〈辞書屋〉列伝 - 言葉に憑かれた人びと (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 100
レビュー : 13
  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022516

作品紹介・あらすじ

長期間に及ぶ地道な作業が要求される辞書の編纂、そこにはさまざまなドラマがあった。世界最大の『オックスフォード英語辞典』、日本初の国語辞典である『言海』、ヘブライ語を死語から甦らせた『ヘブライ語大辞典』、カタルーニャの地位向上をめざした『カタルーニャ語辞典』、メキシコの不毛の開拓地でやむにやまれず作られた『西日辞典』…。"辞書屋"たちの長く苦しい道のりを、自らも辞書屋である著者が活写。

感想・レビュー・書評

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  • カタイ本かと思いきや、語り口は読みやすく内容もおもしろかった。
    世に数多ある辞書、その中からオックスフォード辞典やヘブライ語、カタルーニャ語などを選んで、それを作った人を紹介している。どれもとにかく時間がかかっているところにまず驚く。何十年と・・・完成を見ずに亡くなった人もいるというから、まさに人生をかけての大事業だ。
    辞書がなければそのまま消えていたかもしれないヘブライ語などを、なんとか残そう、復活させようと尽力した人々の様子はドラマティック。同胞からの批判や無理解、資金繰りなどに苦しみながら・・・本当に、じんとくるものがある。
    辞書という存在が、言語の存続にまず必要だというのが、なんというか目からウロコだった。

  • 辞書にとりつかれた不思議なひとたちの評伝。中公新書なのに、くすくす笑って読めます。(2014年4月1日読了)

  • 辞書編纂という作業は、政治やアイデンティティと密接にかかわる営みである。[ http://booklog.jp/item/1/458283311X ]にも通じる視点。
    ・『オックスフォード英語辞典』ジェームズ・マレー。19世紀。当初は大学ではなく、the Philological Societyなる知識人クラブのプロジェクト。用例を集めるボランティア"reader"による編纂体制は現在のWikipediaを思わせる。最大の貢献をなしたマイナー博士は、入院中の精神病患者だった。1927年完成。
    ・『ヘブライ語大辞典』ベン・イェフダー(エリエゼル・パールマン)。失われた純粋ヘブライ語を再現しようとする試み。資金難を乗り越えた2番目の妻ヘムダの助力。第二次世界大戦中はニューヨーク公共図書館の一室で仕事をしたという。1958年刊行終了。
    ・『カタルーニャ語辞典』プンペウ・ファブラ、1932刊行。『カタルーニャ語・バレンシア語・バレアルス語辞典』アントニ・マリア・アルクベー、1962年刊行終了(戦争で中断していた)。スペイン内戦と独裁政権下での辞書編纂、有力者との接近や政治的な背景。戦闘的なアルクべーとその弟子モイ、温和で人望のあるファブラ。
    ・『言海』大槻文彦。語源を調べる苦労。「じ」「ぢ」の仮名遣いを決定するため土佐の人に話を聴いたという。1875年に国語辞典の編纂を命じられ、1888年文部省から出版の許可、1891年刊行終了。
    ・『アメリカ英語辞典』ウェブスター、『和英語林集成』ヘボン。プロテスタント的倫理観や聖書に強く基づく編纂方針のウェブスター。1867年『和英~』刊行、横書きは当時画期的だった。
    ・『西日辞典』照井亮次郎と村井二郎、1925年。メキシコへ移民した日本人がスペイン語を学ぶために作られた。底本は神戸市立中央図書館蔵。
    ・『スペイン語用法辞典』マリア・モリネール、1966年。司書であり主婦でもあった人物。

  • 映画化もされた小説『舟を編む』(未読)で辞書編纂という仕事が
    注目された。世に数多ある辞典・辞書。その裏には「言葉」と
    いう魔物と格闘した多くの人がいた。

    自らも『カタルーニャ語辞典』を編纂した著者が、辞書編纂者たち
    を「辞書屋」と呼び、その人物像と仕事を追ったのが本書である。

    オックスフォード英語辞典のボランティアのひとりに犯罪者であり
    精神に異常を来していた人物がいたのは結構有名な話。これだけ
    で『博士と狂人』なる作品が出ているものね。

    神の言葉であったヘブライ語を庶民の言葉にしようする為に奮闘
    したベン・イェフダー。『アメリカ英語辞典』のノア・ウェブスターや
    『言海』の大槻文彦などもそれぞれに評伝がある。

    本書の中で最も興味を惹かれたのは『西日辞典』の照井亮次郎
    と村井二郎だ。移民としてメキシコへ渡り、調査団の報告とは
    まったく違う悪条件の土地で言葉も分からず辛酸を舐めた人々
    の経験から生まれた辞書なんだね。

    そして、話し言葉はあったが書き言葉がなかったカタルーニャ語の
    辞典編纂の話。カタルーニャ語のように書き言葉がない言葉って
    世界にはまだあるんだろうね。書き言葉を一から構築するって
    大変な作業だろうな。

    以前、辞書編纂者の方と話す機会があった。多くの時間をかけた
    辞書もいざ出来上がってみると、早速直したい箇所が出て来る
    とか。

    言葉は時代と共に変化する。辞書編纂の仕事には本当の終わり
    というものはないのかもしれない。

    著者がカタルーニャ語の辞書編纂者だから仕方ないのかもしれない
    が、少々スペイン関連に偏り過ぎかな。最終章で自身の編纂経験を
    記すのなら、少し系列違いの言語の辞書編纂者を取り上げて欲し
    かったな。その点が少々残念だ。

  • 自分の中で“辞書本”不動の第1位は高田宏『言葉の海へ』、第2位は『舟を編む』なんだけど、第3位に急浮上してきたのが本書。
    ちょっと時系列がわかりにくい文章もありますが、一人ひとりの“辞書屋”のエピソードが面白くて、あっという間に読んでしまいました。
    ただの字引としての辞書ではなく、国家や民族の証としての辞書を、使命感をもって作り上げていく“辞書屋”たちがなんと魅力的なことか。
    『ヘブライ語大辞典』と『スペイン語用法辞典』の話が特にお気に入り。これ、誰かがもっと長い小説に仕立て上げてくれたら面白いと思うんだけどなぁ。

  • 新幹線の中で一気読み。三浦しをん「舟を編む」で興味を持った辞書編纂の世界を事実に基づいて紹介。文章が流麗で読みやすく、小説を読んでいるように次々に逸話が紹介される。辞書は文化だと感じ入る。面白い。星6つ!

  • 6月新着

  • 田澤さんは大学を出た後、東京銀行に入り、そこからバルセロナに留学させてもらう。しかし、そこでの言語はスペイン語ではなくカタルーニャ語で、この言語体験によって田澤さんは言語に対する興味を覚える。バルセロナで研修、仕事を含め3年過ごしたあと、勉学の夢さめやらず大阪外大に進み、カタルーニャ語についての修士論文を書き上げた。卒業後、長崎の短大、関西の外大に就職した。だが、その二つの大学では留学ができないと悟ると、奥さんの後押しもあってバルセロナ大学へ学位をとるために留学するのである。このときもスペイン政府の留学給付試験に通り、さらに、バルセロナ大学日本語講座の初代講師をいう職まで得るのである。どこまでも運の強い人である。そこでかれは辞書学というものを知り、カタルーニャ語と日本語の二言語辞書について博論を書きあげる。そんな田澤さんだから、本書もスペイン語、カタルーニャ語の辞書を編んだ人の伝記が中心となるのだが、OED、ウエブスター、『言海』、『英和対訳袖珍辞書』などは特に新しいものを感じられない。とりわけ、『袖珍』の編者堀達之助の記述は吉村昭の『黒船』をそのままもってきたかのような書きぶりである。しかも、この辞書の編纂過程の研究は吉村昭が『黒船』(1991)を書いたときから随分進歩しているのに、吉村段階で終わっている。日本語学の櫻井豪人の論考、少なくとも堀孝彦『開国と英和辞書 -評伝・堀達之助』(港の人)には目を通していないといけない。どこかの新聞の書評でも述べていたが、そもそも、ぼくはこのタイトルの<辞書屋>という呼び方にひっかかる。実は、一年ほど前、ぼくは『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』という本の書評もこの欄で書いていて、そのときはほとんど抵抗を感じなかったのだが、この本にはひっかかる。田澤さん自身が、「辞書というものは理論だけではできない。極論すれば辞書に大した理論などいらない」というのは辞書編纂者に対する冒涜、侮蔑ではないか。田澤さんからすれば、辞書屋は職人芸であるといいたいのだろう。しかし、辞書についてはそれを使うのはふさわしくない。ここで列伝を立てられている人たちも辞書屋と呼ばれてあの世でよろこんでいるだろうか。

  • どんなものにも歴史という物語があって、それを知ることはとても楽しい。久しく辞書を読むということをしていなかったけれど、頁をめくってみようかと思わせられた。

  • 私は辞書が好きです。とくに漢字関係の辞書。『大漢和辞典』を先頭に、各種漢和辞典、語源辞典など漢字関係の辞書だけで10種類以上持っています。白川静先生の『字通』の普及版も今度出版されるみたいですので、買えればなと思っています。
    さて、本書ですが、著者自身も『カタルーニャ語辞典』を書き上げた一人であり、辞書編集の酸いも甘いも知っている方による古今東西の辞書屋と辞書にまつわる話が書かれてあり、辞書好きにはたまらない一冊です。
    さて、まず「辞書屋」という言葉ですが、氏は英語の“lexicography”(辞書編纂(法)、辞書学)および“lexicographer”(辞書編纂者、辞書学者)という言葉に強い疑問があるとします。曰く「辞書は道具であり、それを作る作業を「学」、それを作る者を「学者」とは呼べない」(まえがきより)とします。では、「職人」はどうかというと、「学者」よりもこちらの方が近いが、辞書は「売れなければならない」から、偏屈な「職人」であると同時に如才ない「商人」でなければならない。だからこそ「辞書屋」の語をあてたとしています。
    本書で扱っている辞書と辞書屋は
    ・OED(『オックスフォード英語辞典』)とジェームズ・マレー
    ・『ヘブライ語大辞典』とベン・イェフェダー
    ・『カタルーニャ辞典』のプンペウ・ファブラ
    ・『カタルーニャ語・バレンシア語・バレアルス語辞典』とアントニ・マリア・アルクベー
    ・『言海』と大槻文彦
    ・『アメリカ英語辞典』とノア・ウェブスター
    ・『和英語林集成』とヘボン
    ・『西日辞典』と照井亮次郎・村井次郎
    ・『スペイン語用法辞典』とマリア・モリネール
    ・そしてカタルーニャに関する数冊の辞書と著者自身
    となっています。
    それにしても副題の「言葉に憑かれた人びと」とは言い得て妙、辞書という一部の人以外にとっては無味乾燥なもの(近年ではテレビ番組「ジャポニカロゴス」でたびたび取り上げられていた『新明解国語辞典』みたいに面白い用例をつけるのもありますが)を何年も、ものによっては十何年も一字一字カードを作って、並べて、取捨選択して、追加して・・・と、本当に「とりつかれ」でもしない限りできません。そんな変態(失敬)もとい辞書屋たちの辞書に懸ける粘着質(失敬)熱い思いが行間に伝わってきます。移民先で生死に関わる、開国して異文化圏の人と交流する、自分たちのアイデンティティを確立する等々、辞書というのは必要に迫られて編纂されるものであり、また完成したものはその言葉を母語とする人やその言語を学ぼうとする人のみならず、人類の宝です。現在世界には6000~7000の言語があり、その中で約2500の言葉が消滅の危機に瀕しているということです。しかし例えば『ヘブライ語大辞典』を編纂したベン・イェフェダーの業績ように、一度死語となったものが辞書を編集することで母語となったこともあります。辞書の持つ力、存在意義ははかりしれません。ただ、辞書の編集とは「言葉の標準化」といえるかもしれません。それぞれの言葉の持つ多様性が「辞書からこぼれ落ちる」ことで失う危険性もあります。しかし、その危険性を補ってあまりある恩恵がそこにはあります。「言葉に憑かれ」、言葉に一生をかけた人びとの熱いドラマをぜひ読んでみてください。久しぶりに時を忘れて読んでしまう本に出会いました。
    備忘録
    ・「方言学に関心を持つようになっていたマレー(OEDの編集者)はアレグザンダー・メルビル・ベル教授の音声学夏季講座に参加した。教授はずばぬけて優秀なマレーに目をかけ、家に招待したりした。ある日、教授の一番下の息子、十歳ぐらいのグラハムがマレーに自分は電気に興味があるのだと言った。それを聞いたマレーは簡単な電池を作ってやった。(略)グラハムは、マレーの二回目の結婚式で介添人を務めるほど親しい友人となった。この男の子は後の電話の発明者グラハム・ベルである。」(14頁)
    ・『言海』の著者大槻文彦の言葉「一国の国語は、外に対しては、一民族であることを証明し、内に対しては、国民に一体感を持たせるものである。したがって国語の統一は、独立の基礎であり、独立国の標識である。」(110頁)
    ・(「ヘボン式ローマ字」を発明した)ヘボンは実は、「ヘップバーン」という苗字を、江戸・明治の日本人が耳で聞いたままを書き写したもの。(161頁)
    ・1862年の生麦事件で斬りつけられたイギリス人の治療をしたのはヘボン。(164頁)
    ・日本語を分析していたヘボンは、「~(で)しょう」という語尾が、未来形であるということを発見して大喜びした。(166頁)
    ・日本にはじめて石鹸を広めたのもヘボン(167頁)
    ・「訓令式」と「ヘボン式」のローマ字表記の違い
    「訓令式」sa si su se so, ta ti tu te to, ha hi fu he ho
    「ヘボン式」sa shi su se so ta chi tsu te to, ha hi fu he ho
    ・明治時代、メキシコに移民した日本人が、スペイン語で「牝牛」を意味する「バカ」(vaca)という語を聞いて、自分が馬鹿にされたと思い込んで、言ったメキシコ人を殴りつけて騒ぎになったこともあった。また、銃で撃ち殺されそうになって這う這うの体で逃げ帰った者の話を聞いてみると、遊女に声を掛けられたので誘いにのってその家に行ってみると、いきなり家族に銃を向けられたというのだ。真相は、その女性がその移民のシャツを引っ張って「ブランコ、ブランコ、一ペソ、一ペソ」と言ったのを誘いだと勘違いしたのだった。「ブランコ」とは「白い」、女性は一ペソでそのシャツを洗って白くしてやると言っていたのである。」(192頁)
    ・シエラ・ネバダ=「雪を頂いた山々」という意味

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