蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実 (中公新書 2461)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024619

作品紹介・あらすじ

鎌倉中期、外国から二度の攻撃を受けた蒙古襲来。「神風」が吹いたため敵を撃退できたされるが、それは史実か。刺激に満ちた論考。

感想・レビュー・書評

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  • 元寇の表から裏側まで、その詳細な経緯を学ぶことができます。前半では様々な文献資料から、その時に実際は何があったのか。タイトルにもありますように「神風」はあったのか。を知ることができます。後半では、実際に戦に参加した人が残された資料を元に、その人の立場に即した流れをつかむことで、リアルに元寇を知ることができます。また今日に残る現場の遺物を紹介されることで、この元寇を様々な角度から学ぶことができます。
    「神風」について、嘘ではないが、真実ではない。読んでよく考えれば冷静に理解できることが、あの戦争のときには出来ていなかった。この悲劇を繰り返さないために、事実を知ることの重要性として本書の価値は高いと思います。

  •  蒙古襲来(元寇)について、「文永・弘安合戦ともに暴風雨によって元軍は敗退した」という類の説(「神風」説)は、教科書や一般書はともかく、歴史学の本ではさすがに近年見かけなくなったが、本書は近年の研究に比べても旧説・通説に対して徹頭徹尾全面否定で、主要な論点についてことごとく新説を提起している。

     その中でも特に注目しなければならないのは、(1)モンゴルの日本侵攻の当初目的は、日宋貿易による南宋への硫黄(火薬の素材となる軍事物資で中国では産出しない)供給を絶つためである。(2)文永の役では元軍の平戸・鷹島侵攻は確認できず、また戦闘は1日(文永11年10月20日)ではなく数日間にわたった(『関東評定伝』が記す10月24日の太宰府での戦闘を再評価、威力偵察説・デモンストレーション説を否定)。(3)弘安の役で東路軍(高麗軍)は太宰府の目と鼻の先の志賀島を基地化しており、江南軍(旧南宋軍)とともに鷹島で全軍集結したという説は「誤読」で(よって弘安4年閏7月1日の台風による元軍全滅もありえない)、主戦場は博多湾であった。(4)『蒙古襲来絵詞』の奥書は近世の偽書であり(「未来年号」問題)、竹崎季長が鎌倉への上訴で地頭職を獲得したという見方は、肝心の絵詞本文に言及がなく、当時の政治情勢からも成り立たない。以上の問題は単に蒙古襲来の経緯や『絵詞』の解釈にとどまらず、鎌倉時代後期の社会・政治の根本にかかわることで、史料批判の正当性も含めて、門外漢が容易には評価できない。

     なお叙述自体は難しくないが、従来の学説への全面批判という性格上、蒙古襲来や『絵詞』に関してある程度の知識がないと内容を理解しにくいと思われる。鎌倉時代の通史や従来の蒙古襲来の概説書を読んだ上で本書を読むと、より本書の「革命性」を痛感するはずである。

  • 著者がこの研究をするきっかけに全共闘時代の権威打倒の精神があったことが書いてあり感心した。

  • 旧来の通説の根拠とされた諸史料を批判的に検証し、蒙古襲来の実像を再構築する内容。史料の読み直しのみならず、考古遺物や地理・気象条件も考慮に入れた検討過程や、竹崎季長の背景考察、蒙古襲来絵詞の史料評価など興味深い点が多かった。

  • 台風もしくは暴風雨は確かにあった。ただ勝った理由はそれだけではないだろう。その後も戦闘は続いて日本は辛勝だった。と言ったところか。歴史上の出来事をしかも1200年代なんて、正確に把握する事は困難だ。なので新資料が出てきたり、丹念に精査すると実は違ったというのは結構あるのだろう。そういう意味では学ぶ方もアップデートしていかないといけないかな。絵巻があってそこに色々書いてあったりするなんて、覚えていなかった。どこかに完全な形で残っていたりしないのか。他の人は絵巻を描かせなかったのか。何か新資料とか出てくると面白いのに。モンゴル帝国の本を読んだこともあり、興味深く読めた。当時の日本は貿易の事、捕まった蒙古人のその後の活躍など勉強になった。

  • 蒙古襲来で「神風」は吹かなかった? 『蒙古襲来と神風』 | J-CAST BOOKウォッチ
     https://books.j-cast.com/2018/01/01006702.html

  • 「蒙古襲来は、台風(神風)によって退けられた」とするいわゆる神風史観をはじめとした、蒙古襲来に関する通説を、情報伝達にかかる時間の考慮等により批判する。

  • 神風とはいえ、大型台風であったことにはかわりなく九州・西日本の一般住民(農民など)には大きな被害が生じたという視点には納得がいった。
    為政者にとってみれば、元軍を打ち破ったことが大事なのだろうが、当時の庶民にしてみればたまったものではないだろう。

    やはり、歴史解釈とはそんなに劇的なものではなく、元寇は日本武士の奮戦と、大型台風による元軍の混乱という要因であり、神風とよべるような代物は無かったのである。

  • HH1a

  • 疑われることもなく『孫引き』されていた定説を、資料を丹念に読み解くことで否定していく。これはとても研究者として誠実な姿勢で好感が持てる。

    もっとも、何故そこまで誰も定説の誤りを指摘出来なかったの?と言う疑問はとても残る(力のある人が主張していたからと言うことが示唆されていたが…)

    ただし、「学界の定説を疑問視し、実証的に通説を否定していくことを使命」とまでいくと、それはそれで『先入観』ではないのか?という疑問は残る。

    まあ、それはそれとして、絵巻を読み解いていくことで、文永の役、弘安の役の実相に迫るのが主題であるのだから、絵巻のカラー写真は入れて欲しかった。

    元寇が『神風(台風)で船が沈んだから勝ったんやで』なんてのが嘘っぱちなのは、まあ常識の範疇でわかっていたが(勝っている侵攻軍は、橋頭堡を確保して内陸に侵攻しているわけで、空の船が沈んでも軍は滅びない)悪天候なんて関係無く、その後も戦いは続いていたのね。やはり。

    一番の驚きは、日元関係である。
    戦争なんてなかったかの様に交易が行われていたとは、驚きである…

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著者プロフィール

1949年名古屋に生まれる。1976年東京大学大学院修士課程修了後,東京大学文学部助手。1978年文化庁文化財保護部記念物課文部技官,1985年同調査官を経て,1994年から九州大学大学院比較社会文化研究科助教授,1997年教授,2011年から2013年まで研究院長を兼任。2015年九州大学退職後,くまもと・文学歴史館館長に就任し2021年退任。現在名古屋城調査研究センター所長。

『景観にさぐる中世―変貌する耕地景観と荘園史研究』(新人物往来社,角川源義賞受賞),『武士と荘園支配』(山川出版社),『地名の歴史学』(角川書店),『峠の歴史学』(朝日新聞出版部),『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社,毎日出版文化賞受賞),『蒙古襲来』(山川出版社),『蒙古襲来と神風 中世の対外戦争の真実』(中公新書),他編著書多数。

「2022年 『しぐさ・表情 蒙古襲来絵詞復原』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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