応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 2565
レビュー : 252
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024015

感想・レビュー・書評

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  • 教科書ではサラッと流れる応仁の乱。実はこの前後で人々の考え方や行動が大きく変わった出来事だった、として、この戦いを掘り下げた書。戦いの構造の複雑さ、、英雄の不在、決定権のなさ等から、ズルズルと10年以上も洛中が戦禍に苛まれた。この間、徐々に、下克上や地方の自立の機運が上がってきているのが本書に描かれる。
    興味深かったのは、奈良が畿内の火薬庫だったこと。複数の軍事勢力を微妙なバランスで興福寺が御していたようだ。まるでチェコスロバキア。。。

  • 5、6年前だったか?ふと、「応仁の乱って、結局どういうものだったんだろう?」と思ったことがあって。
    例によって、アマゾンで「応仁の乱」で検索してみたんです。でも、特にない。岩波新書やちょっと高そうな学術書っぽい本くらいで。
    あとは、『花の乱』がまさにその時代とわかったんで。とりあえず、1巻だけレンタルして見たんですけど、両脇が切れた画面だと、な~んか見る気がしないと(笑)

    そんなわけで、それっきりになっちゃった「応仁の乱」ですけど、思うに、実はそういう人って結構いたんじゃないでしょうか?
    そんな風に、長年にわたって「応仁の乱」にモヤモヤしたものを抱えていた人たちの前にいきなりパッと現れた光明。
    この本がヒットした理由って、ソコなんじゃないかと(笑)

    というのも、ネットや読んだ人の評価がまちまちだったんですよね。
    「面白かった」、「よくわかった」という人もいる反面、「あの本は応仁の乱じゃなくて、応仁の乱の時代の大和の話」とか、「むしろわかんない」という人まで。
    それどころか、「買って読み始めて、かれこれ半年…」なんて、妙に詠嘆口調の人もいたり(笑)
    かく言う私自身、本屋でペラペラめくってみて。
    興福寺がどーちゃらこーちゃらと始まる内容に、「興福寺って、藤原氏の氏寺だろ。どーでもいいよ、そんなもん。平重衡エラい!」などと暴言――思っただけなので正しくは暴言ではないんだけどw――を吐いて、面白そうなミステリー小説を買っちゃったと(笑)

    なのに今更読んでみたのは、たんにアマゾンで古本が安かったからなんですけど、読み始めてすぐ思いました。「呉座勇一さん、お見それしました。興福寺さん、ゴメンなさい」と。
    いやはや、これは面白かったです。もうほとんどオタク!それもコテコテの。
    しかも、ちょっと陰にこもったオタクさ(笑)

    確かに、外側から書くしかないんでしょうね。「応仁の乱」って。
    だって、主人公になる人がいないんだもん。
    一番活躍(活発に暴れまわった?)した畠山義就を視点に見たところで、それは「応仁の乱」の元(&厄介者w)であって、「応仁の乱」の全体じゃないわけですもんね。
    「応仁の乱」といえば教科書的には山名宗前と細川勝元ですけど、彼らは主役というよりは、火に油を注ぐだけの脇役に近い。そもそも乱の終息を見ずに死んじゃう。
    かといって、将軍義政や日野富子の視点で見るというのも微妙に違う。
    乱の元である家督争いが将軍家にまで及ぶことで、義政・富子も渦中の人になっていくわけですけど、そこは殿上人。イマイチ切迫感がない(ま、殿上人なりには切迫してたんでしょうけどねw)。
    つまり、第三者という外側からの視点で輪郭を描いていくしかないわけで、それを興福寺の経覚と尋尊による日記にした(一番適当だった)ということなんでしょう。

    さらには、この「応仁の乱」。いわゆる教科書的な「応仁の乱」の西軍と東軍の戦いをメインに書いちゃうと、結局「応仁の乱って何だったの?」になっちゃうという、なんとも厄介な出来事で。
    その前と後も延々書いとかないと、「応仁の乱」が見えてこないという、ほとんど四次元世界(笑)

    そんな四次元的大乱をよくここまで咀嚼してくれたなーと、著者には感謝感謝なんですが、とはいうものの「じゃぁ応仁の乱ってどういうことだったの?」となると、「あれっ!?」みたいな(爆)
    確かに流れは理解したんです。ほぼ(笑)
    とはいえ、この「応仁の乱」の特徴である、個々の出来事と出来事の絡み合いを完全に把握できてないんでしょうね(完全というのも変ですけどw)。
    ただ、それはもう一度読み返すとか、他の「応仁の乱」本を読むとかしないと…ということなんでしょう。
    とはいえ、それはとっても楽しみだったり(笑)

    この『応仁の乱』とその前に読んだ『戦国誕生』で長年抱えてきたモヤモヤがやっと解消された「応仁の乱」ですけど、「応仁の乱」そのものよりも興味を引いたのは「武士」というモノです。
    気づいたのは、「武士」というモノを、(たぶん)江戸時代の侍のイメージで見ていたんだなーと。
    さらには、この時代の武士は、その武士の政権である「幕府」を今的な政治をする存在としていたのではなく、諍いの調停をしてくれる存在としていた傾向が強いということ。
    それは、鎌倉幕府(あるいはその前の武士の棟梁)に求められていたことからほとんど変わっていないということで、つまり、同じ幕府でも江戸幕府とは全然違うということなんでしょう。
    この『応仁の乱』では「終章 応仁の乱が残したもの」で書かれていますが、守護が在京し、守護代が領国を治める室町時代前半の形態が「応仁の乱」によって変わり(というよりそれが応仁の乱の原因でもあった)、守護(や守護代)が直接治めるようになって。さらに、領民や家来に離反されないよう、領国経営をするようになっていく。
    つまり、わかりやすい例では信玄堤ですよね。年貢増のために、収穫を増やすために、領民のために領国に注力せざるを得なくなっていく。
    一方、中央(幕府と朝廷)は伝統と慣習によって保たれている権威で権力を取り戻そうとするものの、その権威も地方の有力者たちに利用されるだけのものになっていく。
    かくして、時代は(地域の)群雄割拠の戦国の世に突入していくということなんでしょう。

    また、「応仁の乱」がここまで要因と要因が複雑に絡み合っているのは、武士が不届きな事をしたとしても追放されてお終い。命までは取られないという、この時代の慣習?(将軍と足利一門、その他武士のなあなあで成立している幕府ゆえ?)のも大きかったように思いました。
    幕府から追放されたり、領国に逃げちゃっても、ほとぼりが冷めたらまた戻ってきて(あるいは、将軍や管領の都合で呼び戻されて)。でもって、ある者は過去の恨みで騒ぎを起こし、ある者は敵対していた者についたりと。
    とはいえ、トップの義政からして、東軍だったかと思うと西軍寄りになったりなんて状況ですからね。「応仁の乱」を速やかに終わらせるのは、CⅠAを従えたアメリカ大統領だって難しいんじゃないですかね(というか、アメリカ大統領はもっと無理?w)

    また、応仁の乱というと、将軍義政のダメダメっぷりが随所で出てくるわけですが、それでも腐っても将軍なんですね。この時代は。不思議なくらい権威と威光がある。
    信長の時代、どう考えたって木偶の坊にすぎない足利義昭が妙なくらいしつこく活躍出来たのはこういうことだったんだなーと、納得できました。

    いやー、この呉座勇一氏のオタクっぷりは本当に面白い。
    個人的にはそのオタクっぷりで、あの鎌倉時代の血みどろの粛清の歴史を解説した本を書いて欲しいなぁ~。

  • 後半は少し読みづらいかな。でも教科書的でない応仁の乱の概要はよく理解できる

  • 大和国”守護”の興福寺、そのトップ(摂関家出身)の日記を軸にややこしい応仁の乱の推移をたどっていく。中世奈良の権力の有り様、河内国での戦乱の様子もわかる。戦後に起こった階級闘争史観から脱却している。

  • 結論、しごく真っ当で硬派な歴史本。やたら複雑な登場人物たちについて、間違い覚悟でえいやで書くとこんな感じ。

    ① 各種のもめごとの積み重なり

    - 天皇家。南朝と北朝を足利義満に統一させられたが、「たすきがけ人事」の約束を反故にされ北朝系の天皇が続いたことから南朝は激怒、後南朝が生まれてぶち壊し。
    - 将軍家。ゴッドファーザー足利義満の死後は権力弱体化。「決められる政治」を期待され将軍となった義教は、いざ強権を発揮すると「一強を許すな」とばかりに謀殺されてしまう。8代義政は後世いわれているようなバカ殿様ではなかったが、自分の後継者問題でしくじり派閥形成を許してしまう。
    - 興福寺。摂関家の貴重な天下り先。が、内輪もめで一乗院系と九乗院系とに分裂して対立。荘園経営を地方の武装集団に委ね権力争い。
    - 大名。将軍の側近として権力を揮いたい細川家と山名家、地方でえばりたい畠山家。が、畠山家で内輪もめ。ライバル畠山の弱体化を狙いたい細川が一方に肩入れ、反対側に泣きつかれた山名も後ろ盾を買って出る。結局山名対細川の壮大な派閥抗争に。
    - 農村。地方武士は、荘園経営の代理人と言いつつ、年中土地をめぐる小競り合い。農民は農民で、あるときは興福寺系武装集団と組み、あるときは地方豪族と組み、またあるときは一揆として独立し、縄張り争いに参加。
    - こうして、各地の小規模紛争解決にてこずっている間に大名同士が将軍候補を掲げて全面戦争突入。

    ② 下剋上、の意味
    - 身分制度を打破して実力でのし上がる男のロマン、という面もあるだろうが、どちらかというと「主従関係も度外視、常に有利な側に寝返りまくる理念なき合従連衡」というのが実態に近そう。
    - よって紛争解決に必死なのはむしろ義政ら権力者側。ただし、彼らも自分が不利な状態で終わるのは絶対嫌なので乱が止まらないのもまた事実。

    それぞれがそれぞれの思惑で利害を主張しているからいつまでも終わらない、どころか戦火は広がる。平和なときは、それを維持する強大な軍事力がいる(ことが多い)。なににせよ、「平和のために一歩も引かない」と言っている限り平和はこないな、大事なのは「落としどころ」を探るセンスだな、というのが読後感。

  • 優柔不断な将軍義政、悪妻日野富子。両陣営の後ろ盾の細川・山名両氏の覇権争い。
    この程度のステレオタイプなイメージしか持っていなかったが、豊富な具体例から、それが決して正しくないことを教えてくれる。
    興味深い内容だったが、なぜこれがベストセラーになったのかはよく分からずだった。

  • 【展示用コメント】
     京都時間ではついこのあいだの出来事

    【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=2001687141&key=B154510120513410&start=1&srmode=0&srmode=0#

  • 名前は知ってるけど、説明できない。どうして起こったのか、誰が戦い、誰が勝ったのか、よくわからない。そんな不思議な日本史事実の一つが応仁の乱。ネームバリューだけは高い室町時代の戦乱をじっくりと解説したのが本書。

    応仁の乱は約11年続いたが、当事者の誰もがそんな長期戦を求めていなかった。長期戦になった理由は戦いの目的がコロコロと変わってしまったから。足利将軍家の跡継ぎ争いもあれば、有力大名の細川氏と山名氏の覇権争いに地元国人同士の争いもあった。それらが複雑に絡み合い、終わりたくても終われない戦いがダラダラと続くことになった。それが応仁の乱をわかりにくくしている。

    本書の参考資料の中心が奈良県の興福寺僧侶の経覚と尋尊の日記。京都で起こった応仁の乱を京都からやや離れた場所で様々な情報を集約し、客観視した情報だから信頼がおける。が、坊さんの意見ゆえに冒険譚的な面白みはない。

    そんな複雑な戦乱をまとめているのだが、読んでみても知名度のない人物ばかりが登場し、決してわかりやすくはない。そんな本がベストセラーになったのは不思議だ。それなりの歴史マニアでなければ読み通せず、おそらく多くの読書は読破を放棄しているはず。

  • 応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

  • May-18

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター(京都市)助教。専門は中世の日本の歴史研究。著書に「日本中世への招待」「陰謀の日本中世史」など。

「2020年 『1偉人1分 まんがでサクッと日本史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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