承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書 2517)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121025173

作品紹介・あらすじ

後鳥羽上皇は無謀にも鎌倉幕府打倒を企て、返り討ちにあったのか? 公武関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決めた大乱を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 「鎌倉殿の13人」をきっかけに鎌倉時代のお勉強をしよう第2弾がこちら
    ちなみに同じタイトル「承久の乱」でTVでお馴染みの本郷和人氏も出版しておられる
    比較すると面白いだろうなぁ

    本書は「承久の乱」とタイトルがあるものの、中世の始まりからきちんと筋立てて進められるので時系列的にもわかりやすい
    その後に、後鳥羽上皇と源実朝について説明があり、いよいよ承久の乱…という親切な流れである

    まずは後鳥羽と源実朝の人物像
    後鳥羽
    正統なる王を目指し、三種の神器にこだわっていた(平家のせいで手元になかった)
    祖父の後白河と似ている点が多くあり、その一部が好奇心旺盛、既成概念にとらわれない自由さと遊び心がある…あたりらしい
    歌、琵琶、蹴鞠など芸術面もスポーツマン
    さらには太刀の制作までしたというまさに多芸多才の極地
    また宮廷儀礼の猛勉強をし復興を果たす
    バイタリティ溢れる人物であるが、周りが振り回されて大変だったようである

    一方の源実朝
    源頼朝と北条政子の次男
    北条氏が乳母夫
    (兄の源頼家は比企氏が乳母夫 ここで北条との確執が生まれる)
    将軍でありながら和歌や蹴鞠にふけ、朝廷と幕府、源氏と北条氏の狭間で苦悩し、若くして甥に殺された悲劇の貴公子…というイメージだが、最近の研究では違うようである
    北条義時の要求にに対し毅然とした態度をとり、自立し出す
    また統治者としていくつかの政策を打ち出し成果を上げている
    唐の「貞観政要」も学んだらしい
    また朝廷・後鳥羽とも良好な関係を築き上げ、支援を取り付けwin-winの関係に
    ただ、実朝は実子がおらず、側室ももたなかったようで(ん?)、将軍継承問題がはらんでいた
    しかし実朝並びに幕府首脳らは後鳥羽の皇子を…と交渉
    これも朝廷側にも幕府を抑え込められメリットがある
    いずれにせよ後鳥羽朝廷と実朝幕府はバランス良く保たれていた
    とうとう右大臣にまで昇り詰めた実朝だが、その右大臣拝賀の日、兄頼家の息子公暁に自身が別当を務める鶴岡八幡宮で暗殺される
    著者は北条義時黒幕説、三浦義村黒幕説は否定

    源頼朝以上の位を得、朝廷と良好な関係性を築き上げた実朝の死が後鳥羽と幕府に影を落とす
    幕府は九条道家の子三寅を将軍予定者にし、北条政子・義時姉弟を中心とした新たな体制を築いた
    一方、京都では、源頼茂の謀叛によって大内裏が焼失し後鳥羽にストレスがかかり出す
    幕府内の権力闘争が都に持ち込まれたと後鳥羽は苛立ち、幕府のコントロールが効かなくなったと考え、その元凶の北条義時を排除しようとしたことがきっかけで承久の乱が勃発する
    ここから大政奉還までは武家の優位性を公家に渡すことはなかった
    そういった意味でも歴史の転換点といえる

    また承久の乱勝敗の要因は以下のように分析される
    チーム鎌倉vs後鳥羽ワンマンチーム
    適材適所に活躍し、強固な結束力と高い総合力を誇る鎌倉方
    一方のマルチな後鳥羽は全てを一人でこなそうとする独断専行の京方
    ここが勝敗を分けたポイント
    武家は闘いのプロだ
    その辺りの後鳥羽の認識の甘さが敗因では…
    治天の君が幕府よって流罪に処されると言う前例のない異常事態が起きた
    後鳥羽の流人生活は約19年に及び享年60歳で没した

    読みやすく順序よくまとめられているので、知識が浅くても読みやすい
    様々な参考文献と著者の解釈で進行し、非常に丁寧に描かれている
    しかしやはり途中から、誰が誰やらわからなくなってくる
    トホホ
    まぁまぁ、完璧を求めず少しずつ層を厚くしていければ…

    それにしてもやはりまだ北条義時の凄さがピンと来ないんだよなぁ
    どうしても北条政子が目立つ
    北条義時の凄さがわかる読み物を探してみなくては…
    しばらく鎌倉時代が継続しそうである

  • 朝廷と武士との関係に変化を与えた、承久の乱。
    それに至るまでの経過を、平安時代の院政の始まりと
    武士が台頭から、乱後の情勢まで、粛々と説明してゆく。
    序章 中世の幕開き
    第一章 後鳥羽の朝廷  第二章 実朝の幕府
    第三章 乱への道程   第四章 承久の乱勃発
    第五章 大乱決着    第六章 乱後の世界
    終章 帝王たちと承久の乱
    国名地図、主要参考文献、関係略年表有り。
    文中に適宜、略系図、地図等有り。

    承久の乱へ至るまでとその後の情勢と歴史の変遷について、
    史料を駆使し、学者や作家の様々な説を考察し、
    或いは引用しながら、時代の流れを簡潔に語り、
    特に節目にあたる和田合戦のような事件や
    政治にも関わる和歌等の事項は、詳細に記述されている。
    最初に朝廷。
    院政の始まりから権力が絡む対立と武士の台頭。
    平氏と源頼朝の動向に関わる後白河法皇。
    正統の王とは何かを模索する後鳥羽の、マルチな才能と院政。
    次いで鎌倉幕府の将軍、源実朝。
    和歌での後鳥羽との繋がりと統治者としての姿。
    朝幕協調の平和は、後鳥羽の支援と実朝の将軍親裁の強化。
    後鳥羽の子を将軍にして後見する実朝の幕府内院政の夢は、
    後鳥羽の日本の帝王への夢とも繋がる・・・はずだったのが、
    実朝暗殺により空しく散る。更に大内裏の焼失。
    大内裏再建への造内裏役への大抵抗への嵐。
    幕府をコントロール出来ないことへの後鳥羽の憤り。
    そして承久の乱。
    後鳥羽の布石、万全の戦略ではあれど、未来予想図は予測不可。
    後鳥羽ワンマンチーム対チーム鎌倉の戦いの状況と決着、
    戦後処理とその後までは、かなり詳細に綴られている。
    結果、公武の関係が劇的に変わり、武士の世と成る。
    本郷和人氏の「承久の乱」は分かり易く簡潔な印象でしたが、
    坂井氏は、より詳細で重厚な専門書の印象。
    承久の乱とその後について詳しく知りたかった自分としては、
    大いに欲求を満たされた内容の本でした。

  • 「大河ドラマ」のお供にと思って買ったが、結局放送が終わってからの読了(笑)

    今までは頼朝による平家打倒によって武士の世が到来したと思っていたが、「真の武者の世の到来」は承久の乱を待たねばならなかったという事がよく理解できた。

    平家物語でも暗躍する後白河院に比べて地味な印象の後鳥羽院は、承久の乱の敗者である事と、「新古今和歌集」の撰者である事くらいしか知らなかったが、本書によりその印象はかなり変わった。これは実朝にも言える事だが。

    いずれにしても、承久の乱の影響は計り知れなく大きく、幕末の大政奉還までおよそ600年ほどの武者の世が続くことになる。

    この乱の結末が変わっていたらとか、実朝が横死しなければとか、いろんなifを考えてみたくなった。

  • 日本史、殊、鎌倉時代については無知極まりなく。今年は
    『鎌倉殿の十三人』にハマりにハマりまくってしまい、本書を手にしました。大河でもクレジットとして名前が出る著者ですね。三部作の一冊目でしょうか。

    オッケー承久の乱までの流れ、そして承久の乱後の武家公家の力関係の逆転などそのインパクトは掴みました。

    個人的には、実朝といい後鳥羽といい、和歌などの文化に造詣が深い権力者に魅力を感じてしまいますね。

    僕の中では、承久の乱の敗北で何となく間抜けな印象のある後鳥羽の再評価もできました。

  • 通史としての鎌倉時代が分かりやすく述べられている。中心となるのは後鳥羽院だが、その存在感は特段の強さがある。勿論承久の乱に敗れ、隠岐への流罪となるが、本来主人公となるべき北条氏の誰よりも個性的に見える。

  • 同じ中公新書から出た呉座勇一の『応仁の乱』(2016年)が40万部も売れたので、「よし、次は承久の乱で行こう!」と二匹目のドジョウを狙ったのだろうか(本書は2018年刊)。

    そんな下衆の勘繰りはさておき、本書は「承久の乱」の概説書としてとてもよくできている。
    乱の一方の主役・北条義時が再来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公となるから、来年にかけて本書も売れることだろう。

    最新の研究成果を豊富に引用して、我々が抱いている「承久の乱」についてのステレオタイプなイメージ(そして、いまや時代遅れの誤ったイメージ)が次々と覆されていく。

    たとえば、「承久の乱」の引き金の一つとなったのは将軍・源実朝の暗殺事件だが、実朝に関する一般的イメージ――将軍でありながら和歌などにばかりうつつをぬかし、政治的には無力でひ弱な「悲劇の貴公子」といったイメージ――も覆される。
    和歌や蹴鞠などに通ずることはむしろ将軍として必須の教養であったし、実朝は政治力も優れており、けっして「文弱の徒」でなかった……と解説されるのだ。

    そのように、古い歴史教育で植え付けられた「承久の乱」のイメージが次々とアップデートされていくのが、本書の魅力だ。

    また、著者は本書で「一般の読者にも理解しやすいよう現代社会の事象にたとえて論述する」ことを心がけており、随所で会社やスポーツなどにたとえた説明がなされる。
    そのため、800年も前に起きた大乱が、現代人にもすんなり理解できる本になっている。そうした平明さも本書の美点である。

  • 平成最後の天皇誕生日に本書を読む。院政のはじめからから承久の乱までの流れ。

    後鳥羽院は後白河院に似た文武両道の「帝王」だった。和歌など公家として意欲的な政治を行い、鎌倉は源実朝に任せていた。しかし、鎌倉の論理で京都を乱された。乱の目的は倒幕ではなく、北条義時の討伐だった。

    考えた末の挙兵ではあるが、鎌倉武士のことを理解していなかった。参謀が優秀だった鎌倉と後鳥羽院がほぼ独断だった京都。結局、院は隠岐に流され、鎌倉が京都を圧倒。結果的に幕末まで武士の世になった。

  • 傑作。皆それぞれの立場があって、命をかけてそれを全うしていたんだろうなと想像して号泣した。当時も人が死んだらちゃんと悲しい。

  • 2022年度の大河ドラマ、三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」(北条義時=小栗旬、北条政子=小池栄子、源頼朝=大泉洋)は大ヒットとなった。
    かつての大河ドラマ「草燃える」(北条義時=松平健、北条政子=岩下志麻、源頼朝=石坂浩二)のリメイクで、主役は、史上最も人気の無い(と言われる)北条義時だ。
    一体誰がこんな地味で暗く陰湿な男のドラマなど見たいだろうか?
    しかし、そんな予断を見事に裏切って、この大河ドラマは、三谷幸喜の絶妙の演出と、優秀なキャストによって、一年間高視聴率をキープしてみせた。
    お見事!と言いたい。

    大河ドラマ「鎌倉殿」のクライマックスは承久の乱だった。
    それまで天皇家は戦争です負けたことがなかった。
    天皇家と戦うというだけで、相手は戦闘意欲を失い、腰砕になってしまう、逃れ常だった。
    承久の乱もそうなる筈だった。
    後鳥羽院は、鎌倉幕府に戦争を仕掛けるが、戦争で勝とうなどとは思っていない。
    相手を朝敵と名指すだけで十分だと考えたのだ。
    案の定、朝敵と名指しされた鎌倉方は腰砕けとなり、
    まともに天皇家に弓引こうなどと言う武士はどこにも居なかった。
    義時にしても、全軍を任された義時の嫡男、泰時にしてもそうだ。
    ビビる鎌倉武士を、ただ一人叱咤したのが、鎌倉殿の役を務めていた北条政子だ。
    出陣することに決まったものの、ビビった泰時は出陣前に、父である義時にお伺いを立てる。もし、敵の陣に後鳥羽院がいることがわかったらどうしたら良いか、と。
    その時は、全員、馬から降りて土下座して謝れ、と言うのが義時の回答だった、と言う。
    幸い(?)、後鳥羽院が出陣しなかったがために、泰時は思う存分戦うことが出来、鎌倉方は勝利を収めた。
    これが、日本史上、初めて無敗神話を誇った天皇家
    が、敗北した戦争なのだ。

    本書は、その「承久の乱」を主題として、「鎌倉殿」の主人公、北条義時が、時代の巨大な転換を行ったことを十分に理解させてくれる。
    承久の乱が、日本史上、途轍もなく大きな意味を持ったこともよく分かるのだ。
    著者の坂井孝一は、「鎌倉殿」時代考証も務めた。

    承久の乱を日本史の画期と見做すのは、社会学者、大澤真幸も同様だ。
    大澤真幸は、「日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」において、日本史上、唯一成功した革命が、承久の乱とその乱後の処理(貞永式目の制定)にあったと断定している。
    大澤真幸は、それを主導したのが、義時の嫡男、泰時であったと、革命のヒーローを北条泰時であるとする。
    本書では、それを批判し、大澤が「日本で唯一の革命」と呼ぶ承久の乱とその乱後の処置を決定したのは、泰時でも義時でもなく、政子であったと述べる。
    鎌倉殿の地位にあったのが政子であったことを勘案すると、坂井説に軍配があがるのではないか。

    坂井は、また、後鳥羽院が起こした承久の乱について、「後鳥羽院は討幕まで考えていなかった」と主張する。
    その意味では、時期を合わせて発行された本郷和人「承久の乱」の見方を否定するものとなっている。
    本郷説は、承久の乱の目的は、明らかに討幕にあったというものだからだ。

    坂井は、後鳥羽院が倒幕を目指したという本郷も与する「謬説」がどのように一般化したのか、「文献」と「思い込み」の二点で説明してみせる。
    中々、説得力がある。

    「文献」とは、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」だ。
    ここには、後鳥羽院の意図を「倒幕」とすることで、鎌倉方の団結を図った、と述べられている。
    「倒幕」と見做すことで、メリットあったのは鎌倉幕府だったのだ。
    その記述に、歴史家が引っかかったというのだ。

    「思い込み」とは、後醍醐天皇による討幕の過去への投影、ということだ。
    承久の乱から100年後、後醍醐天皇による倒幕計画が成功し、鎌倉幕府は崩壊する。
    この倒幕という歴史的事実を過去に投影することで、後鳥羽院の意図も、後の後醍醐天皇と同様、討幕にあったと誤認した、というのだ。

    歴史的闘争はすべて土地を巡るものであることが
    本書を通して、つくづく理解出来る。
    土地の取り合いはオセロゲームのようなものだ。
    承久の乱で鎌倉幕府が得たのは、
     平家領500+天皇領3000=3500領
    という膨大な領地だった。
    天皇家の土地ばかりか、それまで手の届かなかった西国の平家領まで手にしているのだ。
    これが、源氏鎌倉幕府による全国支配に繋がっ
    た事が分かる。
    承久の乱が無ければ、鎌倉幕府は、東国の地方政権で終わったという事だ。
    その意味では、源氏三代の将軍は、全国の支配者ではなく、鎌倉を中心とした地方政権の主人(あるじ)に過ぎなかったのだ。
    真の全国政権は、承久の乱後のことであり、初めて全国支配を成し遂げた鎌倉殿は、誰あろう北条政子であったということになる。

    承久の乱は、兼ねてから議論のポイントになってきた。
    今や葬り去られた戦前の皇国史観学者、平泉澄の理論を社会学理論のモデルに作り変えた小室直樹も承久の乱を日本史の画期と見做している。
    それは、古来から日本にあった「予定説」が「因果律」に転換した思想的画期であるというものだ。
    この理論モデルによって、日本史の思想的展開、承久の乱の持つ途轍もない影響の意味が分かる。
    (小室直樹「論理の方法」)

    坂井孝一は、源実朝に関する研究で実績を上げた。実朝像の転換を図り、教科書の記述まで変えた業績は大きい。
    教科書の記述も歴史学者の研究の進展によって、次々と書き換えられて言っているのだ。

  • 日本史の大きな転換点となった承久の乱を、前後の史実で浮かび上がらせる書。院政、鎌倉幕府の成立から対立、乱の実態、その後の変化と、読みどころが多い。
    それにしても、『鎌倉殿』ロスが続いている、、、

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著者プロフィール

創価大学教授
著書・論文:『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』(講談社メチエ、2014年)、『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書、2018年)、「中世前期の文化」(『岩波講座 日本歴史』第6巻中世1、2013年)など。

「2020年 『乱世を語りつぐ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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