競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023919

感想・レビュー・書評

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  • サラブレッド誕生前夜どころか紀元前の競馬事情から2015年までの、日本を含めた世界の競馬の歴史を、総合的にたどっていく本。

    競馬の逸話がふんだんにちりばめられている本です。それこそ「名馬とは記憶に残る競走馬」のテーゼがあるとしたらそれにしたがって、記憶に強烈に残るからこその競走馬そして競馬、というその魅力をさまざまなエピソードから伝えてくれています。

    本書プロローグで触れられているデットーリ騎手による一日の総レースである7戦を全勝した出来事(マグニフィセント・セブン)を僕は知らなくて、レジェンドたるところのひとつの究極的達成がこういうことだったのか、とこれまで見つからなかったパズルのピースが思いもかけないところから出てきた、みたいな満足感を得るトピックでした。

    今や名手・岡部幸雄元騎手の総勝利数記録(歴代2位)に迫る横山典弘騎手が若い頃にはデットーリ騎手をまねてフライングディスマウント(パッと馬から飛び降りる)をしていたくらいですから。昔はデットーリ騎手を前にすると日本の一流でもミーハーになるみたいなところはありましたよね(このあいだの日曜日のメインレース・中山記念を横山典弘騎手は見事に優勝されて、その口取り風景でなんとフライングディスマウントをされていました)。


    さて、有名なサラブレッド三大始祖。バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアンの三頭ですが、彼らの逸話が興味深かったです。たとえば、ゴドルフィン・アラビアン。彼にはグリマルキンという、終生の友となった猫がいたんですって。絵画が残っているとのことでした。また、バイアリータークはバイアリー大佐のターク(トルコ馬の意)という意味合いの名なのですが、この馬はバイアリー大佐とともに戦場で反乱軍に囲い込まれたとき、卓越した敏捷性と凄まじいスピードで包囲を突破したのだそうです。最後にダーレーアラビアン。三白流星(脚元三つの足が、靴下を履いたかのように毛が白く、鼻筋にはすうっと白い毛が通っている見た目のこと)の容姿と、均整の取れた体躯をしていて、現代日本競馬いえばトウカイテイオーのような見た目です(トウカイテイオーにダーレーアラビアンの血が濃くでた、なんて考えてもいいのでしょうか)。ダーレーアラビアンは、ダーレーの一族の者がシリアで売買の交渉を持ちかけたのだけど拒否され、なんと盗んでイギリスに連れてきた馬だそうです。その遺恨のせいか、ダーレー一族の者が殺害された謎の事件があるのでした。


    次に触れるのは、最初のスター騎手、フレッド・アーチャー。19世紀に活躍したイギリスの騎手で、「彼が騎乗すればカタツムリでも勝てる」と言われていました。騎乗数8000回以上でその1/3以上を勝利したのだからとんでもない勝率です。ただ、傷つきやすい性格で、愛妻が亡くなるとほとんど錯乱状態になったり、愛娘にも先立たれつらい思いをしたそう。減量にも苦しんで、よく体調不良に陥っていたらしい。そういった苦しみのためなのか、29歳のときに拳銃自殺を遂げてしまう。広く大衆に崇められていたそうで、肖像画の複製はよく売れ、彼の結婚式ではファンの群衆を特別列車が運んだのだと。伝説的人物です。


    本書を読んでいると、たまに信じがたいほどにとんでもなく優秀なサラブレッドが登場します。エクリプスにはじまり、フランスから遠征してイギリス三冠馬になったグラディアトゥール、54戦全勝の牝馬キンツェム、種牡馬としてもかなり優秀だったハイペリオン、イギリスやフランスには劣るイタリアから生まれて世界の血統図を塗り替えたネアルコ、赤栗毛という珍しい毛色の馬で(ビッグレッドの異名を取ったそう)その強烈な強さからアメリカのアイドルホースとなったマンノウォー、二歳馬(まだ幼いデビュー年)のときから米年度代表馬となったセクレタリアト。

    日本でもシンザン、シンボリルドルフ、オグリキャップ、ディープインパクト、アーモンドアイ、そしてイクイノックスと、とてつもないパフォーマンスを見せる馬がたびたびでてきますが、競馬ファンはそういう馬の登場に心を持っていかれてしまう。気持ちよく。寺山修司の「さらば、ハイセイコー」という作品の伊集院静さんの朗読によるものを僕は持っているのですけれども、ああいうのを鑑賞すると、競馬のドラマと泥臭さと華やかさと、あれもこれもが混沌と重なり合っている感じのなかに希望や挫折があって、人々は競馬にそういうところを見続けてきたんだろうか、と「我思う」みたいになっていきます。


    でも、競馬には賭けがつきもので、人間は金銭にめがくらみます。イギリスでも昔から不正がはびこっていて、人気馬の脚を折る、毒を盛る、騎手を買収する、スターターを買収するなどなどの行為は珍しくなかったそうです。また、賭けたお金を持ってとんずらする業者も後を絶たなかったと。それでも訴えるわけにもいかず、泣き寝入りするしかない状態だったそうです。

    現代の日本ではJRAがきちんとルールを作り、厳格・厳正に競馬開催していますけれど、それってすごいことなんだろうな、と本書を読むとその重みを肌身に感じることになりました。

    競走馬のひたむきな走り、そして騎手の技、駆け引きに魅了されて楽しむ人が多くいる競馬ですが、そういった遊興の歴史を知ることもまた、レースをリアルタイムでみるように十分な娯楽たりえるものとなります。過去のこととなってもなお、僕らを驚かせ興奮もさせる競走馬そして競馬。人類は競馬なんていう、これを知ったらもう元には戻れないような大変なものをはるか昔に発明してしまったんだな、なんて大げさな感想を最後に持つに至るのでした。

  • 90年代、00年代が自分の中の最高潮だった競馬熱、その時期楽しんでいたギャロップレーサーというゲームから、過去の名馬たちにも勝手に親しみを覚えている。

    それらを通しで確認できたのはおもしろかった。
    てか、海外の競馬場行きたい。

  • わたしはこれまで実際のレースやゲームを通して競馬に興味を持ち、テレビで競馬関係のドキュメンタリー番組をときどき見たり、あるいは必要に応じてWikipediaを読みあさるなどしてきたけれど、自分の知識が断片的になってしまっている自覚があった。実際、日本の競馬についてはそこそこ興味を持ってきたものの、海外の競馬についてあまり知らなかったし、自分の競馬知識を一度俯瞰して整理しておきたいとぼんやりおもっていた。そんなときに『競馬の世界史』というタイトルの新書を偶然見かけて、もう反射的に手に取ってしまった。

    結論から言うと、本書は期待以上の内容だった。競馬には、豊富な財力のある人たちが集まって自慢の所有馬を競わせるという面と、その模様を民衆が観戦し、出走馬にお金を賭けるという面、大きく言ってふたつの側面がある。本書はこの両面をしっかり踏まえているので、記述に大変説得力がある。そして競馬が発展する中で、レース施行の条件を整備し、レースを公正に行う役割を果たす組織としてジョッキークラブが現れてくる。競馬というと、どうしても個々の人や馬を中心に見てしまいがちだけれども、ルールを「制定」し「裁定」する機関について書くという目線が斬新に感じられる。たとえば競走馬の血統書が発行されるようになったのは、売買時に良血だと偽ることが横行したからだろうとわたしは考えていたけれど、それだけではなかった。レースのときには良血馬だと負担重量が増量されることがあり、それをさけるのに血統が悪いふりをするケースもあったという。血統書には、レースでの負担重量を軽くするために血統を偽る不正への対策の面があったというのはやや盲点だった。もちろん最近でこそあまり言われなくなったものの、以前は日本でもマル外の馬がクラシックに出られないとか、マル父のレースがあったわけで、考えてみれば不思議はないのだけど。

    本書で描かれる馬運車開発のエピソードもおもしろい。競走馬を競馬場まで運ぶとき、昔は人が馬を曳いて徒歩で連れていくのがふつうだった。ところがあるとき馬を徒歩で運んでいたのではレースに間に合わなくなる事態が発生したらしく、出走馬を大急ぎで運ぶのに馬運車が作られたという。馬運車が開発されたのは19世紀の前半で、自動車が普及するよりもはるかに昔のこと。だから当時の馬運車の動力は馬だった。馬を運ぶのに6頭引きの馬車を使ったというから、逆転の発想というか、苦肉の策というか、金にものを言わせた解決法でつい吹きだしてしまう。ところが馬運車で運ばれたこの馬は、通常であれば歩かされるはずだった道のりをずっと休まされていたので元気があったのだろう、なんと大レースを勝ってしまう。馬運車は言ってみればルールの穴を突くような形で登場したけれど、この一件をきっかけに馬運車を使う人があらわれはじめたという。

    本書ではクラシック競走成立の経緯についても触れられている。昔は競走馬の能力は7歳から8歳ごろにピークをむかえると考えられていたようで、またレースの方式も出走馬を固定して複数回レースをして勝敗を決めるヒート競走が主流だった。距離も4マイル以上を走るのが当たり前だったという。だから3歳馬による一発勝負のレースとして企画されたセントレジャーステークスやオークス、ダービーが当時としては非常に斬新だった、というのもうなずける。いまや、セントレジャー、あるいは日本の菊花賞にしても距離が長いと言われレベルの低下が言われることもあるわけだけど。

    さらに本書ではサラブレッドの三大始祖を筆頭に、歴史的に重要な馬たちが時代順に紹介されていく。とりわけ後半、戦後に入るとわたしでも名前を知っている世界的な超有名馬が次々に出てくるのだけど、バラバラの点でしかなかった知識が線になってつながっていくのはかなり快感だった。

    日本の競馬についても開国期の時代から書かれていて興味深いけれど、分量的にはそれほど多くない。ただ日本各地にあった競馬倶楽部(競馬の施行団体)が統合されて日本競馬会が設立されたという記述は興味深い。大きな流れで見れば、日本の中央競馬も「1940年体制」と考えられるのかもしれない。

    以上に述べたように、本書では競馬にまつわる話題がかなり手広く手際よく紹介されていて、競馬の歴史を概観するにはかなり読みやすいと感じる。一方、個々の人や馬のエピソードなどはどうしても淡白になってしまうので、競馬になじみのない人がいきなり本書を読むと味気なく感じるかもしれない。その反対に、競馬のことをある程度知っている人でも、もの足りなさを感じるかもしれない。アレフランスが出てくるのにダリアは出てこないの?とか、バックパサーが出てくるのにドクターフェイガーやダマスカスは出てこないの?とかカブヤラオーが出てくるのにテスコガビーは出てこないの?などなど。

    本書ではセントサイモンが当然取り上げられている。セントサイモンが種牡馬として一気に栄華を極めた時代については書かれているけれど、その後セントサイモンの父系が急激に細ってしまったこと(いわゆる「セントサイモンの悲劇」)についてはとくに言及がなく、この点もややもの足りなく感じる。一方20世紀のはじめごろに、英ダービーを制する牝馬が次々現れた(1908,1912,1916)ものの、それ以降牝馬の勝った例はないことについては書かれている。これはひとつの説だけれど、有力種牡馬がいなくなり「端境期」みたいなものが生まれたときに牝馬が活躍をはじめるという話がある。このあたりの説はたとえばサンデーサイレンス亡き後の日本の競馬について言われてきたことではあるけれど、「セントサイモンの悲劇」と対比させる形で、20世紀初頭の牝馬によるダービー制覇について触れてみてもおもしろかったのではないだろうか。

    また本書は公正な競馬を実現するために重ねられたいろいろな努力を紙幅を割いて説明しているので、せっかくだからたとえば発馬機(ゲート)の歴史に触れてみてもよかったのではないか。あるいはレースの格付け(グレード制)の歴史をかるく解説してみてもおもしろかったのではないか。著者はエピローグで「日本の競馬のレヴェルはもはや野球やサッカー以上に世界レヴェルにある」と書いている。その主張の当否については議論があるだろうけど、それなら日本が「パートI」国に昇格し、格付けが国際化したことなどを踏まえておくと、主張にもっと厚みを出せただろうとおもう。20世紀以降の競馬について、本書の記述は有名馬の活躍や有名なレースを列挙する方向に重心が傾いてしまっている感がある。一方、20世紀以降でも競馬にまつわるルールを整備するような努力は続くわけで、そういう話題をもっと取り入れるとバランスがよくなったのではないだろうか。

    競馬は創作か実話かわからないようなエピソードが豊富なので、そう考えると本書の記述は総花的で記述に厚みがないように見えるかもしれない。でも逆にいえば、本書に登場する固有名詞を検索したり、Wikipediaを読むなど、「続きはWebで」方式でさらに楽しめるということでもある。そういう意味で、競馬に関する個々の細かいエピソードは断片的に知っているけれど、全体的な歴史や流れはよくわからないという人なら、本書は十分楽しめるのではないかとおもう。巻末には馬名索引がついているので、名馬カタログ的にパラパラながめてみるのもありかもしれない。

    中公新書というとお堅いイメージがあるけれど、本書は意外にもかなり気楽に読めた。一方これは余談だけど、わたしの手元にある本書の初版には、わたしでも気づくような誤字らしき箇所がいくつか見られた。あと、文章が若干こなれていないように感じられる下りもあり、校閲に不安を感じてしまった。

  • 競馬の歴史といっても、3つの側面があると思います。
    1 文化史
    2 名馬の戦績
    3 種牡馬・繁殖牝馬の血統の連なり

    本書では明確に分けているわけではありませんが、前半では文化史を主に追っていきます。
    ギリシア・ローマにおける戦車競走に始まり、ダービー・オークスが成立する18世紀までには、競走や賭博の公正さを確保するための努力がありました。
    また、同時平行でサラブレッドの改良が進められ、本書の後半は、名馬が好成績を残して、種牡馬となり、その遺伝子が子に受け継がれていく、その歴史を追います。

    現役競走馬の5代前よりも更に昔からサラブレッドの血統は続いていて、改良の果てに今のレースがある。そう思うと、戦争や政治よりも一層身近なものとして、歴史を感じることができます。
    競馬新聞に書いてある血統の情報はせいぜい2世代くらいのものですが、深掘りすれば全ての競走馬の父系をたどれば三大始祖にたどり着くというのは、人間の歴史にはないロマンがあります。

    また、明治維新後の日本は、こうした文化や血統を急速に取り込みました。
    その成果が、ちょうど100年前に成立した競馬法であったり、戦後に制度化されたクラシックであったりするわけです。
    その制度化されたレースで、数々のドラマが生み出されていきました。

    折しも2023年11月4日は、サンタアニタパーク競馬場でブリーダーズカップが開かれ、日本馬も多数出走しました。
    こうした海外のレースにも賭けることができる昨今において、各国の競馬場、レース体系、血統についての興味は尽きせぬものがあります。
    海外における日本馬の活躍と血統の知識を、本書は更に面白くさせてくれました。

  • 広くまとめてあり勉強になる。エクリプス、セントサイモン、ハイペリオン、ネアルコ、ノーザンダンサー、ニジンスキーなどなども登場してにやけてしまう。

  • MR1f

  • エルコンドルパサーの凱旋門賞を生で観戦しているこの著者は何者だと思ったが、ローマ史の研究者らしい。この後に読んだ「教養としての世界史」で、作中やけに競馬の記述が多いと思ったら同じ著者だった。競馬は一年ごとに馬の顔触れが変わってくるので、積み重ねてきた歴史とドラマも膨大な数になる。競馬ニュービーの私に本書は入門書として最適だった。

  • 競馬の歴史が面白く学べた。
    しかし分かりにくい。時代がとんだり戻ったりする上に年代も「~から何年後」という表記でメモを取らないとついていけない。年表があれば全然理解のしやすさが違うんだが。

    さらに表現に重複が見られ校閲不足を感じる。
    あとがきを読むと100日で書かれたとあるが著者が一気にかきあげた勢いが感じられる。

    内容は素晴らしいがまとめ方が荒削りで読みながら自分で年代をまとめないとついていけない点がマイナス。
    あとこれは競馬と関係ないが在来馬保護の視点が全くない。

  • 二度と読みたくない。

  • 20190106

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著者プロフィール

1947年 熊本県生まれ
1980年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程(西洋史学)修了
現在 東京大学名誉教授
西洋古代史。『薄闇のローマ世界』でサントリー学芸賞、『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞、一連の業績にて地中海学会賞を受賞。著作に『多神教と一神教』『愛欲のローマ史』『はじめて読む人のローマ史1200年』『ローマ帝国 人物列伝』『競馬の世界史』『教養としての「世界史」の読み方』『英語で読む高校世界史』『裕次郎』『教養としての「ローマ史」の読み方』など多数。

「2020年 『衝突と共存の地中海世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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