教養としての宗教入門 - 基礎から学べる信仰と文化 (中公新書 2293)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 62
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022936

作品紹介・あらすじ

キリスト教やユダヤ教、イスラム教とヒンドゥー教、そして日本でもなじみのある仏教や神道など世界でも有名な八つの宗教をテーマごとに解説している本です。しかし教養としての宗教入門は宗教の教えを神について説いているのではなく、あくまでも教養としていろいろな見方や考え方があるのだということを教えてくれる一冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 「宗教入門」ではあるものの、いわゆる宗教だけでなく、文化として生活習慣に融合されている宗教的なものの存在に気付かされました。
    日本人は無宗教と言われていますが、例えば毎朝のラジオ体操はムスリムの礼拝と同じような身体的習慣であり、見方によっては宗教的でもあるとのこと、なるほどなぁ!と思いました。


  • 宗教とは何か。
    日本人にはなじみの薄い世界の8つの宗教をテーマで切り分ける宗教ガイド。


    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道の8つの宗教を分かりやすく解説したガイド本です。
    あらゆる宗教から距離を置いたうえで、教養として様々な宗教やその歴史、背景にある文化などを広く浅く知りたいという方向け。

    入門というだけあって、表紙やタイトルのイメージほど難解ではなく、読みやすいです。どれかの宗教に偏らず、俯瞰した視点で書かれているのでどの宗教の話も頭に入ってきやすい気がします。所々そんな書き方して大丈夫? と思ってしまうようなところもあり、エッセイのような趣もある気がしました。教養本としてだけでなく、純粋に読み物としても面白い。

    どんな宗教も一概にこういうものとは言えず、他の宗教や考え方との混合や変遷があったりだとか、現代における諸宗教は宗教的戒律と政治的・社会的システムなどとの摩擦やギャップを引き起こしやすいという話は特に興味深く読みました。
    次は近現代における宗教問題についても調べたいです。

  • 宗教についてちょっと勉強してみたいけど,ほぼ知識がないので,まずは全体の概要をということで購入.
    世界の宗教について,とてもわかりやすくまとめられており,ありそうで意外とない良い本.
    歴史的背景や教義,戒律,儀礼など,学校で習うような事柄が整理されていて,まさに「教養」として身につく感じ.
    この知識があれば,近代〜現代史がもっと腑に落ちる気がした.

    ユダヤ教は「規則を守る」ということそれ自体に意味があるというのが興味深かった.規則を守るのは手段ではなくて目的.規則を守ることによって救われるという考え方.
    対してキリスト教は,「規則を完璧に守るのって難しいよね,人間だもの」っていうちょっと緩い感じ.「そんなあなたも救ってあげるよ,私を信じなさい」っていのは,失恋で傷ついた弱みにつけこむズルさに似たものを感じた.でもこのロジックは強いよね.消えない罪悪感を誰かに許してもらいたいっていう深層心理を上手く突いている.
    また,イスラム教は「規則を守ろう.でも,BestEffortでいいよ,無理はすんなよ」っていうこちらも緩い感じ.イスラム教ってもっと厳格なんだと思ってたので意外だった.

    世の中,キリスト教とイスラム教が多いことを見るに,人間はやっぱり不完全な生き物なんだなぁと思った.

  • 宗教についてビギナーでも読める広く易しい本が欲しくて、評価の高かった本書を購入。
    なるほど、確かに読めないほど難解ではない。
    一つ一つがプツプツと置かれている部分もあるが、キリスト教、イスラム教、仏教など、それぞれを対比させながらシステムの共通項や相違を述べてくれているのはありがたい。

    「おわりに」で「宗教や伝統に対して、少し突き放したような視点で書かれた本書」とあって、突き放すどころか、アンチテーゼ(とまで言えるか分からないが、浮かんだので。)のようなコメントもあって、まさに教養として「宗教」とは、いや、人が形のない何かを信じ、祈り続けられることの根源を考えさせられる。

    現代にあって尚、人が命を賭して信仰を遂げる事象は数限りない。
    宗教同士の相対的矛盾や科学的矛盾も含まれているであろう聖典を真理とし、絶対的な行動規範とする人もいる。
    このように今日まで絶えることなく、弾圧されようと手を広げ続ける宗教というもののシステムと力は、いわゆる無宗教の私から見ると空恐ろしいものがある。

    「身体的な習慣を重んじるという意味で日本人もイスラム教徒も共通したところをもっているが、しかし、日本人が好むのは、無意識的になじんでいく儀礼であり、アッラーが教えているのは、意識的にコミットする戒律である。」

    「ほとんどの人にとっては、宗教とは生活習慣の一種なのである。戒律は生活習慣をスリムにするための有効なメニューだと言えるかもしれない。」

    「神仏とは、人間どうしで話すときのような普通のコミュニケーションの中に姿を現わすものではなく、何らかの演劇的な演出のうちに感得されるものであるらしい。いずれにせよ、儀礼という動作を伴うことは、宗教が単なる概念や観念だけのものでないことを教えてくれる。」

    「自分たちの宗教的世界を防衛しようとすれば、多かれ少なかれ閉鎖的にならざるを得ないが、思想の点で閉じれば『原理主義』になるし、空間的に閉じれば文字通りのカルトとなる。」

  • 宗教から一定の距離を取った視点で茶化さずに真面目に書かれている。普通の当たり障りのない宗教紹介本かと思いきや、しっかり主張がある。印象に残ったところ抜粋。

    〜文化としての宗教のもつ「失敗のアーカイブズ」としての役割は大きい。〜そういう意味で我々は、個人的信仰とは別次元の、文化としての宗教という歴史的共有財産に、もっと注意を払うべきなのではないだろうか。

    ドライな切り口カッコいい。

  • 「教養としての宗教」ガイドとして、「広く浅く」世界の宗教について解説。本書では、深い信仰を前提とする「濃い宗教」、文化や共通語彙としての「薄い宗教」という2つの宗教のレベルを提示し、それぞれについて、宗教全体を通ずる概論を行った上で、宗教の仕掛けとして「戒律」と「儀礼」について解説し、最後に、世界の主な宗教として、①ユダヤ教、②キリスト教、③イスラム教、④仏教、⑤ヒンドゥー教、⑥儒教と道教、⑦神道と日本の民族世界について概説している。
    まさに「教養」として宗教を概観するのに適した一冊。日本は無宗教といわれるが、東アジア世界はそもそも宗教については「チャンポン型伝統」があり、日本もその延長線上にあるといった著者の指摘はなかなか含蓄があって面白いが、本書は全体的にエッセイ的な論調で、著者の主観的見解が多いような気はした。

  • 宗教、と耳にすると、正直身構えてしまう自分がいて、その上、昨今のイスラム国大暴れ報道を見て、いよいよ宗教ってどうなのよ?と思ったりしたけれど、そんなときこそしっかり基礎を知ってみようと思い立ち、読んでみた。

    宗教って何だろう?と言う基本を具体的な宗教を例に取りながら、歴史的、地域的、文化的な観点からスッゴくわかりやすく説明した一冊。

    著者が最初に示しているとおり書き方が「中立的」なのでこの宗教最高!!とか偏りがなく成り立ちとか特徴とかを淡々と説明されていて、読んでいると素直に読めるのは良かった。ただ途中「おおおそんな事書いちゃって怒られないか?」とか心配になる表現もあった気がするけど。

    まず宗教って一概に定義できないって事がよくわかった。もちろん信仰対象があったり教義があったり戒律があったり共通する点はいくつかあるものの基本は自由で様々なのねぇと。あと神と仏の違いとか、信仰には薄い信仰と濃い信仰があるとか。アメリカ人のほとんどは薄い信仰らしい。以前、外人は君の信仰はなんだ?とすぐに聞いてきて、答えられないと一人前に見られない、と聞いた記憶があるけど実際はそんなの大嘘らしい。だよねぇ。

    まぁ要するに人間は生きる上で希望が欲しい訳で、その希望としての信仰、ってのが一番ポピュラーなんだなぁと。人間そこまで強くないし、その逃避の先に宗教があるとも言えるかな?

    あとは宗教は行動様式でもある、ってのはわかりやすいね。そう考えると日本人は無宗教ってのは違うって話になるよと。まぁ宗教って俺が考えていた以上に自由で適当と言うことがわかった気がする。

    宗教はこれ!こんなものだ!って思いこんだりはいけないよ、とかそんな事思いました。

  • 宗教とは何かという概要を1〜7章で説明し、資料編で主な宗教をそれぞれ解説している。
    教科書の補助として読みやすく、分かりやすかった。
    専門的にそれぞれの宗教を学びたい人にとっては物足りないと思う。教養としての入門書、ほんとにそのまんま。

    「空」は“カラッポ”、「四諦」は煩悩を追い払う4つの過程を“明らかにする”こと、の説明で、だいぶスッキリした。

    以下個人的な要約
    序章
    宗教は文化に根付いており、お辞儀の習慣や「平常心」の用語などにその影響は見て取れる。どこから宗教と括るのかは定義によって変わる。自然などの凄いパワーを表す「神」と救済する(仏陀のような)「神」がいる。キリストが「神」と訳されたのは、多神教の「仏」では唯一神の宗教観と矛盾するからだ。
    第1章
    歴史的な系譜を辿るとユダヤ/キリスト/イスラム/仏教/ヒンドゥー/儒教/道教/神道へと還元できる。東アジアは仏教/儒教/道教が(日本では神道も)チャンポンになり、東南アジアはイスラム/キリスト教も含み宗教の見本市のようだ。宗教的緊張が低く文化的交流のあるこの特異な環境は注目すべきように思う。
    第2章
    ユダヤ教からキリスト教とイスラム教が派生した。これら一神教は、唯一神とは何か、神の正義や救いとは何かと探求する。ヒンドゥー教、道教、神道など多神教では、様々な神を一種の現象と見て、その背後に宇宙的な原理があるとすることが多い。仏教では人間が修行して悟りを開くことを目的としている。
    第3章
    深く心に残る厳しい体験をした人は、希望と心の支えを求め、濃い信仰が必要になる。信仰の対象は必ずしも宗教ではない。宗教の本質は当事者の実存体験の深さだとする意見もある。宗教の負の歴史は宗教的叡智の記録であり共有財産だ。宗教は「不運」などの悪やその罪に自己責任論より深く取り組んでる。
    第4章
    宗教の営みに病治癒があるが、科学が発達した今日では正当できない。しかし人は不確実な「明日」さえ信じて生きるものだ。呪術の効果には気休めや社会団結の要素があり、それは案外重要だ。復活祭や豊穣祭などのめでたいものを祝う行事も、病治癒のような奇跡進行も、根底には生命力の信仰がある。
    第5章
    宗教とは生活習慣の一種である。多くの宗教には禁欲的な側面を持つ戒律があるが、それがどのようなルールになるかは歴史的に全く偶然だ。戒律や儀式に合理的理由がなく、神仏の命令としか言いようがないものでも、欲望が自然を蝕み社会格差を拡大している現実を見れば、宗教の善き働きが想像できる。
    第6章
    宗教には形の決まった動作や人生に付随する慣しが多くあり、儀礼という。儀礼を行う理由は複合的で難しいが、一番の機能はアイデンティティの表明あるいは確認がとする見方もある。儀礼そのものが共同体を運営する目的になる場合もある。厳粛なものから祭りのように賑やかなものまで様々だ。
    第7章
    宗教の教えは最終的に同じだとする意見がある一方、宗教間には異なる規定がありその本質が明らかでないことも確かだ。何かを問うことは宗教的な問いとして適切ではないかもしれず、どこまでを宗教とするのか線引きは難しい。保守的~革新的宗教が混在する中で宗教を問うことは、世俗を問うことである。

  • 冗長な語り口で読みやすい

  • 要所要所が抑えてあり、歴史的流れや、地理的な解説もあってとても分かりやすく面白い本だった。この本をとっかかりにして、取り上げられている宗教を勉強するのも良いと、あえて取り上げていないものを調べてみるのも面白いように思う。
    著者いわく、すこし突き放した形で記述してある。けれど敬意は充分に感じられた。
    この本の前に読んだ中野京子著『残酷な王と悲しみの王妃』についての解像度が、かなり上がったのは良い副産物だった。

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著者プロフィール

1958年生まれ。北海道大学工学部建築工学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科修了(宗教学専攻)。
著書に『信じない人のための〈宗教〉講義』(みすず書房)『信じない人のための〈法華経〉講座』(文藝春秋)『人はなぜ「神」を拝むのか?』(角川書店)『初めて学ぶ宗教――自分で考えたい人のために』(共著、有斐閣)『超訳 法華経』(中央公論新社)『宗教のレトリック』(トランスビュー)ほか。
訳書に『宗教の系譜――キリスト教とイスラムにおける権力の根拠と訓練』(T・アサド、岩波書店)『世俗の形成』(T・アサド、みすず書房)『心の習慣――アメリカ個人主義のゆくえ』(R・N・ベラー他、共訳、みすず書房)『ファンダメンタリズム』(M・リズン、岩波書店)
『科学と宗教』(T・ディクソン、丸善出版)ほか。

「2014年 『宗教で読み解く ファンタジーの秘密 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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