社会についてのリアリスティックであるとともに人間性についての深い信頼にもとづく議論がおこなわれています。とりわけ、人間には他者に対して同感をいだく存在であり、それにもとづいて公平な観察者をみずからのうちに設定することが、人びとの公正な判断を可能にしていることが解説されています。

    つづいて、こうしたスミスの倫理学上の考えかたの上に立って、『国富論』に展開される彼の経済思想の内容が検討されています。そのうえで、農業・製造業・外国貿易という順番で経済発展がなされることがもっとも自然だとするスミスの考えと、じっさいのヨーロッパの歴史においてこの順序が逆転されるという事態が生じたためにさまざまな問題が生じたという彼の時代診断が説明されます。さらに、漸進的な問題の解決を説くスミスの現実主義者としての側面と、喫緊の課題とみなされていたアメリカ植民地問題に対する彼の意見についても触れられています。

  • ・明確な記述と論旨、適切なタイミングで挿入される要約など、とても読後感のよい一冊。寡作のスミスの二大著作のエッセンスを学べる良著。道徳感情論をスミスの基本的思想と捉え、国富論に対する現代の誤解に気づかせる構成もよい。
    ・スミスはあくまで倫理・哲学者であり理論経済学者ではない、というのが新鮮な気づき。“胸中の公平な観察者”に従うことを前提とすること、最下層への分配を重視した社会政策的視点が基底になっていることもスミス理解に必要な認識。人間の本性に対する寛容で現実的なまなざしと洞察に共感。
    ・この“胸中の公平な観察者”をいかに成熟させられるか、経済発展を担う“弱い人”がすべて“賢人”となることはありえるか、その未来で経済システムは持続可能か、といった問いが生まれた。そしてこの問いは、技術革新により絶対的な最低水準が解消されていくことで真実味を増している。

  • 人間本性のなかに同感能力があり、この能力によって社会秩序の形成が導かれるとした『道徳感情論』、この社会秩序を維持・促進する一般原理として分業と資本蓄積を考察した『国富論』というスミスの名著の背景を探った本。

  • 初心者にもわかりやすい

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著者プロフィール

大阪大学社会ソリューションイニシアティブ長。同大学院経済学研究科教授。専門は経済学史、経済思想。1959年生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(京都大学)。おもな著書に『アダムスミス』(中公新書、サントリー学芸賞)、The Political Economy of Public Finance in Britain 1767‐1873 (Routledge, 日経・経済図書文化賞)。

「2022年 『やっかいな問題はみんなで解く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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