中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書 2437)
- 中央公論新社 (2017年6月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024374
感想・レビュー・書評
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中国の思想の根本に触れられる
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書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。
http://www.rockfield.net/wordpress/?p=9855 -
世界の中心と自認していた中国が、近代化という名の西洋化を如何に受容し、その産物たる「国民国家」という形に自らを当てはめていったのか、その苦難の歴史こそが中国の屈辱の近代史であり、また、矛盾が解決されていないことが、現在に繋がる諸問題の根源と気づく。
中国は多元的な社会であるという観点も重要であるが、一方で清末期や20世紀初頭で既に、民間レベルで反帝国主義の大きなうねりが生じていた事実も軽視すべきではない。中国の長い歴史で近代以降が確かに大きなインパクトを残したことは事実であると思う。中国社会の多様さと、一方でナショナリズムを刺激した際に大きなうねりが生じる現象が如何に整合取れるのか、本書を読んで中国という国、社会の複雑さに一層整理が難しいと思うようになった。
(皇帝を中心に円錐状に、徳の及ぶ範囲で広がっていく)中華思想と強烈なナショナリズムは本来両立するものではないと思う。しかしながらこの矛盾した怒れる大国を作り出したのは、西洋であり、日本であったということは肝に銘じておくべき。
そしてこの近代以降の命題を「共産主義」という旗で民衆を導き克服しようとした共産党は、追う立場であったからこそ、矛盾を覆い隠せる面があったと思われる。名実ともに大国となった中国は、その指導政党たる共産党は、今後いかなる大義をもって民衆を導くのか。江沢民時に、共産主義、社会主義の旗を実質的に下ろした共産党が指導政党である必要性、正当性は何なのか?ナショナリズムを煽るだけでは、その統治を正当化できないステージに達しつつあるのではないか。「中国の夢」を殊更強調し続ける習近平政権はその矛盾の現れなのかもしれない。
本としては、1945年以降の部分は相当駆け足で極めて簡易に纏めてしまっており、中国を見る整理の視座を与えてくれると言うには物足りなさが残る。 -
岩波新書のシリース中国近現代史全5巻を5章にコンパクトに再構成して1冊にまとめたような感じで、多少ナショナリズムに軸足を置いて叙述はしているものの、そもそも肝心の「ナショナリズムとは何か」を定義するのが困難なので、そこを回避しているため、著者独自の視点で切り込んでいるわけでもなく、良くも悪くも教科書的で通史的内容になっている。岩波5冊を読むのが面倒だが、中国近現代史を概観したい人にはよい本だと思う。
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五四運動とナショナリズムの部分素晴らしい!
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中国ナショナリズムの高まりが世界各国との摩擦を生み出しているが、そもそも中国においてナショナリズムとは何なのかという問いに、清朝末期からの中国近現代史を読み解いて答える。
伝統中国の世界観、1895-1911の中国ナショナリズムの起源、1912-1924の中華民国の模索、1925-1945の反帝国主義の時代、1945-1971の東西冷戦と社会主義の時代、1972-2016の現代の世界と中国、そして「大国」中国のゆくえという章立て。
この本を通して、当然主題である中国ナショナリズムについての理解が深まったし、その歴史的な経緯から中国人が現代の国際社会をどう捉えているかということもわかった。中国人やその思考など、様々な面から中国を知ることができた。 -
「中華民族」というわけのわからない概念がどう生まれてきたのか、どんな要因が絡み合って今の中国(共産党)の政策が出来上がってきたのか、よくわかった。
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序章 伝統中国の世界観
第1章 中国ナショナリズムの起源―一八九五〜一九一一
第2章 模索する中華民国―一九一二〜一九二四
第3章 反帝国主義の時代―一九二五〜一九四五
第4章 東西冷戦と社会主義の時代―一九四五〜一九七一
第5章 現代の世界と中国―一九七二〜二〇一六
終章 「大国」中国のゆくえ
著者:小野寺史郎(1977-、岩手県、東洋史)