江戸の紀行文: 泰平の世の旅人たち (中公新書 2093)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020932

作品紹介・あらすじ

徳川の世は泰平。人びとはどこへでも旅ができる喜びを実感する。旅といえば辛く悲しいという中世以来の意識は劇的に変化し、「楽しい」「面白い」が紀行文の一つの型となり、さらに「いかに実用的か」が求められるようになる。辺境への関心も芽生え、情報量も豊富になっていく。好奇心いっぱいの殿様の旅、国学者のお花見、巡検使同行の蝦夷見聞などを通して、本書は江戸の紀行文の全体像を浮かび上がらせるものである。

感想・レビュー・書評

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  • 本居宣長の菅笠日記の解説を読みたくて手に取ったが、和泉日記の巻も大変面白かった。

    はじめに、著者からのメッセージ
    ①江戸時代の紀行は面白い
    ②面白さの理解には、豊富な情報、前向きな旅人像、正確で明快な表現という新しい評価基準で紀行を見直す。

    ③江戸時代の紀行文の代表作は
    貝原益軒の「木曽路記」橘南谿「東西遊記」、小津久足「陸奥日記」だと。

    P111
    江戸時代の紀行文は擬古文が多く、分かりにくくまわりくどくて読みにくい。
    まさに和泉日記がそれにあたる。
    ただ、面白いから許せると著者は話す。

    中には内容までも伝統的な古い紀行を意識し、自分自身の旅の悲しみなどを綿々と綴ろうとするものが多く、退屈なものになってしまう。

    しかし本居宣長の文体にはそれらの冗長さや難解さが少ない。

    P114
    菅笠日記は、のどかで温かいにも関わらず、作者と共感しようとすると柔らかく拒絶される。

    P128
    人の心は今も昔も同じだが、その時々や所々によって異なることもある。だから物語を読む時にはその時代の常識や登場人物の立場を十分に考えて、それらの人物の心境になって読まないと理解できない点がある。

    ↑これは現代小説にもつうずる考察だ。


    まさに、源氏物語については
    P143
    最初から終わりまで、普通の穏やかな日常が繰り返されていくだけなのに、退屈もせずひたすら次が読みたくなる。


    P230 東西の祭りの比較についての論説もとても面白かった。
    江戸は五六年で様式が様変わりするのに、上方はそのまま保存されている。それはすなわち発展せず活発でないから。

  • 力作である。しかも学術的なレベルもたいへんに高い。
    江戸時代の紀行文と言えば、まずは芭蕉の『おくのほそ道』であり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が思い浮かぶのであるが、筆者はもっと他にすばらしい紀行文があるのだと主張する。例えば、貝原益軒であり、本居宣長であり、橘南谿であり、小津久足である。
    紀行文の性格をどのようにとらえるか(文学となり得るかどうか)ということに関しても、実際に江戸時代に書かれた紀行文を渉猟することで、日の目を見ないままに埋もれている多くの作品の、紀行文としての価値を再評価する必要性を説く。
    そんな江戸時代からの紀行文の流れは、そのまま現代のブログなどで紹介されている多くの旅行記などにまっすぐつながっているのである。

  • 日本史 紀行文

  • 芭蕉の「奥の細道」以外にみるべきもが無いと言われていた江戸時代の紀行文を紹介。雅文と俗文、あるいは雅俗混交での紀行記は面白い。

  • 著者の現代語対訳併記で、内容を理解しやすい。

  • 新書でアタリ率が低い。
    妙に学術性にこだわり、楽しまそうという発想があまりない著者が多い気がする。
    これもその一つ。
    もちろん、このフィールドに詳しい人ならば楽しめるのだろうが。

    素人たる自分が期待していたのは江戸の紀行文のいいとこ取り。例えば江戸時代の雰囲気が活写されているシーンや、そこから紐解ける当時の旅事情や生活、学術的といってもせいぜい同じ場所でも時代や人によりこんなに違いがあるとかの視点があればよい。

    だが、ここでは江戸の紀行文という全体を概念化し、その発展を俯瞰するという、論文さながらの内容。
    もちろん、各作品から引用はされ、節々には面白いものも多いのだが、あくまで主は江戸時代の紀行文のありよう分析だから、鼻白む。
    唯一、概念的に面白かったのは、旅の捉え方の変化。
    江戸以前が「恐ろしく、非日常で、わびしいもの」
    江戸以降が「楽しく、面白く、役に立つもの」
    日常の地続きとして、やがて自分も行く可能性のあるものとして変化していったということ。
    だから歌に仮託することもなくなり、散文の時代になったのだろう。
    また、はかなさなり無常観といった仏教的価値観も、近世になると軽減していったのだろうな。
    いずれにせよ、当時を上手に想い出すには、原文にあたったほうがよっぽど良さそうだ。

    それと、この作者、悪い人ではないのだが、面白くなさそう。随所に入れられるエピソードが、寒く、時代遅れな感性をかもしている。

  • 旅という名の読みもの(フィクション)と、実用性(ノンフィクション)を帯びた紀行文。
    林羅山、古川古松軒、橘南谿、本居宣長など様々な個性を原文と訳と織り込んで、紀行文の楽しさを知ることができました。

  • S915.5-チユ-2093 300139524

  • 一見すると歴史的に見たとき、文学の中でも価値を見出し難い「紀行文」。
    しかし、この本を読むと一概に「紀行文」とされるものの多様性、そこに表れる作者たちのそれぞれ多様な表現が読み取れる。旅を記すことの意味とは。

  • それまでとはまた変わった形を取るようになった、江戸時代の紀行文。「おくのほそ道」だけではない江戸時代の紀行文の魅力を解説した本。実際に江戸時代の紀行文を読んでみたくなる。

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著者プロフィール

1946年生。福岡教育大学名誉教授。博士(文学)。著書に『江戸の紀行文』(中公新書)、『平家物語』(同上)、『江戸の女、いまの女』(葦書房)、『動物登場』(弦書房)、『私のために戦うな』(同上)など。

「2013年 『女流文学の潮流』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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