脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
3.82
  • (28)
  • (34)
  • (26)
  • (8)
  • (1)
本棚登録 : 596
レビュー : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024602

作品紹介・あらすじ

科学のフロンティアである「意識」。そこでは、いかなる議論がなされているのか。本書は、意識の問題に取り組む研究者による最前線からのレポートだ。豊富な実験成果などを通して、人間の意識のかたちが見えてくるはずだ。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 結構難しかったので整理しながら読むといいと思う。最初から3章までは視覚に関する脳の機能を中心に様々な実験を通して脳科学的に意識の存在をどう研究するかについて述べている。時折出てくる研究とはなんたるかについての記述が面白かった。4章以降は意識を人工的に再現することについて迫っている。前半は前半で脳の具体的な話を一つずつ追う必要があるので難しかったが、後半は意識とは何かについて抽象的な話が展開されるのでさらにわかりにくい。だけどそのぶん読み応えが大きく、また初めて触れる分野だったのでとても面白かった。

  • 物質と電気的・化学的反応の集合体にすぎない脳から、なぜ意識は生まれるのか―。多くの哲学者や科学者を悩ませた「意識」という謎。本書は、この不可思議な領域へ、クオリアやニューロンなどの知見を手がかりに迫る。さらには実験成果などを踏まえ、人工意識の可能性に切り込む。

  • 前半は脳神経科学の実験手法についての解説がほとんど。機械の意識についての検討は後半から。
    意識を神経ブロックの入出力に抽象化して、機械で実装された外部のアルゴリズムと接続することで、機械の意識と接続できるという主張。理屈としては筋が通っているけど、高次の神経細胞に絞っても、4千個に対する外科的な手術が必要とされるので、人間への適用は現実的ではないのでは。動物で実験するとしても、意識とは何かという問いが未解決なので、実験結果が機械の意識なのか、動物の意識なのか判別できるんですかね。機械に人間の意識を移植できるとして、寿命を超えて生き続けるのは拷問。ディストピア。
    後半は勢いで書いたなぁという感じを受けるが、内容は興味深い。

  • 「未来のどこかの時点では必ず人間の意識を機械に移植することが可能になる。」をテーゼに脳神経科学者の立場で脳の基本的な仕組みの解説から、様々な実験結果を丁重に解説していき、ディープラーニングや哲学なども含めて、テーゼの可能性を検証する。ややもすると冗長な感じも受けましたが、真面目に科学する姿勢とはこういうことなのだなととても勉強になりました。また、我々は自由意志を持たない方向に議論が向かいつつあるとしながらも前野隆司教授の「受動意識仮説」に触れていないところが少し気になりました。

  • 「意識」この不思議については知らないことだらけだった。
    とってもためになる。

    人工知能学会誌で知って図書館から借用

  • 面白かった。昔、小林道夫の『科学の世界と心の哲学』を読んだことがあったけど、それが哲学者の視点から書かれていたのに対して、今回の『脳の意識 機械の意識』は科学者側の視点から書かれていた。
    個人的に面白いと思った話題を2つ。

    【脳は世界を0.5秒遅れて知覚している】
    人間の知覚は、現実世界で発生した刺激から0.5秒遅れて意識に上るらしい。つまり「0.5秒前の現実世界」を「現在」として知覚しながら生きている。そして、0.5秒前から「本当の現在」までの間に起きた「知覚上の未来」に、現在の知覚が干渉されることがあるらしい。そのことを示す実験が2つ。

    1、開頭手術中の人間の脳を使って、腕の触覚に相当する部分に電流を流し、腕を触られた感覚があったかどうか患者に報告してもらう。
    すると患者は、電流が流れる時間が0.5秒以上ある場合に触られた感覚があると良い、0.5秒未満で電流を止めた場合は触られた感覚が無いと報告した。

    この時、電流を0.5秒以上流すのと同時に、もう片方の腕を実際に触ってみて、どちらの「触られた感覚」が先に来たか報告してもらった。すると、驚くべきことが分かった。

    電流を流して0.5秒後に逆側の腕を触ると患者は「電流の方の腕が先に触られた」と報告し、電流を流し始めると同時に逆側の腕を触ると、患者は「同時に触られた」と報告したという。
    つまり、「電流が0.5秒以上継続した時に初めて感覚を得る」のではなく、「電流が0.5秒継続した時、その0.5秒前に「触られた」という感覚が生じる」。脳は現実世界に起きたことを0.5秒遅れて知覚しているのだ。このことを「主観的時間遡行」と呼ぶ。

    2、別の実験で、人が目を閉じた状態で、腕の真ん中を2回+腕の手前もしくは先を1回、合計3回を素早く叩く。
    被験者は目を閉じているので、3回目が手前か先か、どちらに来るかは叩かれるまで分からない。
    しかし実際に叩いてみると、2回目と3回目の叩く間のタイミングに、余分に1回、「2回目に叩かれた場所と3回目に叩かれる場所の間」を叩かれた感覚があるという。
    「3回目に叩かれるより前に、3回目に叩かれるはずの場所の影響を受けた知覚が得られる」。つまり脳から見ると「未来が見えている」。

    これも主観的時間遡行に関係している。つまり、脳から見ると「2回目と3回目の間」は「未来」であるが、脳は現実世界から0.5秒遅れて触覚を知覚しているため、現実世界では「3回目」は既に起きている過去であることになる。意識に上る前の「3回目」が、脳内の「3回目」の時間に達する前の意識上の知覚に影響を与えている。

    このように、意識に上る前の「未来」から影響を受けるような現象が、「無意識に〜した」という人間の行動に関わっているのではないかと言われている。
    命の危険など緊急度の高い現実の刺激に対して、0.5秒かけて意識に上る前に「行動」が起きる。その後、0.5秒して意識が「命の危険」および「無意識にそれに対応していた自分」を知覚する、という話らしい。

    別の話で、人間が何かをランダムに選ぶ時に脳のニューロン発火を監視すると、意識が「選ぼう」と知覚するよりわずかに前にニューロンが発火していることを確認した実験があるらしい。
    このことから鑑みても、恐らく人間の意識、意思、選択みたいなものは、脳活動の残滓というか、余分に生まれた何かに過ぎないのであって、決して「意識が脳に命令して何らかの選択をしている」のではないのだろう、という世界観になってくる。人間の「自由意志」なんてものは政治・経済を成立させるための仮定に過ぎず、脳科学的には単なる幻想なのだろうな、という。

    【良い実験、悪い実験】
    悪い実験とは「結果の如何に関わらず何ら新たな知見をもたらさない実験」であり、普通の実験とは「結果次第で新たな知見をもたらす実験」、そして良い実験とは「結果の如何に関わらず重大な知見をもたらす実験」である。

    という話を見て「あ、これプログラミングしてる時のデバッグと一緒やん」と思いました。というだけの話。

    以下、読んでる間に投稿したツイート。
    ==============================

    渡辺正峰『脳の意識 機械の意識』まとめ
    https://togetter.com/li/1265815

    脳のニューロン総数は赤ん坊の頃から基本的には変化しない。その一方で、大人になっても新しく人の顔を覚えたりなど、学習することができる。これはつまり、新たな知識、記憶、運動能力などが新たなニューロンに割り当てられるわけではないことを意味する。

    脳の学習は、ニューロン間の信号がシナプス間隙を伝わるとき、その伝達の効率が変化することで成立する。ニューロンAが発火し、それに応答してニューロンBが発火した場合、次回以降も発火を引き起こしやすくなり、そうでない場合は発火しにくくなる。

    研究対象への理解の深まりは、誤った仮説をふるい落とし、可能性のあるものを絞り込むことによって得られる。たとえ最後の一つまで絞れなくても、少しでも数を減らせれば上出来だ。従来の仮説を全否定できるようなちゃぶ台返しができれば、実験屋冥利につきる。

    実験は、新たな実験条件の組み合わせで実行すれば、何らか新たな知見が得らるとは限らない。いかなる結果が得られようとも、仮説群に一切の影響を及ぼさない実験も存在する。予測しうる全ての結果が、どの仮説にも適合し、解釈可能な場合には注意が必要だ。

    悪い実験とは「結果の如何に関わらず何ら新たな知見をもたらさない実験」であり、普通の実験とは「結果次第で新たな知見をもたらす実験」、そして良い実験とは「結果の如何に関わらず重大な知見をもたらす実験」である。

    「普通の実験」は、ある方向の結果が出れば新たな知見がもたらされるという性格上、実験前からある方向の結果を「期待」してしまう。そして時として、その期待した結果が得られるよう実験条件を恣意的に選択してしまうということも起き得る。

    意識の哲学の第一人者デイビッド・チャーマーズは、「全ての情報は客観的側面と主観的側面の両者を併せ持つ」とする「情報の二相理論」を唱えた。チャーマーズの仮説に立てば、月の裏側に置かれた石も意識を持つ。まさに万物に意識は宿るということになる。

    「機械に意識は宿るか」という問いに対して、チャーマーズは「フェーディング・クオリア」と呼ばれる思考実験を提案した。人間の脳のニューロンのうち1つを人工のものに置き換えた時、それが元の動作を完全に再現できていれば、脳は従来通り活動するはずだ。

    さらにニューロンを置き換えていった時、クオリアはどこかの時点で消失するのだろうか。それとも徐々に薄まっていくのだろうか。チャーマーズはどちらの可能性も低いと結論した。脳が完全に人工物に置き換わった後もクオリアが残るなら、機械にも意識は宿る。

    重度の癲癇患者への治療として、左右の大脳を繋ぐ脳梁を完全に切断することがある。この時、症状は軽減する一方、日常生活に支障をきたすほど深刻な後遺症も報告されている。右手がシャツのボタンを留めている間に左手がボタンを外す、等の異常行動だ。

    ただ奇妙なことに、このような異常行動をする本人に理由を尋ねても、一方の言い分しか返ってこない。「右手でボタンをかけても、左手が勝手に外してしまう」「ステーキを右手のフォークで口へ運ぶと左手のナイフが邪魔をする」等、脳の左半球ばかりが主張する。

    発話と言語理解を担う脳部位は左半球に集中しているため、左半球の声しか聞くことができないのだ。この左半球の供述のポイントは、赤の他人に左半身を乗っ取られているかのような言い方にある。あたかも右半球と左半球に別々の意識が存在するかのごとく。

  • むずかしかった。

  • 意識とは何か、という根元的な問題を(哲学や心理学ではなく)脳科学的に解明しようとした書。

    著者は、「意識の担い手を神経アルゴリズム、とりわけ生成モデルと捉えている」が、まだ仮説の域を出ないようだ。

    「意識」はとらえどころのないものであるがゆえに、何か崇高で特別なもののように思っていたが、所定の情報処理システムに宿る、実はありきたりなものなのかもしれないな。自由意志も錯覚に過ぎないとすると、人間の存在って…。

    脳内には、三次元仮想現実世界があり、常に五感から得られた情報を使って現実世界との誤差を修正している(=生成モデル)。修正された仮想現実世界が意識に上る仕掛けになっているため、この修正にかかる時間分だけ意識の時間は遅れる、という説明はなかなか面白かった。

    本書、一般書としてはかなり分かりにくい。専門用語連発だし、飛躍があって理解できない箇所が所々にあった。あと、主観的というか自己アピール的というか。もうちょっと客観的な方が読みやすいんだけどなあ。ということで星三つ。

    (逆説的だが)人工知能=ディープラーニングの仕組みの理解の助けには結構なると思う。

  • 知覚には遅れがあり、それが物理的感覚とのずれを生じさせる。これが意識の過去と未来の関係性に大きな影響を及ぼす。例えば、バッターが160kmの球を打つとき、その時およそ0.4秒で到達し、知覚には0.5秒の遅れが生じるから、この球を打つという命令をしたのは何なのかという問題が出てくる。つまり、意思を司る何かがあるのではないかということだ。
    意識の本質は、脳の客観と主観の境界にあると述べられている。脳の客観とは、三人称的に物が見えるという意識のメカニズムであり、脳の主観は、なぜ、物が見えるという意識(クオリア)が生まれるのかということだ。
    この本質に迫っていきたいが、そもそも科学というのは客観性を証明することが宿命であり、意識という主観を客観性で証明するのは、困難だという。ゆえに、既存の科学から逸脱したアプローチで取り組むべきか、それとも従来の客観的なアプローチでいくべきかはわからないそうだ。
    決定論カオスによる因果性の網はとても興味深い。
    最後に、人の意識を機械に送るときに重要となるポイントは、自分というものが何者なのかを知覚し、そしてそれ以前の記憶が存在するのかということだ。
    脳科学の分野の発展は著しく、読んでいてとてもワクワクしたが、倫理的な問題もかなりあると思う。

  • 脳神経科学の門外漢である自分にはかなり難易度の高い内容。

    第1章から第3章までの視覚と脳に関する研究の解説はなんとか理解が及んでいたけれど、第4章以降の意識の研究への切り込みは難しくて完全には理解できなかった。
    しかし、今まで全く知らなかったし気にかけたこともなかった「意識の研究」について知ることができ興味深い一冊でした。

    本書の通りだと、いつの日か、自分の脳と機械の脳を繋ぎ同期させて意識を移植する、という技術が現実になる?
     生体脳の寿命が尽きても自分の意識は永遠に続くといくSF小説のような日が来るかもしれないと思うと、面白い。

全50件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1970年生まれ。東京大学大学院工学系研究科准教授、ドイツ・マックス・ブランク研究所客員研究員
著書に『脳の意識、機械の意識 脳神経科学の挑戦』(中公新書、2017)、共著に『イラストレクチャー認知神経科学』(オーム社、2010)、『理工学系からの脳科学入門』(東京大学出版会、2008)、他。

「2018年 『談 no.113 感情生成 生の始まり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

渡辺正峰の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
カルロ・ロヴェッ...
有効な右矢印 無効な右矢印

脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦 (中公新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする
×