戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道 (中公新書 2471)
- 中央公論新社 (2018年1月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024718
作品紹介・あらすじ
現代の政治状況を表現する際に使われる「ポピュリズム」。だが、それが劇場型大衆動員政治を意味するのであれば、日本はすでに戦前期に不幸な経験があった。日露戦争後の日比谷焼き打ち事件に始まり、天皇機関説問題、満洲事変、五・一五事件、ポピュリスト近衛文麿の登場、そして日米開戦へ。普通選挙制と二大政党制はなぜ政党政治の崩壊と戦争という結末に至ったのか。現代への教訓を歴史に学ぶ。
感想・レビュー・書評
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日本のファシズムは、ドイツやイタリアと比べると、あまり全体主義的ではなく(いろいろな意見・利害対立があって、バラバラで、「全体」になってない)、下からの運動というより、天皇の権威を利用した上からの統制という具合に理解しているのだが、それでもやはりファシズム的であるのは、大衆からの支持があったから。
そして大衆の支持は、マスコミによる影響が大きいのだろうという予測のもとに、この本を読んでみた。
大きくは、こうした事前の予測とは異なるわけではなかったのだが、それでも具体的にメディアがどういう論調の記事を書いたのか、そして、それに大衆がどういうふうに反応したのかを読むと、あらためて戦前の日本がどういう国だったのかが伝わってきて、驚きがある。
ここには、現在の常識では考えられない愚かさがあるとともに、現在でも相変わらずな構造も多く見受けられる。
やはり、日本型のファシズムは、それを支える世論があり、指導者は、最初は大衆の意見とは異なっても、それが国益であるのならば、嫌われてもやるべきことをやる人がいたわけだが、だんだん、(選挙権をもった)大衆の好みにうまく乗っかるのが上手な人が中心になるわけだ。
そういう意味では、日本のファシズムの源泉は、やはり大衆の好みというところにあって、その好みが第2次世界大戦に向かって、日本が突き進んでいく原動力になったのだ。
戦後において、日本型のファシズムは、陸軍のせいにされることが多く、国民は騙されていたというふうな理解がある気がするのだが、こうして歴史の流れをポピュリズムという観点でみるとその理解は陸軍をスケープゴートにして、自らを正当化する心理であったのだろうと思われる。
2.26に関する記述があまりなかったり、日米開戦に先行する中国における戦争とそれに対するメディアや大衆の反応などもも少なめで、もうちょっと知りたいところもあったが、新書という分量のなかでは、十分な内容かな?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
筒井先生の本はよく読ませていただいているのだけれども,本書はその中でも面白い。戦前期のポピュリズム台頭の様子が,日比谷焼き討ち事件,大正期の大衆運動,朴烈怪写真事件,田中義一寺内閣時代,統帥権干犯問題,満洲事変,五・一五事件裁判,国際連盟脱退,帝人事件,天皇機関説事件,近衛内閣時代といくつかのトピックスを通じて活写している。
旧平価による金解禁もある意味ポピュリズムの賜物。政治家と新聞が結託して昭和恐慌をもたらした。
現代のわれわれにとってもモリカケ問題は言うに及ばず,あらゆるところでポピュリズムが蔓延っている。
最後にマスコミが民主主義の健全な発展に不可欠という指摘はその通りだと思うが,実に暗澹たる気持ちにならざるを得ない。戦前期の湛山や清沢洌を生んだ某経済誌からして,ポピュリズムに汚染されているからなぁ……(ため息) -
2018年3月2日図書館から借り出し。
なんか、途中で既存の本からのりとハサミで切り貼りしたようなところがあって白けた。この人、真面目に新書を書く気はなさそう。定義なしに、片っ端から「ポピュリズム」と言い切って終わりにするところなど、到底学者とは思えない書きぶり。中公新書の編集も、京都はレベルが違うのかなぁ。 -
デモクラシーが、日比谷焼き討ち事件に始まり普通選挙と政党政治を経るポピュリズムを生む。それは「劇場型大衆動員政治」でもあり、最終的には大衆の既存政治への失望により大政翼賛会と戦争に行き着いた、という流れである。政治スキャンダル(結局は無罪判決となったものも含めて)へのセンセーショナルな報道、5.15事件の被告を英雄視し近衛文麿首相をアイドル芸能人並みに扱う数々の記事には驚くばかりである。トラウトマン和平工作の打ち切りも、和平工作自体への議会や世論への追及をかわすためだと指摘されている。
もちろんこの期間の日本の歩みが全てポピュリズムのためだとは言えないだろうが、大政翼賛会や軍部や戦犯といった特定の主体だけに責任があったと単純化はできないことがよく分かる。
本書の指摘するポピュリズムは、日本のこの時代だけのものとは言えないだろう。既存政治への失望が目新しい主体への期待に向かうのはトランプ大統領当選でも見られた。また、本書では清沢洌が、世論の反対を押しきったポーツマス条約と、時代を経て世論を恐れた故の国際連盟脱退の対比を指摘している。このくだりを読んで、韓国における日韓基本条約と、80~90年代以降の慰安婦問題の扱いの違いを想起させられた。
・「大衆の力の強化によって押し出され、大衆の意志の産物として現れた、大衆の代表そのものの政党政治と、その強力化の行き過ぎの是正としてこれまた強力に求められた中立的権力(天皇・官僚・軍部)の強化の方向という、大きく二つのポピュリズムをたどって日米戦争に至ったのだとも言えよう。」
・「『政党政治』が『足りなくて』大政翼賛会に行きついたのではない。『行き過ぎて』それを招来したのだ。」 -
日比谷焼き打ち事件に淵源を持ち、選挙による政権の成立と普通平等選挙制実現により本格化し、最後は日米戦争に行き着いた近代日本のポピュリズム。なぜ政党政治の崩壊と戦争という破滅に至ったか、現代への教訓を歴史に学ぶ。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40254246 -
本書は対米戦争以前のマスメディアによる大衆扇動がいかになされたのかについて、当時の新聞記事を中心に検討し、現代政治へと繋がる課題を提起する本である。
新聞記事を細かく読んだわけではないが、当時のマスメディアがいかにして政党政治を崩壊させ、日本を対米戦争へと向かわせたのかが少しは理解できた。今でも主要な新聞社である朝日や毎日(左よりといわれる)は当時右よりなことをしていたことは驚いた。しかもこのような過ちを犯しながら今も存続しているなんて。 -
「議会・世論を考えたからこそ(トラウトマン)和平工作は潰れ、強硬な声明が出され、戦争は拡大していったのだった」
良書 -
めっちゃ分かりやすいし笑えるし不気味だしでサイコー,けど分かりやすすぎて怪しさも感じる
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選挙権の範囲は広がって、政治指導者は選挙民の顔を伺うようになり、小村寿太郎のような政治家は出にくくなった。政治家だけにその責任を負わせるのは非対称だ。では有権者はどうだったのかまで触れないと完全な分析、研究とは言えない。
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日露戦争後の日比谷焼き打ち事件に端を発した劇場型大衆動員政治は、その後日本を戦争へと導く大きな要因になった。当時の新聞やラジオなどのマスメディアが世論に与えた影響が非常に大きいことが分かる。