沖縄の殿様 - 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記 (中公新書 2320)
- 中央公論新社 (2015年5月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121023209
作品紹介・あらすじ
謙信の流れをくみ、鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家。最後の藩主・茂憲は明治十四年、琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴く。本島をくまなく巡り、宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿であった。再三の改革意見は政府から黙殺され、志半ばで解任される茂憲。だが、情熱を傾けた人材育成は後年になって実を結ぶ。今日もなお沖縄で敬愛される上杉茂憲の二年にわたる奮闘の記録。
感想・レビュー・書評
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https://blog.goo.ne.jp/mkdiechi/e/ebc2645b539ffe149df06a79a0d78c6e
感想文とも言えないし、紀行文とも言えない・・・
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沖縄の明治初期に改革を目指した人がいたことがよくわかった
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最後の米沢藩主で沖縄の県令となり、明治の沖縄を救った男の物語。上杉鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家の最後の藩主・上杉茂憲は琉球処分後の沖縄に県令となり赴く。困窮にあえぐ沖縄庶民を救うため中央政府に改革意見を提示するが、黙殺され解任。しかし今日もなお沖縄で敬愛される茂憲の記録。
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明治時代に沖縄県令を務めた上杉茂憲のお話、あの上杉鷹山の子孫だけあって相当な改革派であり、かつ庶民派だったようだ、ちなみに県令とは現代の知事職にあたる。
当時の沖縄は清国とも深い繋がりがあったため、いち早く沖縄を明治日本の法令や風習に馴染ませる必要があった、茂憲が改革を急いだのはそんな背景もあったようだ。特に心血を注いだ学校教育は、内地への留学制度など沖縄の近代化に貢献している。
しかし琉球士族への特権廃止や、遊郭に対する取り締まりに反発する既得権益層の抵抗もあって、茂憲の退任後は残念ながら数多くの改革が後退してしまったらしい。
格差問題や女性の社会進出そして高齢化社会など、もし茂憲が現代の政治家であったら、どんな政策を打ち立てるのだろうか、非常に興味深い。 -
勉強になりました。
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2015年7月新着
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318.299||Ta
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謙信の流れをくみ、鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家。最後の藩主・茂憲は明治十四年、琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴く。本島をくまなく巡り、宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿であった。再三の改革意見は政府から黙殺され、志半ばで解任される茂憲。だが、情熱を傾けた人材育成は後年になって実を結ぶ。今日もなお沖縄で敬愛される上杉茂憲の二年にわたる奮闘の記録。