- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121023650
作品紹介・あらすじ
悟りとは何か-。禅には「不立文字、教外別伝」、つまり、釈迦の教えは言葉では伝えられないという考え方がある。では、アメリカで禅を三〇年間教えてきた禅僧と、仏教に目覚めた詩人が「禅」について語り合うと、どのような言葉が飛び出すのか。「そもそも仏教って何ですか?」から始まった対話は、縁起や如来などの仏教用語を解剖しながら、坐禅への誤解を暴き立て…。読むと坐りたくなる、坐禅のススメ。
感想・レビュー・書評
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仏教の教えも交えながら、座禅が生まれた背景や瞑想との違いをなるべくわかりやすく解説している本。普段から瞑想をしているが、仏教的な理解をしているのとしていないのとでは、得られるものも変わってきそうだと思った。
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曹洞宗の藤田一照師と詩人の伊藤比呂美さんによる仏教そして禅への入門書となる対論。
一照師は米国で長く布教にあたってこられただけあって、詩人のナチュラルでストレートな問いかけにしっかりと応えていくので、これから門を叩こうとしている私には、絶好の後押しとなりました。 -
伊藤比呂美の問いかけが、そこを聞いてほしかったんだよ、というツボにいちいちハマっており、その問いに藤田一照が、そういう説明の仕方があったか、といちいち感動させられるような言葉で答える。仏教の基本的なものの考え方から坐禅の実践まで、とてもわかりやすく、腑に落ちる言葉にあふれている。只管打坐の思想がやっと少しわかったような気がする。
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対話という事もあり、噛み砕いた言葉でスッと頭に入りやすい。
一照さんの言葉はほんと分かりやすくて、比呂美さんのストレートな質問も小気味良くて。
ずーっと入っていきたいと思ってた仏教の世界への入り口をようやく見つけた感じ。
ここから世界を広げていきたい、 -
世を捨てて 山にいる人 山にても
なほ憂きときは いづちいくらん
(古今和歌集 巻18、凡河内躬恒) -
46ページ
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伊藤比呂美が子供のような真っ直ぐな質問するのでとても分かりやすいが、その分物足りない。
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2016年4月新着
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曹洞宗の僧侶で、国際化にも取り組む、藤田氏と、詩人で、仏教にも詳しく、経典や説法の現代語訳にも取り組む伊藤さんの対談本。
釈迦とかかずにシッダールタと、書くあたりがマニアック。
でも、関節をどう持って行って座るのかなど、わかりやすい説明で、禅と坐禅がよくわかる本。
禅問答の臨済宗、只管打坐の曹洞宗。ほかに黄檗宗。
禅問答、公案やってはいけない、、やらなくてもいけない。さあどうする?
曹洞宗は壁に向かって、坐禅。
瞑想には煩悩を払うとか、、集中するとか人間的な目的がある。人間を閉店休業にするのが、坐禅。
坐禅している時のワープ感。40分が10分に感じた。
フラフープとかバランスボール使って坐禅を体感。
足の指、足首、膝、股関節、下の方から丁寧に関節を回して、体に許されながらやっている感覚。
痒い時、痛い時、我慢するんでなくて、しばらく一緒にいる練習。
マインドフルネスが流行っているが、坐禅はそれとは違う。自律神経のバランスが整うだとかを求めること、坐禅にそれをもちこむのは坐禅から最も遠い態度。
仏教を学ぶではなく、仏教をする。
目次
序章 そもそも禅ってなんですか?
第1章 私の坐禅は正しい坐禅?
第2章 正しく坐るのも一苦労?
第3章 坐禅の効用って?
第4章 日本の禅、海外のZEN
終章 今夜、坐禅をする前に -
座禅をして瞑想をすると思っていた。
瞑想は自律神経を整えるだとか個人レベルでの改善プロジェクトで、また呼吸を観察していくことでより集中できる。しかし座禅というものはそういう自分のための効用をアテにしてやるものではない。また座禅では呼吸を特別扱いしていない、なぜなら呼吸に注目するというのは「注目しやすい」という人間の都合であるから。座禅というのは様々な感覚から入ってくる情報に自分をさらしている状態だ。ただ座ること。座禅というのは身で座る、心で座る、心身で座る、心身脱落で座るということだ。
だからマインドフルネス=座禅というのも違う。座禅でも結果的に自律神経のバランスは整うけどそれに特化してやるとそれはもはや座禅ではないのだ。
座っていると、足が攣りそうになったりだるくなったりまたその他の身体に起こること、また色んな考え・思いが浮かんでくる。でもそれを消そうとしない、追い払うこともしない。実はそれってなかなか難しいこと。
でもすごく興味ある。 -
仏教の内側にいる禅僧と全く関係なく外側にいる人間との歯に衣をきせない対談はエキサイトかつ面白い。
坐禅のこと、仏教のこと、今までわからなかったことがかなり明確になりました。
マインドフルネス(瞑想)と坐禅の違いも興味深かった。
禅の世界は本来「不立文字」であり言葉で伝えられるものではない。
しかし禅僧の藤田一照さんはアメリカで長年英語を使って坐禅を指導しているので思考を言語化することが非常に上手で読んでいても「わかりやすい!」と思うことが多かったです。
良書です。 -
仏教用語のうじゃらうじゃらは、やや退屈。座禅の前のリラックスやストレッチの実際的な方法については、よくわかった。
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悟りとは何か――。禅には「不立文字、教外別伝」、つまり、釈迦の教えは言葉では伝えられないという考え方がある。では、アメリカで禅を長年にわたって教えてきた禅僧と、仏教に目覚めた詩人が「禅」について語り合うと、どのような言葉が飛び出すのか。「そもそも仏教って何ですか?」から始まった対話は、縁起や如来などの仏教用語を解剖しながら、坐禅への誤解を暴き立て……。読むと坐りたくなる、坐禅のススメ。