安楽死・尊厳死の現在-最終段階の医療と自己決定 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121025197

作品紹介・あらすじ

21世紀初頭、世界で初めてオランダで合法化された安楽死。同国では年間6000人を超えて増加の一途である。
自己決定意識の拡大と超高齢化社会の進行のなか、容認の流れは、ベルギー、スイス、カナダ、米国へと拡大している。他方で精神疾患や認知症の人々への適用などをめぐり問題が噴出している。
本書は、安楽死の”先進”各国の実態から、尊厳死と称する日本での問題、人類の自死をめぐる思想史を繙く。そのうえで「死の医療化」と言われる安楽死の現状を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 医師や医療者のみで書かれたこの手の著書には、奥行きがない。
    医師や医療者の論理の押し付けでしかない。
    社会心理学、倫理学、死生学の研究者が書かれていると、多面的に見ることができる。

    誰も死にたいとは、思っていないのに、自分の生を終わらせたいと考える。
    それを深く考えないといけない。

    著者は、生命倫理学、哲学が専攻。
    安楽死、尊厳死に付いて、よく医師や医療者が語るのは、偏りがある。
    安藤泰至先生の安楽死尊厳死を語る前に知っておきたいことをより深くした内容。
    ACPを学ぶにも、読んでおいても良いと思う。
    医師医療者のみではなく、死生学、生命倫理学、哲学の専門家を加えないと、多面的に語ることはできない。
    医学が人間が生きて行く事に万能という訳ではない。
    医学ができることは、ごくごく一部なのだ。

  • 人間にとって死は遠い未来ではなくもしかしたら目の前にあるものかもしれない。

    それをしっかりと想像出来たならば人はどんな生き方を選べるだろうか。

    人は死ぬまで生きている。
    だから今日もめいっぱい生きていこう。

  • 安楽死・尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定。松田純先生の著書。安楽死・尊厳死は認められたほうがいいと思うけれど、安楽死・尊厳死の名の下に本当は安楽死・尊厳死を希望していない人、精神疾患や認知症の人まで安楽死・尊厳死させられるようなことは絶対にないようにしないと。精神疾患や認知症の人の人権がしっかりと守られる社会でないといけない。

  • 終末期の医療に興味を持ちだしたのは、もちろん両親のことがあったからである。父が入院して1年半。次第に意識はなくなっていく。入院当初、米寿を迎える父に対して、幼い子どもに接するかのように対応していた看護師に違和感があった。が、そのうちに慣れてしまった。自分でできることが次第に減っていく中で、こうして人は乳幼児のような状態にもどりながら死んでいくのかと思うこともある。けれど、やはり90年近く生きてきた人間に対して、それ相応のことを世の中に残してきた人間に対して、敬意をはらうべきだろうと思う。母の方が長生きしてくれるかと思っていたが、入院して2ヶ月、あっという間にこの世を去ってしまった。結局何が原因かはわからない。いろいろなことが絡み合ったのだろう。もともとペースメーカーに生かされていた。胆石があって、そのためか腸閉塞を起こし、激しくもどすことがあった。腎不全にもなり、尿毒症の症状があり、むかつきが続いた。人工透析が必要と、転院を余儀なくされた。身体中に管をつながれ、その管を抜くからと手を縛られ、すべての治療をやめてもらうべきではないかとも思えた。しかしそれでも、少しずつ回復する兆しはあった。リハビリをしてもらっている様子を見ていると希望がわいてきた。そんな折、胆石の具合が悪いと、また別の病院に移された。そして、ほどなく亡くなってしまった。どうしてやればよかったのか。決して「めでたいご臨終」とはいかなかった。人は必ず死ぬ(たぶん)。だから古くから人の死に方については議論がなされてきたのだろう。本書を読んで、安楽死の問題が優生思想などとどのように関わっているかも知ることができた。この問題に対する視野が少し広がったように思う。父の死に向けて、一体何ができるのか。とりあえずは、もっと気軽に相談できる場があれば良いと思う。これだけ情報が飛び交っているのに、母の死に際しては、医師に言われるがままで、第三者の意見を聞くこともできなかったから。

  • 安楽死や尊厳死の現状を知りたいと思い読んだ。
    元々安楽死や尊厳死を希望していた人が認知症などで自分の意思が表現できない状態になった時に、安楽死や尊厳死を望んだままなのか確認することは困難である。今健康に暮らしている状態の私は、将来深刻な病を抱えた時に過剰な延命はしなくていいと思っているが、実際に死が迫るような状況になったらどう感じるかは想像できない。
    本人の意思を確認することはできないが、こんな状態で生きているのが本人の為になるわけないと他人が決めて安楽死を実行してしまったら、それはただの殺人になってしまうかもしれない。
    高齢化社会の中ですごく重要な問題だと思った。

  • 背ラベル:490.154-マ

  • 安楽死とか尊厳死とかについてちょっと調べたいなと思って、というかまず押さえておかなければならないことを調べようと思って読んだのだが、これで十分じゃないか。要は「尊厳死」は死ぬまでの「生き方」を指しているし、「安楽死」は「死に方」を意味しているということだ、と思う。

  • S490.154-チユ-2519

    2019年には新潟在住の神経難病患者さんがスイスで医師幇助自死を遂げ、
    今年は京都在住のALS患者さんの嘱託殺人容疑で医師2名が逮捕されるという事件が起きました。
    さまざまな議論がある領域ですが、医療関係者は避けて通ることができません。
    論点を的確に理解するために、世界の現状を「最も正確に」伝えてくれる一冊です。

  • 各国の安楽死制度による変化について纏められていて良かった。

  • ゼミのテーマで読んだ。
    難しい内容だったが仮に法律で要件を定めたとしてもそれをどのように第三者に証明するのか、日本でどのように安楽死について議論を重ねていくのか地域差や宗教的考えも入ってくるので同じようにはいかないと思いました。

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著者プロフィール

1950年新潟県生まれ.東北大学大学院文学研究科博士課程単位修得.博士(文学).東北大学助手,静岡大学教授を経て,現在,静岡大学特任教授・名誉教授,放送大学客員教授.専攻は哲学,生命倫理学。 著書『遺伝子技術の進展と人間の未来――ドイツ生命環境倫理学に学ぶ』(知泉書館,2005年)ほか

「2018年 『安楽死・尊厳死の現在』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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