伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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レビュー : 34
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020512

作品紹介・あらすじ

幕末維新期、若くして英国に留学、西洋文明の洗礼を受けた伊藤博文。明治維新後は、憲法を制定し、議会を開設、初代総理大臣として近代日本の骨格を創り上げた。だがその評価は、哲学なき政略家、思想なき現実主義者、また韓国併合の推進者とされ、極めて低い。しかし事実は違う。本書は、「文明」「立憲国家」「国民政治」の三つの視角から、丹念に生涯を辿り、伊藤の隠された思想・国家構想を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  •  伊藤博文の国家構想や政治思想を内在的に思想史的方法をもって明らかにして、その「漸進主義」やリアリズムに一貫性を見出そうとしているが、著者の試みは失敗している。「善意の解釈」や史料根拠不明の思い込みや提灯持ち的な賞賛の文言を無視して、引用史料と事実記述だけを読めば、むしろ伊藤の状況主義的で行き当たりばったりな思考が明るみに出る。いずれにせよ、伊藤の主観的な思想や行動が、現実の政治・社会において客観的にどう機能したかがほとんど分析されておらず、歴史研究というより単なる顕彰に堕していると言ってよい。
     唯一、優れているのは、帝室制度調査局に関する部分で、ここでは著者本来の専門である法制史の知見が遺憾なく発揮されており、勉強になった。

  • 2010年刊。
    著者は国際日本文化研究センター准教授兼総合研究大学院大学准教授。

     周旋家、プラグマティスト、藩閥政治家、初代首相、韓国統監など多様に評される伊藤博文。彼の隠れた側面を、書簡・演説原稿等から紐解いていく。

     著者は「知」と捉えるが、個人的には理想主義の面に強い印象を持った。漸進主義がプラグマティストの面を際立たせるが、一方で理想主義を有していたからこそ、山県有朋のようなほの暗い面を小さくした評価になったとも解釈できよう。

     たらればでいうことはできないが、もし暗殺されなければ、戦前においも、韓国人自身による自治的統治が進んだ可能性もなしとしない。陸軍の統治下ではどうしようもなかったということはできそうだ。
     ただ、韓国統治に関して、民選の衆議院の設立と、韓国人を大臣に据えることまで伊藤が念頭に置いていた点は想定外の事実。

  • 明治元老の中で、多大な功績をあげたにも関わらず、比較的低い評価をされているように見える伊藤博文の実像を探る書。 朝鮮総督を務め、暗殺の憂き目にあったためか、正当な評価をされていない、色眼鏡をかけた研究が多い、筆者は感じており、おもに本人の言行を含む当時の一次資料を元に、伊藤の実像を分析している。松下村塾での、吉田松陰の伊藤に対する評価は必ずしも高くはなかったが、高杉新作の功山寺挙兵、英国への密航留学、語学を生かした明治新政府での対外折衝、憲法制定の主導、議会制民主主義への移行の企図等、当時の日本の近代化に多大な影響を与えたのは間違いがない。初期には早急であった改革への行動も、時流を見極めての漸進主義へと変わり、着実に近代化を成し遂げていったが、本書はその際の伊藤の言行をできる限りつぶさに広い、その意味するところを解釈し、記している。近代日本の幕開けに果たした伊藤の役割を知る上で、ぜひとも一読いただきたい書

  • 初代内閣総理大臣である伊藤博文の,生涯に渡る政治と「思想」を緻密に追った新書.本文全343頁とかなりボリューミーだが,幕末〜明治中期の政治を中心とした時代変遷をたどるには十分な分量である.

    内容は,大きく分けて以下のとおり
    渡欧・渡米での文明との出会い(~1873, M6),明治憲法制定まで(~1889, M22),立憲後(1899, M32),立憲政友会設立(1900, M33),憲法改革(1899~1907, M40),清末革命(1898, M31),韓国総監(1906~1909, M39~M42)
    明治時代の立憲政治の確立に関しては 1~3章に伊藤の考え方や,そのきっかけが描かれている.その思想とは,生涯に渡り「立憲政治」および「漸進主義」に重きをおき,国民の知の向上が文明発展のキーであると考えるような,サブタイトルの通り「知の思想家」であるといえる(*あとがき).
    そのような文明への感化や漸進主義の芽生えは,1863年の「長州ファイブ」による英国留学,そして1871年の岩倉使節団による渡米が大きく影響している.
    その後,憲法制定に向けた模索中のウィーンでのシュタインとの邂逅が,「制度の政治家」としての伊藤を決定付けている.そこでは単なる議会制度を通した民主政治のみならず,それを反映し,実際に国家へと還元するような行政の存在が,"政治"の基盤となる,と述べている.
    また,そのような行政を行うに足る人材として,"政談"で事をなすような知識人ではなく,科学技術に居した"実学"を重視するという点も,伊藤の文明観の要点の一つと言える.

    以下,漸進主義を踏まえた,君主制・民本制を両立できるような立憲制度の考え方や,政党の在り方(単なる徒党ではなく官民融和し最終的に国家に還元できるような存在),韓国総監時の「文明の伝道師」としての側面等が述べられている.

  • ○この本を一言で表すと?
     伊藤博文の考えた構想と実績について、様々な資料で裏を取って肯定的に評価した本


    ○面白かったこと・考えたこと
    ・歴史の教科書や幕末・明治に触れた本などで重要人物と扱われながら賛否両論の評価をされている伊藤博文という人物について、その実績だけでなく、どういう構想の基にどういう活動をして、どのようなことに繋がっていったのかが書かれていて、伊藤博文に対する印象が大きく変わりました。元々歴史上のキーパーソンの一人だと個人的にも捉えていましたが、「知」の方向からそう捉えることができたのは大きな収穫でした。

    ・伊藤博文の後年の談話で吉田松陰よりも長井雅楽を評価しているのは、漸進主義を自分のベースとして活躍したことを妥当だなと思いました。P.7の「伊藤の伊藤たる所以は、松陰の影響から脱却した時点から始まると言えよう」という記述も、本全体を読み終えてから振り返るとまさしくと同意できました。(第一章 文明との出会い)

    ・伊藤博文が大久保利通とともに条約改正交渉をして外国に有利な片務的な条約にするつもりだったのがバレて危うく社会的に抹殺されるところだったこと、それから仲が良かった木戸孝允との仲が一時決裂し、急進的な自己を漸進的に変えていって信頼を取り戻したというのは、自己改革としてはすごいことではないかと思いました。(第一章 文明との出会い)

    ・章末で伊藤博文が外国と日本の差に気落ちする外遊メンバーの中で外国を恐るるに足りない発言したのは日本がどう変わってきてどう変わっていくのかをある程度見通せていたからかと思いました。(第一章 文明との出会い)

    ・漸進的に立憲国家への道を進もうとしていたところに大隈重信の急進的な意見書が提出されて加速化されたこと、「立憲」ということが憲法を施行することではなく、憲法を土台とした行政の行為があってこその「憲政」が重要であるというウィーンのシュタインの考え方に出会って確信を持てたというのは、すごいタイミングでベストマッチの考え方に出会えたものだなと思いました。(第二章 立憲国家構想)

    ・憲法を作るという目標があったという話は教科書や他の同じ時代を取り扱った本でも出てきますが、最初から行政のことも考慮して国家構想をしていた伊藤博文はかなり視野が広かったと思います。シュタインの受け売りだとしてもそれを日本に適応できるように落とし込めたのは伊藤博文の「知」だと思いました。(第二章 立憲国家構想)

    ・欽定憲法として超然主義という建前を置きながら実質としては民主的な体制にしようと最初から考えていたというのは、現状とあるべき姿のギャップである「問題」を解決する問題可決する能力が卓越しているなと思いました。(第二章 立憲国家構想)

    ・「国家はなぜ崩壊するのか」という本で包括的な制度と収奪的な制度の違い、それぞれの国家の違いについて書かれていましたが、権力者のインセンティブが健全な方向に向くか自己の権益の方向に向くかの違いがあるとされていました。同様に収奪的になれる立場でありながら国家のあるべき形を構想して包括的な制度にする方向に動けた伊藤博文の人間性も凄いなと思いました。(第二章 立憲国家構想)

    ・ある機関が専横に陥らないような制度設計とその運用を目指し、不可避的な政党内閣への流れがある中で、全国で憲法についての啓発するための行脚をして、ハードとしての立憲制度とソフトとしての国民政治を備えた文明国への道を目指すという構想は壮大だなと思いました。(第三章 一八九九年の憲法行脚)

    ・国民が自分の業と政治への関わりの両方を行える、実学による国民の創出をめざし、国民が自分の業に専念することで国家の運営に資する政策知も生まれ、国民が政治に関わりを持つことでその政策知が国家に反映されるというのは、ある意味では今のアメリカの政府と民間企業の人事交流よりもより根強い知識交流を目指していたのだなと思いました。(第三章 一八九九年の憲法行脚)

    ・政党政治の反対者だった伊藤博文が変心して政党の構築・運営に乗り出した、という話はいろいろな本で出てきたように思いますが、変心したのではなく元の考えは一貫しているという著者の説は、その裏付けもしっかりと載せていて説得力があるなと思いました。(第四章 知の結社としての立憲政友会)

    ・政党が党利党略に走ることが国家のためにならないというのは現代日本においても他国においても当たり前の認識であり、かつ避けられないものという諦めのようなものを個人的に感じていましたが、その政党政治の害悪に対して自分で政党をつくり、勢力を持ちつつ党利党略ではなく党外の者も活用するというのは理想論的ではありますが、ある程度実現手前まで持って行けたのはすごい話だと思いました。人材を育て、リクルートする団体としての政党という発想は、「国家をよくする」ことを目的とするのであれば至極真っ当なものだと思います。別の路線で国家の維持継続性のために各党が協力して制度改正に動いたスウェーデンのような事例もありますが、伊藤博文が目指した「国民」が日本全国に浸透していない限りは無理なことなのだろうなと思いました。(第四章 知の結社としての立憲政友会)

    ・立憲政友会がすぐに躓いてしまったのは、その方向性から仕方のない話だと思いました。伊藤博文が高い理想を持っていても周囲の者でもその理想を共有できないのであれば、当然党利党略の方向、自己の立身出世に意識が向くだろうと思いました。(第五章 明治国政の確立)

    ・伊藤博文が日露同盟の方向で動いていたのはいろいろな本で出てきて、どちらかといえば伊藤博文がとち狂って独断専行で行っていたという書き方をされていましたが、むしろ伊藤博文が国内への連絡を密に保ち、日英同盟を進めていた側が少数の中心人物で独断専行して一気に進めていたというのは自分にとって新しい視点だなと思いました。(第五章 明治国政の確立)

    ・伊藤博文が帝室制度調査局という憲法とは別に皇室を政治から切り離すための制度構築を行う機関で最初の総裁になったというのは初めて知りました。天皇の機関化と内閣中心の責任政治と軍部の抑制を図る方向で動き、半ば成功していたというのは驚きでした。軍令という例外を作らせずに完成していればその後の日本の動きは大きく変わっていたのだろうなと思いました。(第五章 明治国政の確立)

    ・伊藤博文が中国へ数ヶ月赴いて、清の各地で歓迎され、清で起ころうとしていた革命を目の当たりにし、貿易等の経済的な関係の構築に動き、その上で清で起ころうとしていた革命の不備等を見抜いてその失敗を予測していたというのは初めて知りました。清の知識人との交流で、伊藤博文が若い頃から培ってきた儒学や漢学の知識を活用していたというのは確かに柔軟だなと思いました。(第六章 清末改革と伊藤博文)

    ・伊藤博文が韓国に行ってその統治に関わるようになったことはどちらかと言えば「左遷」というイメージでとらえていましたが、韓国でも精力的に日本で行った民本・法治・漸進主義を進め、軍においても韓国では文民が最高権力を持つ立場を作り、日本で十分にできなかったことを韓国で実現しようとしていたというのはこれまた壮大な話だと思いました。ただ、韓国の現状と伊藤博文が目指した理想の姿のギャップを埋めるために急ぎ過ぎて漸進主義とは言い難いほどに急進的だったのではと思いました。(第七章 韓国統監の”ヤヌス”の顔)

  • これまでの研究史を十分踏まえた上で、著者は、これまでとはまったく逆の伊藤博文評価を試みている。やや伊藤を持ち上げすぎのようにも感じたが、一次資料に依拠した非常にすぐれた分析であり、説得力があった。

    副題にもある通り、伊藤を「知の政治家」としてとらえる視点は、韓国統監としての植民地統治の場面にも一貫している。ややもすると伊藤のような政治家は、その行動面だけで変節だとか妥協だとかいう説明がされやすいのだが、あくまで思想・理念をもった人物として描ききっているところが挑戦的でもあり、久々に知的興奮をともなう読書であった。

    途中、やはり知の巨人である福澤の顔が何度もちらついたが、最後に著者は、「(伊藤が掲げる知とは「実学」であった)この点において、伊藤は福沢と通じるものがあると言えよう。とはいえ、両者は実学的知のあり方をめぐって分岐する。福沢が官と民の峻別に固執し、官を排した民間の自由な経済活動を自らの足場としたのに対し、伊藤は知を媒介として官民がつながり、ひとつの公共圏(*それがフォーラムとしての政党=政友会につながる)が形成されることを追い求めていた」とまとめることによって、見事に私の疑問に答えてくれた。

    政友会のあり方についての伊藤の考え方・立場も今までこれほど明快な解釈を読んだことがなかったので、目から鱗が落ちる思いであった。

    蛇足ながら、第4章はどこぞの政党の党首にも熟読していただきたい。

  • 2010年度・サントリー学芸賞受賞。伊藤の考えていた政友会のかたちについて頁を割かれることが多かったので興味を引きました。政友会の時代への対応が気になっていたので、創立時には何を期待されていた党だったのか知る一つの手がかりになりました。
    やや伊藤ヒイキ気味に感じる部分もありますが(※伊藤の甘さもちゃんと指摘されてはいます)これも一つの解釈として参考にしたいと思います。

  • 明治史上最も著名な人物でありながら、アカデミズムの世界では消極的な評価しか得られていない伊藤博文を、「知の政治家」と位置づけ、一貫した漸進主義者と評価する。キーワードは「文明」「立憲国家」「国民政治」である。その試みは、新書でありながらできるだけ依拠している史料を示しながら論証するという手続きも含めて、興味深いものである。

    史料が多く提示されているので、読むのにそこそこ骨が折れるが、とりわけ1907年憲法改革のところはほとんど知らなかったので勉強になった。ただここはどっちかというと有賀長雄の研究のようでもあったが・・・。

    僕は、歴史研究者が、ある人物を「低く評価する」とか「高く評価する」とかいう方法論にあまり魅力を感じない。だから、「実は伊藤は一貫した漸進主義者で、立憲国家の建設と維持にこだわっていた」という部分までは「そうだなあ」と思うが、歴史研究者の仕事というのはそこまでだと思ってしまう。

  • 伊藤博文の思想を業績に触れながら読み解く。

    何を考え何を成そうとしたかに焦点を当てて主に維新後を扱う。制度に対する考え方と漸進主義は面白い。洋行に対する見方も新鮮だった。

  • 伊藤博文による政治とその再評価をするための本。

    これまでの歴史的な評価だと伊藤ってわりと一貫性のない、フレキシブルな(っていうと聞こえがいいけど、まあ尻の座らない)政治家というイメージで語られがちですよね。
    でも作者によると実はさにあらず。
    伊藤の頭の中には、世人の計り知れない深慮遠謀があった!
    つまり、(現時点では政党政治とか無理だけど、いずれは実践していくべきだよね)とか(軍部の権限をできるだけ制御して、内閣中心の政治をおこなっていくつもりだけど、軍部と話し合いしてある程度お互いに妥協するのも大事だよね)とか・・
    漸進的で平和主義的な伊藤らしい政治のかじ取りの仕方だと思います。
    そういう伊藤の政治的スタンスや思惑を、筆者は、莫大な史料から読み解いている。

    時代時代にあわせた政治の在り方をプレゼンしていってるイメージですね☆彡
    気まぐれや適当な判断で動いてるわけではないんだね☆
    幕末の多幸症やんちゃ坊主がここまで成長するなんて・・木戸さん天国から見て泣いてるぞ俊輔☆☆彡

    それにしても腹心の伊東巳代治や、原敬からも(日記の中で)糞みそに言われたりして・・・かわいそうな伊藤博文wwでも、そこがかわいいんだけどね!

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