江の生涯: 徳川将軍家御台所の役割 (中公新書 2080)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020802

作品紹介・あらすじ

浅井三姉妹の末娘-江。その夫である徳川秀忠は恐妻の彼女に頭が上がらず、長男家光は母から愛されなかった、などと語られることが多い。しかし史料を丁寧に読み解くことで見えてきたのは、それとは違う江の姿である。両親を早くに失い、頼るべき縁を持たず、明日もわからぬ戦国の世をどのように生き抜いたのか。将軍家御台所として何を守ろうとしたのか。極端に少ない史料のあいだから、いま、江が語り始める。

感想・レビュー・書評

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  • 江に関する第一級資料が数少なく、正式な史料でも作為が見られるという。「嫉妬深い恐妻」の俗説を見直すいいきっかけになれば。

  • 浅井三姉妹の末娘――江。その夫である徳川秀忠は恐妻の彼女に頭が上がらず、長男家光は母から愛されなかった、などと語られることが多い。しかし史料を丁寧に読み解くことで見えてきたのは、それとは違う江の姿である。両親を早くに失い、頼るべき縁を持たない女は明日もわからぬ戦国の世をどのように生き抜いたのか。将軍家御台所として何を守ろうとしたのか。極端に少ない史料の間からいま、江の静かな声が聞こえる。

  • とても興味深く読んだ。家光と和子が江所生のこどもではないという説にびっくりしたけれども、確かに…と思わせる文脈で、納得。しかしそれにしても中近世の武家の奥社会は複雑怪奇だ。正室は大変だなあ。女性の感情や扱いを考えるとどの立場であっても嫌な世の中だよねえ。現代に生まれて良かった。

  • 江は、最終的には2代将軍・徳川秀忠の正室となって生涯を終えます。それほどの地位にあり、死後も55回忌が執り行われるくらい敬われた女性だったにもかかわらず、資料が乏しい。なので、本書でも、彼女の周辺の事情を追っていく記述が本当に多いです。だから、特に、秀忠に輿入れする前までの二度の結婚については、よくわかっていないことが多く、その夫の人物象やその当時の情勢などの記述ばかりで、あまり面白くありません。でも、逆に言えば、面白くしようとして、少ない資料から拡大解釈することなく、正直に誠実に、江の生涯を追って書いてくれた、と言えないこともない。

  •  女性ということもあって,江に関する史料は少ないらしい。将軍の正室なのに…。その中で確かな史料から事実を丹念に拾って,江の人生を一通り描いている。俗に江は,嫉妬深いあねさん女房で,家光をはじめ多くの子を産んだとされているが,違うらしい。筆者の考察によると,江が産んだのは,3人。秀頼に嫁いだ千姫と,家光の弟の忠長,あと初という娘だという。家光も,皇室に嫁いだ和も,江の実子ではない!
     家光の誕生日は,江の存命中極秘事項とされていて,前の出産から数えて産み月が足りなかった疑いが濃厚なんだって。実娘の初は,姉と同じ名前だが,これは出生直後に子のない姉夫婦に養子に出したそう。母娘で同じ名前とは何とも紛らわしい…。
     江の3回の結婚のうち,最初の佐治一成との結婚は,婚約のみで後に破棄され,実際に輿入れはしていない。佐治一成の母は信長の妹の犬だが,犬が夫の死により佐治家を離れ,乳飲み子だった江がその後釜にされたらしい。あと面白かったのが江の名前の由来。昔の人の名前はいろいろ変わって一定しないが,はじめ「督(ごう)」とされていて,のち同じ読みで「江」とされる。「お江与の方」とすることもあるが,これは「おえよのかた」でなく「おえどのかた」で,住まいの江戸で呼んだのだという。それで江という漢字が使われるらしい。

  • 2011.11.15~24 読了

    江の3度の結婚はそれぞれ一般に流布している内容とは異なる。
    ・佐治一成との結婚は信長の残した縁(離縁時は12歳、形式婚)
    ・秀勝とは、実質的な初婚
    ・秀忠とは、側室の定義、出産は侍妾との分業、江の実子は3人
    (歴史小説での定番"一夫一婦を貫いた秀忠とお江”、という設定はガラッと変わりストーリーも変わる。東福門院和子はお市の方、浅井三姉妹の血を引いて・・・ん?というのは説得力がなくなった!)

    <チラ見結果:◯△>江関連の資料豊富。

  • 考察が荒いような
    家光と江の関係について・・・・
    むしろ福田さんが提示した情報は家光は間違いなく江の実子であることを示しているようにしか
    思えないんですが

    東福寺、嫁探し、手紙の内容、
    この本には載ってないけど浅井長政への中納言追贈とか

  • 子供の出生についての是非はともかく、終章が一番言いたかったことなのかな…と。

  • (2011.01.06読了)(2010.12.21借入)
    「江」は、2011年のNHK大河ドラマの主人公です。
    浅井長政と織田市(織田信長の妹)の三女として生まれ、徳川秀忠に嫁ぎ、千姫、家光、東福門院和子、等の母でもあります。長姉は茶々(淀君)ですので、豊臣秀吉が亡くなってから、豊臣方の姉と徳川方の妹(江)の間で敵対関係になってしまう。
    姉(淀君)の子、豊臣秀頼と自分(江)の子、千姫は、夫婦だったのですから、平和裏に政権移譲がなされれば、親密な親戚として、行き来できたことでしょう。
    戦国の三武将として誰でも知っている織田信長が伯父で、豊臣秀吉が姉の夫で、徳川家康が舅だという事実には、なんとも驚いてしまいます。
    興味深い人物であるにもかかわらず、この本を読むと「江がその姿をはっきり現わす」史料が全く残っていないというという事実に驚いてしまいます。
    ということは、ドラマは、作者が100%想像して書くことになる、ということになります。書き易いのか、書きにくいのかは、作者次第でしょう。
    江が生まれたのは、1573年。秀忠と結婚したのは、1595年で23歳の時です。秀忠は、江より6歳下ですので、この時17歳ということになります。亡くなったのは、1626年9月15日で、54歳でした。
    江の父、浅井長政は、1573年9月1日、織田信長との戦に敗れ自害しました。1582年、母の市が、柴田勝家と再婚したため、越前北の庄に移り、1583年4月24日、母市は、秀吉との戦に敗れた柴田勝家と共に自害しました。生まれた年に父を失い、11歳で母を失ったことになります。

    ●江戸時代の名前の表記(19頁)
    江戸時代の人々は、音や訓が同じであれば、どの漢字を宛てるのかに関してはあまり厳密に考えないところがる。宛て字に対する許容範囲が、とても広いのである。
    「江」についても「郷」や「五」「督」の表記があるとのことです。
    ●江は三度結婚した(37頁)
    江が婚姻したのは、佐治一成・羽柴秀勝・徳川秀忠の三人である。
    ●佐治一成とは婚約したが輿入れはしていない(72頁)
    江は佐治一成と縁を結んだだけで、入輿はしていない。
    (婚約は、1574年頃ということなので、2歳。離縁は、1584年頃ということなので12歳。年齢的に見て、輿入れはしていないだろう、ということです。)
    ●二度目の夫は、羽柴秀勝(75頁)
    二度目の結婚の時期は、1586年説と1592年説があり、この本の筆者の福田さんは、1586年説を支持しています。羽柴秀勝は、1592年9月9日、朝鮮で病死しています。
    (兵を引いて、朝鮮に出兵していました。)
    ●三度目の夫は、徳川秀忠(114頁)
    1595年9月、江は、徳川秀忠と結婚した。江は、23歳。秀忠は、17歳です。
    1597年、江と秀忠の間に初めての子、千を授かる。1598年、秀吉は、秀頼と千の縁組を取り決めた。
    1603年、秀頼(11歳)と千(7歳)の婚儀が行われた。
    1604年、家光誕生。母親は、江という説とそうではないという説がある。
    (福田さんは、江は家光の生母ではない、と結論付けています。(171頁))
    1605年、江は、男児を産んだ。幼名国松、後の忠長である。(174頁)
    1607年、江は女児を産んだ。幼名を松、通称を和、諱名を和子、院号を東福門院。
    1611年、男児が生まれた。秀忠の子であるが、母は江ではない。この男児は、後の保科正之です。
    ●養源院(198頁)
    浅井一族のために建立された養源院であったが、茶々の死後はその遺志を江が引き継ぐとともに、新たに豊臣一族の供養の場ともされた。
    養源院には、江の御影が一幅伝来している。彼女の唯一の肖像画である。
    ●江と秀忠の子供(234頁)
    江と秀忠との間に生まれたのは、千・初の二女と忠長の一男である。それ以外の長丸・家光・正之の三男、および子々・勝・和の三女は、江以外の女性からの出生である。
    ●困ると史料が見つかる(250頁)
    いつかは江の評伝をまとめてみたいと思っていたので、夏休みに入ると史料探しを始めた。そんな中、そうした目的とは全く別の調査で訪れた鳥取県立博物館で、請求した史料を待つ間に開架式書棚にあった史料を無意識に手に取った。それが佐治氏の由緒書であり、佐治一成と江の関係を考え直す突破口となる史料となった。その後も困ると、何故か驚くような史料が見つかり、目に見えない力に導かれて原稿を書き進めることができたように思う。

    ☆関連図書(既読)
    「春日局」童門冬ニ著、知的生きかた文庫、1988.06.10
    「保科正之」中村彰彦著、中公新書、1995.01.25
    「葵 徳川三代(上)」ジェームス三木著、日本放送出版協会、1999.12.10
    「葵 徳川三代(中)」ジェームス三木著、日本放送出版協会、2000.03.25
    「葵 徳川三代(下)」ジェームス三木著、日本放送出版協会、2000.07.20
    (2011年1月13日・記)

  • まず、この本を読んであらゆる史料を丁寧に読み取ることの大切さを再確認させられる。。そして、正室の役割の重さを感じる。これについては感情論や現代の常識を尺度にしてはいけない。論は「家光は江の実子ではない」など驚くことが多々あるが、史料による裏付けがなされているので説得力がある。これからの議論に期待したい。

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著者プロフィール

1961年福岡県に生まれる。1993年九州大学大学院文学研究科博士課程中退。国文学研究資料館・史料館助手、東京都立大学助教授、九州産業大学教授等を経て、現在、九州大学基幹教育院教授。博士(文学) ※2022年5月現在
【主要著書】『酒井忠清』(吉川弘文館、2000年)、『春日局』(ミネルヴァ書房、2017年)、『近世武家社会の奥向構造』(吉川弘文館、2018年)、『女と男の大奥』(吉川弘文館、2021年)

「2022年 『大奥を創った女たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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