ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書 2272)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 55
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022721

作品紹介・あらすじ

ナチスが権力を掌握するにあたっては、ヒトラーの演説力が大きな役割を果たした。ヒトラーの演説といえば、声を張り上げ、大きな身振りで聴衆を煽り立てるイメージが強いが、実際はどうだったのか。聴衆は演説にいつも熱狂したのか。本書では、ヒトラーの政界登場からドイツ敗戦までの二五年間、一五〇万語に及ぶ演説データを分析。レトリックや表現などの面から煽動政治家の実像を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • ヒトラーの演説の名手であることがわかる
    持っていた才能と 努力の過程
    ラジオや映画など 放送メディア分野で 残した作品も 多いのだろう
    この研究成果は 日本人がしていることに驚く

  • ちょっと不謹慎な感想だが、ヒトラーの演説って一世を風靡した一発屋芸人のネタみたいなものだったんじゃないかって思えた。彼の演説パフォーマンスは大衆に大受けしたものの、政権獲得後、演説会場の熱狂的な雰囲気をラジオを通じて全国に広めようとした時期には既にドイツ国民はその演説に飽き始めていた。。ナチズムに賛同できるはずもないが、演説パフォーマンスに代わって国民を魅了するネタを作れなかったのもナチスの限界だったのではないか。それは経済発展や国際的地位の回復といったことなのかもしれないが、プロパガンダに頼りすぎると、リアルな成果を上げることは二の次になってしまうのだろう。

  • ・歴史的背景や世界情勢と共に、ヒットラーの残した演説から150万語分(速記されてたり、映像、音声で残っているもののみ)を、ナチスが与党になる前と与党になった後で分けて分析している
    ・どのような演説がされて、ヨーロッパを戦禍に巻き込んだのかが描かれていた
    ・ナチスが独裁していた頃も選挙結果だけ見れば、国民に望まれてたように見える。しかしナチスの資料には、党員ではない国民には「距離を置かれていた」又は「嫌われてた」ことが書かれていた
    ・ナチスの蛮行は全く支持できず、悪魔だと思う
    ・ヒットラーも独裁者として人間性は最悪だった
    ・しかし、演説家としてみると、群集心理学を学び、弁論術を学び、オペラ俳優から発声法・ジェスチャーの効果的な使い方等を学び、実践し問題点を改善し続け、最新技術を使いこなす、ある意味『勤勉』な姿が見える
    ・テロール教授の怪しい授業という漫画で、テロリストやカルト信者等凄く偏った考えを持つ人々が狂ってるが、一方で、合理的で最新技術に貪欲な勤勉さがあると説明されてたことを思いだした

  • でも誰もアイツを止められない、今も。コロナワクチンがいい例だよ、もはやテクニックすら不要

  • 言葉の力と政治行動との関係を計量的に取り扱った良書。タイトルから手を出しにくいが、イデオロギー抜きで隆盛がよくわかる。元データにあたると、違う角度からさらなる分析が可能であると思われる。政治家の民衆を扇動はいつの時代も変わらない。思慮深くあるべし。

  • ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書) 新書 – 2014/6/24

    2015年8月24日記述

    高田博行氏による著作。
    アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の演説データを集め分析を加えた上で
    ナチ運動期、ナチス政権の勃興から終わりまでの変化を読み解いていく。

    自分の知らないヒトラーの側面を知った思いがする。
    私たちの抱くヒトラーのイメージは当時のナチスの狙い通りのイメージのままだ。
    (ある意味ナチスのプロパガンダは優秀だったということだろう)

    飛行機をチャーターし全国を遊説しまわった選挙活動というのは凄い。
    今の時代でもある程度参考になりそうだ。
    (当時は野党でありラジオ放送を使えなかった為)
    併合や進軍の度の国民投票、住民投票。
    国民投票、住民投票したからと言って必ずしも合理的、正しい解答を導くわけではない。
    それにしてもナチスは選挙、住民投票しまくりだなと。
    似たような独裁者のスターリン、毛沢東、ポルポトは
    虐殺数こそ上かもしれない。
    ただ選挙を経て世の中に登場してきた訳ではない。
    時々日本の政治で相手を非難する際にヒトラーとなじることがある。
    いつも独裁者と言えばヒトラーにしか例えることが出来ないのかと違和感を覚えていた。
    スターリンや毛沢東、ポルポトもいるだろうと。
    しかし他の独裁者とは決定的に違うのだ。登場してきた背景が。
    (もちろん第二次大戦中でも総理大臣が絶えず交代した日本に今後も独裁者が君臨するとは思えないが・・)

    ヒトラーは演説することができたというのは間違いのない事実で才能があったのだろう。
    世間で言われるラジオがあったから熱狂が生まれたというのはある意味誤解なのだという点が意外であった。
    ラジオ放送に向かって音声を吹き込んだヒトラー演説は聴衆へ語りかけた演説とは別物だった。
    ゲッベルスも認めていたように生の演説、聴衆との一体感は大事なのだ。
    ただ敗戦近くでは失敗したラジオに向かって吹き込む演説しか放送できなくなっていた。

    それにしてもこれだけのヒトラー演説データを分析した事が凄い。
    わが闘争、ゲッベルスの日記と本書の演説データからの分析によってより当時の実態がリアルに立体的に浮かび上がってきたように思う。

  •  著者はドイツ語史が専門の言語学者で、ヒトラーの演説に使用された語彙や文の形式や話し方(声の高さなど)といった言語的特徴を、政権を取るまでのナチ運動期の前半と後半、さらに政権を取ってから、でどのような特徴がみられるのか、その有意な差はどのような事情を反映しているのかを分析しているもの。ジェスチャーの分析もある。演説に焦点を当てながら、ヒトラーに対する国民感情の変化の歴史を探る。
     コーパスを使ったりして分析をする部分は、もしかすると言語学のレポートや論文を書く時に、誰かのスピーチを題材にして真似できるかもしれない、と思った。ただこの本の面白さは正直、言葉の話の部分ではなく(実際のスピーチを映像で見たり聞いたりしながらこの本を読めばいいのだろうけど)、ヒトラーにそのようなスピーチをさせた背景を辿る部分で、これまでナチスやユダヤ人の本は何冊か読んできたけれども、思いもしなかった事実が色々あった。その大きなものは、政権を掌握してからは演説をあまりせず、国民も徐々にヒトラーの演説に飽きていったという第六章「聴衆を失った演説1939-45」の部分。つまり、自分たちが見るヒトラーの巧みな演説の映像、それに熱狂する聴衆というのは政権掌握前に終わってしまったという事実だった。「ヒトラー演説の絶頂期は、政権獲得に向けた国会選挙戦において全国五三か所で行った演説(一九三二年七月)であった」(p.26)ということらしい。むしろ戦時中の演説は「戦争終結がいつであるのか行間から読み取るという限りにおいて、国民の関心事であった」(同)ということで、政権掌握後はヒトラー演説は徐々に国民から疎まれる対象となっていったというのは意外だった。ちなみに「国民を鼓舞できた演説は、これが最後となった」(p.231)という演説は1941年1月31日らしく、「ヒトラーはこの日、珍しく気分が高揚していた」(p.230)ことによって可能になったらしい。というかこの本に描かれたヒトラーを見てみると、抑うつ傾向のある激情型という感じがするのだけれど、そういうことなのだろうか。
     あとは気になった部分のメモ。ドイツの方言の話で、「北部と中部では、単語や音節のはじめで母音を発音する際、喉を緊張させて声門を閉じてから一気に息を解放することで発音され、その結果歯切れよく聞こえる。しかし、南ドイツでは、声門が閉じられずに発音されるため、穏やかな発音の仕方に聞こえるのである。」(p.55)というのは、全然聞いたことなかった。大学でドイツ語を第二外国語でやったけど、これは結構頻度が高いことだろうから重要な特徴だと思うのだけれど。そして本題のヒトラーの演説の特徴でいくつか納得できたのは、聴衆を納得させる演説の手法の部分。例えば「『仮定表現』の多さ」(p.23)という部分で、「事柄を都合よく仮定した上で、それを出発点に議論を進める」(同)という、最初の方で仮定された、という事実を忘れさせるこの議論の展開の仕方は、確かに聞かせたい話をするには効果的かもしれない。そして、「ヒトラーの選ぶ喩えは、聴衆の理解力に合わせた無骨なもので、文は息の長い構造をしていて、その終結部はわざとらしく強調されるか、または繰り返されるかのいずれかである。あたかも変更不可能な事実であるかのように、彼の見解が独裁者の確信として聴衆に投げつけられる。聴衆は、内容としては新しくないこの福音を拍手で受け入れる」(p.60)という、当時の報告書の一歩引いた分析も、納得した。あとは、要するに演説を含めた「プロパガンダ」がこの本で分析されるテーマなのだけれど、この「プロパガンダ」というのは「情報の送り手が用意周到に情報を組織的に統制して、特定のイデオロギーが受け入れられるように、受け手に対して働きかけること」(p.66)で、「プロパガンダの最終目的は、送り手が流す情報をあたかも自発的であるかのように受け手に受け入れさせることである」(同)というのは分かりやすい。そしてこれを巧みに行うことで、「無からパンを取り出す」(p.74)という、つまり「天国を地獄と思わせることができるし、逆に、極めてみじめな生活を天国と思わせることもできる」(p.75)ということだ。そう考えると、ネガティブな文脈で語られることの多い「ネットによる価値観の多様化」とか、独裁者が生まれにくいツールとしていいのかもしれない(ただそのネットを掌握すれば簡単に独裁者が生まれそうな気もする)。あとはヒトラーに演説の仕方を教えた人物というのがいるらしく、これは『わが教え子、ヒトラー』(p.127)という映画になっているらしい。これも見てみたい。
     まとめとしては「ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから」(p.241)で、「演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができない」(同)という部分が分かりやすい。そして、その一体感を奪っていったものは、もちろん現実の戦局が大きいのだけれども、メディアを駆使した故に、大衆が飽きてしまった(pp.260-1)という分析は、何とも皮肉なことだと思った。やっぱり「ここでこの時間しか聞けない」、「〇〇限定」みたいなことをやる方が、貴重さが増すというか、何冊か前に読んだ『バイアス事典』にあったように、逃すことに敏感な人間の性質に訴えることが効果的である一方、広く聞かせるために管理しなければならない、ただし管理すると反発観を覚えていくというバランスのとり方が難しいと思った。ヒトラーの演説についてと同時に、プロパガンダやネット時代のメディアについて考える本だった。(21/08/11)


  • 新書のボリュームでヒトラーの演説に焦点を当ててヒトラーを語った書籍。
    ヒトラーについて何冊か読み込んでいる読者は物足りない部分もあるかもしれないが、ヒトラーの演説と言う非常にキャッチーなテーマを取り扱ったのは初学者にとって読みやすいと思った。

  • 人を引き込む力。時代背景とそれを読み解く力。

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2272/K

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著者プロフィール

京都市生まれ。学習院大学文学部教授。Dr. phil.(ブラウンシュヴァイク大学)、DAAD給付奨学生、フンボルト財団招聘研究員。近現代のドイツ語史、歴史語用論、歴史社会言語学。主要著作にGrammatik und Sprachwirklichkeit von 1640-1700(単著 Max Niemeyer 1998, Reprint: Walter de Gruyter 2011)、『ドイツ語が織りなす社会と文化』(共編著 関西大学出版部 2004年)、『歴史語用論入門』(共編著 大修館書店 2011年)、『言語意識と社会』(共編著 三元社 2011年)、『ドイツ語の歴史論』(共編著 ひつじ書房 2013年)、『歴史語用論の世界』(共編著 ひつじ書房 2014年)、『ヒトラー演説』(単著 中公新書 2014年)、『歴史社会言語学入門』(共編著 大修館書店 2015年)。

「2015年 『欧米社会の集団妄想とカルト症候群』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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