経済学の哲学 - 19世紀経済思想とラスキン (2011-09-25T00:00:00.000)

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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021311

作品紹介・あらすじ

経済と環境保護。分裂し、対立するかのような両者が折り合う思想は可能なのか。このきわめて現代的な問題は、すでに19世紀に提起されていた。産業革命が隆盛を誇るロンドンで、哲学者ラスキンが環境と弱者を犠牲にする経済学に怒りを感じ、新しい経済学の枠組みを構想したのだ。本書は、同時代の経済学者との格闘に光を当てながら、この先駆的な思想を辿る。ありうべき価値体系とは何か。よりよい社会への道を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 20190112 中央図書館
    「経済人」のように単一の尺度で最適化する要素をもとに構築される経済学に批判的な立場の思想家ラスキンについて。

  • (後で書きます。ベンサム・ミルとディープ・エコロジーを視野に収めるためのレンズとしてのラスキン。参考文献リストはないが、注、年表、索引あり)

  • 『経済学の哲学』というのは変わったタイトルだなと思ったら、どうも「経済学の哲学」(Philosophy of economics)という学問領域があるようです。これは、経済学における基礎的諸問題(存在論/認識論/方法論/価値論など)を扱い、科学哲学、政治哲学、知識社会学などにまたがる学際的分野だそうです。
    著者の伊藤邦武氏は、経済学者ではなく、龍谷大学文学部教授、京都大学名誉教授の哲学研究者です。「アメリカの哲学者の中で最も独創的且つ多才であり、そしてアメリカの最も偉大な論理学者」と言われ、プラグマティズムを創始したことで知られているパースを研究しています。この『経済学の哲学』は、単にラスキンの主張を概観するだけでなく、プラトンやクセノフォンから受け継がれたその思想的背景、彼の批判対象となったアダム・スミスやJ・S・ミルの人間観、プルーストやガンディーへの影響、更にガンディーからディープ・エコロジーへの思想的つながりなど、ラスキンを西洋思想の大きな流れの中に位置付けています。
    (*)ジョン・ラスキン(1819 - 1900年):19世紀のヴィクトリア時代を代表する評論家。美術評論から社会思想に至るまで、幅広く且つ膨大な著作を残した社会思想家で、同時に芸術家のパトロンでもあり、自身でも設計製図や水彩画をこなした。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。狂信的な福音主義者であった母から超英才教育をほどこされ、7歳で詩を書き始め、旧約・新訳聖書をほぼ暗記し、16歳前には科学論文を学術誌に投稿していた神童だったが、母のそうした偏狭な思想や教育に耐えられず、壮年になるに従って精神を病んでいった。21歳の時に65歳のターナーと会い、これを契機に、目指していた詩人から美術評論家に転身。抽象的な画風でしばしば批判されていたターナーを擁護し、その作品の価値を説き続けた。ラスキンは、美術評論から始まり、自然と風景に関する反省から社会思想家に転じた。アーツ・アンド・クラフト運動の主導者でもあったウィリアム・モリスの師であり、トルストイやプルースト、そして、ガンディーまでもがラスキンの著作からの影響を公言している。経済学については、人間を利己的存在として理論構成をしてきた従来の経済学を、恥知らずのエセ科学として批判し、経済社会を情愛によって営む道を探究した。ラスキンの思想は、その後の1906年イギリス労働党結成に大きな影響を与え、またトルストイやガンジーなどにも影響を与えた。

  • これまでの経済学にはなかなか取り上げられなかった、もしくは、軽んじられていたテーマを扱うことの大切さを教えている。

  • 個人的にはラスキンの経済学の考え方より、「ポリティカル・エコノミーの歴史」が興味深く読めた。元々オイコノミアは家政術のことであり、「ポリティカル」がつくことにより、家政としての「オイコノミア」が社会全体に適用されるならば、どうなるか、というのが今で言う「経済学」の発想であることを学んだ。

    ラスキンそれ自体は、あの「ユートピアだより」を書いたウィリアム・モリスの師匠であるのだが、彼の考え方自体、当時の経済学の潮流とは激しく異なる。彼はまず「人間」を主体に経済学の理を考える。彼は古代ギリシアの富の考え方を援用し、「自らのため」ではなく「共同体のため」の富を提唱した。これは古代ギリシアのクセノフォンやプラトン(これの発想は共産主義の端緒とみなすこともできる)の考え方とつうづる。

    とあれ、彼の考え方に至るには古代ギリシアからアダム・スミスまでの思想を統括し、彼らを「抽象度が高い空論」であるとし、ラスキン自身は「生の学問」であるとした。ただし当時はほとんど注目されなかった。この批判はマルクスにもいえるだろうし、古代ギリシアからの援用はサンデルもしている。批判をする人は、つねに抽象から実践への揺り戻しなのかもしれない。

  • 産業革命以降、環境は経済発展のための道具と見られてきた。
    その産業革命の起こったイギリスで、哲学者ラスキンが経済と環境保護を両立する思想を考えていた。

    エコノミックス(経済学)をポリティカル・エコノミー(社会の家政術)という原点に立ち返らせることで、経済発展か環境保護かという二者択一ではなく、両者が折り合う思想が可能になる。

    ような話だと思うのだけど、難しくてよくわからなかった。
    数年後に再読したい本です。

  • 経済と環境保護を両立させることは可能なのか? という命題に答えている哲学者がかつていた。それがラスキンという人物だ。とても興味深い内容だが、何しろ難しくて読みにくい。まだ最後まで読めていないのでちょっと頑張ってみます。(竹村俊介)

    ▼『ジセダイ』140文字レビューより
    http://ji-sedai.jp/special/140review/20111109.html

  • 釈然としない。
    カバー袖に「経済(エコノミー)と環境保護(エコロジー)。分裂し、対立するかのような両者が折り合う思想は可能なのか」と書いてあるが、少なくとも僕にはその糸口すらつかめなかった。

    ジョン・ラスキンという十九世紀のイギリスの哲学者(思想家、美術評論家)の思想を紹介することをメインとしているが、前ふりが長い。
    序章がラスキンの生涯。第一章がポリティカル・エコノミーの歴史(古代ギリシアから)。第二章でようやくラスキンの経済論がきて、第三章は何に価値を置くかという哲学の話へ。表題がクリティカルに示しているのは第二章、バックグラウンドとして含めてもプラス第一章くらいだろう。タイトル詐欺にあった気がしなくもない。

    ラスキンの思想は端的に言うならば「経済実利よりも『きれいな空気と水と大地』の中により重要な価値がある」。『きれいな〜』というのは単に自然ということではなくて、自然の中に含まれる神の真理、美の神髄ということらしい。分からなくもないが、どうにも背景にキリスト教の文化がありそうで理解がずれている気もする。

    新しい価値観とその根拠付け、という意味ではそれなりに面白かったが、話のスケールが大きすぎたし、大筋では目新しさを感じるものでもなかった。タイトルからこの本に求めていたものとは違った、という点で評価は低め。

    本文中で言及されていたプルーストの『失われた時を求めて』は読みたくなった。

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著者プロフィール

京都大学名誉教授

「2020年 『世界哲学史 全8巻+別巻セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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