オランダ風説書: 「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書 2047)
- 中央公論新社 (2010年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020475
作品紹介・あらすじ
日本人の海外渡航を禁じた江戸幕府にとって、オランダ風説書は最新の世界情勢を知るほぼ唯一の情報源だった。幕府はキリスト教禁令徹底のため、後には迫り来る「西洋近代」に立ち向かうために情報を求め、オランダ人は貿易上の競争相手を蹴落すためにそれに応えた。激動の世界の中で、双方の思惑が交錯し、商館長と通詞が苦闘する。長崎出島を舞台に、「鎖国」の200年間、毎年続けられた世界情報の提供の実態に迫る。
感想・レビュー・書評
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いやあ、面白かった。
江戸時代日本はどのような情報を得ていたのか?
オランダ人はどのような情報を与えていたのか?
オランダ風説書で抜粋された内容から、日本政府・オランダ人の世界観が見える。当時の世界が見える。
情報もパワーの一種だけど、情報という重要なパワーに焦点を当てている。
想像の何倍以上も、当時の世界観を見渡せる良書でした。
「幕府は「外」の存在を認識した上で、人や物、情報の動きに厳しい制限を加えた。だからこそ、「外」の状況を知るために風説書が必要とされたのである。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代は孤立せず、オランダからの情報で世界と「つながって」いた
所蔵情報
https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=B17341 -
1639年のポルトガル人渡航禁止から1953年ペリーが来るまで、欧米事情を知る唯一の手がかりがオランダ風説書であった。1600年代はキリシタン(ポルトガル)の動向把握が役目だった。オランダ側も、ポルトガルを排除し日本貿易を独占するために風説書を利用した。
1700年代になるとキリシタンの脅威がなくなり、オランダ側も積極的に報告しなくなる。たとえば、アメリカ独立戦争やフランス革命はタイムリーに報告をしていない。
18世紀後半よりイギリスが台頭、オランダの力に陰りが出てくる。フランス革命勃発により、オランダ政府は亡命を余儀なくされた(1799年)。この余波により長崎・出島のオランダ人も孤立する。
ナポレオン没落後、再び、オランダとの貿易を再開するも、他のヨーロッパ船も来航するようになる。それまで、情報と貿易を独占してオランダの立場がゆらぐ。ついにペリーが来航し、開国、1857年には風説書の役目も終了した。 -
面白かったが、ところどころ主語述語が分からなくなって、行ったり来たりした。結論で、「風説書は、江戸時代の日本が聞いたオランダ人のささやきでしかなかった」「人間は興味のあることしか知ろうとせず、自分の価値観に合致することしか理解しないのではないか」と書かれている。異文化をどのように取り入れ、取捨選択し、解釈し、受け入れるのか。西欧近代のパワフルな破壊力の正体がなにで、それとは何人たりも無関係でいられないという時代について、色々考えさせられた。
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江戸時代を通してオランダと江戸幕府の間で取り交わされた
オランダ風説書を解説する一冊。語り口は柔らかく、
非常に読みやすい。オランダや江戸幕府の意図や、
通訳人と商館長の苦労など、大変面白く読めた。 -
世界史上類例がないとも述べられる、200年の長きにわたって継続的にリポートされつづけた国際情勢。それが風説書だった。この新書が論文を下敷きにしているだけあって、そこまでの知識を新書レベルで誰が欲するんだというくらい掘り下げている。
いろいろ改めて気づかされる。
なぜオランダが唯一の西欧の貿易相手国だったかということや、なぜオランダは日本と貿易をし続けたのかということなど。
また、風説書は幕閣や諸藩にとって西洋近代の脅威を感じとる窓口であったと述べられる。とりわけ薪水給与令への転換を見れば清朝の連敗は衝撃であったことが容易に想像つく。
通詞や商館による自身が有利になるための情報操作があったものの、中央がオランダにリポートを課し続けたことは本書が述べるとおり清や朝鮮と異なるところであり、それを受け継いだ国家の体質が19世紀後半以降における決定的な西欧化の違いとなって表れてくるのだと思う。 -
江戸時代は「鎖国」状態などではなかったことはもはや常識になっている。その根拠の一つが「オランダ風説書」の存在だが、それが実際にはどのようなものだったのかが、オランダ語文献の側からも明らかにされているのが本書の特徴だ。その結論が末尾で吐露されているのだが――研究者としての率直な態度に感心。