ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書 2257)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022578

作品紹介・あらすじ

『全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレント(1906‐75)。未曽有の破局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人としての出自、ハイデガーとの出会いとヤスパースによる薫陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争-。幾多のドラマに彩られた生涯と、強靱でラディカルな思考の軌跡を、繊細な筆致によって克明に描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 20世紀を代表する政治哲学者でハンナ・アーレント(1906-1975)の生涯と思索をコンパクトにまとめた入門書。



    アーレントの生涯の主だった出来事をごく簡単にまとめてみる。

    1906年、ドイツで誕生。知的で裕福なユダヤ人家庭で育ったケーニヒスベルクでの少女時代。マールブルクのハイデガー、ハイデルベルクのヤスパースに師事した学生時代。反ユダヤ主義を掲げるナチスが権力を握ったためパリへ亡命。シオニストの社会活動家として働きながらベンヤミンをはじめとする知識人と交流したパリ時代。第2次大戦勃発によりフランス政府から「ドイツ人=敵性外国人」とみなされ収容所へ監禁、翌年ドイツによるパリ占領の混乱の中で脱走、ニューヨークへ亡命。『全体主義の起原』(1951)『人間の条件』(1958)を執筆、アメリカの大学で教え始める。レッシング賞受賞(1959)。アイヒマン裁判を傍聴し『イェルサレムのアイヒマン』(1963)を執筆、論争を呼ぶ。1975年、ニューヨークで死去。

    20世紀の歴史が「ユダヤ人女性」アーレントに課した「出来事」の数々に改めて驚かされる。書斎での静かな学術研究に沈潜する「観照」的生活など許されず、政治的で論争的たらざるを得ない生涯であったが、時代と格闘し続けた「実践」的知識人であったと言える。印象的なのは、パリでのベンヤミンや、サンフランシスコでのエリック・ホッファーなど、さまざまな知識人との交流の事実である。ベンヤミンとは亡命先のパリで出会い、文学、哲学、政治を語り合うなど互いに親しい友人となる。その後、収容所から脱走したアーレントがニューヨークへ亡命しようとする直前、偶然ベンヤミンと再会するが、彼女とともに出国できなかったベンヤミンは徒歩でピレネー山脈の国境を越えようとするも果せず、自殺することになる。



    このように「実践」的たらざるを得なかったアーレントは、その人間観においても、決して観念論や世界観や形而上学といった体系的理論で以て個々に多様な人間存在を抽象化し自らの理論の歯車に貶めることをしなかった。

    「理論がどれほど抽象的に聞こえようと、議論がどれほど首尾一貫したものに見えようと、そうした言葉の背後には、われわれが言わなければならないことの意味が詰まった事件や物語がある」(p216)。

    あくまで現実の世界に根差した存在として人間を捉えること。そうした姿勢は、「私たちが行っていることを考えること」を企てた代表作『人間の条件』における人間の実践の三類型にも表れているように思う。『人間の条件』では、地球上の現実的な存在としての人間に課されている諸条件に対応して人間の実践を分類し、その歴史的変遷を跡付けることで、現代世界を根底的に批判しようと試みた。

    【労働 labor】は、人間存在の自然性という条件に対応する実践である。生理的存在として自らの生命を維持し拡大させようとする実践がここに含まれる。【仕事 work】は、人間存在の反自然性という条件に対応する実践である。人間は決して動物のように自然に埋没してしまっているのではなくて、生物学的に条件づけられた自己の自然性を超越して永続的な人工的世界を作り出そうとするのであり、技術、学術、芸術などの実践がここに含まれる。それゆえ、アーレントは【仕事】の人間的条件を「世界性 worldliness」と呼ぶ。【活動 action】は、人間存在の複数性という条件に対応する実践である。地球上において人間は決して単独で存在しているのではなくて、多様な他者との関係のうちにある。人間であるという点では同一でありながら個々人は決して同一性では括れない複数的な他者との関係において、言葉と身体を通して自己の存在を表わしめ以て自分が何者であるかを示そうとする(それは世界にとっては予測不可能な「はじまり」となる)、そのような政治的な実践がここに含まれる。

    「アーレントにとって政治は支配・被支配関係ではなく、対等な人間の複数性を保証すべきものであった」が、【労働】や【仕事】が支配的となるにつれて、「「誰であるか」を示す活動、そして予測不可能な「始まり」の要素は脱落していったのである」(p147)。

    そして、全体主義を批判するアーレントが最も根本的な足場としたのが、複数性という人間の在りようである。全体主義とは、人間の固有性、自発性、偶然性、予測不可能性、則ち複数性を否定しようとする暴力として特徴付けられる。アーレントは「全体主義は政治の消滅である」(p114)と喝破した。全体主義はイデオロギーとテロルという手段を用いて政治の消滅を遂行しようとする。イデオロギーは、世界全体を単一の体系によって説明しようとすることで、その世界を実際に構成している個別具体的な諸人間存在の複数性、他者性を、当の人々の思考から抹消しようとする。テロルは、個々の諸人間が具体的に作り出した他者との関係を、物理的に破壊する。

    単一のものの見方に塗り潰されて人間の複数性を否定する事態は、まさに思考停止の状態であるといえる。逆に言えば、思考が運動し続けるためには、自己とは異なる他者が存在しているということが必要条件となる。人間が現実をリアリティをもって経験できるのは「私たちが見るものを、やはり同じように見、私たちが聞くものを、やはり同じように聞く他人が存在するおかげ」(p148)であるというアーレントの指摘は意義深い。

    他者と個別具体的な関係を結びながら、同時に集団において自己と他者のそれぞれの前提条件たる複数性を抹消してしまわないこと。複数性という過剰を鬱陶しがらせようとする虚偽意識に傾かないこと。現代人の多くは、複数性を孤立と取り違えてしまっているがゆえに、いっそう「全体」へと糾合されやすい傾向にあるのかもしれない。複数性の否定は、個人による経験の無意味化につながる。個々の経験が現実に根を下ろした意味をもち得なくなると、諸個人は孤立化する。孤立化した人間が、経験の意味も他者との関係も回復されないまま、人間の顔をなくした匿名多数という「全体」へと束ねられていく。そしてこの「全体」が個人的な倫理とは全く別の論理で運動してしまうがゆえに、未曾有の悲劇を惹き起こした。「全体」化に対する異物としての複数性を手放さないこと。その異物性が世界にとっての「はじまり」と呼ばれているのではないか。

    「私たちは考えることや発言し行為することによって、自動的あるいは必然的に進んでいるかのような歴史のプロセスを中断することができる。そこで新たにはじめることができる。アーレントにとってその「はじまり」の有無こそは、人間の尊厳にかかわっていた」(p225-226)。

  • 2013年に日本で公開された映画『ハンナ・アーレント』は、戦後にアメリカでも名声を確立していたアーレントがアイヒマン裁判に挑むという時代設定であったが、これを読むとそれまでの彼女にどういう経歴があってあの裁判にたどり着いたかのかということが理解できるだろう。
    映画を観てアーレントに興味を持った人が『全体主義の起源』や『人間の条件』などの原典を紐解く前に、取っ掛かりとして読むのにちょうどいい入門書。
    この本ではアーレントの生い立ちから、ハイデガーやフッサール、ベンヤミンとの出会い、ドイツを追われた後のフランスの収容所生活、そこからアメリカへ亡命、無国籍なユダヤ人という賤民の認識(←ここ注目)、ハンナは母語のドイツ語以外はギリシャ語、ラテン語、フランス語ができてもなんと英語はできず(!)に渡米してしまうのだが、語学をいちから学び、アメリカ国籍を取得、大学教授の職を得て、アイヒマン裁判への傍聴に向かうという一連の流れが伝記のように語られる。
    悪をやみくもに糾弾するという正義は、またその行為も偽善と差別を生むことに気がつく彼女の冷静な判断。アメリカに亡命した際のユダヤ人同士における批判、アイヒマン裁判、リトルロック高校事件、アーレントには一貫した視点があることに気付かされる。これを機に、彼女の一覧の著作に興味を持つ足がかりとなるであろう一冊。
    終章、彼女のフッサールへの追悼の言葉にも心動かされる。友人を大切にしたアーレントを取り巻く人々に関する情報も多く、文章も読みやすい良本。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      先日、お話を聴きに行って。矢野久美子はアーレント研究者では古参になるそうです。
      それは兎も角。巧く纏めてありますよね。
      先日、お話を聴きに行って。矢野久美子はアーレント研究者では古参になるそうです。
      それは兎も角。巧く纏めてありますよね。
      2014/07/28
    • のん太さん
      猫丸さん、コメントありがとうございます。情報量が多い割に流れがよく、内容もこなれていて読みやすく仕上がっている良い本だと思います。
      猫丸さん、コメントありがとうございます。情報量が多い割に流れがよく、内容もこなれていて読みやすく仕上がっている良い本だと思います。
      2014/08/06
  • 本書は20世紀の哲学者アーレントの生涯と彼女の思想についてまとめたものになります。アーレントといえば「全体主義の起源」「人間の条件」などの著作が有名ですが、本書を通じて、彼女の原体験的なものの理解が深まり、思想の背景にあるものが何なのかなどとても考えさせられました。新書なのであっという間に読めるかと思っていましたが思いのほか時間がかかりました。その理由は2つあります。1つ目はアーレントの思想が独特に感じる箇所があって、理解に時間がかかる点。2つ目は、理解できた後に、「なんて深い洞察なんだろう」と感銘を受けて、自分自身の「思考」プロセスが開始されてしまうことです。この2つ目がすごく重要だと思うのですが、アーレントほど自身の思考プロセス、つまり自分と自分自身の間の対話のスイッチをオンにしてくれる人はいない気がします。そしてこれは彼女が望んでいることなのだと思います。思考すること、そしてその思考したことを自分の心の中に閉じ込めるのではなく、他者に投げかけることで「世界」とも関わることこそがアーレントの望んだ人間のあるべき姿だと思います。本書はアーレント初学者でも読めるように配慮されて書かれているとは思いますが、やはり最低1冊くらいは作品を読んでから、本書を通じてアーレントの人物像を学ぶとより得るものが多いのではないかと感じました。おすすめです。

  • 人間の行動や価値観は環境によって定義される、ということを強く感じたきっかけが、アイヒマン裁判、そしてハンナ・アーレントという人の存在だった。

    何となく知ってはいたものの、彼女自身の人生や、思想そのものについてきちんと触れたことが無かったので、この本を読んでみた。

    哲学的、抽象的な表現も多く、また哲学者や思想家の知識に乏しいので、理解しきれていない部分もあるけど、自分の頭で考えることの大切さと、考えずに思考停止してしまうことの恐ろしさを改めて学ばせてもらった。

    「『物の周りに集まった人々が、自分達は同一のものをまったく多様に見ているということを知っている場合にのみ』世界のリアリティは現れる」という一文がとても印象に残っている。今でいうダイバーシティの文脈の話だけど、ここが崩れるといわゆる独裁政治や全体主義の方向に進んでしまうのかもしれない。


    本筋ではないけど、労働と仕事と活動の話も面白かった。
    日々の生活の営みの中で行われる労働(後には何も残らない)と、作品や製品など成果物を生み出す仕事、そして人と人の間で行われる共同としての活動。どれが良い悪いではなく、このバランスをうまく保ちながら生きていけたらいいなぁと思った。

  • 気になる著者、著書があると、入門書とか、ガイドブックみたいなのに頼らず、まずは原著(もちろん翻訳のね)を読む。分かろうが、分かるまいが、とりあえず1〜2冊読んで、自分なりに理解した感じをもって、ちょっと「入門」を読んでみる、というのが、自分の読書スタイルかな?

    本はそれ自体が一つの世界で、「人とその思想」みたいに読むのではなくて、テクストとして何が書かれているのか、ということにフォーカスすべし、みたいな考えも結構染み付いている。

    ということで、アーレントも、そのパターンで、原著と悪戦苦闘中。

    一応、最後までたどり着いたのは、「暴力について」「イェルサレムのアイヒマン」で、主著(?)の「活動的生」と「革命について」は、半分くらいで、先に進めなくなっている。「全体主義の起源」にいたっては、最初の20ページくらいで挫折。

    ものすごく難しいという感じでもなくて、一行一行は読めるし、パラグラフもいくつかは読める。読めるだけではなくて、かなり共感を感じる。もしかしたら、この人は、わたしが疑問に思っている問いへの答えをもっているのではないか?と期待を感じる。

    が、ページを繰っているうちに、だんだん話しが分からなくなってしまう。

    結局、結論はなんなの?
    どこに行こうとしているの?
    みたいな感じ。

    というなか、行き詰まりを解消すべく、分かり易そうなこの新書を手にしてみる。

    まさに「人とその思考」というより、「人」にかなりフォーカスした本で、すごく読みやすいですね。

    これを読むと、アーレントの思想は、かなり彼女の人生に起きたことを知らずしては理解できないものだったんだという気がしてくる。

    というのは、わたし的には「邪道」なんだけど、アーレントについては、著書で完結する人ではない。むしろ、彼女の人生そのものが、彼女の作品だったのだ、という気がしてきた。

    と言っても、彼女は行動の人ではなくて、思考の人。

    でも、その思考というのが、抽象論、演繹法ではなくて、具体的な経験から、自前のツールをその場その場で作りながら、行きつ戻りつ、考える感じなんだよね。そして、その思考は、具体的な言動と一致している。しばしば、かなり過剰な感じで。。。

    という人なので、彼女の本を読んで、すっきり理解ができる、ということにもともとならないということが分かった感じ。

    彼女の場合、書簡集も結構膨大なものがあるのだが、もしかすると、彼女の人生という作品、つまり彼女がリアルに他者との関係を大切にしながら生きたというのは、そこに残されているのかも、とか思い始めた。

    う〜ん、どこまで読めばいいのかな?

    と悩むほど、アーレントを魅力的に感じた。

  •  図書館より

     ハンナ・アーレントはユダヤ人の政治哲学者さん。この本では彼女の生涯と代表的な著作『全体主義の起源』や『人間の条件』などの要約なども書かれています。

     ハンナ・アーレントについては映画を通して初めて知ったのですが、その人生は思っていた以上にドラマチックでした。
    師匠であるハイデガーとの恋愛や、ナチスによる逮捕、そしてアメリカへの亡命、徐々に実績を認められつつも、ユダヤ人虐殺に携わったドイツの高官をめぐる「アイヒマン論争」で友人の多くと絶縁状態となり…

     映画ではアイヒマン論争に的を絞って描かれていましたが、それは本当に正解だったと思います。彼女の人生全部取り上げようと思えば、ものすごく薄味の映画になっていたと思います。

     彼女の思考や哲学の根底にあったのは自身が「ユダヤ人」であったことなのかな、と本を読み終えて思いました。

     長い迫害の歴史で、帰属するべき共同体もない、そしてナチスによる虐殺、そうした中でアーレントは迫害された民族としてのユダヤ人を冷徹に、客観的に直視し、そしてユダヤ人虐殺を許した全体主義も感情的にならず見つめました。

     人と人の多様性から生まれる公共性(リアリティ)をアーレントは重要視します。そして「思考の動き」ためには他の人の思考の存在、つまり対話や論争の際、一つの立脚点に固執しない柔軟性が必要と説きます。

     それと対極なものとして大衆ヒステリーなどで、思考に動きが無くなってしまうことを思考の欠如と説き、それは私的で主観的なものと捉えました。

     そして公共的なものがなくなり、人々が孤立した時、人間は大きなイデオロギー、つまり全体主義に組み込まれるとしました。

     パリのテロ後、地元のイスラム教徒が迫害を受けるニュースや、パリの移民がISに魅力を感じる理由などが取り上げられた報道を見ました。そういうのを見ていると、思考の欠如がパリ市民の一部がイスラム教を見境なく憎む、というイデオロギーに、
    また現状に不満を持つ移民層がISのイデオロギーに取り込まれる様子も、彼女の哲学が今も生きていることを証明してしまっているように思います。

     しかしこの哲学が正しいなら、そうした思考の欠如を避けるためには、公共性を取り戻すこと、つまり他者との対話、そして多様性を認めることしかないということもきっと正しいはず!

     また報道の話ですが、イスラム教徒の男性がパリの広場で目隠しをして立っている姿が話題を呼んでいるそうです。
    この男性は「私はあなたたちを信頼しています。あなたも私を信頼してくれるなら、私にハグをしてください」というメッセージの書かれた紙を足元に置いています。
    そしてパリの人々は彼にハグをしていくのです。

     思考の欠如を避けるためには、こうしたお互いの歩み寄りが何よりの武器になるということだと思います。

     こんな時代だからこそ、全体主義の罠に陥らないためにきっと彼女の哲学は役に立つはずだと思います。

     少し前アーレントの『人間の条件』を読もうと思って挫折してしまった自分にとって、この本はありがたかったです。いつか再挑戦したいなあ。

  • ホロコーストに関して、あれこれと読む中で、ハンナ・アーレントという名前に幾度か遭遇し、いつかきちんと読もうと思っていた。先日、機会があって、『イェルサレムのアイヒマン』を読んだ。感銘を受ける一方、いまひとつ読みこなせた自信が持てず、もう少し、アーレント関連の本を読んでみたいと思っていたところ、よい評伝が出ていると聞き、手に取ってみたのが本書である。
    アーレントに興味があって何か読みたいという方は、まずこちらを読む方が適当かもしれない。

    アーレントの生涯とその思想の道筋がコンパクトかつ明晰にまとめられた1冊。
    門外漢にもわかりやすい言葉で、アーレントの思索へと読者を導く。客観的事実に内面への考察を加えたほどよい距離感は、おそらくは、著者がアーレントに向ける冷静な敬愛の賜物だろう。

    アーレントは、ドイツ中産階級のユダヤ人の両親の元に生を受けている。ユダヤ教信徒ではなかったがユダヤ人である自覚をなくしたことはなく、一方で、社交的な母の元、さまざまな宗教的・文化的背景の人々とも触れ合った。シナゴーグにもキリスト教の日曜学校にも接点を持ち、進歩的な考えの人々とのつながりもあった。
    思索に耽り、詩を愛する少女は、長じて、哲学を学ぶことを決意する。
    マールブルグ大学に入学したアーレントは、時の人・ハイデガーの「ミューズ」となる。不倫関係は長くは続かず、アーレントはハイデルベルク大学に移る。ハイデガーは、後に一時、親ナチスの立場を取っている。アーレントはハイデガーが誠実さに欠けることは知りつつ、その思想・哲学には惹かれ続けたようである。
    ハイデルベルグ大学で博士論文の指導を受けたヤスパースとは、生涯に渡る師弟関係を結んでいる。同時期、シオニスト指導者のブルーメンフェルトとも出会い、父のような存在として深い交流を持つ。

    ナチスが台頭する中、アーレントはヨーロッパ各地を転々とし、一時期、フランスで収容所生活を送る。辛くもそこを抜け出し、苦労の末に難民としてアメリカに渡る。混乱の中で、親しい人々の中にも、絶滅収容所に送られるもの、絶望して自ら命を絶つものがあった。

    アメリカに噂として伝わってきた大量殺戮は、身を以てナチスの危険を知っていたはずのアーレントたちユダヤ系難民にすら、衝撃的な事実だった。
    人間を大量に殺すために作られたシステム。
    それは1つの民族が嫌われることに止まらない、理解を越えた絶望的な事件だった。アーレントはしかし、それを理解するため、考え続けていくのである。
    思考し、理解しようとし続けることで「世界」と向き合い、対話するために。

    ユダヤ人であってもユダヤ教徒ではなく、生まれ故郷を追われるように去り、どこにも確固たる根がない。アーレントはどの集団にも属そうとはしなかった。友人は大切な存在だったが、それは個人としての結びつきであった。
    「アイヒマン裁判」を傍聴した報告書である『イェルサレムのアイヒマン』は大きな反響を呼び、同時に、激しい非難を浴びた。ユダヤ人自身の責任を問う問題提起に対する反感は特に高く、アーレントは多くのユダヤ人友人を失う。
    アーレントの視線は「どこにも属さないもの」の視線であり、その馴れ合いを排した客観性は、場合によっては「冷たい」と捉えられかねないものだっただろう。
    特にホロコーストのような出来事の中で、「被害者」側に対する批判が激しい拒絶反応を引き起こしたのは、ある意味、無理のないことに思われる。
    だが、アーレントは一方でそれに傷つきながらも、屈することはなかった。

    アーレントは思索は1人でするものだと言っている。一方で、世界とのつながりを絶つことはしていない。それは思索のための思索ではなく、世界を理解するための思索だからである。ときには人と交わりつつ、ときには1人思索を深める。そうすることにより、世界のリアリティと向き合い続ける。その姿勢は思索を職業とするのではないすべての人々に必要なものだとアーレントは説く。

    アーレントが魅力的であるのは、アーレントの思考に触れることで、自分の思考もまた動き出し、深まりを持とうとするためなのだろう。渦巻きを作り出す最初の力、結晶の核となる最初の粒。そうした原動力がこの人の中にはあるのだと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「世界を理解するための思索」
      体験の有無は別として、どうしたら、そんな風になれるのか?やっぱり判らない(この本は積読中ですが、次の土曜に話...
      「世界を理解するための思索」
      体験の有無は別として、どうしたら、そんな風になれるのか?やっぱり判らない(この本は積読中ですが、次の土曜に話を聴きに行くので、それまでに読もうと思っている)。。。
      2014/05/26
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      訂正「次の土曜」じゃなくて6/7でした。
      http://www.msz.co.jp/event/arendt_yano_201406/
      訂正「次の土曜」じゃなくて6/7でした。
      http://www.msz.co.jp/event/arendt_yano_201406/
      2014/05/26
    • ぽんきちさん
      nyancomaruさん
      コメントありがとうございます。
      講演などもいろいろあるのですね。
      私も少し時間をおいて、他の本も読んでみたい...
      nyancomaruさん
      コメントありがとうございます。
      講演などもいろいろあるのですね。
      私も少し時間をおいて、他の本も読んでみたいなぁ・・・と思っています。『ユダヤ論集』や書簡集あたりかなぁ・・・。
      2014/05/26
  • この本を読むと、アーレントの眼差しに触れることができる。アーレントと知らない街角ですれ違ったような気分になれるので、ほとんどの思考する人はアーレントの著作へと誘われる。

  • 『全体主義の起源』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレントの生涯と思想をたどる。
    ハンナ・アーレントってどんな人物かと聞かれて、答えられなかったので、読んでみた。
    よくまとまっており、ハンナ・アーレントについてざっとは理解できた。ハンナ・アーレントの社会、人間に対する洞察力はすごいと感じた。

  • 映画『ハンナアーレント』を観て、もっと知りたいと思い、読んでみたら思いの外難しかった。もともと映画で歴史的背景は知っていたから、気楽に読めると思っていたら、そうでもなかった。それだけハンナアーレントの思想・哲学は独特なものなのかもしれない。

    quote:
    「思考」とは自分自身との内的対話であり、過去と未来のあいだに生きる人間が時間の中に裂け目を入れる「はじまり」である。

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著者プロフィール

(やの・くみこ)
1964年に生まれる。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。現在 フェリス女学院大学教授。著書『ハンナ・アーレント——「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書)、訳書『アーレント政治思想集成』全2巻(共訳)、アーレント『反ユダヤ主義——ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争——ユダヤ論集 2』(共訳)、ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』『ハンナ・アーレント——〈世界への愛〉の物語』(共訳、以上みすず書房)他。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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