- Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121022066
感想・レビュー・書評
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伊勢神宮の式年遷宮の年にあわせて発刊されたと思しき新書。図書館で気軽に手に取ったが意外と面白かった。
江戸時代のお伊勢参りを「おかげまいり」を中心に解説し、最後の章では、著者が学生たちと徒歩でのお伊勢参りを再現した様子(大学での毎年の恒例行事になり宝来講と称した)が描かれている。実はもっとも印象に残ったのは、お伊勢参り再現の旅でのエピソード。
けっこう苦心するのが道中での休憩場所(特にトイレ)。2回目の年に、行き当った長屋門のある民家で門の下を食事場所に使わせてもらえるよう頼んだ。そうしたら中に招き入れられて、味噌汁やゆで卵などのたいへんな歓待を受け、翌年以降も必ずその家で昼食をとり、ご接待を受けるようになった。10年以上それが続いた後、もう年をとって思うようなご接待ができないということで場所提供のお断りがあった。著者らは、ご接待は不要なのでトイレと軒下だけでも使わせてほしいと頼んだが、あくまでも固辞された。その後も毎年、通り過ぎる学生たちに声をかけたり、金一封まで渡してくれたりといった交流は続いた。ほんとうの「ご接待」とは何ぞやということに思いをいたすエピソードである(まったく同様の事例が他の集落でもあった)。うまく言葉にできないが、人をもてなすというのは、もてなす側の覚悟というか、そういう真剣勝負みたいなところがある。田舎や関西にその気風がまだ色濃いように思う。
本来の主要コンテンツである、江戸時代の旅に関する記述も面白かった。
・村々で「講」を組織して伊勢の御師と連携しながら、代参(代表者だけお参りする)を送り出したり、総参りに出かけたりしていた。
・お伊勢参りにでたついでに西国や信濃方面など方々を巡っていた。それらをまとめて「お伊勢参り」。2,3月に及ぶ旅になった。名所・旧跡を訪ねたり、名物を賞味したり、芝居見物をしたり、お土産を買い込んで別送したり、なんだか現代の旅よりよほど贅沢ですらある。ただ、駕籠や馬も所々使ったりするが、現代の基準からすると相当健脚でなければならない。
・家出同然に参宮に出てしまう事例が当たり前にあったようだ。もちろん批判もあったが、お伊勢様ゆえかなり大目に見られていたようだ。女子供や下層の人に多かったようだ。
・そうした突発的参宮が同時多発的に生じたのが「抜け参り」のちには「おかげまいり」。中でも大規模なのは江戸時代で5回発生した。突発的に大群衆が伊勢神宮に押しかけたという。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
伊勢つながりで読んでみました。伊勢参りの歴史と風俗を様々な史料によって紹介し、奈良大学から25年に亘って
実践したお伊勢参りの様子を活写するもの。面白い。 -
面白かったです。
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実験歴史学を提唱された鎌田先生の著者だけあって、近世における旅(道中)の具体的な様相が伺えます。
お伊勢参りについては、宝永のおかげ参り・明和のおかげ参り・文政のおかげ参りという60年間隔の3つのおかげ参りを画期に考察されており、明和の頃から「信仰」の旅から物見遊山の旅へと変化していったとされています。
また、奈良大学で行われていた「宝来講」での経験や出来事は、我々現代人が忘れてしまった多くのもの(旅人へ施行する心遣いetc)が詰まっているように感じました。 -
今日ほど豊富なレジャーもなくて、情報も圧倒的に少なく、一生のうちの移動範囲が限られた江戸の世、
庶民が楽しむレジャーとして、お伊勢参りが大流行したのは、御師を通じて勧誘や、街道筋の人々のおもてなし等、今でいうマーケティングの妙だったのかもしれない。
海外の人から見たら「巡礼の旅」だけど、メッカを目指して砂漠を歩く旅とはだいぶ性格が違うような
そして25年間続けたという学生の4泊5日のお伊勢参り。
コンクリート道を歩き続ける旅はかえって現代の方が不便な点も多かっただろうけど、「ほっこり」する人との出会いにあふれている。
この人情話だけ読んでも、江戸時代に庶民が旅路を楽しんだであろうことは想像に難くない。
そんな出会いですら、この25年で起きにくくなっているのかもしれないけど。
確かに旅の楽しみは大部分、出発地と目的地の間の「道中」にあったのだろうなあ。現代人なら誰でも道中も存分に楽しめる旅にいけるだけの長期の休みがほしくなる。
おかげ参り発生の構造がわからない。当時の世、ご神託でもなければ一時期に何百万人も伊勢へ向かって動き出すなんて。不思議。同時代に世界でこれほどの人口移動てあったのかな。 -
いやぁ。。。想定外に面白かったです。伊勢本街道を歩いてみたかったんです。暗峠を越えて榛原までは歩いたんですよ。何日かに分けて。もう一度チャレンジしようかなぁ。