教育と平等: 大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書 2006)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020062

作品紹介・あらすじ

戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡まり合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 階層を勉強したいならこの本!大学時代、"JPN Sociocaltural Stratification"っていう授業で使った!超面白い!英訳あり。

  • 【書誌情報+内容紹介】
    『教育と平等――大衆教育社会はいかに生成したか』
    著者:苅谷 剛彦[かりや・たけひこ]  教育社会学。
    初版刊行日:2009/6/25
    判型:新書判
    ページ数:264
    定価:本体840円(税別)
    ISBN:978-4-12-102006-2

    戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡み合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。
    https://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/06/102006.html

    【簡易目次】
    プロローグ 平等神話の解読 003
    第一章 対立の構図と問題の底流 015
    第ニ章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ 056
    第三章 設計図はいかに描かれたか 104
    第四章 「面の平等」と知られざる革命 147
    第五章 標準化のアンビバレンス 207
    エピローグ 屈折する視線――個人と個性の錯視 268


    【目次】
    目次 [i-vi]

    プロローグ 平等神話の解読 003
      註 014

    第一章 対立の構図と問題の底流 015
      物語のはじまり
      なぜ昭和三十年代か
    1 「逆コース」の意味 018
      見解の相違
      文部省「対」日教組
      国家による統制
      文部省の言い分
      左から右へ
    2 六三制という大実験  030
      地域間の教育格差
      教育条件の格差――教育費・教員構成と学力
      教育課程の多様性
    3 左右の対立を超えた問題認識 042
      新教育と学習離れ
      教育格差をいかにして縮小するか
      註 055

    第ニ章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ 056
    1 戦前の教育費配分 057
      困窮する地方財政
      教育の機会均等と教育財政の仕組み
      教員処遇の格差
    2 解決の方途 070
      教員単位(teacher unit)
      学制発布以来最大の問題
    3 アメリカの源流――科学的経営革命 075
      世紀の変わり目
      教育施設の画一的保障
      財政格差をどう是正するか
      ユニットコストのテクノロジー
      生徒時間(pupil hour)
    4 学習の個人化と教育財政のロジック 091
      学校中心主義から子ども中心主義へ
      個人としての学習者
      アメリカにおけるその後の展開
      註 103

    第三章 設計図はいかに描かれたか 104
    1 戦後の再出発 104
      義務教育の制度化
      文部省の認識
      アメリカの影響
    2 戦後の要請 111
      教育財政の独立
      等量等質の教育環境
      最低学校基準
    3 標準法の世界――日本的な平等へのアプローチ 122
      暗黙の前提
      三本立ての算定方式パーヘッド(一人頭)の世界
      人口動態というもう一つの条件
      定員実額制
      次善の策
      註 144


    第四章 「面の平等」と知られざる革命 147
    1 教育財政の推移と地域間格差 148
      「標準法」以前の世界
      公的投資の増大
      教育費の配分構造の変化
      累進的構造のもつ意味
    2 「知られざる革命」―― 教育条件の均質化 161
      競員一人あたりの児童生徒数
      教員定数の改善
      思わざる結果
    3 「面の平等」――さらなる均質化へ 178
      「へき地」の実態
      配分の基準
      教員の広域人事
      静岡県の場合
      岐阜県の場合  福島県の場合
      地方分権の空洞化
      下からの強い意志
      註 203

    第五章 標準化のアンビバレンス 207
    1 全国一斉学力調査とその再分析 207
      調査の実施
      学テ闘争の意味
      勤務評定との結びつき
      なぜ標準化は止まらなかったか
      何を共通の尺度とするか
      教材基準の設定
    2 「学力」との関係 228
      学力「ランキング」の変化
      豊かさと学力
      「卓越と平等」の達成?
    3 面の平等とそのアンビバレンス 242
      均一空間の創出
      標準化のパラドクス
      能力主義的差別と格差縮小への寄与
      「学級」――面の平等のテクノロジー
      共同体の秩序
      高校入試という「競争」
      大衆教育社会の基底
      註 266

    エピローグ 屈折する視線――個人と個性の錯視 268
      批判対象としての分かりやすさ
      自立した個人はどうしたら生まれるか
      大衆教育社会の功と罪
      註 281

    あとがき(二〇〇九年六月 苅谷 剛彦) [282-286]
    引用・参考文献 [287-290]

  • 2009年刊行。戦後教育における資源分配(税金配分)に焦点をあてつつ、戦後日本の平等神話の内実を明確化しようとするもの。苅谷教授らが切り開いた数値を根拠に教育問題に切り込む方法論の集大成とも言うべき書籍。が、結論は驚くほどのものではない。つまり、かつて存在した地域間格差(格差是正が重要な政策課題でもあった)が逆転し、財政的に豊かな地域なのに一人当たりの教育費支出が小さくなり、地方財政と学力問題との関連が消滅した。かかる教育費支出の累進性は、教育的空間(教室)の平等を志向する日本的平等観と符合したものと理解
    かかる「面の平等」・「教育資源の均質化」の方向性が教科書検定制度や施設の均質化で具体化したものであると見るのだ。

  • 大衆教育社会はいかに生成したか
    「大衆教育の行方」の続編らしい
    日本の教育はどこで道を誤ったのだろう。
    戦後の出発時点でボタンを掛け違えたというところもあるのだろうが、少なくとも私が小中高校生だった頃までは正しく機能していた気がする。
    本書では文科省を中心とした国策及び学校の問題として捉えているが、家庭の問題の方が大きいのかも知れないと常々思っている。
    決定的な解決策は無いのだが。

  • 「学校制度は画一的で個性を潰す。だから市場化しなければならない」というお決まりの言葉に待ったをかける一冊。

    戦後日本の義務教育制度は6・3制という、先進的である意味実験的な挑戦をした。
    その際に最も問題になったのは、教育資源の配分、それによる学力格差の問題だった。

    1930年代は1教師が平均63.5人の生徒を受け持っており、80人を超える県もあった。
    この教育条件の貧困さは教育資源の配分の問題で、戦後各地方自治体間の格差を是正するため、1952年に義務教育費国庫負担法が制定された。
    最も小さな単位である学級間の教育条件に格差を作らないため、「標準法」が制定され、資源配分が細かく設定され、執行された。

    我々はすでにそれが行き渡った、「自明な空間」を生きていて、だれでもどこでも同一の教育を受けられることが環境であるかのように感じている。
    だから、「画一的な教育はいけない」といった時に、これらの環境を維持している制度設計などは意識されず、知らずうちにそのシステムを壊してしまう可能性がある。

    新自由主義が邪悪なのは、これらのシステム、つまり富の再配分制度に「ボロ儲け」の匂いを嗅ぎつけ、食らいつこうと舌なめずりをしながら擦り寄ってきていることだ。

    一見「個の教育は市場経済化によって行われる」というときに、現在の環境が作られている資源の再配分制度が意図的に見落とされている。
    再配分されるはずの富が、新自由主義論者によって換金されるのだ。

    今、この歴史を振り返り、今後の教育を考えるときに、現在の環境がどのように生成しどのように機能しているかを見直し、単にそれらに対する攻撃が「個の平等」をもたらさないこと、と言うよりもむしろ「落下」を促進させることを強く意識しなければならない。

    必読の書だと思う。

  • 戦後日本にとって、地域間格差をなくすことは、大きな課題であった。
    日本の教育システムはどのようにして、平等を実現してきたのか、また、それが意味する平等とは何であったのか。

    これからどこを目指そうとしているのかも含めて興味深い1冊だった。

    ”1950年代を通じて、その後の日本の教育と社会を特徴づける「標準法の世界」が制度化された。それは、明治以来、日本の教育にとってトラウマともいえた地域間格差の問題を是正するために、教育財政の仕組み(義務教育費国庫負担制度)と、教育資源としてもっとも重要な教員の定数・配置に関する制度(「公立義務諸学校の学級編成及び教職員定数標準に関する法律」、いわゆる義務教育標準法)とが、車の両輪のようにして、教育条件の標準化を進める制度の誕生を意味した。”

  • 内容は難しい箇所があったが、刈谷先生の文章はわかりやすい。

    「文部省=国家の統制によって、上からの力だけでこの<システム>が作り出されたわけではない。それを歓迎し、招き入れる下からの働きが呼応したことで、教育の画一化も、一元的な能力主義もその成立を見た(p269)

    この日本独特の<システム>のキーワードがアンビバレンス。

    読みごたえのある新書だった。

  • 戦後日本の教育史は「面の平等」といったキーワードを用いて説明できるとしている。

    財政面の配分方法の分析から「面の平等」=個の平等ではなく「学級」単位の平等が標準法の制定のなかで実現したことや戦後の大きな地域格差のため次善の策としてとられた「学級」単位の平等が教育条件の均質化につながったことなどを示している。

    その過程は上からの一方的な指導ではなく下からの自主的な動きも伴っていた。

    単なる言説研究だけではなく統計的な手法を有効に使っていて説得力があった。特に筆者が「知られざる革命」とよぶ学校教育費の配分が逆進的なものから累進的なものへと変わっていくことを示した部分は非常に説得力があった。
    教育論議でよく行われる単純な二項対立的な批判に対して歴史的な経緯を用いてそのような単純な構造ではなく良い面と悪い面を併せ持つアンビバレントなものであるとしていた。

  • 90年代の名著「大衆教育社会のゆくえ」の続編であり、大衆教育社会を成立させたのは何だったのかについて論じている本。

    著者は、その原点を、学制ができてから常に問題視された教育公務員の予算(日本は階層差よりも、都市と農村(僻地)の差が大きいこと)、それによる教育標準化の流れ(学級の人数、学習指導要領、学力テスト)の中で、明らかにしようとしている。

    そのような中で、学級というシステムを使って平等を作ろうとしていた面があるとも指摘している。

    文章はやや難解であるので読み直す必要はあると思うけれど、自分が受けてきた環境を当たり前とせずに、史料から丁寧に読み解くことが大切だということを教えてくれた本だと思う。

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著者プロフィール

オックスフォード大学教授

「2023年 『新・教育の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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