- Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121023766
感想・レビュー・書評
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『江戸の災害史』となっているが、ただ単に江戸時代に起こった災害について述べるのではなく、その災害に応じて、幕府や藩、町・村といったシステムがどのように機能したのか、つまり災害対応していったのかを丁寧に述べている。
本書を読んで、やはり日本は自然災害が多い国だということを思い知る。
地震はもちろん、火山噴火、大雨・洪水といった自然災害に見舞われる。
忘れてはいけないのは、「飢饉」という災害である。
現代では、正確な天気予報、容易にその情報を入手・活用でき、また、自然環境に強くなるように品種改良されてきたおかげで、飢饉といった自然災害はほとんどなくなったが、いつ何時、そのような災害が起こるかわからない。
繰り返しになるが、「日本」という国土は、ほんとうに自然災害が多い国で、それが、時を経ずして、あちこちで起こっているということ。
そういう脆い環境の中で成り立っているということを痛感した。
「あとがき」にもあるが。「『歴史から学ぶ』とはどういうことか」を考えるよい本だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「徳川の平和」の裏で、次々と大きな災害に見舞われた江戸時代。現代よりも生きることが遥かに困難な時代とはいえ、正直これほどの頻度とは思っていなかったので、読んでいて気持ちが沈んでしまった。
幕府や藩が救済や復興に苦心するなか、人々のあいだにも災害を記憶に留めようという意識が芽生えていったという。そこには後世への警句とともに人間の生きた証を残したいという願いを感じる。その一方で、人の手に負えない災害の苦しみを洒落によってやり過ごし、再スタートとしての「世直り」を待望するというこの時代の心性もまた強く印象づけられた。 -
江戸時代の災害を通史的に描く。近世の日本列島における災害を、有名なものはもちろんそうでもないものまで広く取り上げている。面白いのは「公共」という概念を手掛かりに描くところ。近代的な概念のように思われる「公共」だが、本書ではそれを近世に適用して、災害対応・復興の特徴を描こうとしている。逆に、近代社会の前提としての近世社会、という見取図が本書の裏テーマなのかもしれない。
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古代から明治維新までを包括的・網羅的にまとめたもの(中心は江戸時代だが)で、駆け足な感は否めないが、逆に言うと大局的な視点に立てる。
資料の出典がお役所(現代の)という例が結構あって、まさしく著者が本書を執筆した動機と同じ、「過去の災害から学んで現在に活かす」ことが、一般市民の知らないところでひっそりなされているのだなあと思った。いたずらに公務員削減なんぞと言ってはいけない。
それにしても、日本列島には災害が多い。これもまた、本書に改めて教えられたことだった。
2019/9/19〜9/20読了 -
江戸時代は大災害が集中した、日本史上でも稀な時期である。江戸を焼き尽くした明暦の大火、富士山の大噴火、日本史上最大級の宝永地震、度重なる飢饉などの記憶は今も語り継がれている。一方、幕府や藩、地域社会、家の各レベルで人々が防災に取り組んだのも江戸時代に入ってからだった。いのちを守るシステムはいかに形成され、いかに機能しなくなったのか。
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カテゴリ:図書館企画展示
2016年度第9回図書館企画展示
「災害を識る」
展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
開催期間:2017年3月1日(水) ~ 2017年4月15日(金)
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース -
今日は、東大大学院教授のロバート・キャンベルさんを取材。都内某所のご自宅にて。
キャンベルさんとは初対面である。
日本語がご堪能、などというレベルを飛び越えて、我々日本人よりもはるかに深く、日本語と日本文学を理解されている方である。「いやはや、すごいものだ」と、お話を伺いながら感嘆。
倉地克直著『江戸の災害史――徳川日本の経験に学ぶ』(中公新書/929円)を読んで取材に臨む。
この本自体はキャンベルさんと直接関係ないのだが、今回の取材テーマの関連資料として。
前に当ブログで『地震の日本史』(寒川旭)という本を取り上げたが、本書は地震だけではなく、火山の噴火・大火・津波・飢饉などさまざまな災害を広く扱っている。逆に時代レンジは狭まり、日本史全体ではなく、江戸時代300年に的を絞っている。
2冊を併読すると、いっそう勉強になると思う。
江戸時代は、大きな戦乱がなかったという意味では平和な時代だったが、一方では大災害が矢継ぎ早に起きた時代であった。
その災害に人々がどのように立ち向かったのかを、幕府・各藩・地域社会・各家庭という4つのレイヤーから描き出して、読み応えがある。いまでいう「自助・共助・公助」が、江戸時代にもあったのだ。
飢饉こそないものの、それ以外は江戸時代同様に災害が頻発する現在の日本――。そこに生きる我々にとって、江戸時代の災害対策の智慧から学ぶべきことは多い。 -
2-3月 *移動図書
請求記号:C-2376 図書ID:20005120 -
本著では、江戸時代から、中央機関である幕府は地方の災害復興や治水等の公共事業費用を負担していた一方、財政難から、地域の民間人の財や労働を活用してこれらの事業に当たらせていたことを記している。
彼らのような存在を本著では「地域の治者」と呼んでいる。
江戸時代の昔から、地域の問題に対して行政は地域の民間活力を利用していたのだ。
「公共性」概念は、中央政府(ないし地方政府)と、地域の民間活力による地域の問題解決と言っても良いのかもしれない。と思った。 -
江戸時代は大災害が集中した、日本史上でも稀な時期である。江戸を焼き尽くした明暦の大火、富士山の大噴火、日本史上最大級の宝永地震、度重なる飢饉などの記憶は今も語り継がれている。一方、幕府や藩、地域社会、家の各レベルで人々が防災に取り組んだのも江戸時代に入ってからだった。いのちを守るシステムはいかに形成され、いかに機能しなくなったのか。災害と防災から見えてくる新たな江戸三百年史の試み。