ビッグデータと人工知能 - 可能性と罠を見極める (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 415
レビュー : 65
  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023841

作品紹介・あらすじ

ビッグデータ時代の到来、第三次AI(人工知能)ブームとディープラーニングの登場、さらに進化したAIが2045年に人間の知性を凌駕するというシンギュラリティ予測…。人間とAIはこれからどこへ向かっていくのか。本書は基礎情報学にもとづいて現在の動向と論点を明快に整理し分析。技術万能主義に警鐘を鳴らし、知識増幅と集合知を駆使することによって拓かれる未来の可能性を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • AI、IoT、深層学習、ビッグデータ、ニューラルネット、などなど、流行のワードを目にするたびに理系としてなんとなく警戒してしまう東工大生は多いような気がします。この本は、こういった流行のテーマに対して早いうちから自分の意見を持ち、大学で何を学べばよいか考えるための一助となる本であると思います。
    (システム制御系システム制御コース M2)

  • ずっと日本のコンピュータの進歩に携わってきた著者のAIに対する俯瞰した冷静な視点を知りたくて開いた新書でした。が、熱い熱いアンチ・シンギュラリティ論でした。その熱さは著者も関わった1980年代の日本の第五世代コンピュータプロジェクトの失敗体験から来ているのかもしれません。シンギュラリティを礼賛するカーツワイルの楽観主義をもともとコンピュータ開発の根本にあるユダヤ系普遍主義者たちの理想主義や宇宙観にあるとし、それを相対的文明論で批判していきます。そう、AIを理系の技術ではなく文系も巻き込んだ大きなテーマとしてみんなで考えることを提唱しています。AIと共生する時代のリベラルアーツの必要性を語る本でした。予想を超えた読後感。

  • 主に読んだ箇所のまとめ。

    ・機械学習
    ・ディープラーニングの概要
    ・現在進められてる人工知能は、あくまでも所与の目的関数の元に判断し、正しい結果またはその根拠になる蓋然性(確率)を提示するだけ。これは「機械」。
    ・一方「生物」は、「生きる」という広義の目的の元に、個々の目的関数を設定。必要に応じ分析、判断もする。
    ・ヨーロッパ系研究者に多い汎用人工知能を危惧する声は、人間機械論を前提とし、目的関数の設定さえも可能と勘違いしているから(?)。
    ・一神教の延長線上には、神を頂点としその下に人間、(人間以外の)動物などを置く秩序体系がある。しかし人間機械論に立てば、すべてのことは一つ(目的)につながるので、機械でさえも目的を設定する最上位、神の位置に立てるのではと考えてしまう。

    • naochan1204さん
      これ難しそう?
      読んでみようかな。
      これ難しそう?
      読んでみようかな。
      2016/09/24
  • 人工知能の未来を基礎情報学の立場から見直した本と言えるだろうか.深層学習などのAI技術にはさらりと触れるだけで,もっぱらその技術の社会的意味を問う本.

    著者はソフトウェア技術者として出発しコンピュータ工学者から転身し,「情報社会や情報文化を論じる文系の学者になった」という人.「普遍主義を批判し相対化するため,構造主義やポスト構造主義などのフランス現代思想に夢中になり,1990年代半ばにフランスに留学」し,その後「文理融合の東京大学大学院情報学環」の教授になった人.
    ここまで書くと,本書の読者層は全く限られたものになるんじゃないか.

    人間のような生物と機械は「概念」「意味」「知識」といったものが持てるか持てないかによって劃然と区別されるべきで,従って機械は「人口知能」に進化することもなく,シンギュラリティなんて言うのも,一神教の欧米人達の戯言にすぎないというのが主張のようだ.

    さすがの私でもこれはちょっと大雑把にすぎやしないかと思う.この前に読んだ戸田山和久の「哲学入門 」では少なくとも,「意味」や「情報」とは何かを丹念に考察していた.そういうスタンスがここにはどこにもない.文系の学者と理系の学者がもっと話し合うべきという著者の提言はその通り.しかしその前にお互いに会話のできる言葉を学ばなければいけないのだな.専門者の間のバリアは非常に高い.

    私はコンピュータが人間を超越する人格を持つようになるとか,ならないとかの議論はするのはいいけど,実りがないんじゃないかと考える.それよりも人間から見て,「感情」「情緒」「気配り」なんてものを,全くもっていないような「人工知能」が重要な決定を瞬時に確率的なことだけで行う可能性のある社会の方がよほど怖い.もう金融市場はそうなっているし,金融恐慌は人間が止められるものではなくなっているように見える.そういう意味では是非「人工知能」にも心を与えて欲しいとも思うが,何が善で何が悪かというのはあまりにも線引きが難しい.

    そういうことを偉い学者さんや政治家たちは文理を超えて,国境を超えて一生懸命考えなくてはならないのだな.

  • 著者の作品は記憶にあるだけで、過去に2冊読んでいた。
    「マルチメディア」「マルチメディア」
    多分そのときにはそれほど印象に残らなかったのだが、今回は非常に感銘を受けた。

    80年代からAIをタイトルにした著作があり、コンピュータの専門家である。
    本作は比較的平易に書かれわかりやすい。

    最も興味深かったのが、シンギュラリティを含め、AI・ロボットの可能性をほぼ否定しているところだ。

    一般的には近い将来AIに人間が取って代わられる、所謂「シンギュラリティ」が問題としてメディアを賑わせている。
    どちらかというと、それは決定事項として語られる。
    しかし、著者はそんな心配はしなくても良いと説く。
    AIと人間には決定的な違いがあり、それは理論的に超える事ができないのだと。
    マインドアップローディングやシンギュラリティなどSFの世界のおとぎ話であると。

    思えば「2001年宇宙の旅」でHAL9000に宇宙飛行士は殺される。
    鉄腕アトムは人間の指示を無視して太陽に突っ込んでいった。
    両者はAIについて逆の可能性を見ているが、早くからシンギュラリティを夢見ていたということか。

  • ☆人工知能におびえるな。ビッグデータと人工知能と集合知の結び付けが大事。
    ☆集合知の活用には専門知が必要。
    (参考文献)『ビッグデータの正体』、人工知能は人間を超えるか 松尾、『ポスト・ヒューマン誕生』、ロボットは友だちになれるか、インターネットを生命化する、基礎情報学のヴァイアビリティ
    (著作)『集合知とは何か』、『AI』、『続基礎情報学』、ネット社会の「正義」とは何か、

  • 【ノート】
    ・西垣センセーの情報学のテキストは、難しそうな面構えの割に読みやすい印象があったので、本書も期待して読み始めたのだが、人間と人工知能との比較検討が乱雑。特に中盤から終盤にかけてはその印象が強い。

     例えば。

     芸術は過去にないものを創り出すものだが、人工知能は過去のパターンから持ってくるだけなので、よって芸術は人間によってしか可能たり得ないというくだりがある。著者のお仕事と本書の性格から言って、では、人間が芸術を創り出す時の知能のプロセスが、人口知能のそれと、どう違うのかということを提示してくれて然るべきでわ?

    ・ただし、人工知能肯定派(カーツワイルとか)は、まだ解き明かされていない人間の知能の働きを、モデル化という形で単純化したまま、処理速度の向上を以ってシンギュラリティの強力な論拠としているが、それでは知能の働きの大事な部分がこぼれ落ちたままになるという主張には強く同意。とは言え、色々なものの解像度が粗くなっていくのは、例えば音楽のアナログ→デジタルへの移行やインスタント食品なんかとも共通な現象なので、文明の発展の必然なのかもという気持ち(諦念に近い)もあるけど。

    ・それと同時に、人工知能に感情や心がないと断定はできんでしょうとも思う。人間だって、人体を構成している物質は分かってるけど知能や心の働きは未解明。もしかしたら未知の物質なり引力・斥力の働きによる動的生成なりで動いているのかも知れない。だから、トランジスタやシリコンでできているものにも「心」の動きがあるかも知れない。戦国魔神ゴーショーグンで「機械は友達!」とかって言ってたアレだ(違うか)。

    ・AI礼賛なバラ色SF未来への批判的論旨をふむふむと首肯しながら読み進めていったら、あれれ?肝心なところの紐解きはスルーですか?というのが散見される印象。ただし、読む価値はある本だと思う。

  • 情報工学の専門家によるビッグデータと人工知能に関する本。主として人工知能について、どういうものかが説明されている。今後どうなっていくかについては、人間の脳に並ぶとか超えることは考えられないというのが結論。人間の脳と同じような仕組みを目指すというような研究開発は失敗する可能性が高く、安易に乗らないことを警告している。説得力があった。ただ、自らが関与した研究や哲学的な論述など、回り道が多いようにも感じた。
    「ビッグデータ分析の最大の魅力は、当初の使用目的とは異なるさまざまな角度からデータを眺めることで、思いがけない発見が得られることに他ならない」p30
    「(人工知能キーワード「論理」→「知識」)人間は問題を解決し意思決定をおこなうとき、筋道を立てて論理的に考えようとする。だが、それは積み重ねられてきた社会的体験に基づく知識を踏まえたものなのである。難しいパズルに挑戦するときのように、論理だけで判断するわけではない」p59
    「人間は日常、常識に基づいてフレキシブルに行動している。だが、この常識というのがクセモノで、いわば矛盾や誤りだらけのしろものなのである」p64
    「軍需産業の支援の下で、人工知能技術が進歩発展していく可能性は高い。そして、その詳細は一般には決して公開されないだろう」p103
    「ロボットに搭載された人工知能は、基本的に、論理処理を行う機械である。そして、ロボットの「体」は、多細胞生物である動物とはちがって、あくまで人工知能の指令に従って動く忠実な物体である」p131
    「科学技術分野は多かれ少なかれそうだが、日本のIT業界は原則として、徹底した欧米追従である」p163

  • 批判的な態度を裏付ける説明は科学的でさすがという感じなのだが、何も得るものがなかった。帯にある「人間の知性を鍛えるために」とは程遠い。ビッグデータと人工知能についての説明の、文体の違いしか他の本との間には無いように思う。日経の一面に載って初めて概念が世に現れたと思うような人たちに背丈を合わせるとこうなるのか。紙面が足りないだけなのか。人間の知性の問題は、AIというイシューが浮き彫りにしてくれているだけであって、AIそのものの問題やデジタル社会論とは関係無いんじゃないだろうか。批判する方向を間違えている。

  • ビッグデータ、人工知能とは何か。どういう可能性が期待ができ、どこからが期待しすぎなのか。このテーマに長く携わってきた著者の、バランスのとれた視点からの論考。

    第1章ではビッグデータの特色を述べる。3つのV(Volume/Variety/Velocity)=膨大なデータ量、多様なデータの種類、これらを処理するハード/ソフト技術。
    生産形態の効率化や、安全・安心の向上に役立つ可能性がある反面、プライバシー等の倫理的問題も懸念される。基本になっているのは、因果より相関関係という考え方である。一方実際に社会で行われる判断は仮説推量が多く、相関たるビッグデータに代替を求めるのは難しい。

    第2章では、人工知能の発展史を振り返った上で、機械学習の可能性を検討する。
    1930年代のノイマン、チューリングにまで遡り、その考え方の背景に19-20世紀の西洋哲学の趨勢があったことを指摘。ラッセル、フレーゲ、ヴィトゲンシュタイン等の論理主義。1950年代後半の第一次人工知能ブームはこの流れの先にあったもの。
    1980年代には第二次ブーム。論理+「知識」で人工知能を実現しようとする知識工学。エキスパートシステムの開発。筆者はこの頃よりコンピュータ開発に関わるが、あわせて疑問も持つようになる。
    文脈を理解すること(フレーム問題)、自然言語の意味を理解すること(記号接地問題)はコンピュータにとって困難である。第五世代コンピュータプロジェクトの挫折。
    2010年代に第三次ブーム。キーワードは「統計(ならびに学習)」。ニューラルネットワークの活用による深層学習。

    第3章ではシンギュラリティについて論じる。
    シンギュラリティ=技術的特異点=テクノロジーの急激な進歩により、人間の生活が後戻りできない程変容するという仮説。未来学者カーツワイルが2005年に予言したが、深層学習の成功を受けて2010年代ににわかに脚光を浴びた。
    しかし人工知能が自己認識し、みずから賢くなっていくことは可能なのか。ここで筆者はコンピュータ=機械と生物の違いを論じる。コンピュータは仕組み上、過去によって規定されている。再現性に基づく静的な存在。
    一方生物は現在を生きる動的な存在であり、閉鎖系である。二次サイバネティクス理論、オートポイエーシス理論。クオリア(=内部でしか認識できない主観的な体験)を窺い知ることはできない、ゆえに意味解釈することが必要になる。

    第4章では、欧米で抱かれがちなロボット像と、その背景にある一神教的な思想に言及する。シンギュラリティ論の信奉者が抱きがちな人間を機械を見なす考え方は、1940年代に現れたシャノンの情報理論の水脈の末にある。しかし本来シャノンの論が扱ったのは記号の伝送効率だけであって、意味内容とは無関係。
    生物は他律的存在ではないゆえに、意味解釈に揺れがあり、そこに自由意志が存在する。機械が外部からは窺い知れないものになることによって、人間はそこに自由意志を幻視し、絶対者と見なすかもしれない。
    しかしいくつかの問題がある。何を正解とするかのパラメータは権威者の恣意にゆだねられかねない点、過去にとらわれるコンピュータの特性上未知の事態に対応できない点、他律システムである人工知能には責任が生じない点。
    「もしシンギュラリティ仮説が真実だとすれば、その影響をまともに受けるのは、政治や経済をはじめとする社会の機構や制度ではないのか。とすれば、文系と理系にまたがる知識教養を身につけたIT専門家チームによる、本格的な深い検討が不可欠なはずである(p165)。」

    第5章で、集合知は専門知に支えられる必要があり、AIではなくIA(知能増幅)という活用が理想であるとする。そのために価値基準を人間が定める必要がある。そうしたことのできる、文理両方の知識を身に着けた人材育成の必要性を訴える。

    AIの限界についての指摘は新井紀子氏の著書[ https://booklog.jp/item/1/4492762396 ]とも重なる。実際に開発に関わる人の見解はやはり共通するのだろうか。一方、新井氏が同じ問題意識を反転させ「では、人間にはできているのか?」と暗い見通しを示したのに対して、本書は人間そのものについては比較的楽観的な見方。
    今読みかけている[ https://booklog.jp/item/1/4309227368 ]とも通じる。

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著者プロフィール

東京経済大学コミュニケーション学部教授/東京大学名誉教授

「2018年 『基礎情報学のフロンティア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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