聖書、コーラン、仏典 - 原典から宗教の本質をさぐる (中公新書 2459)
- 中央公論新社 (2017年10月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024596
作品紹介・あらすじ
宗教にはそれぞれ教典がある。開祖やその弟子たち、あるいは教団によって書かれ、編まれ、受け継がれた「教え」の原点だ。時代と場所に応じて教義が変わっても、常に立ち帰る場所として教典がある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教から、ヒンドゥー教や神道、儒教・道教まで。歴史を超えて受け継がれてきた教典はどのように生まれ、なにを私たちに伝えようとしているのか。信仰の原点に迫るやさしい宗教ガイド。
感想・レビュー・書評
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まず、難しすぎて自分には2割も理解できなかったよ…
ただ
一神教(キリスト教・イスラム教)と
多神教(というか神を崇めるシステムじゃない仏教)はそもそも並び立つ概念じゃない事
どの宗教も、時代の変遷と共に原典の解釈が変えられ、創始者の想いからかけ離れていく事
くらいはわかった。
とにかく、(後書きにもあるように)歴史ある宗教はそもそも思想で、時代と地域風土によってある種必然的に生まれ、またそれによって逆に思想自体が変えられていくものであり
教祖の承認欲求によって突然変異的に生まれ拡散されるカルトと一緒にしてはいけない事は理解しておくべきかも。
イスラム教が根源的に交戦的な宗教だとか、そういう誤解をしちゃいけない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
聖書、コーラン、仏典、儒教や神道の本など、その教典を中心にそれぞれの宗教を概観できる。また、聖書はムハンマド、イエスはコーランといった対比や、仏教の発展の歴史といった、自分が今まで知らなかったことも勉強できた。
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聖書、コーラン、仏典など色々な宗教のことがよくわかった
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165-N
閲覧新書 -
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教について、少し理解が深まった。仏教、ヒンドゥー教は難しい。日本古来の神様についてももう少し学ばなければと思う。宗教に関して常識レベルの知識は教養として身につけておきたい。
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正典の確立まで、イスラム教は短かったが、新約、旧約聖書は数世紀かかっている。仏典は、大乗仏教が展開する間に多くの経典が作られ発散していった。また言語も、コーランはアラビア語版が唯一の正典であるが、聖書はラテン語版、ギリシア語版、ヘブライ語版などありそれぞれ内容が異なるケースもあるし、プロテスタントではそれぞれの言語バージョンが作られた。仏典は、元々のブッダの言葉はほとんど残っておらず、日本の経典は、サンスクリット版をさらに漢訳したものを参照しているケースがほぼ全てであり、また内容も不況のためというより、修行の手引きとなるものであり、(ここの宗派においてはあるが)正典なるものは確立していない。
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宗教にはテキストがある。歴史を経て社会や風習が変わっても、教典は常に教えの原点だ。宗派ごとの原典をひもとき、宗教の本質に迫る
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あまり深い内容を期待せずに読み始めたが、なかなかどうして内容のある本だった. まぁ仏典は多すぎるからともかく、原典は読んでおくに越したことはないよな.
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書籍についてこういった公開の場に書くと、身近なところからクレームが入るので、読後記は控えさせていただきます。
http://www.rockfield.net/wordpress/?p=1074 -
ユダヤ、キリスト教、イスラム教の聖典は私も詳しいつもり、そして仏典については詳しく知らないことから読んでみた。聖書に関しては、書ごとに著者が誰だとこの本で書いているかということで、ある程度の立場が見えるものである。聖書に関して旧約はもとより、パウロ書簡の一部の著者がパウロであることを主張するなど、キリスト教の立場からは相容れない。これはコーラン、仏典について書いていることもお経の著者が釈迦でない、との言葉が出てくるが、正統な仏教徒の立場から見てどうなのか、疑問を感じてしまう。仏教では実際にどうなのか?仏典の中の般若心経、法華経、浄土3部経(阿弥陀経、無量寿経、観無量寿経)、華厳経、維摩経などの重要経典の解説は結局頭に残らず。哲学的な宗教なのだと改めて思った。「宗教が常に科学の敵ではない。ルネサンス以降の学者たちは、「神が天地を造った以上、天地には秩序があるはずだ」という信念を科学的法則探求の動機としていた。」との記載(P128)、そしてコペルニクスも聖職者だったとは驚きの紹介であった。