- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121023131
作品紹介・あらすじ
ナチ・ドイツによる第2次世界大戦中の戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判。主要犯罪人24名を扱った国際軍事法廷、医師・親衛隊員・高級官僚ら185名を扱った12の継続裁判で構成され、終戦後、半年を経て始まった。法廷では、ホロコーストを始めナチの悪行が明らかにされ、「平和に対する罪」「人道に対する罪」など新しい罪の規定が話題を呼ぶ。本書は、東京裁判のモデルとなった史上初の大規模な戦争犯罪裁判の全貌を描く。
感想・レビュー・書評
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東京裁判と同様、有名なのがニュルンベルク裁判
どう裁かれたのかとか、最終的にどう決着がついたのか知りたくて読んでみた。
分かっちゃいたけどなかなかの衝撃
結局勝てばなんでもいいのか?という滑稽さ。
もちろん公平に裁かれればの話だけど、犠牲者のための裁判ではなく
戦勝国が自らの力を誇示したいだけ。
首脳だけが溜飲を下げるための裁判だったとしかいいようがないというか
茶番だとよく言われているのはそのせいか、と。
はっきり言えるのは東京裁判と比較にならないということ
この先の戦争が終わって何十年もたっているのに
テクノロジーとか発達してとても便利な世の中になっただけで
結局のところ人間中身は全然進化してないじゃんと思ってしまった。
とはいえ読んでよかった詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ニュルンベルク裁判についての概説書。
従来ありえなかった形の戦争に直面し、如何にしてそれを裁くかということの試みとして、ニュルンベルク裁判を位置づけ、それがその後の国際法に与えた影響について述べられている。
本書を読んで考えないといけないのは、国際社会における法の支配のあり方についてである。アナーキーな国際社会における人道的な違反について、裁くことは困難である。そのような困難を目の前にし、当時の人間は法の支配を導入しようと試み。一部は成功することになった。しかし、法の支配は、国際社会の中では、主権国家の国益に左右され、時に無力となってしまう。例えばイラク戦争が言えるだろう。如何にして国際社会を秩序立てるかということが、難しいことであると思った。 -
史上初の国際戦争裁判であるニュルンベルク裁判の概観。
メインの国際軍事法廷だけでなく、12の継続裁判もあつかっている。
裁判全体とその影響や意味をさらりとまとめてある。
入門に最適と評価されるのもうなずける。
※表紙画像に変なおびがついてるけど、勝者の裁判の欺瞞を問う!みたいな内容ではない。
当たり前といえば当たり前だけど、つくづく政治だ。
被害や加害や倫理なんて、自国の利益を最大にするためのロジックに使われるだけにすぎない。
アメリカは正義をかかげ、単純なストーリーをつくりたがる。(そして利害であっさり手のひらを返す)
イギリスは煮えきらず、フランスは他人事じゃないから寝た子をおこしたくない。
ソ連はあからさまに政治的駆け引きしか興味がない。
連合国の利害が一致しないから、ひどい事件がスルーされる反面、足をひっぱりあって相手に都合の悪い真実をひきだすこともある。
ソ連がいい具合にヒール役を果たしてる。
裁判後の執行さえ、東西ドイツをそれぞれ自陣にひきつけるために利用された。
ドイツは当初(敗戦直後)食うに困ってるからそれどころじゃなかったり、その状況に責任がある指導者たちを恨んだりしているから「自国の罪」に対する反応がわりと薄い。
しかしそのうち「ドイツ人全体の罪」を「勝者の裁き」で非難されているとして反発する。
そのあと親の罪と向き合う子供世代がでてくるわけだけど、そうか、そのころはまだ戦争をした人たちが現役でたくさん生きてたのか。
政府高官や官僚への裁判の主要な被告はエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー。
先頃亡くなったリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元西独大統領の父親。
ぜんぜん知らなかったのでびっくりした。
そういうルーツをもつ人が大統領になって、過去と向き合おうと演説したのか。
あたらしい歴史教科書を作ったり過去をみないで未来へすすもうと訴えたり数でゴリおししたりする某我が国の総理と比べてしまう。
はぁすごいなあ。
戦後から現在のドイツへの連続的変化もちゃんと知りたい。
死刑判決を受けた人が「体調悪化のため釈放」なんていうのを見ると、いやおまえふざけんなよ強制収容された人たちは…と思ってしまう。
でもそれは当時のアメリカが自制した報復主義の発想なんだよな。
理想に従うってむずかしい。
裁判直後とは逆に、現在ではアメリカが道理を無視してつっぱしり、ドイツは法による解決を支持している。
歴史から学ぶとか、人を害さないとか、それだけのことがなんでこんなに難しいんだろう。
尾崎行雄の言葉がちらちら浮かんだ。
あるべき世界がどんどん遠くなってる。
子世代
『ドイツを変えた六八年運動』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4560026076
ヴァイツゼッカー大統領、1985年の演説
『荒れ野の40年』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/400009467X
尾崎行雄の理想
『咢堂言行録』http://booklog.jp/quote/79094 -
ナチ・ドイツによる第2次世界大戦中の戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判。裁きは「正義」だったか。ドイツ人研究者が、東京裁判のモデルとなった史上初の大規模な戦争犯罪裁判の全貌を描く。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40225636 -
指導者層だけではなく、ナチスに関連した医師などの裁判の克明な記録。
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非常に画期的な裁判ではあったものの、連合国の連合国のための「勝者の裁き」という側面も帯びている。
p.86
軍事法廷という名目であった国際軍事法廷の審理は疑いようもなく、戦時国際法と人道的な国際刑事法の発展にとって重要な一里塚をなすものだった。と同時に、この訴訟手続きは、多くの新しい法的・道徳的問題を投げかけた。「勝者の裁き」という非難を用いて、弁護団は裁判の正当性を否認しようとしたが、この非難はとりわけグローバルな展開を考慮に入れたとき、ある程度の根拠を得ていた。・・・それゆえ、ニュルンベルク国際軍事法廷の最大の欠点は、創造された規範が、自らの普遍的な主張にもかかわらず、その後も拘束力を持たなかったことであった。
はしがきのイントロがとても印象的。
「連合国が戦争に勝利したことを二つのドイツの映像が劇的に証明しているひとつは灰塵に帰したドイツ諸都市のパノラマ。もうひとつは、ニュルンベルクの戦犯裁判、照明で照らされた部屋のなか。ナチ囚人で埋まる被告人席の情景」 -
ニュルンベルク裁判の概要について。あの試みによってドイツの非ナチ化、非武装化、民主化などが進められようとしていた。そこで気になるのはなぜあれほどの残虐な犯罪を行ったのか、そして「ナチス」がナチスたりうる理由とはなんなのか、ということである。
アメリカが普遍的な法律による平和の実現ということを目指してあのニュルンベルクを行ったらしく、それでもあの犯罪を裁く法律はあまり定着せず、さらに恩赦の規制も働かなかった。
私が見るところではこれはある意味ナチス(宗教的、神話的、一元主義的)な私小説言語による社会統治をした時に全体に起こってしまった犯罪を多元的法律的言語で解決しようとした試みとも言える。
しかし一つ気になったのは最後の部分にナチスの「植民地支配に対する挑戦」を批判しているような部分に関してである。つまりこれは植民地支配側の方が正しい正義を持っており、そこから外れるものを裁こうとした、ということになってしまう。例えばその法律が正しそうに見えたとしても、この支配原理を持っているということが何かナチスは陰謀によって潰された独立論者ではなかったのかという気がしてくる。今回裁くべきはもう一つ、植民地支配によって確かに起こっていた現地民族殺戮とジェノサイドの罪に関してである。これは非対称性を克服する試みでもあり、さらに植民地支配側の児童売春や大量殺人などが指摘されてきている今、慎重に検討せざるを得ないと思う。
確かにあのカトリシズムの言語をもつ人々が奴隷支配思想を持っており、そして自分は特別だから何をやってもいい、という自分なしの相対主義に陥りがちであると思う。その問題をどう解決するかというのが今まさに必要な問題かもしれないのだ。