ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い (中公新書)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023292

作品紹介・あらすじ

ナチスが主導した「民族と人種の戦い」とは何だったのか。第一次世界大戦の敗北からヒトラー独裁体制の確立、第二次世界大戦へ。ユダヤ人の絶滅を標榜しヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争は、無差別爆撃と残虐行為を生み、最後には凄惨なホロコーストにまで行き着いた。本書はナチズムの核心を人種戦争と捉え、そのイデオロギーの本質を抉り出し、「狂信的な意志」による戦争の全過程、その余波までを描き出す。

感想・レビュー・書評

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  •  第二次世界大戦におけるヨーロッパでの戦いについて、どのようなものだったのかを知りたくて読んだ。本書は、ナチズムの核心を人種戦争と捉え、そのイデオロギーの本質を追究するものだ。もっとも、本書はアメリカ人研究者の本が翻訳されたものだが、決して読みやすいものではない。

     まず、本書を読むと、どのような政治的・社会的状況からナチスが台頭してきたのか、なぜ当時のドイツで支持を集めることができたのかがよくわかる。
     1918年11月、第一次世界大戦は終結したが、これは多くのドイツ人にとって思いもよらない突然の悲劇で、大きな衝撃であった。そこにドイツ帝国の崩壊というショックまでもが加わり、ドイツの政治と経済は混乱に陥った。
     また、ヴェルサイユ条約はドイツ人にとって耐えがたいほど厳しいものだったため、政治的立場を超えて条約への敵意が共有されることとなった。さらに、民主的な政治家や富裕層、ユダヤ人、外国人、そして「背後からのひと突き」を加えた国内の裏切り者や革命家への憎悪が広がった。
     国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党〔NSDAP〕)は、このような敗北と革命に続く混沌の中で、右翼政治団体の一つとしてミュンヘンで結成された。ナチ・ムーブメントの特徴は、反マルクス主義、反ユダヤ主義、反ヴェルサイユ条約、そして国内外での暴力だった。クーデターの企てや政治的殺人、産業の混乱、犯罪の増加など、社会が極度に混乱した状態において、ナチスの暴力的な主張と活動は時代にうまく溶け込んだ。
     ナチスはミュンヘン一揆の失敗などの曲折を経ながらも、人種主義者のライバル政党を取り込んで、事実上ドイツにおける唯一の急進的右派政党となり、またたく間に支持を増やしていった。ナチスの演説は、好戦的・急進的でありながら、第一次世界大戦中に見られた国民による団結の再現を訴えるものだったため、政治的・社会的分裂に苦しむ当時のドイツの人々には魅力的に映った。また、ナチスはドイツの人々に、恨みのはけ口や攻撃の矛先をどこに向けるべきかを示した。

     次に、ナチスがどのようにして独裁体制を確立したのか、どのようなイデオロギーを有して戦争へとまっしぐらに向かっていったのかがよくわかる。また、当時の多くのドイツ人がナチス政権を支持していたことがよくわかる。
     1933年1月、ついにヒトラーは政権を獲得した。ナチスは既存のエリートと協力し、そこへ暴力的な運動の圧力が加わったため、たった六カ月で独裁政治を盤石なものにした。また、ナチスは急進的に国を作り直すのではなく、有事立法によって支配し、官僚的手順をとるべきところを徐々に独断で決定できるようにしていった。その後、圧倒的な議会の承認を得て、議会政治を終焉させ、民主主義を一掃する全権委任法を成立させた。
     ヒトラーは、ラインラントの再軍備を手始めに、侵略戦争を可能にするため、平時には考えられない大規模な軍備増強を進めた。その背景には、「生存圏」の確保という思想があった。すなわち、ドイツは人口過剰で、固有の領土だけでは住民を養うことができないため、もっと農地が必要で、そのための土地を獲得しなければならないとされた。そして、その土地はユダヤ人が支配するソ連の土地とされた。ナチスの政策を最も推進したものは戦争への意欲であり、国内政策はこの目的を達成するためのものだった。
     また、ナチスの政権掌握後、その暴力はエスカレートし、その政敵に続いてユダヤ人も攻撃されるようになった。そして、ついに「水晶の夜」など、大規模なユダヤ人への迫害が行なわれることとなった。こういったユダヤ人への集団的迫害行為に対して、ドイツ人の大多数は批判的で、嫌悪感を示した。
     しかし、多くのドイツ人は、戦争が始まるまでのナチスの最初の六年間を、どちらかと言えば肯定的にとらえていた。これは、失業者が速やかに減少したおかげで数百万の人々が再びまともな生活を送れるようになったためで、多くのドイツ人は「よき時代」が戻ってきたような気分を味わった。

     そして、ナチス・ドイツが行なった戦争の性格が述べられる。本書を読むと、ドイツが行なった戦争と日本が行なった戦争とでは、その性格がまるで違うことがよくわかる。
     1939年9月、ヒトラーはポーランド侵攻を開始した。その目的は、ポーランドという国そのものを消滅させることだった。こうして、第二次世界大戦が始まった。
     この戦争は、たんに第一次世界大戦によって失った領土を奪還するための戦いではなく、イデオロギーの戦い、民族と人種の戦いとして捉えられた。すなわち、ナチスによる戦争は、征服と略奪のために行われた人種戦争であり、ヨーロッパの人種地図を暴力と大量殺戮によって塗り替えるための戦いだった。ナチスは戦争のなかで、民族全体の殲滅を試みることとなる。もはや、理性に基づいて国益を守ったり、国家の安全を確保したりするための戦いでは決してなかった。ナチズムの観点からすれば、戦争と人種闘争は同じものだった。特に、ソ連への侵攻は最初から絶滅戦争として構想され、戦時国際法を完全に無視する形で、ソ連のユダヤ=ボルシェヴェキ体制をその生物学的基盤(ユダヤ人という人種)ごと粉砕しようとした。
     また、バルバロッサ作戦の開始とともに、ヨーロッパ・ユダヤ人の東方への大量移送は実現不可能だと判明した。このため、ナチスは数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送ることとした。
     ナチスによるユダヤ人などの大量虐殺の噂は、ドイツ国内でも知られていたが、必ずしも犠牲者への同情を呼び起こしたわけではなかった。もっとも、ナチス政権はイギリス軍を大陸から駆逐し、フランス軍を降伏させることで、大衆から驚異的な支持を得ることに成功している。
     戦争によってヨーロッパの人種地図を塗り替えようという恐ろしい試みは失敗に終わったが、それまでにおそらく5,000万の人々が命を落すこととなった。

    【印象的な内容】
    「……ナチズムは現代ヨーロッパ史における長期的な課題、すなわち人種主義の顕現であるとともに、その極致でもある。人間を『人種』によって分類し、これらの『人種』は人間的な価値階層のなかで序列化しうるという信仰は、一九一四年の大戦勃発よりはるか以前に形作られ、広範囲にわたる支持を得ていた。それゆえ、ナチズムがドイツのみならず、十九世紀ヨーロッパで広く流布していた思想や信仰の表出であることを理解しておかねばならない。しかしドイツに固有の特徴も見られる。それは世界有数の工業国において、幼稚な人種イデオロギーに鼓舞された暴力的な政治結社が権力を掌握し、想像を絶する規模の戦争を起こしえたという点だ。これまで明らかにされてきた史上もっとも恐ろしい人種主義をナチズムが強制できたのは、この事実のためである。」(序論、p.5)

    「民主的なヴァイマル『体制』を打倒し、マルクス主義を粉砕し、『ユダヤ人問題』を解決し、『ヴェルサイユの鎖』を断ち切り、ドイツが再び戦争に向かうことのできる軍事力を築きあげることによって、目標は達成される。要するにナチズムは、国内および国外での戦いに専心する運動であるとともに、人種差別的世界観に支配された運動だったのである。ナチはドイツの『アーリア人』を頂点に、『ユダヤ人』を底辺にしたヒエラルキーが人間にはあると考えていた。ここまでで、ナチ・ムーブメントにとくに斬新な点は見当たらない。第一次世界大戦後のドイツでは、熱狂的かつ暴力的な雰囲気のなかで過激な右翼団体が数多く誕生し、敗戦のおかげで政権を掌握した共和制に敵意を抱き、憤慨し、怒り、自暴自棄になった人々を引き込んでいたからだ。新たな共和制、マルクス主義者、ユダヤ人、ヴェルサイユ条約に対する猛烈な敵意は、終戦直後の時代に多数の支持を引きつけた。」(第1章p.25)

    「ヴェルサイユ条約に対する怒りやポーランドとの『流血の国境』の承認拒否と同様に、反ユダヤ主義は一般的な背景、つまり大部分とは言わないまでも多くのドイツ人が同意できる広い世界観を形成していた。いかなる政党も公にはユダヤ人の利益を擁護したがらなかったこと、反ユダヤ主義がけっしてNSDAPに限ったことではないという事実、そしてヴァイマル時代を通してユダヤ人に向けられた広範な暴力行為と敵意は、控えめに言っても、すべて反ユダヤ主義を黙認する広い培地があったことを示している。」(同前、p.43)

    「一九三二年の有権者はすべて、年齢的に何らかの形で戦争を記憶できた人々である。最年少の有権者でさえ、停戦条約が締結された一九一八年には六歳だったのだ。実際、とくに若手の有権者、つまり第一次世界大戦では若すぎて戦えなかった者たちにとって、好戦的で急進的なナチのメッセージには特別な魅力があった。あらゆる階級、あらゆる宗派のドイツ人がかつてないほど国家の大義のために団結した『一九一四年の精神』、あるいは当時の塹壕の友情と犠牲を再現しようという演説が、厳しい政治的・社会的分裂に苦しむ国に響き渡ったのは間違いない。戦争中の『前線魂』という伝説的なイメージは、軋轢を生じ危機に陥ったヴァイマル『体制』の政治とは異なり、このうえなく魅力的だった。このように、平等な民族共同体を確立することによって人為的な『階級』区分を克服するというナチの目標は、おおむね第一次世界大戦と戦争の記憶から生まれた。」(同前、p.45-46)

    「ヴァイマル体制が崩壊した際、つまりドイツの有権者が既存の政党への信頼を失い、経済的・政治的危機が一九三〇年代初頭に頂点に達した際、ナチのメッセージは多くの有権者に恨みのはけ口や攻撃の矛先をどこに向けるべきかを示し、復讐とよりよい未来への希望を約束した。……物質的・局地的利益に代わってナチズムがドイツ人に提示したのは、将来の平等な民族共同体実現への並々ならぬ自信だった。……法や個人の尊重や、経済的・社会的繁栄という合理的な目標の追求に基づく共同体ではない。戦士と戦士を生み出す者の民族共同体だ。ナチ・ムーブメントはひどく騒然とした戦後社会に生きる人々の心の奥底に響いた。第一次世界大戦の負の遺産を真の意味で克服できない社会と国において、ナチはイデオロギーを戦争と人種差別に絞ることで力を得たのである。第一次世界大戦と一九一八年の敗北は、四半世紀以上もの間、ドイツに影を落とした。第三帝国政府による施策の多くは、国内の社会政策から第二次世界大戦の遂行に至るまで、一九一八年の負の遺産への対応だった。軍の崩壊と政治革命の結果、混乱は民主政治のせいと考えられるようになったが、その記憶を形作る伝説の結果、混乱を克服するには戦争が必要だと考えられるようになった。数百万のドイツ人がナチズムとヒトラーに寄せていた並々ならぬ信頼は、元をただせば戦争への信頼である。……一九一八年以後、ドイツ人は第一次世界大戦の影から抜け出せなかったために、従来の政治エリートとは違った、政治ギャングによる暴力的で人種主義的な政治運動の台頭を招き、一九三三年一月の政権掌握を許した。」(同前、p.46-48)

    「ドイツ国家とその制度を急進的で革命的な方向へ無理やり転換させる代わりに、ヒトラーは運動を既存の枠組みのなかで進める意思を固めたようだった。これは非常に効果的なやり方であることが判明した。というのも、既存のエリートと協力したところにハングリーで暴力的な下位の運動からの圧力が加わったおかげで、ナチはファシスト仲間であるイタリアのムッソリーニがローマへの進軍から六年かけて達成したよりもはるかに効果的に、六カ月で独裁政治を盤石なものにできたからだ。ナチは急進的に国を作り直すのではなく、有事立法によって支配し、官僚的手順をとるべきところを徐々に独断で決定できるように変え、法の支配を弱体化させた。彼らはこうしてヒンデンブルクから政権を手渡されたときに夢見ていたよりもはるかに急進的な変化を国にもたらすことに成功した。」(第2章、p.62)

    「ナチが長期化する戦争を目論んだ根源には、ドイツ民族の『生存圏』を確保しようという、『国民の生存にかかわる歴史的な戦い』の構想があった。……ドイツは人口過剰なのに、現在の国土では増え続ける人口を支えることができない。ゆえに『民族』の未来を確かなものにするためには、農業集落を形成するための土地を獲得しなければならないというのだ。その土地はスラヴ人が住む東方で得られるはずだった。ポーランドのかなた、ユダヤ人が支配すると言われるソ連の土地だ。……ドイツは固有の領土だけでは住民を養うことができない。ゆえにもっと農地が必要だという考えは、第一次世界大戦をきっかけに広く受け入れられていた。第一次世界大戦でドイツが深刻な食糧不足に苦しんだこと、海上封鎖されればひとたまりもないこと、そして一九一八年以後、東プロイセンの農地の大部分を失ったことは、ドイツ人のなかに『封鎖症候群』とも言うべき傷を深く刻み込んだ。また、ナチは第一次世界大戦におけるドイツの経験から第二次世界大戦の構想を得ており、『血と土』というイデオロギーが及ぼした影響を理解するには、こういった背景を理解しておく必要がある。」(同前、p.80-81)

    「政権に積極的に反対していた人々やユダヤ人その他の迫害された人々は除いて、大部分とは言えないまでも多くのドイツ人は、戦争が始まるまでのナチの最初の六年間をどちらかと言えば肯定的にとらえていたようだ。失業者が速やかに減少したおかげで数百万の人々が再びまともな生活を送れるようになり、ナチの政権掌握後、結婚数と出生数が増加したのは、たんに金銭的優遇措置をとったためばかりではない。『新生ドイツ』でなら正常な家庭生活を営めると信じていたからだろう。ナチ自身は、積極的かつ建設的な生活を再び送れる状況を作り出したことを誇りにしており、一九三〇年代初頭の危機的な時期のあとに『正常な状態』を回復できるかのように見せたことが、政権支持のための重要な基盤となった。一九三三年以後、束の間ではあるが、多くのドイツ人は『よき時代』が戻ってきたような気分を味わっていた。」(同前、p.86-87)

    「だがヒトラーはヴェルサイユ条約の単なる見直しを望んでいたわけではない。次の戦争はたんに一九一八年に失った領土を奪還するための戦いではなく、『イデオロギーの戦い、つまり、民族と人種の戦い』になるはずだった。ポーランドを攻撃する目的は、ダンツィヒを奪還し、ポーランド回廊を廃し、上シュレジェン東部を取り戻すことではなく、ポーランドという国そのものを消滅させることにあった。」(同前、p.117)

    「ナチズムの歴史の中心をなす恐ろしいテーマ、すなわち戦争、反ボルシェヴィキ運動、人種主義による大量殺人は密接に結びついていた。ナチズムの観点からすれば、戦争も人種闘争も結局のところ同じなのだ。第二次世界大戦はナチ政権にヨーロッパ大陸の人種構成を塗り替える機会を提供した。このプロジェクトは人種主義者のユートピアを作るという犯罪的な野望を胸に、政治や軍事における理性的な判断を放棄することを意味した。ナチ政権は戦争のなかで『想像もできなかったことの現実化』、つまり民族全体の殲滅を試みることになる。戦争により、それまで人種主義イデオロギーという恐ろしい理論の成就を妨げていた制限は取り払われた。ナチ・イデオロギーは戦争のおかげで現実化したのだと言えよう。対ソ攻撃で、ナチズムの恐ろしさはもっとも強く認識された。ソ連の『ユダヤ=ボルシェヴィキ』体制をその生物学的基盤(ユダヤ人という『人種』)ごと粉砕するという目標は、ドイツ人が定住するのに適した広大な植民地の獲得、スラヴ人の殺戮とドイツ人への隷属、経済封鎖に耐えうる自給自足の可能な巨大経済地域の確立という目的と結びついた。ナチの戦争は単なる集団殺戮の場ではない。戦争そのものが人種主義の表現であり、政権はそれを実行に移した。ナチの人種闘争イコール戦争だったのである。」(第3章、p.122-123)

    「もちろん近代史において、人種主義的な集団殺戮や極端な残虐行為に走ったのは第二次世界大戦のドイツが最初ではないし、ドイツが唯一の例というわけでもない。……しかし、ナチの戦争は異質だ。ここでの人種主義は、政治家、将軍、兵士の振る舞いを方向づけるイデオロギーの枠組みの一部ではない。ナチの戦争は要するに征服と略奪のために行われた人種戦争だった。理性に基づいて国益を守ったり、国家の安全を確保したりするための戦いではない。ヨーロッパの人種地図を暴力と大量殺戮によって塗り替えるための戦いだった。」(同前、p.123-124)

    「ポーランドやデンマーク、ノルウェー、フランス、低地帯諸国やさらにはバルカン諸国への攻撃と異なり、ソ連への侵攻は最初から絶滅戦争として考えられた。……この戦争は、戦時国際法を完全に無視して実施されることになる。……第二次世界大戦の初めから、ポーランドを占領したドイツ軍は大虐殺を実行し、ポーランドのインテリゲンツィアとエリートを一掃する活動に従事していた。しかし、コミッサール指令で、ナチの戦争は新たな段階に突入する。計画的かつ系統だった大量殺戮を国と軍の首脳が命じたのは明らかで、陸軍は直接これに関与した。」(同前、p.148-150)

    「バルバロッサ作戦の開始とともに、ドイツのユダヤ人政策は破滅的な方向へと向かった。ヨーロッパ・ユダヤ人の東方への大量移送は実現不可能だと判明したため、ナチ政権は広範な『民族浄化』活動に着手し、その結果、数百万のユダヤ人を絶滅収容所に送る大規模な計画が立てられた。その目的は、迅速かつ効率的な工業化した大量殺人にあった。」(同前、p.159)

    「ドイツ国民とナチズムの間には、つねにいくぶんかの相反する感情があった。国民はナチ政権が成就させた多くの物事に賛同し、ナチの『世界観』の少なくとも一部については合意し、……『経済・社会・人種政策を大衆向けに結びつけること』で得られる、再分配を行う平等主義の民族共同体の利点を楽観的に受け入れた。しかしこの是認は日常の事柄と共存するものであり、ヒトラーやヒムラーを虜にし、大量殺戮によってヨーロッパの人種地図を塗り替えるという流れに拍車をかけた恐ろしいヴィジョンとは、ほとんど無関係だった。」(同前、p.187-188)

    「一九四四年と四五年の出来事、つまり爆撃に遭い、ソ連軍の接近を前に西へ避難し、想像もできないほどの死傷者を出しながらドイツ国内で苦しい戦いをしたという経験は、ドイツ国民にとってあまりに悲惨だったため、この『最後の奮闘』のショックは、ナチ・ドイツの戦争初期の記憶に取って代わった。多くのドイツ人にとって第二次世界大戦は、戦争のごく初期の段階で彼らが享受した比較的良い生活やドイツ人が他者に与えた苦しみではなく、最後の数カ月に彼らが耐えたひどい苦しみを意味するものとなった。第二次世界大戦後、ナチの戦争についてのドイツ人の見識が、他のヨーロッパ人の見識と基本的に異なったことや、蔓延する被害者意識とないまぜになったこと、戦後政治の基盤となり、第三帝国での出来事の多くについて沈黙させる基盤となったことは驚くにあたらない。」(同前、p.236)

  • 2019/09/11

  • 新書だがかなり濃い内容の一冊。
    特に当時のドイツ国内情勢とナチスが支持を得て躍進していく過程、先鋭化に歯止めが効かなくなっていく過程が恐ろしくもありながら興味深い 。WW1の敗戦と混乱が国民感情にいかに大きな影響をもたらしたか。それが全ての始まりかもしれない。
    「人種」、「闘争」というテーマを軸に核心に迫る内容はハードだが読み応えがある。そして戦後の「戦争責任」についても日本のケースと比較しながら読み進めると考えさせられるものがある。

  • 第二次世界大戦をナチズムがもたらす必然的な人種戦争として捉えて記述した良質な概説書。

  • (現在1945年のところまでなので今後評価がを変える可能性あり)

    第一次大戦も終盤の1918年に起こったドイツ革命から始まる物語。
    ヒトラーを…ナチスを生み出したドイツ国民の大いなる不満と渇望。
    おそらくその思念の渦がヒトラーを生みナチスを生んだんだと思う。

    ユダヤへのジェノサイド計画は有名だが、ナチスはユダヤに限らず、ロマやロシア他第二次大戦終戦に近づくにつれ占拠した東欧各国の民族へも同様のジェノサイドを進めていた。終戦直前には同盟であったイタリアへも…

  • ヒトラーの演説、ヒトラーの本棚、とヒトラー関連で読んできたので、ビスマルク、第一次大戦、ワイマールと読み続けて、一応の完結。
    ナチズムというイデオロギーに焦点を当て、ワイマール末期から第二次大戦後までドイツ、ドイツ国民が受けた影響について語っている
    特筆すべきは第二次大戦後のナチズムへの決算の在り方についての言及
    ドイツの戦後決算は日本のそれとよく引き合いに出されるが、一概にドイツも「よき」反省をできていたとは言い難いのではないか

  • 書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記はこちらに書きました。

    http://www.rockfield.net/wordpress/?p=6571

  • アドルフ・ヒトラー、あるいはナチという「狂人」「others(我々とは他なる怪物)」に全責任をおっつけることをしない、個人的に画期的な歴史書。特に本書が稀有なのは、ヒトラーが「人間として狂人」、明らかに異常な精神状態にあったことは認めつつ、その周縁の「普通の人々」「普通のドイツ人」がなぜその狂気に呑み込まれていったのかを冷静に分析できている点だ。
    「1918年11月」というキーワードは、1人の人間を狂気に陥れ、幾千万の人間がそれに追従することを許し、もって幾百万の人間を死、あるいはそれ以上の悲劇へと追いやった。「永遠の謝罪と賠償」などというものをひたすら追い求める向きは、この歴史の教訓から学ぶ必要があるだろう。

    2015/11/14〜11/17読了

  • ナチズムの本質を「人種差別による戦争と闘争」であると絞り込み、その切り口からナチの政策・行状を分析する。
    それにより明快なナチ理解を目指した本である。

    確かにナチスの政策のゴールは、「強いドイツ」を取り戻すことであり、そのためには再度の戦争が必要であり、その戦争に勝つためには劣等人種を追放・消滅して優秀なドイツ人からなる共同体を創るという優生思想にたどり着く。
    対外的な政策はもちろん、経済や社会保障などの内政策の背景にも、この目的の達成という明確な指針があることは間違いない。
    支配地域における暴力行為はその最たるものである。

    本書はそれらの一つ一つを結構具体的に取り上げながら、その人種主義的イデオロギーをこれでもかと描き出している。

    ナチの行状の背景を理解するにはいい尺度が得られる本ではある。
    ただ、やはり個人的には、本書のように「このようなイデオロギーだったから、このようなことを起こした」に焦点を当てた本よりも、
    「なぜこのようなイデオロギーを持った政権が誕生し得たのか(そして12年も続いたのか)」に焦点を当てた本の方が、より深くナチを理解するに役立つように思う。

  • ナチの経済再生の目的は、奇跡をもたらすことでも個人の生活水準向上のためにドイツ人に職を与えることでもなかった。ナチの経済政策は、赤字財政によって経済成長と繁栄を促すケインズ主義お需要管理政策のたぐいではない。ナチ政権の消費需要をうながすことで、ドイツ経済を回復に導く方法はとらず、課税率を高いまま維持し、消費財産業と消費者支出を冷遇した。ヒトラーにとって、そもそも経済は富を生み出す領域ではない。軍事征服に必要なハードウェアを供給するための領域であり、政権の全経済政策の根底には再武装への決意があった。平等主義の民族共同体とけいざいてき再配分という目標は真面目に考えられていたが、それは戦争を通じて達成されるものだった。ナチは自由市場経済、グローバル経済への融合、経済的自由主義の導入を拒絶し、代わりに経済への大規模な国家干渉、閉鎖的な経済圏の維持を目指していた 。ナチ・ドイツは資本主義国家であり続け、生産手段は大部分が個人所有のまま、とくに政府から受注を勝ち取った企業が莫大な利益を上げていた。ナチ経済の中心にあるのは、再軍備し、侵略戦争が可能な軍事組織を作り上げるというひたむきな決意と、そのために国力を活用する意欲だった。ナチ経済の目的は、金を儲けることではなく、戦争をすることにあったのだ 。

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