核と日本人 - ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ (中公新書 2301)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023018

作品紹介・あらすじ

唯一の戦争被爆国である日本。戦後、米国の「核の傘」の下にありながら、一貫して「軍事利用」には批判的だ。だが原子力発電を始めとする「平和利用」についてはイデオロギーと関わりなく広範な支持を得てきた。東日本大震災後もなお支持は強い。それはなぜか-。本書は、報道、世論、知識人、さらにはマンガ、映画などのポピュラー文化に注目、戦後日本人の核エネルギーへの嫌悪と歓迎に揺れる複雑な意識と、その軌跡を追う。

感想・レビュー・書評

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  • 唯一の戦争被爆国である日本。報道、世論、知識人、さらにはマンガ、映画などのポピュラー文化に注目、戦後日本人の核エネルギーへの嫌悪と歓迎に揺れる複雑な意識と、その軌跡を追う。【「TRC MARC」の商品解説】

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  •  「恐れながら愉しむという精神のあり方」というのが、本書の論述のキーワードであり、論理構造の骨子である。
     1980年代までは、単なる楽観論だけで過ぎてきたのだということを知らされる。
     それにしても、身近なメディアの中から取り出される言説史のなんと豊かなことよ。
     

  • 東2法経図・6F開架:
    B1/5/2301/K

  • 原子力発電
    サイエンス
    社会

  • 授業の参考文献。核を題材にした漫画、アニメなどの文化がこれほどあったことに驚き。

  • 原爆投下と終戦後、日本人が核と言うものにどう関わって来たのか、社会運動、報道、大衆文化を徹して詳細に説明されいる。
    著者は原爆あるいは原発に偏ることなく『核』に対して、国民の意識がどうだったかを歴史をおって説明してゆく。それは読者としての私には『かなり悲しい』内容だった。
    国民は原爆の後、こぞって『核』に反対していたが、次第に『核の平和利用の安全神話』即ち原発に毒されていったのだと思っていたが、そうではなくて、『平和利用』には当初から漠然とした安心感があったということを知らされた。もちろん、原発の危険性が大きく取り上げられて、世間の潮流となった事もあったが、一種の流行でしかなかった。
    また、核の危険性への甘い認識は大衆文化を代表する漫画、映画でも分る。
    原爆実験で生まれたゴジラは放射線を口から吐き猛烈な破壊を行うが、そこに被爆の実体が描かれることはない。漫画、北斗の拳も核戦争後の世界が舞台だが、詳細な被爆はそこには無い。
    「唯一の被爆国と言いながら日本人は一体なにをして来たのだろう」と思う。

    『安全神話』という言葉にについて著者は以下のように定義付ける。

     『マンガやテレビ番組、映画のなかで原発は危機に瀕してきたが、それはあくまで空想の世界の出来事であると思われてきた。実際に原発災害が海外で起こっても、日本ではきっと起こらないはずだと信じ込んできた。いや、信じるというよりも、そもそも原発は多くの人びとにとって意識の外にあった。資源の少ない日本には必要なのだろう。世界に知られた技術と勤勉の国である日本では事故は起こらないはずだ。危険だというなら現状維持にとどめておこう。そういえば自分は原発を見たことがないな、そもそも原発ってどこにあるのだろう--。「安全神話」とは、このような無関心の別名でもある。』(231頁)」

    果たして、日本人は福島原発事故後、所謂『核後』を正しく生きられるのだろうか。短期的に経済成長追い求めるのであるなら、やはり原発を今後も続けていく、せめて現状維持するのが、手っ取り早いだろう。原発を止めるということは『脱原発』のみならず『脱成長』を選択することだ。しかし、東京都知事選で小泉細川連合が敗れた事を思うと、日本人にその覚悟は無い様に思える。
    結局は『反原発』『原発推進』の対立は答えなくそのまま安定してゆくのだろう。著者はそれを懸念する。
    そして、また知らず『核前』に戻る。新たな『安全神話』が構成される。

    暗澹たる思いで読書を終えた。辛い。

  • 広島、長崎の原爆から、ビキニ岩礁での漁船被曝。そして、いくつかの事故を経て、311の福島第一原発の重大な事故まで。
    その間、マスコミだけでなく、映画、ドラマ、マンガ等日本人の意識を反映し、そして意識を形成する様々な媒体において、武器としての原子力「核兵器」と核の「平和利用」について、どのように表現され、報じられ、そしてそれらが日本人の意識に刷り込まれていったかを、客観的に分析している。

    戦後70年の歴史は、軍事目的、そして平和目的(?)と主たる目的は異なるにしても、原子力利用の70年でもあった。
    特に原子力の利用について表現されたものは、自分が生まれ、育ってきた時代と重なるので、非常によく親しんだものであり、あったあったと振り返ることができた。

    そして、さらに興味深かったのは、私の上の世代、戦後すぐに子供だった時代は、米ソ冷戦のなかで、核は兵器として使用されるのが前提の時代であり、かつ、米国の日本支配において悲惨な核爆弾の被害から目を逸らさせ、強力な武器ではあるが、明るい未来を作り出すものと喧伝されてきたこと。
    その時代に、幼少期を過ごした人たちが、現在、原発の利用シーンにおいて、東電の社長であったり、国会議員であったり、経済団体の重鎮の世代と重なるのは、決して偶然ではないのかもしれないということ。

  • 2015年4月新着

  • 勉強になりました。

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著者プロフィール

山本 昭宏(やまもと・あきひろ) 1984年、奈良県生れ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。現在、神戸市外国語大学総合文化コース准教授。著書に『核エネルギー言説の戦後史1945~1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院、2012年)、『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、2015年)、『教養としての戦後〈平和論〉』(イースト・プレス、2016年)、共編著に『希望の歴史学 藤間生大著作論集』(ぺりかん社、2018年)、訳書にスペンサー・R・ワート『核の恐怖全史』(人文書院、2017年)がある。

「2019年 『大江健三郎とその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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