応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024015

作品紹介・あらすじ

室町幕府はなぜ自壊したのか-室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七〜七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか-。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 応仁の乱を、『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という興福寺僧の日記から読み解く。

    応仁の乱といえば、足利義政の息子義尚を擁する細川勝元と、義政の弟義視を擁する山名宗全とが都の東西に分かれて11年間戦った争乱で、これをきっかけに戦国時代に突入した、という漠然とした知識だけしかなかったため、先日読んだ門井慶喜さんの『銀閣の人』を機に、もう少しこの時代のことを知りたい、と積読していた本書を引っ張り出した。

    読んでみて改めて感じたのは、乱に至るまでにさまざまな歴史的経緯があり、その流れが次第に大きなうねりとなって時代を揺るがす大争乱になったということだ。考えてみれば至極当たり前のことなのだが、教科書的な知識だけでは過去からの流れはなかなかイメージしにくいものだ。
    応仁の乱の直接的なきっかけは、確かに細川勝元と山名宗全の覇権争いになるのだが、それに至るまでには幕府の要職についていた畠山氏の後継者争いに細川氏が介入して勢力をそごうとした経緯があるし、さらにさかのぼると、南北朝の動乱後も地元の武士の間で戦いが続いていた大和への対応を巡って畠山氏が将軍の不興を買った結果、お家騒動につながった、という経緯もある。
    また、争乱が長期化したのは、幕府を中心とした中央集権体制が崩れ、大名同士の横のつながりが薄れてきたことから、各大名がそれぞれの思惑でどちらかに肩入れした結果、乱の当事者たちが収束させたくても、もはやだれもが納得する収束のしかたがないほど混乱してしまった、という要因がある。そしてその後は各大名が自分たちの分国を死守するために京から地方へと帰ってしまい、足利将軍の失墜と下剋上の時代が幕を開けるのである。

    ところで、本書を読むきっかけとなった『銀閣の人』の主人公、足利義政であるが、本書を読んでずいぶんイメージが変わった。
    『銀閣の人』では、望まぬ将軍に担ぎ上げられ、妻の実家に何も言えず、ただ隠居して好きな文化的創造を行いたいと願う優柔不断な(現代人には共感大の)人物として描かれていたが、実際のところ、権力をなかなか手放さず、優柔不断なのに意に反したことをされると逆切れするようなめんどくさいタイプだったようだ。
    妻の日野富子も、『銀閣の人』では夫をコケにし、我が子を溺愛するあまり応仁の乱の元凶を作った悪妻のように描かれていたが、実際は妹が足利義視に嫁いでいることもあり、息子が大きくなるまでは義視が中継ぎすることについて特に反対をしていたわけではなかったようだ。
    物語としては面白いが、日野富子にとってはとんだ濡れ衣で、気の毒な話である。

  • なかなか面白かった。
    日本史有数の大乱であったにもかかわらず、その実際については戦国時代ほど知られているわけではない「応仁の乱」について、出だしを大和国の視点で説き起こすという新しい切り口で叙述した著者の野心作であると思われる。
    ただ、野心作ということもあるのだが表題として『応仁の乱』というのはいささか不正確なきらいがあり、叙述内容からいって『大和国と応仁の乱』または『興福寺大乗院と応仁の乱』とでもすべきだろう。

    興福寺大乗院門主にして興福寺寺務(別当)であった経覚と尋尊の目で辿る応仁の乱。それぞれの日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』を主なテキストとし、応仁の乱の前提のひとつである大和国の争乱から叙述を始めるところが目新しくとても勉強になった。
    『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という両者の立場で比較的に応仁の乱全体を見通すことができ、また大和国という守護不設置で衆徒・国民が割拠しながらも敵対したり一揆を結んだりと混迷を繰り返す大和国の特殊事情が興味深いため著者もこの舞台背景にしたものと思われる。

    尋尊の『大乗院寺社雑事記』は高校教科書にも登場するお馴染みの史料なわけだが、今回、経覚の『経覚私要鈔』と相照らしてみてそれぞれの性格からくる分析態度の相違にはなかなか興味深いものがあった。
    九条家の出である経覚に対し、経覚が将軍足利義教の逆鱗に触れ更迭された後、尋尊が二条家より新門主として迎え入れられたという過去を持つ二人。著者によればその性格も対称的なものであるという。
    先例にとらわれず柔軟に対処するが長期的展望に欠け、その場しのぎの対処をすることもある経覚に対し、常に冷静沈着で軽々しく判断を下さず記録を調べ先例により方針を決定しようとする尋尊。悲観的でことあるごとに「神罰が当たる」とか「仏敵」とか口汚く罵るのも尋尊である。
    この辺りの視点の相違というのもなかなか面白い。

    さて、「応仁の乱」であるが、著者によると東西両軍ともここまで長引くものとして争乱を起したのではないとする。
    もともと畠山家の内紛により義就方と政長方に分裂したのが大乱の主要な引き金だったとするが、山名宗全が反細川連合を目的に義就を京都に呼び寄せ、放っておいても義就と政長の御霊合戦では義就が勝ったと思われるのに宗全が味方し、メンツを潰された細川勝元が宗全に対し決起したというのがそもそもの起こりで、それに将軍家、斯波といったお家騒動を持つ連中たちが次々とくっつき、大内や赤松など別の野心を持つ者なども呼び寄せた挙げ句に収拾がつかないまま11年にも及ぶ大乱になったということである。

    大乱では朝倉孝景や斉藤妙椿など守護代クラスの活躍があり、それに乗じて下剋上が起こり得たと思いきや朝倉孝景のようになかなか上手く事が運ばなかったり、反面、家臣の意のままにならぬ守護に対し「主君押込」があったり、また、著者が戦国大名のはしりと評価する畠山義就の存在や、山名氏のように親子で東西に分かれたり、裏切りや寝返りがありと何でもありの様相となり、大乱はますますの混迷を深めていくことになる。
    最初の頃は仲介の労をとろうとした将軍義政や日野富子ではあったが、金儲けにはしる富子や峻烈な性格であったという足利義視らの存在は混乱に何の足しにもならず、結局、東軍の経済封鎖作戦が西軍方の五月雨の降参を呼び込むことになり、義政が西軍方の諸将をそれぞれ許すことで乱が収束していったとのことである。畠山義就の存在を除外して・・・。
    畠山義就はその後、河内国へ転戦し、隣国の大和国の衆徒・国民ら(筒井、越智、古市など)を巻き込みながら推移し、有名な山城国一揆をも生起させることになる。

    将軍義政については優柔不断ということだが、記載箇所によってはわざと守護の力を削ぐ謀略を行ったり、戦争終結の見極めを正確に行っていたりと一見矛盾した記述のようになっているが(他の人もこういう記述がある)、そこはご愛嬌ということにしておこう。(笑)

    大乱時の大和国は疎開先であったようで、一条兼良をはじめ京より多くの貴族が乱を逃れ奈良にて遊興の日を送ったとのことである。
    その中で興味深かったのはやはり古市胤栄が行った「林間」(風呂付宴会)や、お盆時の念仏風流禁止令を逆手にとり、壊れた風呂釜を修理費を捻出すべく企画した風流小屋(日本最初の有料ダンス・ホールとのこと)である。動乱の時代でもなかなか乙でたくましい人物がいたものと感心した。但し、古市胤栄の末路は哀れなものであったが・・・。

    また、この時代に目を引くのは僧侶が現代の感覚とは違うことであるが、特に大乱ともなると一層際立ってくる。
    将軍家からして義教といい義視といい僧侶出身なのに過激で峻烈な性格を持ち大乱の大きな要素ともなっていたり、斉藤妙椿や経覚の宿敵・成身院光宣など本当に僧侶として仏事に付いていたはずが武将として活躍することになっていたりとこういった感覚の違いにもなかなか面白いものがあると改めて感じた。

    大和国からの視点で語るという斬新な切り口の「応仁の乱」であったが、これはこれで面白かったと思う。
    だが、「応仁の乱」そのものを網羅しているかというと・・・、どうなんだろう?(笑)

  • 経覚・尋尊という奈良 興福寺の僧侶の眼を通しての、新しい「応仁の乱」像。
    経覚の父は関白・九条経教、母は浄土真宗大谷本願寺の出身。尋尊の父は関白左大臣一条兼良、母は中御門宣俊の娘と言う、所謂良家の出家者。当時はこのように公卿からの出家者は、大きなお寺の今で言う貫主の地位につけたようだ。

    さて新しい視点の「応仁の乱」と言っても、高校の授業で、恐らく教科書の数行程度の記述でしかなかったと思われ、自分にとっては新しいも古いもなく、そのまま素直に読解することを心がけた。

    この時代、敵になったと思ったら寝返ったり、親子・兄弟の間でも敵味方になったりと、実にややこしい。で、なかなか読み進めることが出来ない。

    自分にとっての発見は、この時代、新しい文化が武家の経済的支援によって花開いていったということ。
    15世紀後半以降、在国するようになった守護・守護代は、国元に立派な館を築いている。
    実際守護館(守護所)の遺跡は発掘調査によって全国各地で見つかっているが、そのほとんどが平地の、一辺が150~200mほどの方形館で、その敷地内には連歌や茶の湯を行う建物「会所」があった。主殿・常御殿・遠侍などの配置も判で押したようである。主家斯波氏に対する「下剋上」を果たした朝倉氏の居城として知られる越前一乗谷の朝倉氏館も例外ではなく、地域的な特色・個性は見られない。こうした守護館の構造は、「花の御所」(室町殿)などの将軍邸を模倣したものだったらしい。
    山ロも周防守護の大内氏によって、京都をモデルにした地方都市として整備された。しばしば「小京都」と呼ばれるこの都市の原型は、大内氏が抱いた京都文化への憧れによって生み出されたのであるとのこと。
    一方、現実の京都はというと、守護や奉公衆の在国化によって住民が激減し、市街域も大幅に縮小した。

    と言うことだ。

    京都のほとんどが焼けただけではなく、新しい芽が外に伝播して行ったのね。

  • 日本の歴史は応仁の乱前後で分かれるといわれるほどの戦いなのに、ほぼ内容を知らなかったため、手に取りました。

    主に以下のことが新しく知れて、興味深かったです。
    ・応仁の乱の発端は、足利義政の後継者争いではなく、有力守護大名の畠山氏の家督争いであった。
    ・主な対立軸である細川氏、山名氏は早めに和睦を結んだものの、他の同盟者の思惑が入り乱れ、最終決着が長期化。
    ・足利義政が、畠山氏や他の有力者の争いで、討伐と釈免を繰り返し、節操が無さすぎる。。
    ・応仁の乱までは、守護大名は京都に住むのが普通であったが、乱後、自国の統治の重要さを感じ、自領地に住むようになった。
    ・足利義政・義尚親子のどちらが最高権力者か不明、義尚より後の将軍家がニ系統で分裂など、権力機構が思ったよりあいまい。
    ・将軍の力が弱くなった故、細川氏は、要職である管領を儀式の時だけ仕方なく拝命し、その後辞職する自由さ。

    興福寺のニ高僧の日記をもとに当時の状況が説明されているため、直接応仁の乱とは関係ない興福寺及び奈良周辺の説明が長い、家督争いとそれぞれの同盟関係等が重なり、勢力図が覚えられない、そもそも人名が読めない等、読むのが困難な部分が多かったですが、全体的な応仁の乱前後の流れが知れて、とても有意義な本でした。
    デマや噂話も多く、詳細な記録を辿るのも難しい時代を、このようにまとめられる学者の方の凄さも改めて感じました。

  • 応仁の乱という有名であるけれども、分かりにくい戦争を二人の興福寺の僧の視点から分かりやすく説明した良書。この乱は将軍家の家督相続を巡って足利義政の弟と奥さんの日野富子が争ってそれを細川勝元と山名宗全が支援して、義政は眺めていて何もしなかったとイメージされているがそうではなかったのだ。畠山家の家督争いが将軍家や他の有力武将の跡目争いに発展した事であったり、腹黒いイメージの日野富子が争いの仲介役をになったり、傍観しているだけのイメージの義政が彼らなりに一生懸命争いの調停をやったりするように意外と努力をしている事に気がつかされた。だが、そういった努力をしたとしても徒労に終わり、戦乱は11年という長い間続くことになった。原因は先生はおっしゃってはおられなかったんだが、どの家も家督争いばかりでその上戦争でしか解決できないという問題を抱え込んでいたからだと思う(主人公の興福寺の二人を含む)。いや、そもそも持明院と大覚寺という天皇家の家督争い、そして尊氏・直義の兄弟同士の家督争いの上に室町幕府という組織が成立し、3代将軍足利義満は自分の権力を揺るぎないものにするために各地の有力武将の家督争いを利用して自分側に就いた人間を重用する事で権力基盤を確立していった事を鑑みると、その家督争いという地盤がぐらぐらと揺らぎ始め、将軍自体がそれをコントロールできなくなった事で室町幕府を崩壊の道へと辿らせた状態を見れば皮肉としか言いようがない。

  • 難しかった。

    この本は戦乱の中心地の京都ではなく大和国の興福寺の別当の二人、経国、尋尊から見た応仁の乱を記録したものを中心に書かれている。興福寺は守護が置かれず、実質的に興福寺が大和を治めていた。戦乱についてもだが、世間の噂や興福寺の所有する荘園の年貢の徴収など、いろいろと書きつけていたようだ。

    人の世むなし(1467)応仁の乱、くらいの知識しかなかった私なので、難しく思えたのかもしれない。
    家督相続争いが重なり、そこに所領問題が関係して、戦乱が起こっていったが、犠牲が出ると、それを埋め合わす何かを得ないと戦を止められない、という気持ちがどんどん戦を長引かせてしまった。仲間を引き入れると、さらに埋め合わす何かが必要になって、ますます戦乱が長引く…。そこは現代と同じかもしれない。

    また敵の補給路を断つ、というのが戦いに勝つ手段というのが昔も今も変わらないのが面白かった。戦いというのは武力だけではない。

    名前も知らない武将が沢山出てきたが、畠山義就に関してはドラマにしてもいいんじゃないか、というくらい傑出した武将だったと思う。畠山氏の家督相続が応仁の乱の一因であることは間違いないと思うし、日野富子じゃなくて、畠山義就を中心にしたドラマのほうが面白いと思うけどなあ。

    山名宗全が畠山義就の肩入れを御霊合戦の時にしてしまったのが、山名宗全と細川勝元の決裂の引き金なんて、武士はメンツで生きているんだなあ、とつくづく思う。


    あと山名宗全と細川勝元の年齢差が驚きであった。

  •  何が原因で誰が勝ったのかがよくわからないと言われる応仁の乱。本書は史料を丹念に読み解くことで、応仁の乱の実像を明ら かにしたと言っても過言ではない。確かに複雑ではあるが、順を追っていけば理解できる範疇にあり、また、それぞれが乱の収束のために動いていたが、思い込 みや行き違い、見栄の張り合いでズルズルと続いてしまっていたということがわかる。

     中心となる史料は興福寺の僧侶である経覚と尋尊、二人の遺した日記である。この二人は応仁の乱を間近で見た人物であり、特に経覚は深く関わっており、乱の中心人物ともいえる。一方、尋尊はどこか他人事の様に一歩引いたところから見ている部分がある。同じ事件を異なる視点から見た記録であり、史料として十 分に有用であると思われる。しかしこれまであまり重視されなかったらしい。偽書の可能性が高いといったことではなく、歴史学者が賞賛していた下克上やそれ による体制の変革、それを否定している――特に尋尊がその傾向が強い――ためであるという。本書でもこのことは再三触れられており、腹に据えかねているこ とが伺える。

     応仁の乱は階級闘争史観に基づく歴史認識、あるいは下克上、民衆蜂起を賞賛する歴史学者にとってちょうどいい題材だったのだろう。それを否定するような二人の日記は都合が悪く、むしろ応仁の乱が幕府の自滅であって民衆蜂起でも何でもないことが明らかになることを恐れてすらいたのかもしれない。応仁の乱の わけの分からなさの原因は、実は歴史学者だった。応仁の乱を明らかにしつつ、歴史学者の本質までも暴いてしまった。

  • 応仁の乱について、著者の意見が述べられている。

    「はじめに」と「終章」に特に著者の意見が書かれており、他の部分は補足資料的な側面が強い。(まぁ、そもそも形式的にそういう本である。)

    なので、それら2つの章を読んで、気になった部分だけ他の章を読んだ。
    応仁の乱の展開が整理されていて、資料として面白く読めた。また、足軽の誕生などの副次的なお話も興味深くて良かった。

  • 絶対的な権力者の不在→参戦大名が増加→戦争の獲得目標増加→長期戦で犠牲増加→犠牲に見合った成果→さらに長期かするという悪循環。
    第一世界大戦前夜、そして現代に通ずる共通点。

  • 面白くもあり、面白くない。
    詰まるところ、為政者どものグズグズ感満載の結果としての権力闘争ということだからかな。そりゃあ歴史小説の題材としてピックアップされません、これでは。
    ほんと民衆からすれば堪ったものではない。何処となく現在を見ているようでもあり、余計に読み物として魅力的でもあり、うんざりでもあり。不思議な本です、はい。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター助教
著書・論文:『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中央公論新社、2016年)、「永享九年の『大乱』 関東永享の乱の始期をめぐって」(植田真平編『足利持氏』シリーズ・中世関東武士の研究第二〇巻、戎光祥出版、2016年、初出2013年)、「足利安王・春王の日光山逃避伝説の生成過程」(倉本一宏編『説話研究を拓く 説話文学と歴史史料の間に』思文閣出版、2019年)など。

「2019年 『平和の世は来るか 太平記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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