- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121022615
作品紹介・あらすじ
「天地創造」をはじめとして、旧約聖書に描かれた物語は現在、その多くが神話と見なされている。だが、他方で「バビロン捕囚」のように、世界史の教科書で史実として扱われているものもある。本書では「ノアの方舟と洪水伝説」「出エジプト」「ダビデとゴリアトの一騎打ち」など七つの物語を取り上げ、その史実性を学問的に検証。物語に込められたメッセージをも読み解き、聖書が秘めた豊かな世界へと読者をいざなう。
感想・レビュー・書評
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歴史研究はパズルのピースを合わせていくようなものだ。多少の違和感がありながらも、ピースが収まれば、それが通説(教科書に載る歴史)になっていく。聖書にある出来事が事実か否かを探る内容だが、誰もが『歴史』として学んだモーセの出エジプトもいずれ真実としては変わっていくのだろうか。
調査技術が進歩して、年代の特定精度が高まっていく中、今後も新たな歴史として作られていくのだろうか。否、歴史は歴史、過去は変わらないはずだ。
わからない未来への恐怖は拭えないが、判りすぎる過去も自分はあまり望まない。当時に生きた人々に取って真実は一つ。無かった、という事実も一つの答え。真実を知りたい!という、燃え盛る探究心が、科学技術の進歩で消えないことを望む。
後半のヨナ書の項、『読む際に、ジャンルを決め打って読んでいる』という指摘には、自身を振り返り何でも知識・経験で考えてしまう頭のクセを改めなければと感じた。
頭を平らにし、文字、表現、構成が伝えようとするメッセージを感じ取りたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分はどちらかというと原理主義的キリスト教信仰教育を受けてきた者だが、ある程度の年齢となりそれなりの人生経験を積んでくると、過去に信じていた内容を否定するものであっても、自分なりに冷静に、そして今まで蓄えてきた知識を持って論理的な判断を下す事ができる様になる。
この本では、旧約聖書に記されている内容が、必ずしも全て聖書に書かれてある通りの歴史的事実であるとは言えないという事を、資料を検証しながら展開してゆく。歴史的事実と信仰とを変に同一視せず、かと言って聖書に記されている内容の歴史的意味をきちんと理解している所にも好感が持てる。 -
聖書のイメージを一新してくれる本だった
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読みかけではあるが、今現在キリスト教に興味がない時期なのでこのまましばらく塩漬け(笑)
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楔形文字は、非セム語のシュメール語のためのものだったが、古代セム系民族はこれらの文字を採用した。代表的な言語はアッカド語
シュメル語の洪水伝説、ギルガメシュ、アトラハシースの3つが洪水伝説として有名
メギドでギルガメシュ叙事詩の粘土板断片が発見
上エジプトのベニハサンには、紀元前19世紀のへきががあり、そこにはセム系遊牧民がアビシャルという名前の指導者に率いられて連れてこられるシーンが描かれている
古代エジプト王朝は自分が負けた記録は残さないことで有名
もしこうしたらこうなる、という条件法はハンムラビ法典など幾つかあるが、十戒にあるような、父母を敬え、殺すなという人類全体に対する絶対法は他に類がない
1920年代に起こったとされるエリコ近辺でのヨルダン川せき止めは、たぶん虚偽
何れにしても、エリコには城壁はなかった
今ヨシュア記の制服記録とアッシリアの征服記録の類似性に学者たちが注目している
ダビデ以外にもゴリアテを倒した人物がいる エルハナン しかし歴代では修正
列王第一20:24の長官という言葉はペルシャ時代
ヨナの時代はまだニネベは栄えていなかった
ヨナ3:4の滅びるというヘブライ語には、転覆すると変化するという二つの意味があり、変化なら良い変化もあるので何れにしても成就する -
旧約聖書を考古学と歴史学から、史実なのか神話なのかを問う。
勝手に「全部神話だろ」と思っていた。でも「出エジプト」って世界史で習ったような。てことは、それは史実?
旧約聖書って日本の古事記みたいな存在なのかも。歴史的事実を伝えることが第一義なのではない。けど、なぜそのエピソードが伝えられてきたのかを考えることがとっても大切なんだ。 -
聖書って読んだことないんだけど、いろんなことが書いてあるんだね。