戦艦武蔵 - 忘れられた巨艦の航跡 (中公新書 2387)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023872

作品紹介・あらすじ

二〇一五年、戦艦武蔵がフィリピン沖海底で発見され、世界の注目を集めた。だが、太平洋戦争中の一九四二年に完成し、四四年のレイテ沖海戦で撃沈された武蔵は、敗戦後、長きにわたり半ば忘れられた存在だった。姉妹艦の大和が一貫して脚光を浴び、戦記や映画、アニメなどで繰り返し描かれたのとは対照的である。両者の差はどこから生まれたのか。建造から沈没までの軌跡を追い、さらには戦後日本の戦争観の変遷をたどる。

感想・レビュー・書評

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  • 戦艦大和と武蔵。姉妹艦それぞれの劇的な最期。対象的な戦後の描かれ方。珍しく二番艦の立場にスポットを照らし戦後ニッポンの戦争感を描く。

    戦艦武蔵は大和に比べ、出番も少なければどうしようもなく悲劇的な描かれ方が多い。

    単に時代遅れの大艦巨砲主義という見方だけでなく、開発の経緯、戦後ニッポンへの技術貢献なと多角的な視点から検証している。

    戦後多く出版された書物のスタンスの比較は圧巻。

    また証言における作為、歴史の事実についての難しさを感じる。

  • いつものように良いテーマ。

    しかし、何故かこの著者のレビューには必ず、テーマと中身が云々だの疑問に答えきれていないだの最後まで語られていないだの(意訳)といった謎のレビューを見かける。

    そういう人は答えを与えてもらおうとするだけで自分で考える頭が無いのだろうか?

  • 「戦艦大和」とは異なり民間企業の製品である「戦艦武蔵」を深い理解するための決定版ともいうべき内容。

    同型艦の大和と異なり、武蔵の映画などのメディアに取り上げられない、何故か?という疑問へ1つの回答をくれる。
    大量の資料に裏付けられた大和との比較。
    ドラマじみた戦場における感動シーンの戦記物に「あり得ない」という鋭い指摘には脱帽せざるを得ない。

    本作終盤において、男臭い・ミリタリーとは真逆の美少女・萌えのゲーム「艦これ」にも触れ、現代に生きる我々に、社会比較学者として鋭い指摘を与える。

    吉村昭の名作「戦艦武蔵」で納得していた浅はかな自分に、刺激を与えてくれた作品。

  • 同型艦の大和に比べ、なぜ武蔵は目立たないのか。この疑問を軸に、武蔵とそれを取り巻く海軍、ひいては戦中から今日に至る日本人の戦争観の変遷までを俯瞰する。今日擬人化されたサブカルと、当時浮沈神話を纏った巨艦信仰を、同じく「ファンタジー」と大胆に括ったところは面白かった。また同艦乗組員の間でも士官と下士官では見えていた世界がまるで異なり、必然的に相克や怨みが生じたという、階級社会(≒身分差別)における断絶を描き得た点、日本軍の象徴であり縮図とも言える武蔵は、やはり格好の題材だったように思う。

  • 「なぜ大和は脚光を浴び、武蔵は忘れ去られたのか?」という惹句を見て手にした一冊。
    両艦について書かれた大量の文献を読み込んだことがよく分かる力作であるのはまちがいないのだが、どうにも違和感を禁じえない。その理由は二つある。
    ひとつは、本書の目的が上記の疑問に答えることを通じて、なぜ人々が戦争にリアリティを持てなくなっていったのかを論じることにあるからだ。つまり、本書のタイトル、および惹句は、著者が書きたいことのイントロにしか過ぎないのだ。
    もうひとつは、著者が凝った(妙な?)形容やフレーズを連発することだ。冒頭で大和が擬人化(アニメ・キャラクター化)されている事例を取り上げ、それ以降、本書の中では、戦争も大和も武蔵も「ファンタジー」だったという表現が多用される。また、両艦の乗組員が、戦後になって、戦争中の事実がゆがめられることへの反駁を覚えることを「事実への逃避」と表現する。いい形容やフレーズをひらめいたと思って自画自賛しているのだろう、という想像をしてしまうくらいの多用には、正直、辟易としてしまう。
    「なぜ武蔵は忘れ去られたのか?」という冒頭の疑問には明確な答えを出しているだけに、こうした違和感から本書の価値が大きく損なわれてしまっているのが残念でならない。たとえページ数が半分になっても、両艦の差異だけに絞って書いた方がよかっただろう。

  • 戦艦武蔵の語られ方について論じた一冊。
    武蔵の艦歴や技術的特徴などには深く突っ込まず、むしろ武蔵に関する様々な言説から、武蔵の語られ方を読みときつつ、戦争や戦艦の様々な「ファンタジー性」に言及するなど、内容は多岐にわたる。
    戦争を知らない我々が戦争や兵器をファンタジー的に捉えるのは当然として、当時の人々もまた同様であるという指摘は、なるほどと思える。

    著者の戦艦に関する理解を知りたくて読んでみたんだけど、去年読んだ『飛行機の戦争』より面白かった。『飛行機の戦争』も読み直してみるか。

  • 1944年に完成、46センチの巨砲を備え、日本海軍の切札として期待された戦艦武蔵。しかし、資源不足の日本で武蔵はその巨体を持て余し、活躍することなく沈没。

    武蔵の存在は悲劇なのか、喜劇なのか。本書では武蔵の不幸な運命の原因を探る。

    よく比較されるのが戦艦大和。戦果をあげず沈没した点では共通しているのに、武蔵のストーリーはあまり知られていない。その理由は武蔵の沈没が物語性として陰鬱だったからだ。ゆっくりと沈没したため、爆発した大和に比べて生存者は多かったのだが、その生存者が日本へ送還された者と島に残って補充兵となった者に分かれたことで、生存者同志の一体感が失われた。戦後、生き残った者が武蔵のことを語りにくい雰囲気が生まれてしまったのだ。

    大和と比較される不幸な戦艦武蔵。主人公となった吉村昭の小説でも戦闘中のことが触れられないのは、聞き取り取材ができなかったせいなのだろう。

  • 伝単研究から一ノ瀬先生の本は継続して読んでいます。

  • 海軍的なものへのノスタルジーが復古するトレンドには、警戒心を抱きつつ、吉村昭の小説以外ではあまりスポットを浴びることのなかった「武蔵」をめぐるトリビア、証言を集めている。
    特に筆者がテーマとしているものは、別に「武蔵」に仮託する必然性は無さそうだった。

  • 二〇一五年、戦艦武蔵がフィリピン沖海底で発見され、世界の注目を集めた。だが、太平洋戦争中の一九四二年に完成し、四四年のレイテ沖海戦で撃沈された武蔵は、敗戦後、長きにわたり半ば忘れられた存在だった。姉妹艦の大和が一貫して脚光を浴び、戦記や映画、アニメなどで繰り返し描かれたのとは対照的である。両者の差はどこから生まれたのか。建造から沈没までの軌跡を追い、さらには戦後日本の戦争観の変遷をたどる。

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著者プロフィール

一ノ瀬 俊也(いちのせ・としや) 1971年福岡県生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程中途退学。専門は、日本近現代史。博士(比較社会文化)。現在埼玉大学教養学部教授。著書に、『近代日本の徴兵制と社会』(吉川弘文館、2004)、『銃後の社会史』(吉川弘文館、2005)、『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書、2009)、『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」』(文藝春秋、2012)、『日本軍と日本兵 米国報告書は語る』(講談社現代新書、2014)、『戦艦大和講義』(人文書院、2015)、『戦艦武蔵』(中公新書、2016)、『飛行機の戦争 1914-1945』(講談社現代新書、2017)など多数。

「2018年 『昭和戦争史講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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