日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書 2302)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023025

作品紹介・あらすじ

一神教とは異なり、日本人にとって神は絶対的な存在ではない。山岳や森林をはじめ、あらゆる事物が今なお崇拝の対象となり得る。遠くさかのぼれば、『古事記』に登場する神々は、恋をするばかりか嫉妬もし、時に寂しがり、罪さえも犯す。独特の宗教観や自然観はどう形成され、現代にまで影響を及ぼしているか。「カムナビ」「ミモロ」などのキーワードを手がかりに記紀万葉の世界に分け入り、古代の人びとの心性に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 同じ著者の「万葉集から古代を読みとく」が面白かったので、読んでみた。

    万葉集や古事記、日本書紀といった本を通して見えてくる「聖なるもの」。具体的には、自然や神、そして天皇と人との関係を探るもの。

    「万葉集から古代を読みとく」で面白かったのは、いわゆる日本的なものを中国文化とか、仏教の関係の中で、相対的化しつつも、他の文化との関係性のなかで立ち上がる日本らしさみたいな感覚のところ。

    こちらの本は、一神教と多神教の違いというフレームによる比較はあるものの、万葉集や古事記などを丁寧に読解することを通じて、テーマに迫って行く感じ。

    だが、参照しているテキストが万葉集という歌集であることもあり、単なる分析ではなく、古代日本人の心情、感情、身体感覚とつないでいくところが、面白い。

    さらには、著者自身の感情や身体感覚も大切にされていて、かつ著者の独りよがりの主張ということにならないバランス感もいい感じ。

    内容としては、ある意味、日本文化や日本思想について書かれた色々な本の主張と大きく違う訳ではないのだが、そこが感情や身体感覚とつながっていくので、より腑に落ちてくる感じがある。

    そして、自然や神との関係が丁寧に整理され、その考えが天皇の話に展開していくと、私的には、ちょっと驚きの結論に到達する。

    ちなみに、一神教と多神教の比較のところで、多神教の神は怒ったり、妬んだりする神である的な記述があるが、一神教の神でも旧約聖書の神はかなり不条理なので、ここの比較は、やや単純化されている気がした。

    あと、古事記などの神話から日本人の価値観を読み取るところでも、ジョゼフ・キャンベルなどを読んだ後では、「それは世界各国似た神話があって、日本独自ではないよ、元型的なストーリーじゃないの」とか思うところもある。

    が、そういうところは、この本の大きな欠点ではないと思う。

    まずは、古代日本人の「聖なるもの」観が、文書の左脳的な分析と感情や身体感覚がつながる形で、アプローチされたことがいいな〜、と思う。

    こうしたアプローチにより異文化との比較の視点が加わって行くと、すごく面白いだろうな〜、と妄想した。

  • タイトルが面白そうだったので深く考えずに購入しました。結論から言うととても面白かったです。私自身は会社員で万葉集は読んだことがありませんが、子供のころから百人一首は大好きで、歌の意味や歌人の経歴などを調べたことはありましたので、時代は少し違いますが、少し「土地勘」はありました。例えば持統天皇、天智天皇、山部赤人などは百人一首にも登場しますので、百人一首の歌の記憶をたどりつつ、なるほど万葉集の時代の人々は、カミ、ヒト、モノ、をこうとらえていたのか、というのはだいぶ理解が深まりました。それこそ、百人一首に含まれる持統天皇の「春すぎて・・・」は、人間が香具山に衣を干しているのではなく、「香具山が衣を干している」という解釈ではないかというくだりには、私も頭をガツンとやられた気がします。本書を通じて日本の古代人が身近に感じられるようになりましたし、万葉集も読んでみたくなりました。

    日本の古代人は、生物、無生物に関係なく身体性、心性、霊性があると考えたこと、それはモノの擬人化というよりも、そもそもモノにも上記3つが備わっている、それは人間と一緒であるという考え方の方が自然だとのことでした。また多神教とは、神様がたくさんいるというより、後からあとからカミが増え続けることを意味する、という説明が新鮮でした。その中でも特に、山、そしてモリ(ミモロ)におわすカミが、神のなかでも頭的な存在で、都の近くにある山、森がカムナビとしてその時代の最上位の神と考えられていたようです。

    あらためて日本には、日本書紀、古事記のような記録だけでなく、万葉集、古今和歌集のような歌集も残されていて、そこから古代人(もちろん貴族限定ではありますが)の精神性、感性を読み取れる、というのはなかなか世界に類を見ないすごい文化なのではないか、と思いました。まずは明日香、藤原京、平城京跡などに足を運んでみたいと思います。

  • ふむ

  • 日本とは無限に神が産まれる国である。森があれば森が神になる。川があれば川が神になる。山があれば山が神になる。木があれば木が神になる。そればかりか、糞や小便も神になる。
    古事記にこう書かれている。
    「屎でできた神の名は波邇夜須毘古波邇夜須毘売の神、小便でできた神の名は弥都波能売の神と和久産巣日の神です」
    山を自然と見るか神と見るかで人の生き方も違ってくる。

  • ざっくり読んだ。

  • 「万葉集」に詠まれた和歌や「古事記」などの記述から、日本人の自然崇拝や万物に宿るとされた神々に対する宗教観を紐解く。古代から培われた我が国独特の情緒、そして天皇家が神を祀り、政を司る重要な存在として崇められてきたことに思いが及ぶ。

  • 万葉集の研究者である筆者が、表題について論じた本。
    西行の歌にもあるように、「何の神様かわからないけどありがたいなぁ」と思える。思想化されていないのが日本人の宗教観らしい。豊かな自然のなかで、心身で感じるものを大切にして生きるのが、古代的な日本人の在り方なのかも。
    社を再建しようとしていた場所に木が生えてきて切るに忍びなく、それを祀ることにしたとある神社の話が好き。

    ほどなく上野さんがNHK『こころの時代』で、「万葉集を聖典として読む」というテーマでお話されてるのを見ました。聖典とはそこに出てくる人の生き方を見習いたいと思うもの、という言葉に目から鱗。

  • 20150603~0613 日本神話の国つくりの出だしでイザナミが死んじゃうのは、ほっておくとどんどん国土がつくられちゃうからだって。そういえば納得ww「小さき神々」がたくさんいて、時・場所・シチュエーションによってどの神様が優位かが決まる(天皇が「神」にたとえられる時もあれば、他の神々に非礼を詫びたり打ち負かされたり)、ということか。

  • 2015年4月新着

  • 勉強になりました。

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著者プロフィール

奈良大学文学部教授。著書『万葉文化論』(ミネルヴァ書房・2019)、論文「讃酒歌十三首の示す死生観—『荘子』『列子』と分命論—」(『萬葉集研究』第36集・塙書房・2016)など。

「2019年 『万葉をヨム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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